世界のリングに4度上がった体育教師


私は大学時代、ボクシング部と仲がよかった。
私自身ボクシング部が好きだったこともあり、時間の許すかぎり、ボクシング部
の試合の応援に行っていた。
ボクシング部の監督さんは当時大学を出たばかりで、青年監督だった監督さんとも
仲良くなり、 現在も、家族ぐるみでお付き合いをさせてもらっている。

ボクシング部の2年先輩にMさんがいた。
軽量級のその先輩は、パンチ力は無かったが、無尽蔵のスタミナと手数で
相手を圧倒していた。また勇敢で、足を止め、ハデな打ち合いを何度もした。

私が卒業してしばらくしてスポーツ新聞の記事が私の目に飛び込んできた。
「異色プロボクサー、世界をめざす!!」Mさんの事だった。
大学時代の経歴と戦跡が記されてあった。
私の記憶では、Mさんは大学からボクシングを始めたように思う。
Mさんは卒業後、警察官になり、教師になりたくて、採用試験を受け、合格。
その後、体育教師として勤務していた。
だが、どうしてもプロボクサーになりたくて退職し、ボクシングジムの門を叩いた。
当時、Mさんは結婚しており、お子さんまでいた。

私はその記事が出た後、ボクシング部の同級生Tと、会うことがあった。
私 「Mさん、プロボクサーになったけど、せっかくの教員捨てて大丈夫かいな」
T  「監督のH先生もかなり引き止めたけど、ダメやったんや
   家族のことも考えて、引き止めたけど・・・・・」
私 「Mさんは、お金を稼ぎたいのか?」と尋ねると。
T  「違う。Mさんは本当にボクシングが好きやねん」
私 「それやったら、アマチュアでできるやろ」
T 「そやけど、プロ、とアマは違う。プロの世界で試してみたいねん」
私 「お前も、そう思うか?」
T  「そら、俺だってプロのリングに上がりたいわ」
Tは高校卒業時と大学卒業時、多くのジムから勧誘があり、悩んだが、
監督のHさんに、「プロは冷たい。成功するのは、ほんの一握りで、負ければ、 
何も残らない。有望な選手が挫折し、後の人生を惨めに送っている」と、
Tには体育教師としてアマチュアの指導者になることを進めたのだ。

Mさんは順調にランキングが上がり、世界ランクにまで到達した。
世界初挑戦が決まったのだ。
相手は軽量級で、近年にない強い世界チャンピオンだった。
まだ、判定まで保ったボクサーがいなく、ことごとくKO勝ちを納めていた。
私は当日、テレビでそのタイトルマッチを見ていた。
1ラウンドから、Mさんは劣勢だった。
チャンピオンの猛烈なパンチがMさんを襲う。
Mさんもパンチを繰り出すが、威力に歴然の差があった。
Mさんの武器は無尽蔵のスタミナと手数だった。
パンチ力不足を手数で補うのがMさんのスタイルだった。が、さすが世界チャンピオン
手数も相当なものだった。
チャンピオンのパンチが、Mさんのスタミナを奪っていく。
ラウンドは進み、Mさんは、いつ倒れてもおかしくなかった。
私は、テレビを見ながら「早く倒れて、楽になれば!!」と思っていた。
これだけのパンチを食らったら、後遺症が心配だ。
Mさんは、フラフラになりながらも最終ラウンドまで持ちこたえた。
結果は「判定」しかし判定を待つまでもなかった。
疲労困憊でコーナに座り込むMさん。
高々と勝利をアピールする、チャンピオン。
結果は、チャンピオンの勝利だった。

翌日の新聞はMさんの力不足を指摘していたが、チャンピオン相手に判定に
持ち込んだ健闘は讃えていた。
チャンピオンに対し判定に持ち込んだ初めてのボクサーだったのだ。

数ヵ月後、またスポーツ新聞にMさんの名前が・・・・
リターンマッチをすると言うのだ。「引退を賭けて」。私は無謀だと思った。
案の定、無残にもKO負けだった。
私は、男の我が侭を許し、支えてきた奥さんに尊敬の念さえ覚えた。
Mさん、これからは、家族のために人生を歩いてほしいと願った。

しばらくすると、またスポーツ新聞にMさんの名前が・・・
「プロボクサーMカムバック!!」
Mさんは、3度世界のリングに上がることになったのだ。
命を削ってまでリングに上がる理由は何処にある。「名声?」「富?」。
Mさんは、またもKO負けした。
今度は、新聞も引退をすすめる記事や
峠の過ぎたボクサーをリングに上げる関係各位に対して、批判的な記事を書いていた。
私もそう思ったし、ここまで家族を犠牲にするMさんに失望した。

またしばらくすると、スポーツ新聞に「M最後の世界戦!!」の記事が載った。
記事は、その無謀さとボクサーの健康管理、プロモーターに対する批判記事に
なっていた。監督のHさんが「プロは冷たい」と言った理由がここにあった。
とにかく世界戦をすれば、ジム、及びプロモーターが儲かるのだ。
ジムの会長とプロモーターが同じ事が多い。
そのジムは、世界タイトルマッチに出れるボクサーはMさんしかいなく、
最後の金儲けと考えたようだ。
世界戦と言っても、挑戦者のファイトマネーは微々たるものだ。
命を削る割には、あまりにも報酬は少なかった。

4度目の世界戦も私はテレビ観戦した。動きが悪い。初めての世界戦と比べても
格段の悪さだった。力の衰えは隠せなかった。
対して、チャンピオンは軽快なフットワークと素早いジャブで、Mさんを翻弄した。
何ラウンドまで持つかが焦点になった。
敢えなく、早いラウンドでのK0負けだった。
レフリーがカウントを呼んでいるとき、私はもう立たないでくれ!!と心の中で
叫んだ。Mさんは、立ち上がれなかった。
もう5度目は無いぞ。先輩!!!そういってチャンネルを回した。

その後、Tと会ったとき、Mさんの話題になった。
私 「教師の地位を投げ捨て、世界に4回も挑戦したのだからMさんも本望だろう」
T  「ボクサーとしては、本望だったろう。奥さんがかわいそうやったな。」
私 「これからMさんはどうするのかな?。」
T  「プロゴルファーめざすって言っていたけど・・・・・・・・・・・」
その後、Mさんがプロゴルファーになった話は聞かない。