道具としての幸せ

これは80年代のアリアプロUPE−60というギターですが
かなりフレットが減っておりフレット・ナット交換をしました
PE−60と云う品番から当時6万円定価だったことが分かりますが
今回の修理代金はその定価の7割ちょっと…
こう云った場合「元が安いギターだから…」と使い捨てにされてしまうことが多いのですが
このギターのオーナーは迷うことなくフレット・ナット交換をご依頼下さいました
聞けば当時新品で買い、以来20年間愛用しているとのこと
「音の事は良くわかんないんですけど、良い音するんですよ」
そう言ったオーナーの笑顔を見てこのギターは幸せだなぁと思いました
この世にギターとして生まれて以来、一人の人に愛用され続けて
そして今、新品で買った時と同じほどの出費を惜しまずまた生まれ変わらせてくれる…
ギターを擬人化するつもりはありませんが
道具としてもこれほど幸せなことがあるでしょうか?
理屈じゃなく気持ちで愛してくれて尚かつ長く愛用してくれる
ギターという道具を作り、演奏者に提供する立場の私としても
自分の作ったギターがこのPE−60のように愛され続ける事は理想と云うか“夢”であり
それは職人冥利に尽きる物だと思いますし
ギター修理職人としてもこの様に愛されているギターの修理を出来ることは
やはり職人冥利に尽きるものです
修理させて頂くギターに一切差別などいたしませんが
正直に告白すると相当に思い入れさせて頂きました(^_^;)
(思い入れは違っても仕上がりは同じですけどね(^^))

ふと先日テレビでやっていたピクサーアニメ「トイストーリー2」を思い出しました
なぜこのエピソードで「トイストーリー2」を思い出したかは
あえてここでは言いませんが、見たことのある人ならば
私の思ったコト言いたいコトを分かっていただけると思います
(見たことの無い人は一度見られることをオススメします
理屈抜きにしても面白い映画ですよ!)

修理完了後ギターをお渡しして(もちろん仕上がりに満足いただいて)
お帰りになるときに「これでまた20年は使えますね!」と言ったら
オーナーさんは「はい(^_^)」と笑顔で答えられました
この仕事をしてて良かったなぁ〜と感じる日でした(^_^)



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