泡沫戦史研究所/ドイツ治安警察部隊史/警察連隊について

第31警察狙撃兵連隊
Polizei Schützen Regiment 31

 警察狙撃兵連隊はロシア地域で編成された混成警察連隊で、第31警察狙撃兵連隊は8個連隊が編成されたうちの最初の連隊として編成されました。警察狙撃兵連隊は3個大隊からなり、第1大隊はドイツ人警察官により編成され、第2大隊及び第3大隊はウクライナ人により編成されることになっていました。
 1943年4月21日、連隊は第1大隊として第12SS警察連隊の第1大隊(第103警察大隊)を編入し、第2大隊及び第3大隊には第51シューマ大隊及び第54シューマ大隊を編入して編成されることになりました。
 しかし4月中に編成が完了したのは連隊本部と第1大隊のみであり、第2大隊及び第3大隊となる予定の第51シューマ大隊及び第54シューマ大隊の配属は5月にずれ込み、その後9月16日付けで正式に連隊の第2大隊及び第3大隊として編入されたようです。このほか連隊には第31警察通信中隊が配属されました。


第31警察狙撃兵連隊
Polizei Schützen Regiment 31

連隊本部
第1大隊(第103警察大隊)
第2大隊(第51シューマ大隊)
第3大隊(第54シューマ大隊)
第31警察通信中隊


 初代連隊長にはハインリッヒ・ハンニバル警察大佐が就任し、連隊は国家行政区「白ルテニエン」の管轄区域にあたる白ロシアとポーランド北東部で大隊ごとに各地に分散して活動しており、例えば第54シューマ大隊はリダ(Lida)に駐屯していました。
 1943年5月24日から6月30日にかけて、連隊はPalik湖地区で「Cottbus作戦」に参加し、7月7日から8月5日かけてはNalibocki地区の森林地帯で「Hermann作戦」に参加しました。
 1944年1月の時点で連隊の第1大隊と第3大隊はMolodechnoの東、Brorisov北東にあるPleshchenitsyの町に駐屯しており、第2大隊はBorisovの西、ミンスク(Minsk)の北東にあるLogoyskの町に駐屯してSS及び警察指導者「白ロシア」の管轄下にありました。1944年4月16日から5月21日にかけて、連隊の第3大隊(第54シューマ大隊)はベラルーシ北部のウシャチ(Ushachi)地区に移動して「春祭り(Frühlingsfest)作戦」に参加し、5月22日から6月27日にかけては引き続きパルチザン掃討作戦「コルモラーン(Kormoran)作戦」を継続しました。

春祭り(Frühlingsfest)作戦
 1944年4月16日~5月12日、ポラツク(Polotsk)近郊のウシャチ(Ushachi)地区でのパルチザン掃討作戦。「にわか雨(Regenschauer)作戦」作戦の直後に開始され、第16軍の後方部隊がポラツク地区の南と西から第3戦車軍の後方部隊に向かってパルチザン部隊を追い込みました。
 この作戦ではSS戦闘団「フォン・ゴットベルク」を含む「にわか雨(Regenschauer)作戦」参加部隊の他にさらに大兵力が招集され、パルチザン部隊は激しく抵抗しソ連空軍も航空攻撃と大規模な空輸により支援し、ドイツ軍も空軍のシュツーカと多数の警察及び武装SS部隊を投入し、第95歩兵師団がパルチザン部隊の撃破に成功しました。
 パルチザン部隊の損害は戦死、捕虜、負傷者14,000名に上り、3,000名以上がオルシャ地域へと脱出したものの、ポラツク南部地域からはパルチザン部隊が一時的に一掃されました。
作戦参加兵力:
第2SS警察連隊
第23SS警察連隊(第1大隊を除く)
第24SS警察連隊
第26SS警察連隊
第31警察狙撃兵連隊第3大隊
第36警察狙撃兵連隊第1大隊
第286保安師団第64保安連隊
第330国土防衛大隊
第350保安大隊
カミンスキー旅団第1連隊
カミンスキー旅団第5連隊
カミンスキー旅団護衛大隊
第56(ウクライナ)シューマ大隊
第62(ウクライナ)シューマ大隊
SS連隊「ディルレヴァンガー」
第5ラトビア国境防衛連隊
第2ラトビア義勇警察連隊
第3ラトビア義勇警察連隊
第201保安師団

