泡沫戦史研究所/ドイツ治安警察部隊史/警察連隊について

第6SS警察連隊
SS-Polizei Regiment 6

 連隊は1942年7月、南方軍集団後方地域司令部(Korück103)に配属されていた第82警察大隊、第311警察大隊及び第318警察大隊を連隊の第1、第2及び第3大隊として編入し、第6警察連隊としてキエフ地区で編成されました。連隊は高級SS及び警察指導者「南部ロシア及びウクライナ」の指揮下で治安維持任務に従事しましたが、各大隊は各地の保安師団に分散配置されていました。


第6警察連隊
Polizei Regiment 6

連隊本部
第1大隊(第82警察大隊):第454師団
第2大隊(第311警察大隊):第444保安師団
第3大隊(第318警察大隊):第213保安師団


 1942年11月19日、ドイツB軍集団の伸びきった側面、弱体な同盟軍の戦線を狙ってソ連軍の反撃が開始されました。ドン河の戦線ではルーマニア第3軍とイタリア第4軍の戦線が、スターリングラードの南ではルーマニア第4軍の戦線が突破され、2方面から進撃したソ連軍は11月23日にはカラチで合流しました。このため、スターリングラードの周辺では第6軍と第4戦車軍の一部が包囲され、3個戦車師団、2個自動車化歩兵師団、14個歩兵師団が孤立し、B軍集団だけでなく東部戦線南翼全体が崩壊の危機に見舞われました。この危機に際して戦線の後方地区では、警察部隊をはじめとしてさまざまな部隊をかき集めて急遽編成された警戒部隊が防衛線の穴埋めとして投入されました。
 
 第6警察連隊もこの防衛戦に投入されましたが、断片的な情報のみで戦闘の状況ははっきりとしません。連隊の第1大隊は12月16日までドン河沿いのデレソフカの町を陸軍の戦車猟兵部隊とともに防衛しており、デレソフカの町から撤退後はミトロファノフカ(Mytrofanivka)で第14警察連隊の残余とともに戦闘団「グリム」(Kampfgruppe Grimm)を編成しており、12月25日の時点で戦闘団「グリム」は総統護衛大隊GDの戦闘団に配属されていましたが、はたしてどれほどの戦力を保持していたかは不明です。
 連隊の第3大隊(第318警察大隊)は、11月末から12月始めにかけてロソシで増援部隊として第27戦車師団の戦闘団に配属され、第127戦車猟兵大隊(第3中隊欠)とともに戦闘団「ラハニット」を編成し、12月9日未明からボグシャール方面へ移動を開始しました。12月16日早朝から開始されたソ連軍による攻撃に対して戦闘団「ラハニット」はフィロノヴォ付近で戦闘団「メンペル」と共に防衛戦を展開し、12月16日昼過ぎからは新たに戦闘団「シュルツ」が編成され、ドゥヴォビコフ付近での防衛戦に投入されましたが、大隊も戦闘団「ラハニット」から引き抜かれて戦闘団「シュルツ」に増強されました。


戦闘団「シュルツ」(12月16日現在)

第140機甲擲弾兵連隊の第2大隊(旧戦闘団「メンペル」)
第127戦車猟兵大隊の第3中隊(旧師団本部戦闘団)
第127機甲砲兵連隊の1個中隊(旧師団本部戦闘団)
第6SS警察連隊の第3大隊(旧戦闘団「ラハニット」)
第19高射砲連隊の第3中隊(旧師団本部戦闘団)


 第6警察連隊は遥かに優勢なソ連軍との戦闘で壊滅状態となり、1943年1月中頃にはクビヤンスク(Kupyansk)で第14警察連隊及び第6警察連隊の残余に第15警察連隊の残余も加わり戦闘団「ヨースト」(Kampfgruppe Josten)が編成されましたが、戦力的には甚だ疑問であり後退してくる部隊残余や兵員を受け入れるための一時的な処置であったと思われます。
 その後各警察連隊の残余は前線から引き揚げられ、本格的な休養と再編成のために順次後方に移動してゆくこととなり、1943年3月に第6SS警察連隊はゴッテンハーフェン(東プロイセン)へと帰還しましたが、第6警察連隊の連隊本部は第14SS警察連隊の再建のために編入され、連隊は解隊されました。

 1944年10月、新しい第6SS警察連隊がハンガリーで再編成されることとなり、第1SS警察連隊の第2大隊(第3警察大隊)と第3大隊が、新しい第1大隊及び第2大隊として編入されました。第3大隊と第4大隊が新編成されることとなり、ハンガリーのドイツ系住民を招集して編成される予定でしたが、結局戦闘に参加することはありませんでした。


第6SS警察連隊
SS Polizei Regiment 6

連隊本部
第1大隊(第3警察大隊:第1SS警察連隊第2大隊より)
第2大隊(第1SS警察連隊第3大隊より)
第3大隊(ハンガリーの民族ドイツ人とハンガリー義勇兵により新編成)
第4大隊(ハンガリーの民族ドイツ人とハンガリー義勇兵により新編成)


 1944年11月2日、第6SS警察連隊はハンガリーとクロアチアの国境線付近において機甲擲弾兵師団「ブランデンブルク」と肩を並べて戦闘に参加しました。
 1945年1月29日、連隊の4個大隊は南方軍集団の命令によりブダペストを離れてユーゴスラヴィアの第2戦車軍戦区へと移動し、3月~4月にかけて連隊の3個大隊は第22山岳軍団戦区で最初はスタイヤー戦隊(Gruppe Steyrer)に、その後は第16SS機甲擲弾兵師団に配属されて戦線に投入されました。
 1945年4月末、第6SS警察連隊は戦闘団「Rösener」(Kampfgruppe Rösener)に配属され、スロベニア~オーストリア国境地帯のマールブルク・アン・デア・ドウラ(Marburg an der Drau)~ドラボグラード(Dravograd)地区で占領任務に従事していました。


2001.8.16 新規作成
2004.9.20 改訂版
2007.10.21 改訂2版
2008.8.15 改訂3版
2018.9.27 改訂4版
2020.7.2 改訂5版
2023.8.25 一部修正
2023.11.20 一部修正

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