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ドストエフスキーの大作『白痴』の主人公にムイシュキン公爵という人物がいて、彼の筆跡はとても几帳面で美しいという設定になっている。
几帳面で筆跡が美しいのは、作者ドストエフスキー自身にもいえたことだ。それは妻アンナ(彼女は有能な秘書の役割も果たし、速記も得意としていた)の筆跡よりも美しいという。ドストエフスキーの筆跡の美しさは、作家が典型的な癲癇性格者であったことにも起因しているといわれている。 ところで、写真の書類の筆跡(もちろんコピー)は、作家の妻アンナ・ドストエフスカヤのものである。ちなみに写っている書類は決算証明(帳簿)と、長編小説『カラマーゾフの兄弟』の清書のコピーなのだ。
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この部屋はアンナ夫人が使用した経理室、速記・編纂室だったのである。 | |
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ドストエフスキーはアンナ夫人との間に子供を四人(長女ソフィア、二女リュボーフィ(エーメ)、長男フョードル、二男アレクセイ)もうけている。
ドストエフスキーは子煩悩だった。二女リュボーフィが三歳で、長男フョードルが一歳半にもならなかった頃のクリスマスに、ドストエフスキーはリュボーフィにお人形とままごと道具を、フョードルには大きなラッパと太鼓をプレゼントした。だが、二人が夢中になったのは、たてがみと尻尾までしっかりとついた二頭の張り子の馬で、木皮のそりがついていた。ドストエフスキーは二人の子供をそりに座らせると、自分は馭者台に腰掛け、手綱をふって「お馬ごっこ」をして遊んでやった。子供たちは大喜びだったという。また真夜中にフョードルがけたたましい声で泣き出し「お馬ごっこ」をねだったときも、ドストエフスキーは朝までフョードルと「お馬ごっこ」につき合った。 上の写真は子供部屋で、その「お馬ごっこ」の名残の馬とそりが残されている。写真の人形は、きっとリュボーフィにプレゼントしたものだろう。 ところで、あとの二人、長女ソフィヤと二男アレクセイのことであるが、長女は生まれて数ヵ月後に、末っ子で彼が最も可愛がっていた二男は三歳の誕生日を待たずにこの世を去った。特に二男が亡くなったときのドストエフスキーは、落胆と絶望のどん底におちこんだ。しばらくして作家は年来の夢だったオプチナ修道院を訪ねることによって悲しみから立ち直り、二男アレクセイの名前は『カラマーゾフの兄弟』の主人公に冠されることになる。 壁にかけてある横顔のシルエットの肖像は、長男フョードルと二女リュボーフィのもの。 |
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洗面室。作家やアンナ夫人、子供たちも使用した。 |
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ドストエフスキーの最晩年の家(部屋)に入れてよかったと思う。うまくいえないけれども、入館しチケットを買って階段を登って行くときに、作家やアンナ夫人や夫妻の子供たちが居たという空気を夢想して胸がハラハラこと、実際に部屋の内部や作家の写真・家具・ペン・子供たちの遊具などを見て「出来るなら触れてみたい」と興奮も絶頂になったこと、そして6つめの部屋に来た時に「意外とこんなものか、ただの家ではないか」と実際に少し醒めたふうに思ったこと、私にとってはそれぞれに意味があったように思うのだ。
「意外とこんなものか、ただの家ではないか」などとのたまったが、もう一度行きたいかと問われたとしたら、もちろん!と答える。その機会があるとしたら、その折には少し重くても露和辞典を携帯して行くだろう(笑) |
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