「教師の鏡・K先生逝く 〜その2〜 」


K先生が無言の帰宅をしたその朝、弔問客が続々とやってきた。
その中に、親族の代わりに、弔問客の応対をてきぱきとこなす中年男性がいた。
弔問客が少し途切れたときに、K先生の奥さんが私に紹介してくださった。
その方は、K先生の教え子で、「Hさん」という方だった。
K先生がラグビーと出会う前で、空手を教えていた生徒だった。
K先生は音楽大学に進学したが、流派の同じ、ある別の大学にK先生は、稽古に出掛けていた。
K先生は、その空手の稽古に通っていた大学のOBになっており、HさんもK先生の
尽力で大学の空手部に、推薦入学なされた空手マンだった。
Hさんは、ある会社の専務をなさっており、社長もK先生の教え子で、「Tさん」と言った。
Tさん、Hさんは、大学の先輩後輩にあたり、共にK先生の教え子だったのだ。
本社は東京で、Tさんは東京担当、Hさんは大阪在住で、大阪営業所担当だった。
Tさんは、K先生の訃報を受け、朝イチの新幹線で大阪に来られた。
Tさんが葬儀委員長になり、Hさんが葬儀の実務を取り仕切ることになった。
私は着の身着のままでK先生に会いにきたので、一度喪服に着替えるために帰宅した。
 
私が再び、K先生宅に戻ると、もう遺体は近くの公民館に移され、祭壇が設営されてあった。
お通夜の始まる1時間程前から、弔問客が増えだした。
読経が流れはじめる頃、人並みは更に増え、あちらこちらで啜り泣く声が漏れてきた。
焼香が始まり、更に人が増え、慌ただしく葬儀屋が焼香の場所を増やした。
しかし、弔問客は続々と詰め掛け、葬儀屋がパニックを起こしてしまった。
夜の7時に始まった焼香が、11時を過ぎても弔問客の列は途切れなかった。
一段落ついたのは、もう日付が変わる頃だった・・・・・
 
焼香をしながら、親族が亡くなったかのごとく、取り乱し号泣する人々が多くいた・・
ある人は、「先生ーー帰ってきてーーー」と泣き叫び。
またある人は、焼香しながら、泣き崩れ、回りの人に支えられながらその場を、
後にする人もいた。
今更ながら、K先生の残した功績や、人々の心のなかに存在するK先生に思いを馳せた・・・・・・
夜が更けても、仕事の都合上お通夜に来れなかった人たちが、ぽつりぽつりとまだやってきた。
50名程の、教え子が帰宅することなく先生を見守ることになった・・・
その教え子達は、空手を教えていたグループと、ラグビーを教えていたグループに自然と別れた。
空手を教えてもらっていた「教え子」は結構年配になっており、「ラグビー」の教え子比較的若く、
年齢は25歳前後だった。
酒が出され、湯のみ茶わんにつがれた酒を、K先生を偲びながら飲んでいた。
その時に、すし職人になっていた教え子が、自分の握った寿司を持ってやってきた。
「先生に食べてもらいたかった・・・・」そういって涙ぐんだ。
口の悪い同級生が「お前の握った寿司は危なくて食べれんやろ」と冗談を言った。
すると、みんな思い思いに、K先生の思い出話に花を咲かせだした。
 
「俺なぁー、3年の時家出してな、XXの家にいてたんや。」
「するとな、K先生がその家に踏み込んできたんやーー、ビビったでーー」
「おまけにその時に、○○と3人で酒飲んでたんやーー」
「そしたら、K先生が(ええもん飲んでるやないか、ワシにも飲ませろ)って言ってな」
「残りの酒全部飲んでしもたんやー、俺も調子こいてK先生と記念写真とったんや」
「真っ赤な顔してなぁー今でもあるぞーーその写真」
「家に、連れていかれたんや、その時、全然怒らないんや」
「次の日、学校行ったら・・(ちょっとこ来い)って言われて行ったら・・・」
(お前、昨日酒飲んでたやろ、丸刈りやーー)って言われてバリカン出されてな」
「丸坊主にされたわーー」
 
すると、別の教え子が・・・・・・
 
「そうやー、K先生なんかあると、バリカン出してたなぁーー」
「祭りの時、酒飲んでK先生に絡んだ奴いてたなぁー」
「普通やったら、祭りの時は知らん顔してくれたのになぁー」
「K先生に絡んだからなぁーー、あれはマズかったな」
「次の日、(昨日祭りで、酒飲んでた者手を挙げろ)って言われて・・・・・・」
「200人くらい手を挙げて、3日ぐらいかかって、K先生は全員丸坊主にしたなぁーー」
「あの時、誰かの親が新聞社にタレ込んで、新聞社が来てたな。」
「体罰が、どうのこうのって・・・・・」
「フォーカスも来たでーー」
「そうやーーあの時、K先生堂々としてたな、(私の教育方針)やって言うてな。」
「そうそう、俺もあの時、頭だけ写されたわーー」
{この事件は、私が赴任する前の話で、その記事は私も読んで知っていた。}
 
「高校入試が近付くと、K先生の家にみんなで勉強教えてもらいに行ったなぁーー」
「奥さんと(K先生の奥様も元教員だった。)
「お前、分数から教えてもらってたやろー」とひとりの同級生に言った。
「そういうお前は、掛算からやろーー」と漫才みたいな会話をしていた。
 
すると、2月に仲人をして貰ったYが・・・・・
 
「俺・・仲人頼んで・・先生引き受けてくれて・・しんどそうやったからな」
「俺が、K先生の命・・縮めたかもしれん」と泣き出した。
悲しい時間の中にも、思い出話で笑いながら、心はK先生の事でみんな一杯だった。
ある教え子が、その時にすっと立ち遺影の前に歩み寄った。
その教え子は、「先生、もう一度怒ってくれよぅー」
「これから、誰に相談したらいいんやー」と泣きだした。
 
少し離れた場所にいた、空手の教え子の人たちも、遺影に注目し雑談が中断された・・・・・
また、悲しみがぶり返し、50人あまりの教え子たちに「啜り泣き」が伝染していった・・・・・・
 
K先生は50人あまりの教え子たちに見守れながら、夜が明けようとしていた・・・・・
その遺影は、真一文字に結び、ストイックなまでな生き方をしてきた、
K先生の人柄が偲ばれるような遺影だった。
(大丈夫だよ、少し先生も休みたいよ。先生が居なくても頑張れるほど君たちを鍛えたよ・・・)
そう励ましているように私には思えた・・・・・・・・
 
   教師の鏡K先生逝く〜その3〜につづく・・・・