泡沫戦史研究所/枢軸軍マイナー部隊史

第12特別編成戦車中隊/第12特別編成戦車大隊
Pz.Kp.z.b.V.12
Pz.Abt.z.b.V.12

  月刊「グランドパワー」2017年12月号の特集は「ドイツ軍捕獲戦闘車両」で、今回は捕獲フランス戦闘車両の特集でした。実はルノーR35(f)は砲塔ハッチの形状には2種類あり、段差のないタイプは第12特別編成戦車中隊の所属車両であることがわかっています。この第12特別編成戦車中隊は、捕獲フランス戦車をもって編成されており、最大でなんと18個小隊、約90両の戦車を装備してユーゴスラヴィアでの対パルチザン作戦に投入されました。

1.捕獲戦車中隊の設立
 中隊の前身は捕獲フランス戦車を装備して1941年6月22日にパリで編成された「第12特別編成戦車中隊指揮集団」(Pz.Kp.Fuhrungs Gruppe z.b.V. 12)であり、1942年4月1日付けで第12特別編成戦車中隊(Pz.Kp.z.b.V.12)へと改編・改称されました。中隊の編成は「K.St.N1171d」の軽戦車中隊の編成にもとづいており、1942年2月16日付けで制定され、1942年4月17日付けで改定されました。


第12特別編成戦車中隊
Panzer-Kompanie zur besonderen Verwendung 12

中隊本部/本部小隊
  第1小隊~第9小隊:オチキスH38(f)×各5両 計45両
  第10小隊~第14小隊:ルノーFT17/18(f)×各5両 計25両
  予備:オチキスH38(f)×5両、ルノーFT17/18(f)×5両

 「K.St.N1171d」は第12特別編成戦車中隊専用の編成定数であったようで、内容は「捕獲戦車小隊群を率いる中隊本部」という位置づけで、配下の戦車小隊の詳細がどこまで規定されていたかは不明です


2.ユーゴスラヴィアの分割と占領
 ユーゴスラヴィア王国陸軍には2個戦車大隊と1個騎兵中隊があり、合計約120両の装甲車両を装備していました。陸軍の装備車両は1921年に配備されたルノーFT M1917軽戦車、1928年に配備されたルノーNC1軽戦車、1938年に配備されたスコダS-Id豆戦車、そして最新の戦車が1940年に配備されたルノーR35軽戦車でした。このうち近代的な戦車は54両のルノーR35軽戦車のみであり、軍の戦闘能力は第1次大戦の水準でした。

 1941年4月6日、ユーゴスラヴィア王国はドイツ軍の侵攻により10日ほどでたちまち制圧されました。ユーゴスラヴィアの領土は枢軸各国により分割され、スロベニアの北部3/2はオーバークライン(Oberkrain)とウンターステイヤーマルク(Untersteiermark)としてドイツ本土に併合され、最北端のプレクムリェ(Prekmurje)地方はハンガリーに占領され、南部1/3とダルマチアの一部はイタリアに併合されました。
 セルビアにはセルビア救国政府が樹立され、ユーゴスラヴィアの継承国家と主張しましたが、実質的にはドイツの傀儡政権でありドイツ占領下と同様でした。またセルビア北部、ヴォイヴォディナ地方の北西部(バチュカ地方)はハンガリーに併合され、バナト地方はドイツ占領下となりました。モンテネグロはモンテネグロ独立国としてイタリアの傀儡政権が樹立されましたが、これも実質的にはイタリアに併合されました。さらにコソボはアルバニアに併合され、マケドニアはブルガリアに占領されました。
 そして大クロアチア地域(クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナ)はクロアチア独立国として独立しましたが、南部はイタリア軍の占領地域になっていました。

 5月以降はセルビアに第704、第714及び第717歩兵師団が、クロアチアには第718歩兵師団が駐屯して占領任務に従事しました。戦車部隊は目前に迫るソ連侵攻に必要であり、占領軍には当初戦車部隊は配備されませんでした。現地部隊では放棄された装甲車両の回収が行われ、夏までにはユーゴスラヴィア王国陸軍の装備数の2/3にあたる合計78両の装甲車両が集められ、残りの1/3(約40両)は破壊されたり、行動不能となっていました。

