「帰ってきた学生」 


数年前、私がある大学のラグビー部のコーチを引き受けたとき、ひとりの学生と出会った。
関西圏と違うそのイントネーションが気になった。
学生は全国から学生が集まるが、その大学は全国的にあまり有名でない大学で、
その学生は、関東方面のイントネーションだったからだ。
関西の有名大学ならあり得るが、この大学に関東方面から入学すのは、めずらしかったからだ。
私はその学生に「お前・・何処からきたんや?」と尋ねた。
その学生は「はい、XXX高からです。」
「なっにーーXXX高?、東京の名門高やないか?なんでこんな所に来んや?」
「推薦(スポーツ入学)他になかったんか?」と聞いてしまった。
するとその学生は「いえ、H大学とか他に2〜3ありました。」と答えた。
「お前、それやったらH大学やろ、大学の名前も、ラグビー部も・・・・・・・・・」
「はい、入学したときに先輩からも、同級生からも言われました。」と苦笑いをしていた。
私は「お前、高校の監督に売られたんか?」と言った。
「いえ、高校の先輩がいない所でラグビーをしたかったので・・・・・・・・」
「そうかーーまっ頑張れよ!」そう言って会話を打ち切った。
 
その学生は、レベルの高い東京のチームで鍛えられていたために、やはりうまかった。
体はあまり大きくはなかったが、タックルもアタックも勇気を持っていた。
翌年、彼は主将に任命され、チームを引っ張った。
 
リーグ戦に入り、初戦に負けはしたが、彼はテレビ新聞社のインタビューに、清々しい笑顔で
「楽しんできました。」と流れる汗も拭おうともせずに答えていた、顔が印象に残る。
結局その年のリーグ戦は、1勝しかできず入れ替え戦に回ることになった。
その、リーグ戦の最終戦に彼は、大怪我をしてしまった。
「股関節脱臼」である。
肩の脱臼はよくあるが、股関節脱臼の痛みは、尋常でないらしい。
彼は、病院に搬送されたが、苦痛の表情を出すだけで「弱音を吐かず・痛い」とも言わなかった。
ゲームが終わり、病院に駆け付けると手術の真っ最中でだった。
後に看護婦さんが、「ラグビーをしている人は、みんなあんなに強いんですか?」と尋ねた。
股関節脱臼は、七転八倒の痛みで、普通は喚き散らすほど痛いらしい。
他の部位の脱臼とは、比べものにならない位、痛みが激しいのだった。
彼の母親が丁度、東京から試合を観戦に来ていて病院にも駆け付けた。
慌てふためく母親を、逆に落ち着かせ様としていたのだった。
その様子に看護婦さんも舌を巻いていた。
 
退院をし、彼の卒業が決まり私は彼に尋ねた。
「就職も決めず、将来はどうするのかと・・・・・・・・」
すると彼は、「教師なりたいんです。」と答えた。
私は「お前・・たしか教職取ってなかったな?」
「はい、東京へ帰って聴講生で教職だけ取ります。ラグビーの指導者になりたいんです。」
と答え。「そうか・・頑張れよ」としか言えなかった。
今、教員の採用はたいへん厳しいものがあり、うまく就職できればなぁーと私は思った。
 
数か月後、彼は大阪にやってきた。
股関節脱臼の事後経過を診断してもらうためだった。
股関節脱臼をした場合、数ヵ月後に炎症など起こし再手術の場合があるからだ。
もし、炎症を起こしていれば、資料など貰い、東京で治療するために来阪したのだった。
その時に、私の家を尋ねてくれたのだ。
彼は、母校の高校のコーチになっており、アルバイトしながらある大学の聴講生になっていた。
それから、数年音信は途絶えた・・・
昨年、私は新聞を見ていた。ラグビーの全国大会の地方予選の結果を見ていたのだ。
すると、彼の母校が優勝し、東京都代表になっていた。
私はその夜、彼に電話をした。
「おめでとう。まだコーチしているのか?」
「はい、ありがとうございます。まだコーチしています。」
そして、近況を聞いたのだった。
教職は取れたけれど、就職先がないのだった。
彼は母校に就職したいのだ。そうしてラグビー部の指導者になりたい、とまだ夢を持っていた。
しかし、職員の空きが無いために無償でコーチをしているのだった。
高校の監督も、もし職員の空きが出れば強固に推薦してくれるのだが・・・空きがないのだ。
そのために、アルバイをトしながらコーチを続けていたのだった。
早朝から牛乳配達、夜は練習が終わった後、塾の講師と、練習の参加できるアルバイトをしているのだ。
私は、収入を尋ねた。
10万円ちょっとしかないらしい。
苦しい生活の中で彼は、「教師」「ラグビーの指導者」を目指しているのが嬉しくなった。

私は、もし花園にきて時間があれば。食事をしよう。
恩師の監督さんに、了解を得て無理の無いよう、時間を作るように言い電話を切った。
 
私は花園に、彼のコーチするチームのゲームを観戦に行った。
惜しくも負けてしまったが、良いチームだった。
「捲土重来」来年も花園に帰ってきてほしいものである。
 
来年は教師として・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・