極東の異邦人:外国商船の太平洋戦争1941-1945
神戸港のイタリア艦の謎

 妻の父親は今年89歳(昭和4年生まれ)で、昭和18年当時は川崎重工神戸造船所で養成工として働いていました。この間、空母大鳳の空調ダクトの作業をしたとのことで、「空母大鳳は俺が作った」と言っております。(笑
 同じく川崎重工神戸造船所で建造された空母「瑞鶴」の場合は活躍すると祝電が披露されたとのことで、「大鳳」の場合はなかったので「ん?」と思っていたら、案の定沈められていたのを後から知ったとのこと。1943年(昭和18年)9月のイタリア脱落の際には神戸港で「イタリアの仮装巡洋艦が自沈して大騒ぎになった。」と言っておりましたが、この話を聞いた2年前にはイタリア船についてのこれという資料もなく、よくわかりませんでした。ところが最近、同人サークル"Associazione Italiana del Duce"さんのブログで神戸港で自沈したイタリア艦のことを知り、「ああ、これだったのか・・・」と

イタリア極東艦隊の戦歴と天津のイタリア租界 ―伊日関係と苦難の日々―


仮装巡洋艦「ラム II」(Ramb II)/「カリテア II」(Calitea II)

 第二次世界大戦の勃発した1939年9月の時点でエリトリアのマッサワ軍港を拠点とするイタリア紅海艦隊は駆逐艦8隻を主力として仮装巡洋艦2隻、通報艦1隻、潜水艦8隻他という戦力で開戦を向かえました。しかしイタリア本国との間にあるスエズにはイギリス海軍の一大拠点があり、一瞬にして「袋のネズミ」となる微妙な立地である弱点を抱えていました。
 1941年2月、イギリス軍は本格的な攻勢を開始するとエリトリアのイタリア軍は敗北し、4月1日にはエリトリアの首都アスマラが陥落、4月3日にはイタリア紅海艦隊の軍港であるマッサワへの攻撃が開始されました。紅海艦隊はそれまでにイギリス輸送船団への襲撃作戦に出撃していましたが、潜水艦4隻、駆逐艦1隻を失うなど苦戦していました。そこで2月には戦闘力の弱い水上艦艇と潜水艦を脱出させることとなり、潜水艦4隻はフランスのボルドーを目指し、仮装巡洋艦「ラム II」(Ramb II)は姉妹艦「ラム I」(Ramb I)、通報艦「エリトレア」(Eritrea)とともにマッサワ軍港を脱出して当時中立国であった日本を目指すことになりました。2月27日、先行した「ラム I」は途中モルジブ沖でニュージーランド海軍の軽巡「リアンダー」によって撃沈されましたが、「ラム II」と「エリトレア」の2隻は3月23日には神戸港に到着しました。
 一方、マッサワ軍港に残った駆逐艦6隻は4月3日にポートスエズとポートスーダンへの殴り込み攻撃に出撃しましたが、イギリス軍の海空一隊の反撃により返討ちにあい、駆逐艦2隻とスループ1隻を撃沈したもののあえなく全滅し、軍港防衛の水雷艇「オルシーニ」、「アチェルビ」も撃沈され、魚雷艇「MAS213」がイギリス海軍の軽巡洋艦「ケープタウン」を大破させたものの、4月8日には残存艦艇は自沈しイタリア紅海艦隊は壊滅しました。

 仮装巡洋艦「ラム II」の前身は1937年9月に竣工したイタリアのバナナ用貨物船であり、ソマリランド~イタリア~南西ヨーロッパの航路に就航していました。このラム級貨物船はイタリア領ソマリランドからヨーロッパに向けてバナナを新鮮なまま高速で輸送することを目的としており、巡航速力の17ノットで全行程を航行可能な性能が求められました。ラム級貨物船の姉妹艦は「ラム I」~「ラム IV」の4隻が建造され、開戦に伴い「ラム I」~「ラム III」はイタリア海軍の仮装巡洋艦に、「ラム IV」は病院船に改装されました。
 仮装巡洋艦となった「ラム II」は1940年4月9日、イタリア紅海艦隊の一隻としてエリトリアのマッサワ軍港に配属されており、こうしてはるばる日本までやって来たのでした。しかし当時の日本はまだイギリスと開戦していなかったため、三国同盟国の海軍艦艇の来日を出迎えたのは少人数のイタリア外交官と軍の代表のみであり、2隻はイタリア東洋艦隊の所属とはなったものの、「大人の事情」で自由な行動はゆるされず神戸港に抑留されることとなりました。その後仮装巡洋艦「ラム II」については艦名を「カリテア II」(Calitea II)へと改名されました。

 1941年10月以降、イタリア船もヨーロッパへの物資輸送に参加することとなり、この頃中国大陸と日本の港に停泊中の少なくとも7隻のイタリア船の候補の中から優秀船3隻が選抜されることとなりました。