3.ユーゴスラヴィアへの派遣
 1941年6月22日、バルバロッサ作戦が開始されるとユーゴスラヴィア及びバルカン半島地域での共産パルチザンの活動が活発となり、このため第12特別編成戦車中隊指揮集団はベオグラードに送られました。中隊にはユーゴスラヴィアで捕獲された装甲車両が追加配備されることとなり、集められた車両はベオグラードから56km南のムラデノバツ(Mladenovac)の「ヘルマン・ゲーリング国家工場」(Hermann Göring Werke)に送られて修理と整備が行われました。R35(f)軽戦車の砲塔ハッチの改造や無線機の搭載はここで行われたものと思われます。
 1941年夏、セルビアでは王党派のユーゴスラヴィア国内軍(ユーゴスラヴィア王国陸軍の残党、後のチェトニク)による大規模な武装蜂起も発生しており、現地の部隊ではトラック改造の簡易装甲車が製造されて戦闘に投入されましたが、本格的な装甲車両部隊の投入が強く要求されていました。

 1941年9月、中隊の戦車は小隊単位又は小グループで現地の歩兵部隊に派遣され、セルビア全域で活動しました。中隊は9月中旬の時点で合計約40両のルノーR35(f)とルノーFT17(f)が作戦可能で、さらにルノーFT17(f)×8両が装甲列車に積載されました。また「Waffen-Arsenal S-42」には1941年11月の時点でT-32(Skoda36)配備の記載があるとの情報もあり、これは捕獲されたスコダS-Id豆戦車のことと思われます。
 
 1941年9月中旬には増援部隊として第125歩兵連隊の一部、第220戦車猟兵大隊、第342歩兵師団、第202戦車連隊第1大隊が到着しました。秋の時点でユーゴスラヴィアから捕獲されたルノーR35(f)×24両とルノーFT-17/18(f)×52両(フランスやギリシャから送られたものも含む)の戦車が共産パルチザンとセルビアでの武装蜂起に対して投入可能となりました。

 1941年から42年の冬の間、第12特別編成戦車中隊指揮集団と第202戦車連隊第1大隊で合計約150両の捕獲戦車が作戦に投入されました。1941年12月末の時点で、第202戦車連隊第1大隊は65両のオチキス戦車とソミュア戦車を装備しており、第12特別編成戦車中隊指揮集団には18個戦車小隊で約90両もの戦車を装備していたことになります。このうち5個小隊はボスニアに送られ、セルビア人勢力と共産パルチザンに対抗しました。
 中隊の編成は単純に考えれば当初の14個小隊からの増加分である第15~第18小隊がルノーR35(f)を装備したとも思われますが、実際はそんなに単純ではなさそうです。中隊の編成については『各2個小隊からなる5個集団に分割されて運用され、各集団には整備班と輸送段列が随伴した』との記述や、『中隊は本部小隊と15個小隊に各5両のR35戦車とH38戦車を装備』との記述もあり、以後の記録を見ると最も旧式のルノーFT17(f)がルノーR35(f)と交換された結果、最大で15個小隊に落ち着いた可能性が高そうです。
 
 1942年1月、第714歩兵師団に配属された中隊の2個小隊がクロアチア独立国で初戦闘を経験しました。これはクロアチア独立国の一部となっていたボスニアに派遣されて第714歩兵師団及び第718歩兵師団に配属されていた第7小隊~第10小隊の一部で、小隊単位で分割運用されていました。1942年4月にはこのうちの第8小隊の戦車×3両がソコラツ(Sokolac)及びハン・ピイェサク(Han-Piesak)地区で戦闘団「Wist」に配属されていました。

