受験出願で首を賭けた教師


俺は、3年担任の体育教師。
また眠れない季節がやってきた。
そう、受験シーズンだ。自分の子供の頭のレベルも解らず進学校へ行かせたがる親や、
あわてて塾に行かせる親(3年遅いんだよ!)、
できの悪いのを教師のせいにする親(あんたの子やで、アホに決まってるやん)、
俺だって全員志望校へ行かせたいわ。
さて、ぼちぼち、進路指導で呼んでいる親のいる教室へ行こうか。

親「先生、私とこの子、A高校を受験したいんですけども」
俺「うーーん、ちょっと苦しいですね」
親「なんで、XXさんとこの00ちゃん、うちの子供より実力テスト悪いのに、A高校
受験させてくれるて、1組の先生はOKしはったらしいですよ」
俺「公立高校は、テストの点数が半分と内申書の評価と合わせて、総合的に判断するんですよ」
親「なんですか?00ちゃんの方が実力テスト悪いのに、
うちの子の方が内申書の評価低いんですか?」
俺「内申書の評価は、保健体育、音楽、技術家庭、美術なんかの評価も加味されて総合的
に判断するわけであって、主要5教科の実力が上でも逆転することもあるのです。」
親「納得行きません。00ちゃんの内申書とうちの子のを見せてください」
俺「規則で他の生徒はもとより、本人のも見せる訳にはいきません。」
親「訴えてやる」(ダチョウ倶楽部風に)

まあ、こんな調子かどうかは解らないが、教師に不信感を持った親が内申書開示の裁判
を起こすのである。私が思うに、本人だけだったら見せても良いと思う。
私の知っているかぎり、総合所見欄に生徒の悪い事を書く教師にあったことがない。

次の生徒だ。この生徒は女子生徒だった。名前はD子と呼ぼう。
この生徒は、どうしてもB高校へ進学したいと言い張った。
親もB高校に固執した。B高校は公立で、もと男子校だった。(戦前まで)
戦後、公立高校は旧制中学より高校に変わり、男子校、女子校は学制改革の折り、
男子、女子を半数ずつ入れ替えて、共学校としてスタートした。
私が講師をしていた頃は、戦前男子校だった高校は男子が若干難しく、女子は
反対に若干入りやすかった。女子校だった所は逆の現象が起きた。
なぜか元男子校は男子の受験志望者が多く、女子の場合は逆だった。
公立高校は、内申書、テストを総合点で合否を判断するが、点数が上だからといって
合格するとは、限らない。なぜなら男女比率を考えるからだ。
男子の受験者が多かった場合、男子の不合格になった生徒よりも
点数の低い女子生徒が合格する場合があるのだ。
このような関係で、男子が入りやすい高校と、女子が入りやすい高校が出てくるのだ。

俺は、D子にC高校なら大丈夫だと言ったが、聞き入れない。
どうしてもB高校に進学したいと言い張った。
世間的に、B高校の方がC高校よりレベルが上と思われている。
親の見栄もあるのだろうか?しかし勝負できないわけでない。
本人の堅い意志という事で俺は承諾した。
D子は経済的理由で、私立は受けなかった。
落ちれば中学浪人だ。俺は、それだけは避けたかった。

俺は親を学校に呼んだ。「受験願書、2通作ります。幸いB高校は元男子校で女子に
あまり人気がない。出願最終日ぎりぎりまで受験者数を見てみましょう。
もし、B高校に女子が多く受験していればC高校に変更します。」親は納得した。
受験願書は、絶対に2通は作らない。
もし教育委員会に知れたら、校長、担任は、間違いなく懲戒免職だ。
渋る校長を俺は説き伏せた。校長は、2通の受験願書に判子を押した。
「おい、XX、絶対に両方に出ささんといてくれよ」校長はびびっていた。
出願最終日、D子は締切1時間前にB高校の校門前にいた。
門から出てくる受験者に受験番号を聞き出すのだ。
B高校は、男子が1番から、女子は500番台から始まる。
女子の受験番号が501番だとすると、
その生徒は女子として1番最初に受験願書を出したことになる。
B高校の定員は400名だ。女子の受験番号700番までなら一応定員割れだ。
しかし、あまり成績が悪いと定員割れでも落ちる。
D子の成績なら定員割れしたら絶対に合格すると俺は確信していた。
C高校には、親が出願書類を持って待機していた。
出願書類は原則的に、受験者が持っていくのだが世の中にはいつも例外がある。
もし、窓口で本人でないことを聞かれたら、病気にしておけと言っておいた。
俺は、校長室に電話を独占して待機した。10分、前D子から連絡が入る。
「先生、女子生徒に受験番号聞きました」
俺 「何番や」
D子「698番です。」
俺 「後、5分待て、5分後もう一回電話よこせ」
校長は、もうええやん早く出せ、みたいな顔をしていてかなりビビっていた。
判子を押したのを悔やんでいる様子がありありだった。
5分後、D子から電話がなった。「先生あれから誰も来ません」
「よし、受験書類出せ。わかったな、お前が出すねんぞ!!」「はい!!」
さて、次はC高校で待機している親に電話だ。
親には携帯電話を都合させていた。
ダイヤルを回す。呼び出し音がなった。
俺 「00中学のXXです。」
親 「あっ先生・・ザッー・・どうなり・・ザッーー・たか・・ザー・わた・・ザッー」 ヤバイ、
音声が飛んでいる。俺は焦った。大声で「受験願書出さないでください。」と
何度も言ったが、電話は途切れた。
横で、校長が焦っている。俺も焦っている。作戦は完璧だったのに。
携帯電話の電波が・・・・・
電話を掛け直したが、つながらない。
親に通じただろうか?もしC高校にも出しておれば、同じ中学の同姓同名から
本物の受験願書が2通、B高校とC高校に提出される。
間違いなく、教育委員会から問い合わせが来る。
校長、担任の俺は、間違いなく懲戒免職だ。
時計を見る。出願時間は過ぎた。校長室の電話がなった。
親からだった。「先生」「あっお父さんどうなりましたか?書類は?」
「今持っています。出しませんでした。急に切れたんでかけなおしたんですが、
 つながらなくて、今公衆電話からなんです。」
「今すぐ、書類持って学校にきてください。D子は書類出しましたから・・・」
私の声は聞こえていたそうだ。
その日大阪は何年ぶりかの大雪だった。
この話を聞き終わったとき、私は、「先輩無茶しますね」と言ったら。
「そやなー、やっぱり俺アホやねんな。得にもならん事に首賭けて」
「もうしたらあきませんよ!!」
「もうようせんわ、家の借金もあるしな」
「ところでD子はどうなったんですか?」
「合格したよ」
「でもこんなことよく考え付きましたね。校長もよく判子押しましたね」
「そや、校長退職金もパーやしな。あれ以降校長はもう絶対言わんといてくれて言うと
 ったわ。」
「でも、1回やっとったら話のネタにいいですね。」
「アホ、3回目の時の話や!!!」
こんな事を3回もやった先輩を私は尊敬する。