□カリテアII(Calitea II)
□コルテラッツオ(Cortelazzo)
□ピエトロ・オルセオッロ(Pietoro Orseolo)
□フジヤマ(Fusijama)
□カリニャーノ(Carignano)
□ヴェネツィア・ジュリア(Venezia Giulia)
□アダ(Ada)
□コンテ・ヴェルデ(Conte Verde)

 この中から「コルテラッツオ」、「ピエトロ・オルセオッロ」、「フジヤマ」の3隻が選抜されて封鎖突破船としての準備が進められました。「カリテアII」も候補に挙がりましたが封鎖突破船には選抜されませんでした。「カリテアII」は生鮮食品輸送用の設備を有していることから補給艦としても有力であり、さらに仮装巡洋艦として紅海艦隊に配属されていたためイギリス海軍にとってはお馴染みの存在であり、封鎖突破船としては不向きだったのかもしれません。

 1941年(昭和16年)12月、日本が正式に参戦したことにより、「カリテア II」と「エリトレア」はやっとイタリア極東艦隊としての活動が可能となり、船団護衛や極東まで来航した潜水艦への補給任務を行いました。1942年9月から日独伊軍事協定により「カリテア II」はイタリア海軍の乗員のまま日本側の運行管理下となり、冷蔵庫の増設工事を受けたのち、11月からは給糧艦「生田川丸」として運用され、1943年4月にはマノクワリ~アンボン、6月にはマカッサル~バリクパパン、8月にはバリクパパン~基隆~門司~呉へと運航され、その後は修理を行い神戸港で待機中でした。
 1943年(昭和18年)9月8日、イタリア王国政府が連合軍と休戦すると、『イタリア艦艇は連合国、もしくは中立国の港で武装解除を受ける。到達が不可能な場合は自沈せよ。』との命令を受け、神戸港にあった「カリテア II」は自沈を試みました。

 なお、イタリア休戦時点で上海に司令部を置くイタリア極東艦隊には7隻の艦艇があり、各艦の行動は下記とおり。
■仮装巡洋艦「カリテアII」(Calitea II):神戸港で自沈 再浮揚後、特設運送船(給糧船)「生田川丸」となる
■砲艦「エルマンノ・カルロット」(Ermanno Carlotto):上海港で自沈 再浮揚後「鳴海」となる
■機雷敷設艦「レパント」(Lepanto):上海港で自沈 再浮揚後「興津」となる
■通報艦「エリトレア」(Eritrea):船団護衛中に脱出、コロンボで英軍に降伏
■潜水艦「ルイージ・トレッリ」(Luigi Torelli):シンガポールで接収され、のち「Uit25」となる
■潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」(Comandante Cappellini):サバンで接収され、のち「Uit24」となる
■潜水艦「レジナルド・ジュリアーニ」(Reginaldo Giuliani):シンガポールで接収され、のち「Uit23」となる

 このうち、通報艦「エリトレア」はヨーロッパへ向かう予定のイタリア潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」(Comandante Cappellini)を護衛して8月21日にシンガポールを出港し、9月6日にサバン(Sabang)に入港していました。9月8日いち早くイタリア休戦の報を受信すると、サバンを脱出してセイロン島のコロンボを目指しました。途中日本海軍の哨戒機と軽巡洋艦「球磨」の追跡を振り切り、9月14日にコロンボに到着しイギリス軍に武装解除を受けました。

 神戸港で自沈した「カリテア II」は日本側により浮揚・修理され、10月3日には特設運送船(給糧船)「生田川丸」として復活しました。1943年12月まで修理を行い、1944年1月7日、第127船団の1隻として門司を出港して那覇を経由し1月18日には無事高雄港に到着しました。3月にはバタビヤ方面へと移動し、バタビヤ~アンボン~マカッサル~バリクパパン~マニラ方面で輸送任務に従事していましたが、1945年1月12日10時頃、サイゴン港停泊中にアメリカ空母艦載機の空襲を受け、被弾炎上し沈没しました。

 「カリテア II」は仮装巡洋艦としてよりも早くから日本側に傭船されて給糧艦「生田川丸」として運用されていたため、仮装巡洋艦で検索してもヒットしなかったようで、「生田川丸」で検索すると情報がヒットしました。なお姉妹艦「ラムIII」は大戦を生き残り、ユーゴスラヴィア海軍の王室ヨット「ガブル」(Galeb)となり、共産化後はチトー大統領専用ヨットとして使用され、ユーゴスラヴィア崩壊後はモンテネグロのコト湾で保存艦として余生を送っています。


参考資料
イタリア極東艦隊の戦歴と天津のイタリア租界 ―伊日関係と苦難の日々―
第二次世界大戦時の東アフリカ戦線 ―孤立した戦場で勇敢に戦ったイタリア将兵の物語
Regia Marina in the Far East: 1940-1945
ウィキペディア:ラム級仮装巡洋艦
ウィキペディア:エリトリア (通報艦)
ウィキペディア:東洋艦隊(イギリス)
特設運送船(給糧船)生田川丸


2018.12.8 新規作成
2019.3.13 封鎖突破船を追加し、単独ページとして構成を変更


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