泡沫戦史研究所/ドイツ治安警察部隊史/警察装甲車/戦車部隊(1942年〜1945年)

SS警察指導者「西アドリア」の戦車中隊
Panzer-Kpmpanie beim SSPF.Adria West

 1945年4月の最高級SS及び警察指導者「イタリア」(Hst.SSPF Italien)の戦闘序列によると、SS警察指導者「西アドリア」(SSPF.Adria West)の指揮下に1個警察戦車中隊があり、この中隊は第24SS武装山岳(カルストイェーガー)師団に編入されていました。
 1945年4月末から5月初めの間にゲモナ−オスペダレット地区での戦闘で、イギリス軍第6機甲師団第1ダービシャーヨーマリー連隊の第1大隊のシャーマン戦車によって撃破された2両のP40戦車が、第24SS武装山岳(カルストイェーガー)師団の戦車中隊「カルストイェーガー」のP40戦車であることがわかっています。(グランドパワー誌2000年4月号の129ページ下段に掲載されているP40戦車がその内の1両です。同じ場所で撃破されたもう1両にはターレットナンバー「111」が記入されていました。)

 P40戦車を装備したのがはっきりとしているのは「第10警察戦車中隊」と「第15警察戦車中隊」及び戦車中隊「カルストイェーガー」で合計42両、補充訓練戦車大隊「ジュート」に5両で、ドイツ軍に使用されたとされる61両のうち残り14両の配属先がわかっていません。もちろん第24SS武装山岳(カルストイェーガー)師団に編入されたP40戦車がSS警察指導者「西アドリア」所属の警察戦車中隊のものではなく、まだ知られていない他の警察戦車中隊のものである可能性は残されています。


第24SS武装山岳(カルストイェーガー)師団(1945年4月)

師団司令部
第1山岳猟兵大隊
第2山岳猟兵大隊
戦車中隊「カルストイェーガー」:P40戦車装備(中隊定数×14両?の半数程度)

 師団は1944年7月18日、SSカルスト防衛大隊(兵力約1,000名)を基幹として編成が開始されましたが、9月20日現在の兵力は将校27名、下士官163名、兵1,799名であり、やっと連隊規模の兵力でしかありませんでした。その後は補充部隊を加えて兵力はやっと3,000名程度になったものの、依然として師団定数には程遠く、12月5日付けで正式にSS武装山岳(カルストイェーガー)旅団と改称されました。ところが、1945年2月10日にはすべてのSS旅団は欺瞞のために師団に改称することとなり、戦力は従来のままで再び第24SS武装山岳(カルストイェーガー)師団と改称されました。
 1945年4月現在、師団は2個大隊による1個連隊程度の兵力であり、戦車中隊「カルストイェーガー」もP40戦車の機械的故障の続発により中隊定数(14両?)の半数程度の装備数にとどまっていました。


イギリス軍第6機甲師団の編成については、なでぃりんさんにご協力いただきました。ありがとうございました。


2000.11.12 新規作成
2002.11.3 改訂版

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