花園への道〜その3〜


私は帰る飛行機の中で、心地よい感動と喜びに包まれていた。
ほんの少しの手伝いだったが、彼らたちが(選手)花園の芝生のグランドに立てることが・・・・
選手にとって花園は聖地であり、憧れの場所なのだ。
高校球児の甲子園と同じなのだ。
高校の指導者にとっても同じであり、高校時代選手として立てなかった指導者には、
格別な意味をも持っている。
友人は今夜、生涯最高の美酒に酔うことだろう。
私も一緒に飲みたかったし、友人も何度も誘ってくれた。
しかし、その喜びは彼ら達のものであり、私はこの心地よい感動で十分だった。
そして、これから始まる新たな戦いに友人が、浮つく事無く準備してくれることを
心から願っていたし、私にとっても憂欝だった。
 
決勝戦から3週間ほどたったある日、友人から連絡が入った。
「先日は、ありがとうございました。」
「いや、改めておめでとう。少し落ち着いた?」
「いやー大変ですよ。取材もありますし、大会の費用も・・・・」
「そうやなぁー、金の心配が一番やなぁー」
「はい、自分は金のことは苦手ですし・・・OBも少なくて・・
 でも、後援会が出来まして、そちなの方でなんとかしてくれそうなので・・」
「実は・・11月に大阪で合宿したいんで、またお願いしょうかと思いまして・・」
「そうか、強化合宿か・・・グラウンドと練習相手見付けとくよ・・」
「よろしくお願いします。」
そう言って電話を切った。
私は中々したたかに考えてるは・・と少し安心をした。
 
11月後半、彼は生徒たちを連れ大阪にやってきた。
もう一ヶ月近く雪のために満足に練習できていなかった。
ゲーム感を取り戻すために、走り込みとゲーム形式の練習を取り入れた。
たった4日しかない合宿だったが目的を持ったチームは、恐ろしい程伸びた。
私は高校生の可能性に改めて驚いてしまった。
 
それから数日後、友人から電話が入った。
「1回戦の相手決まりました。〇〇県代表のXX高校です。」
「えっ!!、XX高校・・・手強いなぁー」
「ビデオ手配していますからまた送ります。気が付いた所あればアドバイスお願いします。」
「うん、とりあえず送ってみて,また大阪2次合宿の時にでも話しょうか?」
 
XX高校の監督は、私の大学の後輩であった。
そして、私は人柄も知っていた。
決して甘い監督ではない。そして情熱をも持っていた。
花園に出る事を考えていなくて、花園で幾つ勝か?を考えチーム作りをしている。
(予選なんて無いのと同じぐらい、県下では無敵だった。)
県外にもどんどん出て行き、全国の強豪とも練習試合をかさねているチームだ。
選手たちもそのことを理解し、練習に取り組んでいるのでモチベーションも高く、
この年の国体において、全国の強豪と大接戦を演じたチームだった。
そしてラグビー留学選手が大半をしめていた。
 
友人のチームは、殆どラグビーボールを持つのは初めてで、
落ちこぼれそうな、生徒をだましだまし引っ張って来たようなチームだった。
ここでもう意識の上での優劣はかなりついていた。
送られてきたビデオを見たときに、私は選手が試合を投げれば一方的な試合になると感じた。

友人のチームは、大会の11日前に大阪入りすることが決まっていた。
その間に何が出来るか?
そして、チームの士気を高めるには・・・・・・・
雪のために走り込みもできていないだろうし、ゲーム感も鈍っているはずだ。
健康管理・・あらゆる問題が山積みしていた。
それを11日間でいかに克服し成果を出すか?
練習メニューを考えなければいけない。
最大にして、最速の効果の出る練習。
そして、1年間かけてやってきたチームの戦法を壊さないための練習。
私はあるプランを持ち、友人のチームの到着を待った。
 
友人のチームが大阪入りする数日前、私の自宅に小包みが届いた。
開けてみると、全国大会用に新調し、選手たちに配った大会用のウィンドブレイカーの上下が、
私の名前を刺繍され入っていた。
私は友人の心遣いと、気配りに感謝し選手たちに思い出の残るゲームをしてほしいと願った。
 
友人が大阪入りした夜、私は友人に練習プランを尋ねた。
友人も初出場であるために、色々考えていた。
その考えは、私と大差はなかった。
4日間は走り込ませる。徹底的に!!
走り込みさせながら、1年間かけてきた戦法の精度の向上と再認識。
そして、モチベーションの向上と継続に努めることにした。
1日の完全休養の後、コンディション作りに入る。
このプランに沿って、地獄の4間がスタートした。
1日6時間の2部練習。
生徒は休む間もなく、練習メニューをこなしていく。
気を抜けば、コーチ監督の叱咤激励の声がグランドに響き緊張感が張り詰める。
練習最後の30分間走。
知らない人が見たら、大会前にこんな激しい練習をしても良いのだろうか?
と考えてしまうほどの練習だった。
しかし仕方がなかった。走り込み不足の解消の為だった。
合宿中ある2年生の選手が、友人に漏らした言葉がある。
「先生、花園ってこんなに辛いものとは思わなかったです。」
「こんなに辛ければ、出なくていいです・・・・・・」
彼の意識レベルの低さと、練習の厳しさが発しさせた台詞だった。
友人は、巧みなチームコントロールをした。
ある時は、「花園に出てテレビに映ったらファンレターが山ほど来るぞ!」
と思春期の高校生の心をくすぐり。
またある時は「お前たちに思い出をいっぱい作ってほしいって、みんな厳しい中から
 寄付をしてくれて合宿しているんだぞ」
決して多弁でない友人が、とつとつとした言葉で心のケアをしていた。
あと3日だ!苦しいのは・・あと2日・・あと1日・・最後の苦しい練習だ・・
友人は生徒を追い込みながらも、叱咤激励し選手を支えた。
 
最後の苦しい練習が終わった瞬間、生徒たちの顔は晴れやかになった。
明日は完全休養日だ。
友人は門限を設けて、一人2000円づつ手渡し大阪の街でリフレッシュする事を許した。
 
完全休養日の翌日、コンディション作りの練習に切り替わった。
その日から選手たちの顔色が変わった。
あれだけの練習をしたのだから、簡単には負けられない!勝ってやる!
明らかに、練習で追い込んだ成果が見られた。
『勝ちたい!!』そんな勝利に対する執念が芽生えた
試合当日、選手たちは「調子はいいです。足も軽いし絶好調です。」
と口々に答えた。
調整はうまくいった。後は実力の差のある相手に何処まで食らい付くか!?
そして、60分間切れず緊張感を持てるか!?
やることはやった。後は生徒たちを信じるしかない。
生駒颪の吹く中、試合開始の笛の音が鳴り響た。
楕円の白球は、青空に放物線を描き飛び出した。
 
次回花園への道〜最終話〜につづく