45年前のオリジナル。 編集中の原稿 印刷、製本の完成
京都市立月輪中学校 校歌 作詞 吉井 勇
作曲 信時 潔
1. 月の輪山の 春霞
夢美わしき 若き日も
ただひたすらに 智をみがき
すぐれし人と 生いたたむ
我等の母校 なつかしや
2. 泉涌寺道 一筋に
たどるは高き 徳の道
心清らに 新しき
日本をいざや きずかなん
我等の母校 とうとしや
3. 我等の立つは 京の土
大地を強く 踏みしめて
今こそ正義の 為に行く
行く手に必ず 幸あらむ
我等の母校 いさぎよや
吉井 勇 (明治19年10月8日 - 昭和35年11月19日 歌人、脚本家である。元伯爵。)
かにかくに 祇園はこひし
寝(ぬ)るときも
枕のしたを水のながるる
「かにかくに歌碑」は祇園をこよなく愛した歌人、吉井勇の古希の
御祝いに谷崎潤一郎ら数名が、昭和30年に建立した。
古い町並みが残る白川沿いで観光客を目にするが、歌碑に気付く人は?
かにかくに歌碑(祇園・南白川通)
信時 潔 (昭和12年 旧東京音楽学校の教師時代に作曲した「海ゆかば」は有名である。
校歌約900曲、社歌・団体歌約170曲、独唱曲、合唱曲、器楽曲、唱歌 etc. まさに作曲の鉄人だ。)
海ゆかば 万葉集 巻十八 大伴家持の長歌
海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の辺にこそ死なめ
顧みはせじ
本来は国民の戦闘意欲を昂揚せしむるべく制定された曲であるが、この曲を大いに印象づけたのは、
「玉砕のテーマ」として、則ち大東亜戦争(太平洋戦争)末期にラジオ放送の戦果発表(大本営発表)の
際に、その内容が玉砕である場合、番組導入部のテーマ音楽として用いられたことである。(by Wikipedia)
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