箱崎誠・北籔和夫ジョイント展

2004年3月

今回は箱崎さんとのジョイントが実現しました。
箱崎さんとはhpのお付き合いで、一番長くなりました。
「のしてんてん」のバナーを作っていただいた方です。
私と同じ、鉛筆だけを使い、緻密でしっかりしたデッサン力に裏打ちされた作品です。
私の粗雑な作風とのジョイントで共鳴し合い、
新たな意味が生まれ一つの作品となりました。
ネットでしか見ることの出来ない作品を心行くまでご鑑賞ください

おまけもあります

箱崎 誠の場合(北九州) 北籔 和夫の場合(大阪)

私の恩師は製鉄の町、釜石出身です。
北海道から九州まで酒びたりの放浪生活ののち、
ブラブラしてるところをスクラップ業者の方から、
住み込みで働らかないかと勧められ、
北九州に腰を据えました。
たまたまその業者が
飼っていた牛を描き続けて、
『牛を描く画家』として名を上げた人です。
酒好きで、飲み始めたら1週間飲みっぱなし。
何度か精神病院のお世話(禁酒のため)
になったほどの豪傑でした。
酒を浴びるほど飲んで、
病院に担ぎ込まれた次の日に息絶えたそうです。

わずか半年しか習わなかったんですが、
先生のインパクトは強烈で
個展をしたときに画廊の社長から
画風を受け継いでいると言われたものです.
そのころ、家の事情で油は描けませんでしたので、
それから鉛筆1本持って現在に至っているんですよ。

私の師が芸術を志したころ、
吉原治良がおこした具体美術協会が盛んでした。
師はそんな具体に入りたくて仕方なかったという事です。
吉原治良にだけ、作品を見てもらいたいと願い、頑張って
ついに具体の若手会員となりました。
そんな師の教えは、もちろん
「人の真似はするな」 という具体の精神そのものでしたが、
そんな中で、最もいんしょうてきだったこ
とばがあります。
ほめられた作品の次になかなかいい作品が出来なかったときに、師はこう言いました。
「人の真似をするなというのは自分の真似もするなという事だ」と、
思えばほめられた自分の作品のまねばかりして、今の本当の自分を見ていなかったのでした。
私はそのときはじめて具体のすごさを知ったのです。
その師は肝臓ガンで若くして亡くなりました。
最後のことばは、死の直前、私の作品を観てつぶやいた
「浅い」 の一言でした。

今回はたがいに、師の思い出話を交換しました

「サ・ヨ・ナ・ラ」

「永遠」

「のしてんてん’03.7-1」

箱崎氏の作品写真は、同氏の許可がない限り一切転用できません



よき師に恵まれることは人生最大の幸運である。
そう思いたい対話でした。

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