Государственный Эрмитаж

エルミタージュを象徴する絵画の一つ
ジョルジョーネ『ユディット』
 エルミタージュ美術館所蔵の絵画として代表的なもの、最も美術館を象徴すると思われる絵画は人によって様々だろうと思うが、私個人は総合的にはジョルジョーネの『ユディット』ではないかと思う。
 『ユディット』の主題は、ユダヤ民族の敵で、アッシリアの将軍であるホロフェルネスを、ユディットが美と勇気でもって誘惑し殺害した『旧約聖書外典』「ユディット書T」の記述にあるそうだ。右手の首を切り取った鋭利な剣と同様、ホロフェルネスの首を踏みつけにするユディットの左足はとても美しく、この足は本当の意味での武器なのである。それにしても、水戸黄門のお銀同様、王様(大名)の寝首を狙ったこの手の話は、洋の東西を問わず、どこにでもあるものだ。
 巷ではユディットと照らし合わせて、エカテリーナ2世の威厳や思想、そして国政に臨む姿勢をも象徴するような解釈もあるようだ。史実はどうあれ、ロシア最強の女帝をよき方向に評価する後世ならではの解釈といっていいだろう。
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 左は、美術館内のカッサ(売店)の一つ。館内にはたくさんのカッサがあって、特に充実しているのは冬宮の1階と、ゴーギャンなどの近代絵画がある階のカッサだった。
 右は、ドメニコ・カプリオーロ『紳士の肖像』(1512)である。この絵は久しい間ジョルジョーネの自画像とされていたが、実際には違うそうである。
 訪ロ前、エルミタージュの絵画について調べ、この絵をぜひ見たいと思っていたのに現地に行けば探しきれなかったり、クローズだったり、イメージが湧かなかったりして失念したのが以下のリストだ。

フィリッポ・リッピ「聖アウグスティヌスの幻視」
ファン・ライスダール「海岸線」
ファン・デル・ネール「アルンヘム近郊を行く渡し船」「月明かりの川」「風車のある風景」
ヴィレム・ファン・デ・フェルデ「停泊する船」
マルケ「ハンブルクの港」(1909)
フラゴナール「盗まれた接吻」
ティツィアーノ「教皇パウロ三世」「聖セバスティアヌス」「アンドロメダを助けるペルセウス」
ティントレット「聖ゲオルギウスと竜」
チーマ・ダ・コネリアーノ「受胎告知」(1495)
ヤーコプ・ファン・オースト1世「ゴリアテの首を運ぶダヴィデ」
ルーベンス「イザベラ王女の女官」「マリー・ド・メディシスの戴冠」「ケレスの像」「ヤヌスの神殿」「大地と水の結合」「虹のある風景」
カラヴァッジョ「リュート奏者」
ルイーズ=エリザベート・ヴィジェ=ルブラン「自画像」
アンドリス・ファン・エールトフェルト
 「ハールレム攻囲中の1573年5月における、スペイン艦隊とオランダ船隊の海戦」
ユベール・ロベール「ローマ近郊のヴィラ・マダマ」「石の橋のある風景」など

 風景画が多いようだが、この中で個人的に好みなのがユベール・ロベールの廃墟画で、私の知る限り11点以上所蔵されている。でも、これら見れなかった作品については、帰国後に更に深い愛着を覚えてしまう。もちろん、見れなかったのは残念ではあるが、すばらしい作品は見逃したからこそ、より印象が強まることってあると思う。

バティカンのものをそっくりコピー
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 エカテリーナ2世がその実現に執念を燃やした「ラファエロの回廊」(左の写真)。女帝はヴァティカンにあるラファエロの壁画の摸写を、オーストリアの版画ウンターバーガーに描かせ、これをペテルブルグに運び込ませた。この壁画の摸写を実際のものとするため、女帝はイタリア人建築家ジャコモ・クヮレンギに依頼して柱廊を内側にめぐらせた「ラファエロの回廊」を造らせる。女帝はラファエロの何に執着したのだろうか。そこにどういった理想があったのだろうか。

 右のぼやけた写真は「天窓の間」と呼ばれるイタリア絵画の間であるが、この部屋の椅子に座って一息ついているとき、ふっとモスクワからつづいていた旅行に対する緊張が解けた気がしたので、思い出深いものがある。この時、ロシアに来てはじめてリラックスできたのかもしれない。
 この部屋で緊張が解けたことを自覚したときだったが、イタリア系の黒髪の若くてきれいな女性が写真を撮ってほしいと、カメラを私に手渡して頼んだ。もちろん、観光名所では珍しいことではないが、なぜかこの時のやりとりだけは緊張しなくて、嬉しい気持ちになったものだ。カメラに縦向けに写った彼女がいい写りになってくれていたら、それ以上に嬉しいことはない。

