станция,железная дорога,дача

マヤコフスキーの像
凱旋広場(旧マヤコフスキー広場)
「…ぼくは前からマヤコフスキーは好きでしたよ。あれは、いわばドストエフスキーの継承なんですね。というより、彼の作品に出てくる若い反逆的な青年たちのだれかが書いた抒情詩かな、イッポリートとか、ラスコーリニコフとか、『未成年』の主人公とか。一切をむさぼり食わずにいない強烈な才能! 永遠に妥協を排して、思ったとおりがずばりと直言されている! いや、何よりもまず、あれは社会に対する大胆不敵な挑戦ですよ、いや、社会どころか、もっと広く、全空間に対する挑戦なんだな!」
ボリス・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』
(第六編の四,ユーリー・ジバゴの言)

← 地下鉄マヤコフスカヤを地上に出ると凱旋広場で、この広場には20世紀前半のソ連で活躍した愛と革命の詩人ウラジーミル・マヤコフスキー(1893.7.7−1930.4.14)の像がある。「恋のボートが世相に衝突して粉々だ」という遺書を残し、拳銃を使って自殺するという悲劇的な死を遂げたマヤコフスキーの詩についてはいつか読むとして、私はこの写真をとても気に入っている。

 モスクワを発つ時刻が刻一刻と迫っていた。バスはプーシキンが19世紀ロシア最強の古典的風貌の魅力を備えた美人妻ナターリャと結婚式を挙げたキリスト昇天教会の横も通った。
 このこともあって、あとでプーシキンの結婚に至るまでの経緯を調べてみると、プーシキンは自身の結婚生活を予言するような手紙を残しているとあった…。

「わたしは日頃それをあまり重視していない。今までわたしは自分の財産で足りて来た。が、結婚したときにそれではたして足りるだろうか。わたしは妻が困窮を味わうことに、妻が人目を引き楽しむように招かれながらそこへ行けないことに、絶対たえられない。妻はそれを要求する権利がある。妻を満足させるためならば、わたしはすべての趣味を、わたしの生涯のすべての情熱を、自由で冒険的な生活のすべてをさえ、犠牲にする覚悟でいる。……」

 上の手紙とは対照的に、シニズムの印しが認められるものの、とても真摯な処世訓をプーシキンは南方追放時代に書き残したことがある。「決して借金を作るな。むしろそれならば貧困を堪え忍べ。貧困は人が思い描くほど恐ろしいものではない。とりわけ、破廉恥漢となり破廉恥漢と思われるようになる確実さに比べれば」と。
 プーシキンは自らの賭博に加え結婚生活でも恐るべき借金を作り、結局自分で自分の首を締めることにもなっていく。南方時代のこの教訓を少しでも思い出していたらと、書いた研究者もいるそうだ…。

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後ろの車にも注目
凱旋広場で気持ち良さそうに寝ていた犬。
 見出しのстанция,железная дорога,дачаとは、駅・鉄道・「別荘」の意味である。
 モスクワからサンクト・ペテルブルグへは、夜行列車での移動だった。私にとって初めて海外の鉄道を利用した体験となった。現地の手配会社のミスで私と添乗員さんのパスポートのデータ入れ違いで少しもめたが、それよりも駅の有料トイレの方がまいった。時刻が迫っているなかで駆け込んだ有料トイレには紙が無かったのだ。発車するまで車内のトイレは使えないし、とにかく耐えるしかなかった。

 ロシア全般にいえることなのか、駅の名前には特徴があるという。↓の駅はレニングラード駅だが、駅名には「この駅からレニングラードに行ける=vという意味が反映されているのだ。だから、サンクト・ペテルブルグのモスクワ駅は、その駅からモスクワに行く列車が出ているから、モスクワ駅≠ニいう駅名がついている。ロシアの鉄道に慣れさえすれば、ある意味、とても合理的な表示だといえるだろう。ちなみに地下鉄もホームごとに駅名が羅列されていて、行きたい駅の表示のあるホームに着く車両に乗って、目的の駅に向かう。

