「教師の鏡・K先生逝く 〜その1〜 」


ある日、大学のラグビー部の先輩と、中学生の大会が行なわれているグランドで会った。
「おおーーXX(私の名)久しぶりやのーー」
「あっ先輩、ご無沙汰しています。」
「なんや、今日は?スカウトか?」
そう、私は母校の高校のコーチをしており、有望な選手を見付けるために、
中学生の大会会場に足を運んでいたのだった。
その先輩は、私が講師をしていた、W中学に赴任し体育教師として勤務していた。
私は、しばらくご無沙汰しているK先生(教師の鏡参照)の事を尋ねた。
すると、先輩は「いや、今日はちょっと用事があって・・・・試合には来られていない。」
と言いにくそうに答えた。
私は、何かあるな?と感じた・・・・・・・・
 
しばらく、雑談をしていると、先輩が「お前・・K先生に世話になったんやてな」
「はい、めちゃくちゃお世話になりましたよ、この前も世話になりぱなしで・・10数年ぶり
 にある事件のことで、お礼に家まで訪ねたんです。」
「そうか・・・・誰にも言うなよ。お前が世話になったから言うけど・・・」
 私は嫌な予感がした。
「実は・・・K先生・・・癌なんや・・・それも悪性や・・・」
私は、言葉を失った・・・あれほど鍛え上げた肉体の持ち主が・・・・・・・・
 
K先生は、私の仲人までしてくれた先生であった。
結納の日に、結納の品を数時間も両手に抱え1度たりとも下に置かず、婚約者の家まで同行し、
離婚の報告の時も、もう一度やり直すように、相手まで足を運ぼうかとまで言ってくださった先生だった。
「今日来ていないのは・・・・・・・」
「うん、今入院してはるんや・・・本人は癌とは知らないけど・・おそらく知ってるやろな・・」
「来週あたりに、退院するからまた学校にでも遊びにきてくれや・・」そう言ってその話を打ち切った。
 
私はその話を聞いた後、私は頻繁にK先生の家に、お邪魔するようになった。
出張のみやげだとか、合宿のみやげだとか色々理由を付けては家を訪ねた。
訪ねるたびに、先生の動作は緩慢になり、顔色も悪くなっていく一方だった。
K先生の体の話を聞いてから、1年がすぎようとしていた。
お正月にW中学のラグビー部の、OB会と新年会を兼ねた飲み会に誘われた。
私は、その時にK先生の顔色を見てギョッとした。
ほとんど土色の顔色は、数年前のような精悍さが消え失せていたからだ。
 
宴会が終わった後、数人の卒業生たちと近くの店を探して飲みに入った。
先生の家は、学校から近くだったので、誰かがK先生の家に誘いの電話をした。
しばらくすると、K先生の娘さんがやってきて「父の代わりに来ました。」と言って入ってきた。
私は、相当体がつらいのだなと感じた。
K先生の性格からして、卒業生の誘いを断ることは、殆ど無かったからだ。
卒業生たちも、薄々何かを感じているらしく、一瞬場が暗くなったが、直ぐに馬鹿騒ぎをしだした。
最後まで残った卒業生がいた・・その卒業生は(不良少年が1流企業社員参照)Yだった。
彼は私に「先生(私のこと)2月に結婚しょうと思っているんです。」
「そうかーーおめでとう。仲人は当然K先生やな」
「当たり前ですよ。でも結婚式まで・・・・・・」後の言葉を飲み込み、涙を流した・・・
 
2月になり、Yは結婚式を挙げた・・・・
K先生は、直ぐに疲れるようになっていたが、気丈にも仲人の大役を勤め、歌まで唄った。
3月に入り、K先生の奥さんから入院の報せが入った。
今まで、そんな報せは絶対にしなかった奥さんが連絡してきたときに、私は覚悟を決めた。
私は、会社帰りに必ず見舞いに行くことが日課になった。
私の家内や、子供たちも見舞いに行った。
K先生は、いつも笑顔で迎えてくれた・・・・・・
腹水が溜まり、ブロンズのような肉体が無残な体になっていても、笑顔を絶やさなかった。
病院の帰り道・・私はいつも「私がK先生の立場なら、あんなに強く回りに接する事ができるだろうか?・・」
といつも自問をしていた。
私は池波正太郎の「剣客商売」の主人公「秋山小兵衛」とK先生を重ねてしまったいた。
私は、K先生に「剣客商売」を差し入れた。
「先生と主人公が重なるんですよ」私はそういいながら・・・・・・
翌日「この本おもしろいなぁーー」そういってくださり、私は全巻病室に持ち込んだ。
先生は、貪るように読み尽くし、「楽しみがひとつ減った」と淋しそうに笑った。
 
数日後、K先生は昏睡状態に陥った・・・・・
昏睡状態と、意識が戻ることを繰り返すようになり、昏睡状態が長く続くようになった。
見舞いに行っても、先生は昏睡状態から抜け出せずにいた・・・・・・
私はその夜、帰宅し「もう、最後かもしれない」そう思うとなかなか寝付けなかった。
翌日の早朝、電話が鳴った・・・・・
相手はK先生の奥さんだった。
泣いて「今朝、4時ごろ・・主人が亡くなりました・・今・・自宅に連れて帰ってきました・・・」
私は直ぐにK先生の家にまで飛んでいった。
死に水を口に含ませたときに、涙があふれ出てきた。
頬を触ると、まだ暖かかった。
早朝にもかかわらず、K先生の訃報を聞きつけた弔問客が後を絶たなかった。
ある、中年女性は入ってくるなり「先生ーーーなんで死んだんーーー」と遺体にすがりついた。
新任の頃の教え子のようだった

その日は4月1日だった。
教員の任期は、3月31日迄である。
K先生は、任期日が終わった数時間後に息を引き取った。
最後まで、責任感のある散りぎわだった。
 
人は、死んだときにその価値がわかると言うが、まさしくK先生はそれを証明してみせた。
お通夜、葬式とK先生の残した功績、実績はそのときに実証された・・・・・・・・
 
K先生逝く〜その2〜に続く・・・・・・・・・・・・・・・