 エルミタージュ美術館は、博物館としての顔も持っている。その展示スペースはとても多くて広く、展示品には古代世界エーゲ海、ギリシアおよびローマの彫像や壺や棺などがあって、訪れる人々の目を惹く。
 古典古代の美術がロシアに始めて現われたのは、エルミタージュの出現するはるか前である。絵画よりは古代の遺物や珍品を好んだピョートル大帝が、イタリアで発掘されたローマ時代の彫像ヴィーナス像をいろいろと手を尽くして取り寄せたのが始まりとされる。このとき、ピョートルは聖ブリギッタの遺骨とヴィーナス像を交換するよう教皇クレメンス11世に提案させて、協定を成立させたというから、教皇に対しても絶対に引けを取らないピョートルの威勢が伝わってくるようである。
エルミタージュ新宮殿「アテナイの間」
 「アテナイの間」の彫像についてはくわしいことは分からなかったが、舗装モザイクがヘルソネスの古代末期のバシリカから出土したものだそうで、今から思うと、踏んでもいいのか?とちょっと心配になる。
古代アッティカの壺たち
 左下にエウフロニオス作の「ヘタイラのいる宴会場面」(赤絵式プシュクテル)アッティカ,紀元前505−500年がある。赤絵式プシュクテルなどと書いているが、このプシュクテルとは、葡萄酒を冷やすための容器のことである。他には赤絵式ペリケ、赤絵式カンタロス、赤絵式アンフォラ、赤絵式ビュドリアなど、赤絵式〜の「〜」によって形が異なり役割が異なる壺もあるのだが、このあたりの種類についてお詳しい方、メールでご教示願いたい。
 他の壺はギリシア神話のどの場面を表しているのか分からないが、これらの壺は紀元前6〜5世紀のアッティカのもので、主に19世紀に買取や寄贈によってエルミタージュにやってきた。
 右も紀元前6〜5世紀のアッティカの壺。何の場面が描かれているのか想像力をたくましくさせるが、形といい表面の黒い下地の剥げ落ち方といい、人物配置といい、なんだかとても気に入ってしまった。こういった古代でしか作れないと強く思わせるような歴史の遺物を見ると、とても感動する。
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ヘラクレスの間
 エルミタージュ新宮殿のなかの「ヘラクレスの間」には、紀元前4世紀のギリシア彫刻が陳列されている。
コルバンの壺
 あまりの大きさに思わずシャッターを切ってしまった「コルバンの壺」。これは碧玉の一枚岩からつくられ、重さが19tもあるそうだ。完成には14年を要したというが、はたして何のために作られたのかよく分からないと思う人も多いのでは? ただ、こういったある種の無駄なものって、モスクワのクレムリンの「鐘の皇帝」みたいに常に人々の目をひくものである。
 いかにも古代エジプトの棺です!といった感じの遺物もある。
 古代エジプトの出土品については、エカテリーナ2世のあと、エルミタージュを拡張させた一人であるニコライ1世のころに展示され始めた。古代エジプトの出土品にはロイヒテンベルク公爵から寄贈されたヤフメスとその妻の石棺や、探検家ノロフよりもたらされた女神サクメットの獅子頭像などがある。

 右の写真は館内のインターネット・カフェで、場所が場所だけに盛況のようだった。館内には展示作品の案内と展示場所を検索できるコンピュータ(ロシア語・英語)も設置されていて、これからは便利になりそうである。

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 改めて、エルミタージュ美術館(博物館)の魅力を一言であらわすなら、百科全書という言葉が当て嵌まるだろう。古今東西の古代から現代までの美術品、珍品、民芸品、遺跡の一部、そしてロシアの宮廷文化を陳列した館だといえるからだ。
 歴史遺産や美術品が集められた背景には、エカテリーナ2世が心酔した啓蒙思想はもちろんのこと、宮廷内のいろいろな政治的駆け引きから、ピョートル大帝の意思を引き継ごうという決意さえも感じ取れる。西欧の文化に追いつけ追い越せと作品を買い漁るにあたり、彼女は時に駄作を高く売りつけられても、運搬途中に船が沈んでレンブラントの絵がなくなろうと、そのせいで周囲から批判があがっても国費を費やすことをやめなかった。コレクションはどんどん増えていった。
 彼女は「必ずや後世のロシアのためになる」と書簡に残しているそうだが、実際のところその予言は半分以上当たっているだろう。現在では少なくとも多くの人たちに足を運ばせる呼び物であることは確かで、唯一、安定した外貨獲得の方法である観光産業を今日でも促進しているといえるからだ。

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