4.第12特別編成戦車中隊
 1942年4月1日、中隊は第12特別編成戦車中隊(Pz.Kp.z.b.V.12)へと改称されましたが、中隊の編成や装備内容に大きな変更はなかったようです。1942年5月28日付けの第718歩兵師団の記録によると、第7小隊と第10小隊はサラエボ(Sarajevo)に、第8小隊はトゥズラ(Tuzla)に、第9小隊はスラヴォンスキ ブロッド(Slavonski Bord)に分散して駐屯しており、ソコラツ(Sokolac)及びハン・ピイェサク(Han Pijesak)地区でパルチザン掃討作戦に投入されました。
 
 1942年6月20日現在、第13小隊と第14小隊はSrijem地区で鉄道沿線や農作物の収穫期が終わるまでの警備任務に従事した後、8月末には戦闘団「ボロフスキ」(Kampfgruppe Borowski)に配属されてフルシュカ・ゴーラ(Fruska Gora)でのパルチザン掃討作戦に参加しました。第10小隊と第12小隊は8月に第718歩兵師団がSakovici及びヴラセニツァ(Vlasenica)地区で実施した作戦に支援部隊として参加しました。
 1942年9月28日現在のヤイツェ(Jajce)地区でのパルチザン掃討作戦での戦闘序列によると、第7小隊は戦闘団「Susnik」に配属されてTurbeに、第10小隊は戦闘団「Wist」に配属されてドニー・バクーフ(Donji Vakuf)に、第9小隊は戦闘団「Hummel」に配属されており、この地区での戦闘は11月末まで続きました。

 1942年の後半、中隊の4個中隊はボスニアの東部および中部で活動し、1個または2個小隊はSrijem地区にありました。1942年10月15日の時点で、第12特別編成戦車中隊は下記のように各地に分散して配置されていました。

中隊本部及び第4、第14小隊:セルビア駐屯軍司令部(在ベオグラード)
第1、第2小隊:第704歩兵師団(在セルビア)
第3、第5、第6、第11、第12、第13小隊:第717歩兵師団(在セルビア)
第7、第8、第9、第10小隊:第718歩兵師団(在クロアチア)

 その後、1942年12月には各小隊の配置は下記のようになっていました。


<在セルビア>
第3小隊:バリエボ(Valjevo)、第5小隊:Lajkovac、第6小隊:シャバツ(Sabac)、
第11小隊:オブレノバツ(Obrenovac)、第12小隊:シャバツ(Sabac)、13小隊:ロズニツァ(Loznica)、本部小隊:ボール(Bor) この他、第1小隊、第2小隊、第4小隊、第15小隊も駐屯地は不明ながらセルビアにあったものと思われます。

<在クロアチア>
第7小隊:Turbe、第8小隊:Tuzla、第9小隊:ビイェリナ(Bijeljina)、第10小隊:ルーマ(Ruma)第718歩兵師団に配属、第14小隊:ルーマ(Ruma)


 1943年初め、在クロアチアの各小隊に変化はありませんでした。1943年4月14日、第7小隊、第8小隊、第10小隊はゼニツァ(Zenica)へと移動し、第718歩兵師団に配属されました。その後第718歩兵師団は第118猟兵師団へと改編・改称されましたが、中隊の各戦車小隊は引き続き配属され、戦車集団「Steer」と呼ばれました。
 1943年5月12日、第2、第4、第5小隊は「Schwartz作戦」のためにベオグラードからサラエボへと鉄道輸送され、第118猟兵師団の師団司令部に配属され、さらに1個小隊が追加配属されて師団の指揮下に入りました。これら「Schwartz作戦」のための新着4個小隊は到着の翌日にはサラエボ市内のAlipasin Most地区に配備されました。
 1943年5月18日現在、3個小隊のうち2個小隊は戦闘団「Anacker」に、1個小隊は戦闘団「Gertler」に配属されており、戦車1両がFoca近くの戦闘で撃破されてしまったようです。
 5月20日付けの報告によると、3個小隊からなる戦闘団「Steer」が第118猟兵師団に配属されており、装備戦車13両のうち稼働12両と報告されています。この戦闘団「Steer」は3月中旬から4月にかけてゼニツァ(Zenica)に駐屯していた戦車集団「Steer」と同じものです。

