Екатерининский Дворец

宮殿のファザード
エカテリーナ宮殿(北西側から写)

 さて、現在も話題に事欠かない「琥珀の間」で有名なエカテリーナ宮殿(Екатерининский Дворец)が↑の写真である。エカテリーナ宮殿という名称は、農民の身分からピョートル大帝の2番目の妻になったロシア初の女帝エカテリーナ1世(ロシア正教に改宗前はマルファ・スカヴロンスカヤ,1684−1727)にちなんでいる。
 宮殿のあるツァールスコエ・セローは、もともと裕福なフィンランドの農民屋敷サーリー・モイスと呼ばれていた。1708年から、ピョートル大帝のためにエカテリーナ1世がこの地に居宮を建てさせたことで、この地はサーリー・モイスという地名から、ツァールスコエ・セロー(皇帝の村)に変わった。
 エカテリーナ1世は遺言で、娘のエリザヴェータに、居宮を譲るとしていた。後に女帝となったエリザヴェータは居宮の増改築を命じ、その増改築を依頼されたのがあのラストレッリである。現在残っている威風堂々たる宮殿はラストレッリによって設計されたのである。その後、ラストレッリは冬宮の増改築も手がける。
 当時のロシアの劇作家デニス・フォンヴィージン(1745−1792)はエカテリーナ宮殿の印象を

「正直に告白するが,わたしは壮麗な女帝の宮殿に驚嘆させられた。いたるところに黄金が光り輝き,明るい青と赤の勲章の飾りひもをつけた人々,美しい貴婦人たちがおおぜい集まり,いつ果てるともなくすばらしい音楽──そうしたものすべてが,わたしの目と耳を圧倒した。わたしにはこの宮殿は人間より崇高なものの住みかのように思われた」

と記している。
左の空に突き出ている金のドームは宮殿礼拝堂
 エカテリーナ宮殿のファザードは325mに及ぶのだが、私にはそれ以上に長く見えた。というのも宮殿のあるツァールスコエ・セローは広大な庭園そのものなので、まるで、よく整備された大平原に豪奢なバロック建築の宮殿がドンッ!とある感じなのである。

 宮殿内入場まで行列に並んだが、その間も「琥珀の間」で有名な宮殿の売店にふさわしく、100ドル以上の琥珀や宝石類がウィンドーに並べられているのを見たり、おしゃべりに興じたりしたので、退屈ではなかった。30分くらい並び、入場のためのスリッパを履かされて宮殿内へ入った。

赤い幕がとてもきれい
入口の正面階段
 現地にいる間は宮殿に対してそんなに興味はなかったので、現地ガイドさんの説明になかなか反応できなかったのだが、後日NHKテレビジョンで宮殿のことが放送されて、ああ、そうだったのか、と思うようなことを知ったので書き留めておきたい。この正面階段に飾られている日本や中国の陶磁器(写真には写っていない)は、日本人にとってなじみぶかいものであったが、18世紀当時ではなかなか手に入れることの出来ない高級品だったそうである。それにしても壁といい柱といい、この彫刻の贅のつくし方はすさまじいものがある。
 階段を挿んで廊下に一つずつある対のキューピットの彫刻。一方(東)には「目覚めるキューピット」、もう一方(西)に「まどろむキューピット」が置かれている。右のキューピットは、仕草からして「目覚め」の方か。
キューピットの像
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宮殿の取材が?
大広間(舞踏の間)
 エカテリーナ宮殿の大広間は、13対の窓と鏡で輝くばかりに明るい。この大広間は通称「鏡の間」とも呼ばれると説明を受けた。この部屋の中では、旅行客たちが鏡を背景に集団写真を撮っていた。
 1997年公開のソフィー・マルソー主演の『アンナ・カレーニナ』の舞踏の場面は、この部屋で撮影された。ただ、その場面で俳優よりも大広間の方に目が行ってしまったのは私だけだろうか。
 ところで、宮殿は日本とロシアの交渉史の舞台としても有名である。大黒屋光太夫(こうだゆう)(1751−1828)のことは、よく知らなかったのだが、この旅行をきっかけにして少し知ることが出来た。光太夫は映画にもなった井上靖の『おろしや国酔夢譚』(1966−68)でも有名な人物だ。伊勢白子(しらこ)の船頭だった光太夫は駿河湾沖で遭難し、8ヶ月の漂流ののち、ロシア人に救出された。光太夫らは孤島で4年も暮らし、その後紆余曲折を経て、当時の女帝エカテリーナ2世に謁見を許される。光太夫らの苦労話を聞いた女帝は「おお、なんとかわいそうなことよ」と言葉をかけたらしい。その舞台が、エカテリーナ宮殿だったのだ。尤も、宮殿のどこの部屋で謁見を許されたのか、私には分からない。
天井画の一つ
 宮殿の贅をつくした部屋には、あちらこちらに見事なヨーロッパの画家たちの手による絵画が飾られている。ある意味、これらの絵画はこの場所でしか見られない、貴重な作品だといえるだろう。だが、美術館の作品とは違って作品の傍に画家の名前が記されていることはほとんどない。画家の名前を現地ガイドさんに尋ねたりしたが、はっきりした答えは得られなかった。宮殿の専門家でないと分からないのかもしれない。

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