花園への道〜その1〜


いよいよ、ラグビーのシーズンである。
新聞を見ていると全国大会の代表が続々と、勝ち名乗りを上げている。
20数年前、私も花園を目指し毎日グラウンドで汗を流していた。
当時の監督と呼ばれる指導者は、強烈な個性を持っていた。
強豪校であればあるほど、その個性は強烈で、近寄りがたいものがあった。
私自身監督とは、まともに話すらできなかった。
ある監督は、試合に勝ったにもかかわらず「内容が悪い」の一言で、30キロ離れた
学校まで走らせ、練習をやり直すといった事を平気でしたりしていた。
スポーツを楽しむとか、教育の部活とか?いった風でなく、修行のような練習だった。
しかし生徒の特性は見抜いており、殴って教えていい者や、おだてて教える者、
理論的に話をする者と、一人一人指導方法を変えていたのは確かだ。
ある日、同級生が学校に遅刻をしてきた。
その時は、顔が腫れるくらいに監督に鉄拳を見舞われた。
顔の腫れた同級生を私達は、取り囲み「お前、監督の機嫌朝から悪して、
今日の練習しんどなったらどうしてくれるねん」と追い打ちを掛けたりしていた。(笑)
監督は、他の教師から部員の素行についてクレームがあるとこれでもか!といった具合に部員を殴った。
ある日、練習試合の帰り私達は、喫茶店で飯を食べに入った。
2〜3人が食事のあと、煙草を取出し吸った。
私は制服姿と、ラグビー部のネーム入りのバックを持っているのにやばいなーと思った。
案の定、翌日部室に監督が入ってきた。
私達は凍り付いた・・・・・・・
なぜなら、監督はめったに部室に入ってこないからだ。
「昨日、XXという名の喫茶店で、うちの部員が煙草を吸っていると連絡があった。
 誰とは聞かない。今回は不問にする。
しかし次にこんなことを聞いたら覚悟しておけ!」監督はそう言って部室を出ていった。
また、国体予選の決勝戦で負けた夜、10数人で酒を飲みに出かけた。
先輩がちょくちょく行っていた店の2階で、飲んでいたのだ。(その先輩も高校生)
翌日、また部室に監督が部室に入ってきた。
笑いながら・・・・・・「お前等、昨日の酒は旨かったか?」
私達はまたも凍り付いた。
「負けて悔しいのは判る・・しかし酒飲んで紛らわすのは大人のすることや・・・」
「悔しかったら、練習して冬に花園行かんかい!!!」
そう言って部室から出ていった。
殴られなかった・・しかし今日の練習を思うと・・・グランドに行くのが恐ろしかった。
しかし、普段道理の練習だった。
私はOBになり、(30歳を越えてからだが・)他の教師のクレームであんなに殴ったのにどうして、
喫茶店の喫煙の時や、酒を飲んだときに殴らなかったのか監督に聞いてみたすると監督は、
「チクった教師の前でお前等を殴ったら、もうその教師はようチクらんやろ・・
あいつら自分ではよう指導せんからな、あいつらに当て付けやったんや・・」
(なにーーー私達は、あてつけに殴られてたんかいな!)
喫茶店の事は、事務の女性が偶然にその喫茶店に居合わせたのだった。
その女性は、監督に言おうか言わまいか?悩んだそうだ。
監督が部員を殴るのが目に見えていたからだ。
しかし、補導され無期停学になって(喫煙は無期停学だった)試合に出れなくなると
いけないので、絶対に生徒を殴らない。穏便に済ませる約束を、監督にしてから
喫茶店の事を報告したそうだ。
監督は約束を守り、私達は殴られなかった。
飲酒の件は、私達の知らないOBが偶然その店で飲んでおり、2階から下りてきた所を
見られたために、監督の耳に入ったのだった。
その時も殴らなかったのは、監督も高校生の時に試合に負けて、
酒を飲んだことがあるらしく殴らなかっただけのことのようだった。
今思えば、全国大会に出場しようとする監督は、多かれ少なかれ、愛情と厳しさを持っていた。
しかし、厳しさのかげんの方が比重は重たいが・・・・・・・・
 
2年前の今時分、北の大地の友人から電話があった。
友人は、ラグビー部の監督をしており予選の決勝戦で敗退していた。
「おーー久しぶりーー予選残念でしたね。」
「はい、ご無沙汰しています。また来年がんばります。」
「実は、年末花園に観戦に行こうと思っているのです。よろしければ一杯やりませんか?」
「おっ、いいねーーやろう、やろう」
そう言って飲む約束をした。
私には判っていた、決勝戦で負けた悔しさ・・・
そうして、勝利校の晴れの入場行進を見て、自分をまた奮い立たせようとしているのだと・・・・・・・
私達は3日間酒を酌み交わし、ラグビー談義に花を咲かせた。
友人は絞るように「新興チームが伝統校に勝つためには・・・・・・・
自分がチームを勝たせる為には・・・何かが足りないんです・・・・」
私には判っていた。私は心のなかで『厳しさが足りないんだよ。君は優し過ぎるよ』と・・・
最後の夜、友人は「毎年春休みには、東京へ遠征合宿に行っているんです。」
「来年は、大阪に来ますから、少し練習見てくれませんか?」と言った。
私は、承諾しチームの試合のビデオを送ってもらうよう要請し引き受けた。
ビデオを見たときに私は、このチームなら代表になれる要素がある。
あと、ほんの少しのアドバイスで全国に行けると踏んだ。
私は、バックスコーチを大学の同期に頼み、大学の先輩にスキルコーチを頼んだ。
ビデオを見せ、練習メニューを考えた。
友人はよく春、生徒を引き連れ大阪にやってきた。
私達はビデオ分析の感想を述べ、トレーニング方法や、チームの方向性を話し合った。
友人は、熱心にビデオを回し、新しい練習方法や戦法を学んでいった。
そうだ、彼の長所なのだ。素直に吸収しようとする姿勢。
彼はどんどん新しい知識を吸収していった。
生徒も学習したが、監督が一番勉強して帰っていった。
中味の濃い一週間が過ぎた。
それから半年後、昨年負けたチームとの対戦日だった。
私は、会社に行き仕事をしていたが、仕事が手に付かなくなり、空港へ向かっていた。
結果は、善戦はしたがまた敗退してしまった。
結局そのチームがまた優勝し、全国大会へのキップを手に入れた。
友人は、「去年より点差は開きませんでした。来年も大阪へ勉強しに行きます。」
よろしくお願いしますと」私に頭を下げた。
今年の春、また友人は生徒を引き連れ大阪にやってきた。
練習をし、勉強して帰っていった。
彼の顔には迷いがなく、このチームで勝利する。
全国に行くと頑固な意志が感じられた。
 
そして今年の秋・・・・・・・
友人から電話が入った。
「準決勝。勝ちました。あさって決勝です。対戦相手は2年連続負けているXX校です。」
借りは返します。」とはっきり言った。
私は翌日、空港へ向かった・・応援に行くために・・・・・・