「黒騎士物語」の覚書(後編)

 この覚書は「黒騎士物語」に登場する「黒騎士中隊」を実在した部隊と仮定して戦闘記録や編成表を作成するための準備として、各エピソードの場所と月日を特定するための覚書として作成しました。
なお、この覚書の作成にあたっては、「PANZER」さんの「黒騎士物語についての勝手な考察」を参考にしました。
http://www1.odn.ne.jp/~cac27530/index.html

 グロスドィッチェラント師団は6月8日から順次前線から引き上げられ、ヤーシの南方で休養後6月15日からオストプロイセンに移動を開始しました。われらが黒騎士中隊も軍直轄突撃砲部隊の救援により前線から後退しました。
 後編を作成するにあたり最大の問題は、「バウアー将軍の軍司令部はどこか」という点でした。エピソード15では第12装甲軍が登場しますが、これは残念ながら実在しない軍なのでどこか適当な軍を当てはめてやる必要がありました。エピソード13まではヴィーキング師団、エピソード14と15は第24戦車師団を手がかりとしたのですが、さてさてどうなることやら・・・


第9話:新生黒騎士中隊
エピソードの時期と場所:1944年6月

 たった7名まで減ってしまった中隊は、前線から引き上げられるとそのまま列車に放り込まれ、あわただしく移動しました。軍司令官のバウアー将軍は相当強力なコネを持っているらしいのですが、バウアー中尉は意地をはってボロボロの軍服のままで軍司令部に出頭したところも泣かせてくれます。
 軍直轄戦車中隊として再編成されることになった「黒騎士中隊」は、懲罰大隊などから要員の補充を受けるなど、大急ぎで再編成が行われました。装備戦車はすべてパンターを装備することはできず、パンター戦車とV号突撃砲の混成となり、パンターもよく見るとアゴ付きとアゴなし防盾が混在しているようで、どうも中古車両を掻き集めてきたらしく軍直轄部隊とはいえ苦しい台所事情がうかがえます。

戦車中隊「黒騎士」Panzerkompanie "Schwarze Ritter"

中隊本部
    パンター2両(01,02)
    シュビムワーゲン1両
    サイドカー 1両
第1小隊(ローテ小隊)
    パンター5両(11,12,13,14,15)
第2小隊(ブラウ小隊)
    パンター5両(21,22,23,24,25)
第3小隊(ゲルベ小隊)
    III号突撃砲5両(31,32,33,34,35)
整備小隊
    シユビムワーゲン1両
    サイドカー 1両
    装輪兵員車 3両
    各種トラック 3両
    1t軽牽引車 2両
補給段列
    各種トラック
    フィールドキッチン 1組

 軍直轄部隊の編成がわかる資料がないので、とりあえず通常の戦車中隊の編成に準じてみましたが、整備部隊はもう少し拡大した方がもっともらしいかもしれません。擲弾兵小隊も編成に加えたかったのですが、物語中に登場しないので今回は割愛しました。

第10話:火と鉄の試練
第11話:必殺砲撃戦
エピソードの時期と場所:1944年7月15日/ポーランド

 中央軍集団は6月23日に開始されたソ連軍の大攻勢(バグラチオ作戦)により大損害を受け、なんとか戦線を建て直そうと苦闘していました。そんな時に新生「黒騎士中隊」は初陣を迎えます。「一度実戦を経験すれば無駄な訓練は不要です。」と第9話で言っているように、訓練は十分なものではなかったと思われますが、もはや東部戦線の戦況はそれを許しませんでした。
 7月13日、北クライナ軍集団第4装甲軍の正面でもソ連軍第1ウクライナ方面軍が攻勢を開始し、戦線が破られました。黒騎士中隊はソ連軍戦線の後方に進出して暴れまわり、ソ連軍戦線の後方に孤立しそうになりますが、軍集団予備になっていたSSヴィーキング師団の一部(カンプフグルッペ・ローエングリーン)の救援を受けて無事後退することが出来ました。

 この戦闘での黒騎士中隊の損害は
第1小隊(ローテ小隊)
    12号車 行動不能 →牽引回収
第2小隊(ブラウ小隊)
    23号車 被弾炎上 →損失?
第3小隊(ゲルベ小隊)
    31号車 横転小破 →牽引回収
    33号車 被弾炎上 →損失?

