花園への道〜最終話〜


試合開始早々、相手のエースがボールを持った。
加速されたら、止めにくい。ファーストタックラーがいかに出足を止めるか?
タックラーが簡単に抜かれると、実力差の違いを見せつけられ、
あきらめムードに繋がり蔓延する。
私は、「勝負だ!」と心の中で叫んだ。
瞬間、身体の小さなタックラーは相手のエースに飛び込んだ。
「止めた!!」
私は「よし!!」と心の中でうなずいた。
チームメイトは「行ける!」と感じたに違いない。
しかし、相手のチームはボールを継ぎまくった。
自陣ゴール前に迫られた。
辛うじゴールを割らせない!そんな思いがタックルに現われた。
必要に相手チームは、ゴールを割ろうと(トライしょうと)強引に責め立てた。
一人で駄目なら二人がかりで、相手を止めた。
気迫溢れるディフェンスが続いた。
「やられる!。」その都度全身全霊を賭けて相手にしがみついた。
私達がよく言う「身体を張った」プレーだった。
身体を張ったプレーは、気力が充実していなければ出来ないプレーだ。
身体の小さな選手たちが、大きな体躯の選手を倒すためには,必要不可欠なプレーだ。
身体の小さな選手達が目の前で実践している。
ラグビーをした人なら、このプレーを生むために、どれだけ汗を流したか?
理解する事が出来るのだった。
相手チームの気力・体力・総合力は大きな火の玉だった。
友人のチームは、その火の玉は小さかったが、赤色を通り越して真っ白なぐらいに燃えていた。
そう、実力差のあるチームに対してはこうでなくてはいけないのだ。
私達はこのことを「気持ちの問題」「モチベーション」とか呼んでいる。
昔風に言うなら「根性だろう」しかしこのことは必要不可欠だ。
指導者は、いかにゲーム時にこの心の「コンディション」を持って行くかが真価を問われるのだ。
 
前半10分。強引にゴールを割られた。
出来るなら「先制点」そう思っていたが、この10分の粘りは上出来だった。
先制はされたが、選手たちはキレなかった。
上回る闘志で、ディフェンスを続けた。
前評判は圧倒的に不利で、何点開けられるかが話題になっていた試合だった。
相手チームは、ひつこいタックルに嫌気がさしだした。
そうしてキック戦法に切り替えた。
私は、「ラッキー」と思った。
なぜなら、ディフェンスを割られるのは、紙一重で決壊するダムがなんとか?
持ちこたえている感だったからだ。
相手チームが根負けしたのだ。
「善戦する」私の長い経験が確信した。
1本取り返せば、さらにもつれる。そう思った。
しかし、連続してトライを奪われた。
選手たちはそれでもキレなかった。
流れから言うと、3本目を取られるとゲームは終わってしまう。
しかし小さな選手はボールに殺到し、トライを奪い返した。
息を吹き返した瞬間だった。
この一年間賭けて完成させたトライパターンだった。
「14ー5」前半戦を予想を覆す大善戦で折り返した。
後半8分トライを奪われ、「19ー5」に開いた。
私はキレるかな?と思ったが、選手たちはゲームに集中していた。
まだ行ける。ゲームになる。私は観戦していてそう思った。
選手たちは、3分後トライを奪い返した。
「19ー10」ひょっとして・・・と私は淡い期待を抱いた。
しかし相手は、甘くなかった。
トライを奪い返され「24ー10」勝利は厳しくなった。
後半21分またもトライを奪い返す。「24ー15」
選手たちの闘志という炎は、一向に劣えていなかった。
後半25分トライを奪われ「29ー15」敗戦は決定的になった。
しかし選手はあきらめない。
小さな身体で、タックルを続けた。
私は、身贔屓を引いても素晴らしいチームだと思った。
実際試合終了後、友人のチームは目の肥えた大阪のラグビーファンから
「小さいけど、よいチームだ。」「大健闘」とあちらこちらで話する声が聞かれたし、
私の知り合いの大会運営に関わっている、ラグビー指導者が、大会本部でも
評判になったゲームだったと後に教えてくれた。
スコアーはそのまま「29ー15」で終わった。
泣きじゃくりながら選手たちはベンチに引き上げてきた。
友人は、予選の決勝戦とは打って変わって「ニコニコ」笑いながら選手を出迎えた。
その笑顔が、ゲームの内容を物語っていた。
 
友人は大晦日まで大阪に残った。
翌日から新チームの練習を始めるためだった。
新チームを見据えての、予定の行動・・・・・・・・・・
彼は知らない間に監督として、一回りも二回りも大きくなっていた。
私は帰る前日、友人と酒を酌み交わした。
私は実力差のあるチームに、あれほどの戦いを繰り広げた選手に敬意を表したし、
心の準備をあそこまで持っていった友人に、素直に感想を述べ称えた。
しかし友人の口から出た言葉は・・・・・・・
「もう少し、攻撃の幅を持たせる練習を教えればよかった・・」
と反省の言葉ばかりだった。
私は「そんな欲張りは駄目だよ。あの持ち駒(選手)と時間的制約・環境で最大限やったよ。」と言った。


2年前・・・・・決勝の壁を破れずに、悩んでいた指導者の姿はなかった。
彼は2年の間に「勝負師」に変身していた。
私は最後にこう言った。
「勝負師5割」「教師3割」「詐欺師2割」そんな気持ちがあれば、常連校になれるよ・・と。
 
                 後日談
相手校の主将が、翌日の新聞で「あのひたむきなタックルは見習わければいけない」と
正直にインタビューに答えていた。
相手チームの監督は、初戦突破と出場お祝いの大学同期の飲み会を、その夜断った。
ショックが大きかったに違いない。
 
友人の生徒たちは、大学から推薦の勧誘のがひきりなしに係った。
また、就職の生徒たちも面接では花園の事ばかり聞かれ、就職厳しいご時勢にも関わらず
是非当社に!と引っ張りだこになった。