駅の駐車場
 駅の駐車場。綿毛がたくさん舞っていたが、トーポリ(泥柳)という種のものらしい。この時期に特有のもので花粉症のロシア人はこれで悩む。
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コンパートメント車両 めんどうくさそう…
 左は、10番目の車両で、コンパートメント(個室)の車両。55サンクト・ペテルブルグ/56モスクワと行き先が表示されている。

 右は、鉄道会社の職員さん。写真撮らせてくださいと頼んだのは良いが、頼み方の表現が少し荒かったのか?表情が面倒くさそうだなぁ…。あとで、写真送るよと言えばいいと、ベテラン旅行者の方から教えてもらった。

ロシア人家族の後姿が印象的
 左のホームがサンクト・ペテルブルグ行。右の列車は表示からしてプスコフ行だろうか。
駅も独特
駅構内。中央右に見えるは、レーニンの胸像。
 駅のプラットホーム。西日が射す駅は旅情をかき立てるようで、とても印象的だった。
 モスクワの中心の駅の一つだけに、ホームには列車を利用しようとする多くの人がいた。みなそれぞれの目的地に向かうのだ。
 列車の中はエアコンもなく、暑苦しかった。そういった夜行列車では酒を飲んで寝てしまうのが一番なので、同室のХさんらから焼酎をご馳走になった。おかげで賑やかに過ごし、かえって眠ようとしなくなるものだ…。
 列車はときどき駅に停車した。郊外の駅は、ソ連映画の『誓いの休暇』や『鶴は翔んでゆく』にあるそのままという感じだった。以下は、車内から撮った遠景モードでの写真。
 都市に住むロシア人世帯の大半の休日の過ごし方に、郊外のдача(ダーチャ)という「別荘」で過ごすという夏の習慣がある。ソ連映画作品でも幾つかそういう場面がある。ダーチャは建築の法律など細かいことを気にせず、持ち主が自分たちで建てることも多いそうだ。(最近ではお金持ちのつくる豪華なダーチャもちらほら建っていることもあるという)
 ↑は、きっとダーチャの建物で、そこでは畑でいろんなものをつくり、収穫した食物は冬に備えたり自分たちで楽しんだりするようだ。週末には郊外へ向かう家族連れの車でラッシュとなり、休日が終わるとまた町に戻ってくるわけだが、その時のラッシュもまたすさまじい…。
 ロシアの大地と森。ロシアらしさ≠どこで感じるか?と考えてみると、それをモスクワやサンクト・ペテルブルグの市のなかにある風景もあれば、広大な大地や森と答えることもできるんだなあと思えた。
ヴォルガ川?
タルコフスキーの『サクリファイス』を思わせた…。
 体は少し辛くなるものの、夜行列車に乗ってよかったと心底思った。三つ上のダーチャともども、この風景にロシアのもう一つの魅力を覚えた。ダーチャの建物の感じとこの森と大地の感じは、タルコフスキーの『鏡』の風景を髣髴とさせた。
 焼酎のせいで、寝た時間は覚えていない。起きたらもう駅に到着する10分前だった。腕時計が見当たらず、鍵を掛け忘れたかもしれないと焦ったが、自分自身が過剰に用心して仕舞った場所を忘れていたのだ。腕時計は見つかった。
 サンクト・ペテルブルグのモスクワ駅。まだ眠く、荷物のせいで手がブレた。
 
先頭車両
 我々が乗った列車の先頭車両。とうとうサンクト・ペテルブルグに到着したのだ!
 到着時間は、朝の5時半。モスクワ駅の構内では「タクシーはどうだい?」と客に声をかけるドライバーたちがたくさんいた。
 朝も早いというのに、現地ガイドのサヴィーナさんが出迎えてくれた。駅を出るとネフスキー大通りの蜂起広場だった! 次回からサンクト・ペテルブルグ!

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