黐木舎


平成22年






10月22日(金)曇り
今日アケビを頂いた。
懐かしい形。
昔、神職に成り立ての時。叔父の代わりに富田林に鎮座する錦織神社の秋のお祭りに出向いたことがある。
今でこそ開けたところだがその時は社殿の裏はうっそうとした森だった。
そこに、先輩の神職の方に連れられて分け入ると、バナナ状の果実が沢山ぶら下がっているので何かと尋ねると「アケビ」だという返事が返ってきた。
初めて見る風景でまさかこれがアケビの果実だとは知らなかった。
割ると、そこには黒い種が白い泡状のもので包まれている。
先輩の言う通りにその白い泡状のものを食べると、大変甘かった。
そのお宮の秋祭りに手伝いが終わると、裏山の森には行ってアケビを採るのが一つの楽しみにもなっていた。
五年近く続いたお手伝いも、布忍神社の方が忙しくなり、他の人に託して私は行かなくなった。
それから40年近くなるが久しぶりのアケビと対面。
一つ食べたが、あの時の味と同じく甘かった。

アケビ

あけび【通草/木通】 akebia; akebi
アケビ科の蔓性(つるせい)の落葉低木。
山野に生え、葉は長楕円形の小葉が5枚手のひら状につく複葉。
春、淡紫色の雄花と雌花とが咲く。
秋、長楕円形で淡紫色の実がなり、熟すと裂け、果肉は甘く食べられる。木部を漢方で木通(もくつう)といい、薬用。蔓でかごを編む。
近縁種にミツバアケビ・ゴヨウアケビがある。

10月18日(月)晴
秋祭りも終わり、前々から計画をしていた「高野街道を歩く」を実行に移すことにした。
わたしのご先祖の寺内安林の著書「熊野案内記」の習ってこの計画を立てた。
この熊野案内記によると行きは高野山からの小辺路にてのルートが書かれてあるものに、布忍村からどの様に高野山まで行ったかは書かれていない。
帰りは紀伊半島を田辺から和歌山周りで粉川を通り槙尾山・天野山狭山池を通り葛井寺(ふじいでら)を経て帰ってきている。
今日は下高野街道を通り河内長野市の天見までと計画を立てた。
いざ行こうとすると、知り合いが来る。
そこで、ちょこっと愛犬ドーンと皆さんで記念撮影(笑)
出発前の記念撮影
高野へいざ出発
下高野街道は四天王寺(大阪市天王寺区)−田辺村(東住吉区)−布忍村(松原市)−八下村(堺市)−岩室村(大阪狭山市)[西高野街道と合流]
行基さんが布施地を置いたと伝えられる石原
石原町の地図 石原町の町並み

行基さんが土木事業をしたという人造池「狭山池」
狭山池 狭山池

西高野街道の岩室村(大阪狭山市)で合流し−茱萸木(大阪狭山市)−市村−[中高野街道と合流]−長野村(河内長野市)[東高野街道と合流] して河内長野からは高野街道として橋本まで行く。
中高野街道と西高野街道の合流点
高野街道の説明板
総ての高野街道が合流する長野村(河内中野市)−三日市村(河内長野市)−天見村(河内長野市)迄の予定。30キロくらいだろうか。
河内長野市の河内長野駅前から三日市への道すがら。
河内長野駅前の道標 天野酒
天野酒 三日市を望む田園風景

烏帽子形神社から三日市の油屋本陣後(天誅組史跡)
烏帽子形神社

三日市の町並みと高野女人堂まで八里の里程石
三日市の町並み 里程石
少し足が疲れ模様。
どうも久しぶりの遠出の為か足の裏にまめが出来た模様(情けない)です。
天見まで行く予定だが三日市の駅の次に新しくできた美加の台駅で今回は終了。
さて次回からは本格的に歩こう。テントを持って野宿覚悟の旅になるだろう。
今から心ワクワク!
安林さんの「熊野案内記」の巻頭文に
  くまの路を ものうき 旅と おもふなよ
  死出の 山にて おもひ しら せむ
と、ある。
心してこの旅を成し遂げなければと思う。

