「好敵手」〜ライバル〜 


私が赴任した、2校目の生徒のでY・Nがいた。
彼は、2年生ながら中心選手だった。
当然ラグビー部だった。
私は体育を教えていたが、運動能力は学年で1番だった。
抜群のラグビーセンス、運動能力、将来が楽しみな選手だった。
近くの別の中学校にラグビー部があった。
その中学のラグビー部は、戦後創部された、大阪でも名門中学でラグビーの強豪校に
多くの卒業生を送り出していた。
また全日本高校代表、全日本代表の0Bも数多く輩出していた。

私の中学は、今年は負けないが、来年はわからなかった。
なぜなら、名門ライバル中学にM・Y という2年生がいたからだ。
スピード・当たり・タックルどれをとっても中学生離れしており、ラグビーの申し子のような
生徒だった。
(来年は、彼にやられる。!)私は危機感を持っていた。
そうして、M・Y のマークに(トイメン)Y・N を付けることを考えた。
私は、バックスであるY・N をあえて「フランカー」に持っていった。
タックルの多い、ポジションである。
 M・Y のポジションはセンター(バックス)だった。
あえて、1年間荒ぽいポジションに彼を起用し、来年はM・Y  のマークに付けようとしたのだった。


2人は、順調に育ち、大阪でも有名な選手に育った。
お互いに、ライバルとして「しのぎ」を削ったからだ。
互いが中学3年生なった頃、公式戦は1勝1敗で終わった。
しかし、M・Y  のチームは、大阪府優勝・関西大会優勝という大きな勲章を勝ち取った。
Y・Nはそのことで、M・Y  にたいするライバル心をさらにかき立てた。

彼ら達は、それぞれ違う高校に進学し、ライバル関係は続いた。
しかし、彼ら達はシードの関係であまり対戦しなくなった。
大阪の全国大会のキップは3枚あったためだ。(大阪は3校出場)
2人とも全国大会に出場し、大学から勧誘の声がかかった。

Y・N は関西のラグビーの強い大学、K・S大学へ進学した。
M・Y  
は関東の名門大学、M大学に進学した。
公式戦で相まみえるのは、大学選手権だけになった。
M・Y  
は1年生から抜擢され、スーパールーキーとして大活躍をした。
しかし、Y・N はあまり体が大きくならなくなり、3年生でようやく芽だ出だした。
関西Aリーグ、勝てば優勝の試合に抜擢された。
相手も全勝優勝決定戦だった。
ゲームは惜しくも負けてしまったが、彼は大学選手権出場を決めていた。

Y・N 
は大学選手権でM・Y  のいるチームと対戦をするのを楽しみにしていたが
その前に、負けてしまった。

卒業時、M ・I は関西のラグビーの名門企業、K製鋼に就職をした。
Y・N は、ある百貨店に就職し趣味程度ラグビーを続けている。
M・Y 
は、先頃ラグビーのワールドカップにも出場していた。
Y・N は現在、外商の営業マンとして仕事をしている。