教師の鏡


 2つ目の赴任校の生活指導の先生の話だ。
風貌が、前任校の生活指導の先生と瓜二つだ。(中身は全然違う)
この先生も、私はあいさつした程度は、したことがあった。名前はK先生。
なぜなら、K先生もラグビー部の顧問で、前任校の時に試合会場で
お会いしているからだ。K先生も礼節には厳しく、試合会場にも先頭で歩いてこられ
直ぐ後をキャプテンが歩き、後に部員たちが2列になって歩いてくるのだ。
しかし、部員たちの表情は、明るい。規律よく躾られている感じで好感が持てる。
そんなチームだった。

明日から、新学年、新学期となる前日、私はこのW中学に赴任の挨拶にきた。
校長室で、管理職と、このK先生にお会いしたのだ。
K先生は、私が来ることを心から喜んでくれており、教育委員会から、
私の名前を聞いたとき、本当に喜んでくれたのだった。
いきなり、ラグビー部の顧問、生活指導、が振り当てられた。(当然予想はしていた)
K先生は、生活指導専門なので授業は持たない、地域の折衝、警察との連絡、
小学校との連絡、あらゆる生徒指導に関する事を、引き受けていた。
私は、K先生にラグビー部に関することにこう言われた。
「ラグビーを教えて上げてください。私はラグビーの事は解りません。練習方法、一切
口出しいたしません。」よくこう言って何やかんやと言って、言いだす人がいる。
しかしこの先生は、1度たりとも口を出さなかったし、逆に何度もピンチを助けてくれた

            W中学のラグビーが誕生した経緯
3年ほど前に、このW中学も荒れた、この荒れたエネルギーを何処に導くか?
管理職以下考えた。結論は、クラブ活動だった。クラブ活動が優先され、早朝練習や
下校時間も、校則は変えないで黙認した。
文化部も活発で、ブラスバンドの演奏も、市の行事に駆り出されるぐらいだった。
3年前、K先生が不良少年を集め、やりたいスポーツを聞いた。
それがどんなクラブでも作って、K先生が顧問になってやる。という約束で。
生徒達は、「ラグビー」を選択した。
K先生は、練習をさぼらない約束でラグビー部を作り、顧問になった。
ポケットマネーで、買ったゴムのボールが3つあるだけのラグビー部が誕生した。
その3年目に私が赴任したのだ。
クラブ活動が活発だった為にグランドが毎日使えない。割り当てられた日以外は、
早朝練習でグランドを使い、放課後は近くの山のハイキングコースをクロスカントリー
で走るのだった。
その日は、早朝練習日だった。朝6時30分練習開始だ、つらかった(私が・・・・・・)
K先生は、朝6時前より門に立ち、部員に挨拶しながら迎え入れているのだ。
この2年間1度も欠かさずに・・・
その日の練習終了後、私は1年間こんなんようせんと思った。
K先生は、それを察して「先生、朝は私が見ますから、先生は放課後の練習
見てやってください」(やったーーーー )私は、「素直にそうさせて頂きます」と答えた。
K先生のすごいところは、生徒より必ず前にきて生徒を「迎え入れる」姿勢を1度たり
とも崩さなかったことだ。まさに「継続は力なり」 。

ある日、授業中音楽室からピアノの音が聞こえてきた。
授業してないはずの、音楽室から・・・・・・・・・・
ふと覗くと、K先生だった。なにーーーー坊主頭の空手6段のK先生が・・・
ピ・ア・ノ・???それもクラッシック??ショパン?
私は、音楽室に入っていった。
先生は私にきずき、笑いながらまだ演奏している。
演奏が終わり「先生ピアノお上手なんですね」と言うと。
K先生は、笑って「だって商売ですもん」(ン・商売?)
「私、専門は音楽ですから」
「ゲッーー音楽ーーーーー」
40歳越えて、ブロンズのような肉体を持ち、空手6段で、鎌倉彫で箪笥まで作り。
坊主頭で、顔は、悪役商会の俳優みたいな顔して・・音楽・・・
私は、この時まで体育ばっかりだと思っていた。生活指導の責任者は、
授業を持たないので私は、知らなかったのだ。

K先生はまさに「不言実行」のひとで他人に対して世話をしても、恩義せがましくなく
まさに人物としても1級品の人だ。
学校でも、K先生の事をとやかく言う人は、いたが表面上言えない。
K先生の圧倒的行動力、第一に生徒のことを考える行動は、批判すればするほど
自分に跳ね返ってくるからだ。

私が教職を離れた数年後、テレビを見ていたらK先生が写っている。
紺のスーツに坊主頭、手には花束を持って・・
その番組は、歌番組でスタジオには、アイドルから大物演歌歌手まで揃い、今は打切り
となったが、この手の番組では長寿番組で私も子供の頃から見ていた。
歌手が「お世話になった人」のコーナーでよく恩師が出ていた。
その歌手は、元不良少女でロック系のシンガーになり大ヒット曲を飛ばしていた。
K先生は花束を手渡し、その歌手の唄を嬉しそうに聞いていた。
司会者や、他の出演者はK先生の風貌を見てびびったに違いない。
本当に、教師には見えないのだ、どうしても893にしか見えないのだ。
彼女の曲も、もう古くなってしまったが、たまに耳にすることがある。
そうするといつもK先生の事を思い出してしまう。

「♪♪♪翼の折れたエンジェル・・・みんな飛べないエンジェル・・♪♪♪♪♪」
  K先生の事も色々書き畷りたい、工事中を無くしたら本格的に書こうと思っている。
  K先生は、私にとっても同僚でありながら「恩師」と呼べる人だった。