約束は、覚えている


赴任後、初めての登校指導に当たった(に名を借りた締め付け)。
朝、8時から正門に立ち、登校してくる生徒たちに挨拶をする。
向こうから、ツッパッた感じの生徒が歩いてくる。
ほう、こんな軍隊みたいな学校にも、それなりに自己主張している生徒がおったのか?
少しうれしくなる。
髪型、制服、靴下の色、靴の色、制服の長さ、ズボンの太さ、帽子、いちいち細かい校則を、
最低限クリアーしながら、わざとくずした着こなし方、ツッパッとる、ツッパッとる。
私が、「お早よう」と声を掛けても無視。まあ別にええわと思ったら、靴のかかとを踏んでいる。
私は、高校生の頃、靴のかかとを踏んでいて、クラブの監督に「親から買ってもらった物を
粗末に扱うな!早く傷むだろ」と言って殴られた経験がある。本当に、道具、スパイク、
ボールの手入れにはうるさい監督だった。
私にも染みついていたのだろう。
呼び止めて、靴をちゃんと履くように言った。
そうすると、うっとうしそうに履き直し、横を向いて唾を吐き立ち去った。このヤローーーー
と思ったが、それ以上言わなかった。
一緒にいた先生が、「一応うちの学校の番長なんですよ」(ふるーーーい)
「あっそう」と思ったが、彼は表面上教師には従うので、他の生徒ほど強行に指導しない。
少し、彼の面子みたいなものを保ってやり、無用の摩擦は避けているのだ。
いわゆる暗黙の取引みたいなものだった。
彼は、若い体育教師=暴力的みたいな図式を描き、自分に対してどこまで譲歩するか?
探っていたのである。
私は、無視をした。何故なら彼は3年生であり、私の領分ではないと判断したし、
私自身の怒りの領域を侵していないからだ。
それから数日後、私は、2年生の授業をしていた。
3年生も同じグランドで授業をしている。
陸上の授業をしていると3年生の方からサッカーボールが転がってくる。
私は拾いあげ、渡そうと振り返ると・・・・ツッパリ生徒がはすかいに立ち、私にガンを飛ばしている。
おいおい俺にケンカ売っているのかぁーー。
私はボールを投げ返した。
彼はきびすを返して行こうとしている。ちょっと待ったーーーー。
「おい、お前礼ぐらい言えないのか?」またしても私にガンを飛ばす。
2年生、3年生もいきさつを見ている。
私は、「どんな生徒にも公平に」がモットーだ。誰であろうと!!
このような場面では殴るぞ、と理解させたかった。
脱兎のごとく近寄ると、パンチ、キックの連打・・・彼も殴り返そうとするが、所詮中学生だ。
大人と子供の喧嘩だ。勝負にならない。
彼が戦意喪失すると、やっと3年生の体育教師が仲裁に入ってきた。

(あっこいつ、自分が泥を被りたくないために、とことん殴るまで見ていやがったな。)
私は、3年の教師の分まで殴らされた。私の母親の言葉がよぎる。
「絶対に生徒殴ったらあかんで」毎日出勤前に呪文のように言い聞かされていた。
でも腹の中では、殴るときは殴る、と心に決めていた。
生徒は敏感だ、もし何事もなく授業に戻っていたら「所詮こんなもんさ」と思われたろうし、
自分自身が1番許せなかっただろう。
彼は、その後、私が在任中、学校には来なくなった。
彼の担任は、気の弱そうな女の先生だった。
どうせクラス編成の時、彼を押しつけられたのだろう。
教師は、問題の少ない生徒を集めたがる。
余計な仕事が増えるのを嫌がるのだ。
事件後1週間経って、私が一緒に家庭訪問しましょうか?と尋ねたら断られた。
担任の先生も、本音は来てほしくないのだろうと読み取れた。
またパズルがひとつ欠けた・・・・・・・私は彼と話がしたかった。
それから1年後、友人と居酒屋で飲んだ帰り、偶然に彼とばったり会った。
あっと思った瞬間彼は、「先生」と言って笑いながら私に近づいてきた。
「おう、今、なにしているんや」と尋ねた。
「自動車修理工場で働いています。」
「そうか、頑張れよ。酒でも一緒に飲みたいが、まだ未成年やな。20歳になったら飲もう」
「はい、お願いします」そう言って彼と別れた。
彼と初めて言葉を交わした。
まだ、約束は実行されていない・・・・・・
あれから13年、約束は覚えている。

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