あれから4年


その先生は、短く刈った髪型で、色は浅黒く精悍な感じだが、目の優しい先生だった。
数年前、大学の先輩に頼まれ、中学生のラグビー部の夏合宿の臨時コーチを頼まれた。
その先生は、3校程が合同で行なった合宿に参加していた、ある中学の顧問の先生だった。

数日間同部屋で、過ごし、酒を飲み語り、私もその先生の人柄が好きになり、「あっこの先生
 だったら生徒はついてくるだろうな」と感じた。
私は、てっきりその先生の風貌から「体育教師」だと思っていたが、理数系の先生だった。
前任校でもラグビー部の顧問をしており、「やんちゃ生徒」の多いその中学でも、人柄で
生徒たちをまとめ上げ、強豪チームに仕上げた実績があった。
その先生は、ラグビーに関して殆ど素人だったが、やる気を引き出す能力は、見習う点が多々あった。
私みたいに、すぐぶん殴り、肩を組み、おもしろいけど、恐い先生ではなく、信頼されるタイプの
指導方法を取り入れる先生だった。

それから、数年後、その先生から先輩を通じて話があった。
それは、その先生の教える、生徒がどうしても私のコーチする母校に、進学しラグビー部に入部したい
との事だった。
スポーツ推薦をしてもらいたいとのことだった。
選手をみて判断してほしい旨だった。
その、選手は、ズバ抜けたものはなかったが、基本に忠実で、レギュラーでは使えると判断し
スポーツ推薦をすることになった。

高校の監督から、その旨を伝え聞いたその先生は、私はにまでお礼の電話を掛けてくださり
その御両親を伴い、高校の試合にまで来てくだった。

それから、数ヵ月後私は、その先生の訃報を受けることになった。
その日、先生の勤務する、中学のラグビー部は朝練習をする予定だった。
年が明け、新学期が始まってから、朝練習を続けていた。
練習時間に遅れたことのない、その律儀な先生が練習時間になっても学校には、来なかった。
その日は、丁度4年前の1月17日の朝練習の日だった。
思い当るのは、明け方、大阪でもかなり揺れた地震だった。地震の為に、来れないのだろう。
といった認識だったのだ。
だが、徐々に、ニュースは、その被害の大きさを報道しはじめ、事態の深刻さが明らかに
なってきた。
コーチのKさん(この中学のOB)、学校関係者が各方面に連絡を取り、混乱した情報の中で
先生が、お亡くなりなったと確認できたのは、翌日の夜だった。

いつも朝練習に来るときに、家を出る時間は、午前6時だった。後十数分程、地震が遅れていたら
先生は、家を出ていたので助かったかもしれなかった。
2階で、寝ていた2人のお子さんは、助かり、1階でいた奥様と2人がお亡くなりになった。

1年後、在校生、OBは先生が、眠られている郷里にまで、バスを借切り、数時間かけて
墓前にお参りし、先生の卒業なされた学校のグランドを借り、追悼試合を行なった。
昨年、そのチームは、大阪で優勝し、先生の思いは、OBのコーチKさんが引継ぎ、現在も
練習に明け暮れている。

2人のお子さんは、現在、長男は、大学生になっており、次男は、その大学の付属高校に
通っており頑張っている。

震災でなくなった、多くの方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。