泡沫戦史研究所/ドイツ治安警察部隊史/警察装甲車/戦車部隊(1942年〜1945年)

第4警察戦車中隊
4.Polizei-Panzer-Kompanie

 第4警察戦車中隊の編成は1942年8月27日付けのSS全国指導者及びドイツ警察長官通達によりウイーンの警察自動車学校で開始されました。中隊はウイーンの警察自動車学校から兵器と兵員の供給を受け、1942年7月25日付けで制定された次のような編成となる計画でした。


第4警察戦車中隊の編成

中隊本部
  指揮班
  修理工場小隊
  補給段列
第1装甲車小隊:スタイヤー装甲車×3両
第2装甲車小隊:スタイヤー装甲車×3両
第3戦車小隊:オッチキス装軌式装甲車×5両


 装甲車小隊の装備するスタイヤー装甲車はウイーン警察司令部及びウイーンの警察自動車学校で使用されていた車両が編入されることとなり、ウイーン警察から警察自動車学校に装備兵器とともに引き渡されました。その他の不足分の車両については特別配備が行われました。修理工場小隊の要員はベルリンの警察技術及び交通学校から供給される予定で、中隊のためのフィールドキッチン一式もベルリンからウイーンへ送られてきました。
 2個装甲車小隊と1個戦車小隊の編成に必要な装甲車両乗員の召集はウイーン警察司令部が行い、全国から召集した兵員がウイーン警察自動車学校の第4警察戦車中隊に送り込まれ、運転手、オートバイ兵及びその他の要員も同様に全国各地から召集されました。

 1942年9月10日、中隊のための要員はウイーンの警察自動車学校への集結を完了しました。第4警察戦車中隊の兵力は士官3名、下士官14名、兵35名、運転手66名の合計118名と計画されていました。1942年10月24日、中隊の出動準備が命令され10月28日には短時間での出動待機態勢が完了しました。
 1942年11月3日付けの通達により中隊の修理工場小隊として第13修理工場小隊が編入されることとなり、ベルリンの警察技術及び交通学校から下士官1名と巡査(兵)7名が配属されて11月14日にウィーンの中隊に合流しました。
 1942年11月26日、第4警察戦車中隊は高級SS及び警察指導者「中央ロシア」の管轄地域で第13警察連隊に配属されることとなり、中隊は12月18日にウィーンから東部戦線に向けて出発しましたが、その後1943年前半については記録が残っていません。

 1944年1月10日、ソ連軍の冬季攻勢に対応してポラツク(Polozk)〜ヤズノ(Jasno)湖南部地域の前線には北方軍集団の第16軍/第1軍団が移動し、警察部隊を含む地域内の全部隊が指揮下に編入されました。
 中央軍集団戦区の接続部ではクルト・フォン・ゴットベルクSS中将兼警察中将を指揮官とする警察戦闘団「フォン・ゴットベルク」(Polizei-Kampfgruppe “von Gottberk”)が同様に防衛戦闘に投入されており、1944年1月から2月にかけて、第13SS警察連隊は引き続き戦闘団「フォン・ゴットベルク」(Kampfgruppe“von Gottberg”)に編入されて防衛戦に投入されました。
 警察戦闘団「フォン・ゴットベルク」の1944年1月10日現在の報告によると、第4警察戦車中隊は第13警察連隊に配属されて装甲車×5両と装軌式装甲車(戦車)×5両を装備しており、この時点での兵力は士官1名、下士官・兵51名となっていましたが、補充として士官1名、下士官・兵71名が到着しました。
 その後の1944年3月1日現在の戦闘団の報告でも変わらず、装甲車×5両と装軌式装甲車(戦車)×5両の装備を報告しており、3月25日の第1軍団の報告では第4警察戦車中隊は戦闘団「フォン・ゴットベルク」戦区の戦線左翼(第1軍団と戦闘団の接続部?)で配備に就いていました。

 1944年3月から6月にかけて、中隊は第13警察連隊を離れてベラルーシからオーストリアのザルツブルク(Zalzburg)に帰還しており、ザルツブルク治安警察司令官(BdO. Zalzburg)の管轄地域(第18軍管区)で再びパルチザン掃討作戦に投入されました。
 4月に第13SS警察連隊がベラルーシからオーストリアのクラーゲンフルトへと移動すると第4警察戦車中隊は再び連隊に配属され、7月15日現在の治安警察部隊の戦力概要によると、中隊はザルツブルク治安警察司令官(BdO. Zalzburg)の管轄地域に在り、オーストリアのザンクト・ヤーコプ・イム・ローゼンタール(Sankt Jakob im Rosental)地区に駐屯していました。
 1944年8月20日現在の警察戦車部隊の報告によると、第4警察戦車中隊の兵舎はクラーゲンフルト(Llagenfurt)近郊のフィラハ(Villach)にあり、その後の10月20日現在の治安警察部隊の戦力概要によると第4警察戦車中隊は第13SS警察連隊とともに引き続きザルツブルク治安警察司令官(BdO. Zalzburg)及び高級SS及び警察指導者「アルペンラント」(HSSPF Alpenland)の管轄下に在りましたが、第4警察戦車中隊の1944年10月以降の記録はなく以後の状況は明らかになっていません。

 第13SS警察連隊は1944年10月以降スロベニアでのパルチザン掃討作戦に投入され、1945年4月には第3戦車軍団戦区での防衛戦にも投入されました。連隊の残余はクラーゲンフルト(Klagenfurt)西方約35kmのフィラハ(Villach)で西側連合軍に降伏しました。


2007.5.23 新規作成
2023.12.7 一部追記

泡沫戦史研究所http://www.eonet.ne.jp/~noricks/