 1943年5月31日現在の報告書によると、中隊はルノーR35(f)×22両(内稼働21両)、オチキスH38(f)×36両(内稼働30両)を装備していました。その後11月1日付けの報告書では装備車両はルノーR35(f)×2両とオチキスH38H(f)×8両が稼働するのみに減少していました。
 9月1日付けの中隊の報告でSS義勇山岳師団「プリンス・オイゲン」にオチキス38H(f)×9両が引き渡され、代わりにルノーB2(f)×16両(内稼働12両)を年末に受領したというのも「PANZER TRACTS」からの情報ですが、一方でSS義勇山岳師団「プリンス・オイゲン」の記録ではルノーB2(f)がフランスに送り返されたとの資料もあり、以後の中隊の記録にルノーB2(f)が登場しないことも気になります。

 1943年末の時点で第12特別編成戦車中隊にはL40軽戦車×1両、L40突撃砲×17両、M13/40中戦車×4両、装甲車×9両のイタリア製捕獲戦闘車両が新たに配備され、フランス製戦車も引き続き装備されていました。1944年1月1日現在、中隊のイタリア戦車はL6軽戦車×2両、L6突撃砲×16両及びM13/40中戦車×4両となっていました。

5.第12特別編成戦車大隊
 1944年4月15日、中隊は第12特別編成戦車大隊へと改編・改称され、大隊本部/本部中隊と3個中隊にM15/42中戦車×42両(43両とする資料もあり)を装備しました。その後5月1日と6月1日には各4両のM15/42中戦車を追加配備されたようです。
 その代わりにL6突撃砲×24両が1944年9月~10月までに段階的に装備から外されましたが、もちろんこれらの旧式車両は警察部隊などのさらに貧度の高い部隊にまわされたわけで、例えば第14増強警察戦車中隊では1944年9月以降に約20両のL6突撃砲が新たに配備されていました。

 1944年6月に大隊には第4中隊が追加編成され、7月1日付けの報告によると4個中隊でM15/42中戦車×59両を装備していましたが、稼働戦車は21両にすぎなかったようです。
 その他にもフランス製戦車も合わせて1944年夏の時点で合計94両の捕獲装甲車両を装備していました。大隊の装備車両1944年9月~12月の間、下記のように推移しました。

9月1日 10月1日 12月1日
M15/42中戦車 20両/稼働14両 33両/稼働10両 33両/稼働5両
オチキスH38 21両/稼働8両 18両/稼働1両 18両
ルノーR35 11両/稼働5両 6両/稼働5両 6両/稼働1両
L6/47突撃砲 9両/稼働6両 4両/稼働5両 4両/稼働2両

 1944年10月14日、ニーシ(Nis)の街がブルガリア軍とセルビアパルチザン部隊によって占領された際には放棄された中隊所属のM15/42中戦車×2両の写真が残されています。
 1945年1月、第12特別編成戦車大隊の第1中隊~第3中隊は装備を他の部隊に譲り、兵員はドイツのGrafenwoehrに移動して「ブランデンブルク戦車連隊第2大隊」に改編されました。第4中隊については3月以降に第202戦車大隊に編入されましたが、装備内容は不明です。


参考資料
German Panzers and Allied Armour in Yugoslavia in Wolrd War Two(Tankograd 2013)
Armoured Units and Vehicles in Croatia During WW2(Adamic 2008)
PANZER TRACTS No.19-2 Beute-Panzerkampfwagen(Panzer Tracts 2008)
PANZER TRACTS No.19-1 Beute-Panzerkampfwagen(Panzer Tracts 2007)
Italian Armour in Geramn Service 1943-1945(Mattioli 2005)


2017.12.10 新規作成

泡沫戦史研究所http://www.eonet.ne.jp/~noricks/