7月20日(火)晴
梅雨が明けたかと思うと暑い日が続く。
朝5時には氏子の有志の方が境内の外門を開けてくれる。わたしは朝6時にお宮の拝殿の扉を開ける。
朝の日供祭を終えて、境内の清掃を始めるのだが・この時に参拝者の方々と朝の挨拶を交わしたりするのがわたしの朝の日課である。
何時も参るHさんは、1年あまり前に膝の手術をされ毎日リハビリをかねて参拝に来られる大変花の好きな方である。
そのHさんが突如痛い足をかばいながらわたしに駆け寄り「咲いています。咲いています。宮司さんが言ったように、まるで鷺が飛んでいるかのように咲いています」と言ってきた。
6時前にその場所を通った時には鷺草は咲いては居なかったように思えたのだが。
この1時間余りの間に咲いたのであろうか。
そういえば、昨日の時点では、何時弾けても良いように蕾は膨らんでいた。
この鷺草は去年に、大阪市内の坐摩神社の職員である北岡禰宜さんから頂いたものである。
一年後にわたしの手で再び咲かせることは出来るだろうかと心配であったが、咲いてくれてほっとしている。
一羽の鷺草は少し可愛そうな感もする。

7月7日(水)
恋みくじのページにも書いたが
またまた馬鹿な?事を始めた。
Twitter
どうするのかまだ分からず。
このページはわたしの独り言から始まった。
まさに、11年前にわたしなりのTwitterを始めたわけですね。
まあええ、このTwitterを何とか使いこなそう。
nunosejinjyaで検索、フォローしてください。
教えてください。

1月23日(土)晴れ
昨夜、閉門の為参道を歩いていると、水鳥の白い糞があった。
数年前から神社の横を川が流れていることもあり、毎夜水鳥が神社の木を寝床にやってくる。
寝床にするだけなら良いのだが、糞をする。
その糞が真っ白で生臭い。
本当に困ったもので追っても追ってもやってくる。
参道の糞は水で洗い流すのであるが、これも冬のこと大変に冷たい。
氏子の方が手伝ってくれているので有り難い。
その昨夜の白い糞になにやら数カ所黒いのが混ざっている。
おかしいなと思いよく見るとカエルの死骸である。
なんと、水鳥が消化しきれず糞として出したのか?はたまた、口からはき出したのか?
朝が明けよくよく見たが、やはりカエルの死骸で、形はきちっと残っている。
しかし、このカエル何処にいたのだろうか?
今は冬。
一般的にはカエルは冬眠中。
オタマジャクシなら、もう出て来たのかなんて思うが。いや待て、オタマジャクシでもまだ速い。
土中の冬眠中のカエルを水鳥はほじくって食べたものなのか?
水鳥に聞いてみないと分からないだろうな〜。
今のところ、白鷺・青鷺・川鵜が寝床にやってくる。

1月13日(水)曇り時々雪
雪が降った。
寒い。
だけど気持ちが良い。
これが冬だ。と思う。
しかし、この様なことは大阪だから言えること。
雪国の人にとって雪は大敵。
雪国の人のことを思うと、雪が降ったからといって喜べない。
自分にとって良いと思うことでも、人によっては良くない事がある。
気をつけなければ。
屋根がうっすらと雪化粧 今日の朝日は綺麗でした。

1月12日(火)雨のち曇り
「松原開運六社詣り」に行ってきました。
朝から雨が降りだしどうすればいいだろうとネットで天気予報を見ると、午後から止むような予報なので待つことにした。
午後1時になっても止まず、2時前になってやっと小降りになったので、今日は愛犬「ドーン」は連れないで行くことにしました。

布忍神社を13:40出発 神社裏の西除川にある布忍八景扁額の説明碑
西除川に今、橋を架けています。 この道が出来ると我堂八幡宮に行くの便利です。
我堂八幡宮14:02到着 サザンカが綺麗に咲いていました。
力石が沢山あります。 架橋工事のクレーンが遠くに見えます。
阿麻美許曽神社14:28到着 行基さん安住の地。
大和川の河川敷を西にあべの橋行きの近鉄電車。 大阪市のゴミ焼却炉電光掲示板に6℃の文字が!
屯倉神社15:25到着 早咲きの梅が咲いていました。
菅原道真が座ったと言い伝えられる石。 阿保神社15:47到着
書き初めで一杯。十五日のとんどで焚き上げられます。 柴籬神社16:17到着
歯の健康に翁の歯をさする。 近鉄南大阪線のぬのせ(布忍)駅。
 
布忍神社に帰ってきました。17:06 各神社の朱印を頂いた絵馬と記念品の張り子の寅。
 6社を廻るのに、3時間30分かかりました。
 雨のためにドーンは参加できずでした。
 右の写真は昨年の「ドーン」の記念写真です。
 しかし、ドーンが一緒に行くとあと一時間は延びたでしょう。
 申(さる)から始まったこの行事も7回を数えます。
 参加してくださいました皆様は開運間違いなし。