泡沫戦史研究所/ドイツ治安警察部隊史/警察装甲車/戦車部隊(1942年〜1945年)

第18SS警察山岳猟兵連隊の装甲車小隊

 1943年9月28日、警察部隊監査長官より南東軍集団管轄下の捕獲イタリア戦車の今後の活用方針として、イタリア製戦車×5両を装備する装甲偵察小隊を設立し4個SS警察連隊にそれぞれ配備する計画が発表され、最初の計画では第1、第2、第14SS警察連隊及び第18SS警察山岳猟兵連隊への配備が予定されていました。
 このため第18SS警察山岳猟兵連隊向けの装甲車小隊が編成され、装甲車小隊は「第18装甲車小隊」と呼ばれており、元隊員の証言によると1943年9月9日の時点でアテネに駐屯しており、捕獲イタリア戦車を装備していました。イタリア製戦車×12両がアテネで配備され訓練に使用されましたが、兵器類の操作訓練は小隊独自で行わなければなりませんでした。
 
 元隊員の証言によると、ギリシャからの撤退時には第18SS警察山岳猟兵連隊の装甲車小隊は4両の戦車を装備しており、戦車はサロニキからブルガリアへと輸送されましたが、その際に戦闘で損傷していた戦車×2両が残置されました。1945年2月〜3月にかけて、小隊は2両の戦車(おそらくイタリア製戦車)を装備しており、ドラウ(Drau)川沿いのマイスブルグ(Maisburg=Maribor)近郊まで後退していました。
 
 1944年7月15日現在の治安警察部隊の作戦概要によると、第18SS警察山岳猟兵連隊の装甲車小隊はアテネに駐屯しており、装甲偵察車(2cm砲装備)と突撃砲(4.7cm砲装備)を装備していました。
 1944年10月現在の治安警察部隊概要によると、第18SS警察山岳猟兵連隊と装甲車小隊はセルビア治安警察司令官(BdO.Serbia)の管轄下で活動していました。1944年11月末、第18SS警察山岳猟兵連隊はボカバル(Bokavar=Vukovar)北方のシルミア(Syrmia)の前線で第118猟兵師団に配属されていました。連隊の兵力は約10%(?)にまで低下していましたが、連隊固有の戦力として突撃砲(4.7cm砲装備)×5両と装甲偵察車(2cm砲装備)×3両を保有していました。しかし、これら装甲車両用のガソリンは8km〜10km走行分しかなく、後にこれらの車両は自爆処分されました。


2008.8.21 新規作成

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