第8SS警察連隊
SS-Polizei Regiment 8
連隊は1942年7月、既存の第91警察大隊、第111警察大隊及び第134警察大隊を、連隊の第1大隊、第2大隊及び第3大隊として編入し、第8警察連隊として編成されました。しかし、第91警察大隊は1941年12月からすでに第221保安師団に配属され、第134警察大隊は第286保安師団に、第111警察大隊も第403保安師団に配属されていました。
これらの保安師団は中央軍集団後方地域司令部(Korück102)に配属されてボブルイスク(Bobruisk)及びブリヤンスク(Bryansk)地区ですでに活動中であり、連隊の各大隊は引き続き各保安師団に配属されたまま活動を続けました。
第8警察連隊
Polizei Regiment 8
連隊本部
第1大隊(第91警察大隊):第221保安師団
第2大隊(第111警察大隊):第403保安師団
第3大隊(第134警察大隊):第286保安師団
1942年11月19日、ドイツB軍集団の伸びきった側面、弱体な同盟軍の戦線を狙ってソ連軍の反撃が開始されました。ドン河の戦線ではルーマニア第3軍とイタリア第4軍の戦線が、スターリングラードの南ではルーマニア第4軍の戦線が突破され、2方面から進撃したソ連軍は11月23日にはカラチで合流しました。このため、スターリングラードの周辺では第6軍と第4戦車軍の一部が包囲され、3個戦車師団、2個自動車化歩兵師団、14個歩兵師団が孤立し、B軍集団だけでなく東部戦線南翼全体が崩壊の危機に見舞われました。この危機に際して戦線の後方地区では、警察部隊をはじめとしてさまざまな部隊をかき集めて急遽編成された警戒部隊が防衛線の穴埋めとして投入されました。
第8警察連隊の各大隊は1942年8月にゴメリ(Gomel)に集結し、9月にはオストロフ~ヴェリーキエ・ルーキにかけての約200kmにわたる地域に移動しました。第8警察連隊もこの防衛戦に援軍として投入され、遥かに優勢なソ連軍との戦闘で1943年1月まで壊滅状態となりました。
その後第1大隊(第91警察大隊)の残余は1943年7月に第36警察狙撃兵連隊の第1大隊として編入されました。
1944年11月、新しい第8SS警察連隊がベーメン・メーレン保護領(チェコ)で再編成されることとなり、再編成のための兵員はハンガリーのドイツ系住民から召集され、連隊は4個大隊で編成される計画で、10月に解隊された第38警察狙撃兵連隊のハンガリー系とスロヴァキア系の兵員も連隊に編入されました。第38警察狙撃兵連隊の第1大隊から新しい第2大隊が編成され、ハンガリー系とスロヴァキア系の兵員からは第1大隊、第3大隊及び第4大隊の編成が開始されました。
1944年11月13日、第8SS警察連隊は編成が完了しないままDanovöldvaにあり、 12月5日には戦闘可能な1個大隊のみが第72軍団の指揮下に入り、軍団の戦線右翼で第271国民擲弾兵師団の1個連隊とともに防衛戦に投入されました。後の2個大隊は12月2日の時点でブタペストの西方、バラトン湖の北部地域でいまだ編成途中および訓練中という状態であり、第4大隊については結局1945年4月になるまで編成が完了しませんでした。
1945年1月、第8SS警察連隊は北部ドイツのオーデル河沿いの街、シュテチン(Stettin)へと送られ、新編成の第50SS警察連隊とともに「第610特別編成師団司令部」の指揮下に配属されました。1945年3月、連隊はオーデルベルク(Oderberg)近郊のオーデル河とフィノウ運河の合流点北側の防衛線に展開し、やはり第610特別編成師団に配属された第50SS警察連隊の一部や国民突撃大隊などとともに防衛線を構築しました。
第610特別編成師団の編成(1945年3月17日現在)
Division z.b.V. 610
第610特別編成師団司令部
第1610通信中隊
第8SS警察連隊
第1大隊
第2大隊
第10中隊
第50SS警察連隊の第1大隊
国民突撃大隊「ハンブルグ」(Hamburg)
国民突撃大隊「ケーニヒスベルク」(Königsberg)
2個建設中隊
第8SS警察連隊はその後3個大隊編成へと拡大され、第610特別編成師団は第3戦車軍のオーデル軍団に配属されてオーデル河の防衛に投入されましたが、シュベットからオーデルベルクにかけての戦線を守る軍団の他の部隊は、第1海軍師団とSS戦闘団「ゾーラ(SS Kampfgruppe Solar)」(シュベット要塞師団の残余)という有様であり、世にも恐ろしい寄せ集め集団でした。(笑
1945年4月の始め、第610特別編成師団は第1海軍師団と交代して北部のステチン地区へ移動しました。それと前後して第8SS警察連隊と第50SS警察連隊により第1SS警察猟兵旅団が編成されることとなり、編成の完了した第1SS警察猟兵旅団は直ちに第3戦車軍の第46戦車軍団に配属されました。
第1SS警察旅団
1.SS Polizei Jaeger Brigade
第8SS警察連隊(4個大隊)
第50SS警察連隊(4個大隊)
戦車猟兵中隊
通信中隊
1945年4月15日、ソ連軍によるベルリン攻略を目指した最後の大攻勢が始まると、4月20日~21日には第8SS警察連隊の戦区が突破され、第1SS警察猟兵旅団はたちまち圧倒されて第46戦車軍団とともに北西方向に後退しました。
4月24日の時点で連隊の残余はアンガーミュンデ(Angermuende)の北西約30kmのあたりまで後退していました。この時期の陸軍部隊の戦力と戦意は総じて低下していいましたが、その中でも民族ドイツ人、ハンガリー人、スロヴァキア人義勇兵の混成である第8SS警察連隊はもはや戦闘には適さないと評価されました。なお、第8SS警察連隊の第4大隊は1945年4月になってからやっと編成が完了したものの編成後すぐに壊滅してしまったようです。
2002.1.23 新規作成
2002.2.13 一部改定
2004.10.1 改訂版
2008.8.15 改訂2版
2017.5.20 修正・追記
2018.9.30 修正・追記
2020.7.4 改訂3版