となり、2両の回収は確認できますが、被弾炎上した2両は放棄されたようです。

 第10話の地図に登場する第2空軍野戦師団は実際には1943年10月の戦闘で壊滅しています。くわしくは「まけらいおん」さんの「ドイツ軍雑記帳」「空軍野戦師団について」を参照してください。
http://www01.u-page.so-net.ne.jp/fb3/uchiyama/index.html
第12話:悪夢の日
エピソードの時期と場所:1944年7月22日〜25日/ポーランド

 ソ連軍の突破部隊は7月22日には早くも要衝ルブリンに達して、第4装甲軍の一部には包囲の危機が迫りました。北ウクライナ軍集団予備のSSヴィーキング師団と黒騎士中隊を中心とした反撃作戦はあまりにも大きな代償を伴い、この戦いで「カンプフグルッペ・ローエングリーン」は全滅に近い損害を出し、黒騎士中隊も装備戦車の半数を失う大損害を被ってしまいました。

 この戦闘での黒騎士中隊の損害は
    12号車 地雷により行動不能
    その他3両のパンターが被弾炎上
中隊全体で7両のパンターと突撃砲を失っています。

 近い時期のSSヴィーキング師団の戦闘ですぐに思いつくのは、1944年3月から4月にかけて行われたコーヴェリの包囲突破作戦なのですが、この戦いだと時期的にその後の橋頭堡の戦いにつながりにくくストーリー展開も間延びしてしまうため、7月の戦いとしました。ただし、この時期のSSヴィーキング師団の編成や実際の戦闘状況と厳密に突き合わせているわけではありません。

第13話:黒騎士の黒い木曜日
エピソードの時期と場所:1944年7月26日〜30日/ヴィッスラ河橋頭堡

 黒騎士中隊の生き残りの8両のパンターと突撃砲は、橋頭堡防衛のため臨時編成部隊に編入されました。エピソードの中で確認できるのは「01号車」と「02号車」の2両のみですが、この戦いで第12話までの生き残りの戦車と突撃砲のすべてが失われたようです。

 1944年7月でエピソードに都合の良い木曜日は26日しかありません。冒頭の場面
では倒れた道標に「GD」のヘルメットのマークが・・・アレ?

第14話:夜に向かって
エピソードの時期と場所:1944年10月〜12月16日/ポーランド〜ドイツ国内

 8月から12月まで東部戦線にはつかの間の静けさが訪れました。橋頭堡の戦いとその後の後退戦の混乱の中でバラバラになった中隊は、本隊を失った迷子の兵隊を集めるとともに、戦車補充大隊で訓練用戦車と突撃砲を受領して再編成されました。
 戦車補充大隊の所在地はブレスラウあたりだと都合が良いのですが、適当な資料がないのでなんとも言えません。このエピソードは道路の泥濘の具合からも秋口の10月頃ではないかと思います。

戦車中隊「黒騎士」Panzerkompanie "Schwarze Ritter"
中隊本部
    パンター2両(01,02)
    装甲兵車 1両
    シュビムワーゲン1両
第1小隊
    パンター4両(10,11,12,13)
第2小隊
    パンター4両(20,21,22,23)
第3小隊
    ヘッツァー6両(30,31,32,33,34,35)
整備小隊
    ベルゲパンター 1両
    各種トラック 5両
    装輪兵員車 1両
補給段列