Kormoran作戦
 1944年5月22日~6月20日、中央軍集団の第4軍及び第3戦車軍戦区であるミンスク(Minsk)~ボリソフ(Borisov)街道沿いの地域でのパルチザン掃討作戦で、作戦地域には約16,000名のパルチザンが集結していると推定されており、白ロシア国防軍占領司令部(Wehrmachtsbefehlshaber Weißruthenien)及び高級SS及び警察指導者「中央ロシア」(Höhere SS und Polizeiführer Russland-Mitte)の合同作戦として実施されました。
作戦参加兵力:
第2SS警察連隊
第13SS警察連隊
第24SS警察連隊
第31警察狙撃兵連隊
第221保安師団
第391野戦訓練師団

 1944年6月、ロシア軍のバグラチオ作戦により中央軍集団の戦線は崩壊し、中央軍集団の戦線後方地域で対パルチザン作戦に従事していた第31警察狙撃兵連隊も最前線での防衛戦闘に投入されました。1944年7月5日、連隊は第170歩兵師団の一部や第221保安師団の一部とともに戦闘団「メッツ」(Kampfgruppe "Metz")として後退戦を行ない、7月8日からは第17SS警察連隊や第36警察狙撃兵連隊とともに警察戦闘団「フォン・ゴットベルグ」に編入されリダ(Lida)へと後退し、7月14日にはグロドノ(Grodno)の東方20kmの地区へと後退していました。


警察戦闘団「フォン・ゴットベルグ」(1944年7月8日現在)
Polizei-Kampfgruppe "von Gottberg"

第17SS警察連隊
第31警察狙撃兵連隊
第36警察狙撃兵連隊


警察戦闘団「フォン・ゴットベルグ」(1944年7月14日現在)
Polizei-Kampfgruppe "von Gottberg"

第2SS警察連隊
第17SS警察連隊
第22SS警察連隊
第31警察狙撃兵連隊
第36警察狙撃兵連隊


 1944年7月17日、連隊は警察旅団「アンハルト」(Porizei-Brigade "Anhalt")に編入され、10月12日までには第6軍団とともにオストプロイセン国境に近いBobr河(Grodno西方40Km)地区へと後退しました。連隊長のハインリッヒ・ハンニバル警察大佐はこれまでの後退戦での功績により8月23日付けで騎士十字章を受章しており、1944年10月13日から1945年1月25日にかけて、旅団の指揮はハンニバル警察大佐が引き継ぎ旅団はSS警察旅団「ハンニバル」(SS-Polizei-Brigade "Hannibal")と呼ばれることとなり、11月の時点で第4軍第27軍団に配属されていました。


SS警察旅団「ハンニバル」
SS-Polizei-Brigade "Hannibal"

第2SS警察連隊
第4SS警察連隊(第2大隊を除く)
第17SS警察連隊の第1大隊
第31警察狙撃兵連隊
第34警察狙撃兵連隊の第1大隊


 第31警察狙撃兵連隊はこれまでの防衛戦闘で大損害を被っており、10月30日の時点では第1大隊長であったフォイト警察少佐の指揮する約1個大隊の兵力を残すのみになっていましたが、12月には第4SS警察連隊を中心に編成された戦闘団「ハンニバル」に編入され、オストプロイセンでの防衛戦に投入されました。
 1945年1月26日、連隊はレッツェン(Lötzen)南東のリュック(Lyck)、Arys、Milkenを通り撤退を続けており、2月21日にはランズベルグ(Landsberg an der Warthe)の南6kmのGrünwalde近郊~Dixen~Neukrug地区まで後退しました。3月18日、連隊は第4SS警察連隊の残余を吸収した後、オストプロイセンのハイリゲンバイル(Heiligenbeil)地区で第349国民擲弾兵師団に配属され、最後はハイリゲンバイル包囲陣内で壊滅しました。


2002.3.13 新規作成
2007.10.24 改訂版
2016.5.14 改訂2版
2020.9.20 訂正:SS警察狙撃兵連隊からSSを削除
2023.11.25 一部追記

泡沫戦史研究所http://www.eonet.ne.jp/~noricks/