 この時期から車両のナンバリングが変わり、各小隊長車が10号車、20号車、30号車となりました。

 エピソード後半の遭遇戦闘は「アルディンヌの大反撃を宣伝していた」ので12月16日のことです。しかし、肝心の第24戦車師団は南方軍集団の第8軍に所属してスロバキアに在り、この時期の第4装甲軍で戦車部隊をさがすと第103戦車旅団のみ(!)とお寒い実情でした。

第15話:ハルマゲドン
エピソードの時期と場所:1945年1月上旬〜4月16日/オーデル河戦線

 このエピソードの期間も長く、バウアー大尉が騎士十字章を受賞したのが1月10日、その直後の1月15日からソ連軍の冬季攻勢が始まり、2月中旬にはソ連軍はキュストリンでオーデル河に橋頭堡を築き、ブレスラウが包囲されました。
 4月16日のベルリン総攻撃まで戦線はしばらく小康状態となり、国民突撃隊とヒトラーユーゲントが大急ぎで召集されます。国民突撃隊の編成は地域によって差はあるものの、44年10月頃から始まっていますので、バウアー大尉が「民族の嵐ってなんだ」と言っているのはもちろんジョークです。

 ソ連軍の燃料輸送車を捕獲した場面を整理すると、合計8両のパンターが確認できますので、大攻勢開始時点での中隊の編成は下記のようになります。

中隊本部
    パンター2両(01,02)
第1小隊
    パンター3両(11,14,ナンバー不明)
第2小隊
    パンター3両(21,23,ナンバー不明)
第3小隊
    ヘッツァー3両(31,32,33)

第16話:最後の章
エピソードの時期と場所:1945年5月6日〜9日/ドレスデン近郊?

 デーニッツ新総統の代理、ヨードル上級大将が降伏議定書に調印したのは5月6日、黒騎士中隊の最後の戦闘はバウアー大尉の墓標の日付から5月9日だとわかります。古着とティーガーIIを交換した「SS修理中隊」で可能性が有りそうなのはSS第501重戦車大隊しかないのですが、このころははるかに南のリンツ近郊で戦闘しています。

 「前にいた連隊マーク」はGD師団の戦車連隊のことで、連隊の第2大隊は抽出されて総統護衛師団の戦車連隊第1大隊となりましたが、同じ第4装甲軍に所属して4月22日までの戦闘で壊滅状態となり、師団の生き残りはバラバラにアメリカ軍の戦線を目指していました。ただし、このマークは正確には連隊のマークではなく連隊指揮官のパーソナルマークで、家紋をアレンジしたもののようです。この人物の子孫は遥か未来になってから、人類の歴史に名を残すことになるのですが、それはまた別のお話しになります。

 最後の戦闘の戦術としては突撃せずに隠れたままで撃ちまくった方が長く足止めできたと思いますが、多分燃料も弾薬も戦闘1回の分しかない状況では、バウアー大尉としては最後は派手に暴れて死のうと思ったのでしょうか。ただし、ティーガーIIの方は砲弾だけはたっぷり残っていたようです。
 最後の戦闘の場所は開けた土地と街道のあるドレスデン近郊、お墓の背景に見えるのは最初は国境監視所かと考えたのですが、地理的におかしいので軍事施設か何か重要施設があるのではないかと思われます。

 というわけで、後編の最大の謎(笑)第12装甲軍を第4装甲軍に置き換えて物語を検証してみましたが、いかがだったでしょうか。黒騎士ファンの皆さんはいろいろご意見、ご批判もあろうかとは思いますが、いちいち聞いてる暇はありません。(爆)と言うのは冗談ですので、どんどんお便りをお寄せください。
 前編も含めて作業を進めるためにあえて見てみぬふりをした疑問もありますので、ぼちぼちと資料を集めてみようと思います。

 最後に「黒騎士中隊」の名称は西ドイツ陸軍の戦車部隊の名誉称号として引き継がれ、「第三次世界大戦」ではバウァーの息子がレオバルトIII(?)に搭乗して活躍します。

2000.1.15 新規作成
2001.10.8 改訂版作成