泡沫戦史研究所/ドイツ治安警察部隊史/警察連隊について

第26SS警察連隊
SS Polizei Regiment 26

 ノルウェーには1941年から警察連隊「北ノルウェー」と警察連隊「南ノルウェー」の2個連隊が駐屯しており、この2個連隊が1942年7月に警察連隊の増設に伴いそれぞれ第26警察連隊と第27警察連隊として再編成されました。
 第26警察連隊の第1大隊から第3大隊には旧警察連隊「北ノルウェー」の3個大隊である第251警察大隊、第255警察大隊及び第256警察大隊がそのまま編入され、最初の指揮官にはStrelow警察中佐が就任し、1944年まで連隊の指揮を執りました。


第26警察連隊

連隊本部
第1大隊(第251警察大隊)
第2大隊(第255警察大隊)
第3大隊(第256警察大隊)


 1943年2月24日、各警察連隊は名称のみが一斉に「SS警察連隊」(SS Polizei Regiment)と改称され、これに伴い第26警察連隊も「第26SS警察連隊」と改称されました。

 1943年5月初め、連隊はノルウェーから帝国領に編入されていたポーランド北西部の第20軍管区(ダンチヒ-西プロイセン)に移動し、第1大隊はSchneidemülに、第2大隊はAdlershorstに、第3大隊はThorn(Torun)にそれぞれ移動し、5月末にはドルトムント(Durtmund)及びフィヒテンヴァルデ(Fichtenwalde)から合計700名の若い警察官が補充されて東部戦線への出動準備が進められました。
 第26SS警察連隊の一部は6月の末に中央ロシアに送られてパルチザン掃討作戦に投入されましたが、一方で連隊の2個大隊は6月19日~7月6日の間は総督府のトマシュフ(Tomaszow)地区で活動しており、ザモシチ(Zamość)~ビウゴライ(Biłgoraj)地区で6月27日から7月11日の間に実施された「WerwolfⅠ&Ⅱ作戦」にも参加しました。

狼男(Werewolf) I-II作戦
 1943年6月27日~7月11日、総督府のザモシチ(Zamość)~ビウゴライ(Biłgoraj)地区(現ポーランド東部)でのパルチザン掃討作戦。この作戦ではKolpak将軍のパルチザン旅団掃討を目的としました。
作戦参加兵力:
第4SS警察連隊
第13SS警察連隊(第3大隊を除く)
第26SS警察連隊(第1大隊を除く)
第32警察狙撃兵連隊第1大隊(第252警察大隊)

 第26SS警察連隊は7月8日~7月25日の間はウクライナ西部のルーツク(Lutsk)~コベリ(Kovel)地区で活動しており、7月26日~8月11日には連隊の一部は総督府に編入されたガリチア地方のスタニスラーウ(Stanislau、現イヴァーノ=フランキーウシク)~ハンガリー国境地帯で活動し、同時に8月1日~8月10日の間にはウクライナのヴォルイーニ(Wohlhynia)地方での「Weichsle III作戦」に参加しました。

ヴァイクセル(Weichsel) III作戦
 1943年8月1日~8月10日、ウクライナ西部のヴォルイーニ(Wohlhynia)地方でのパルチザン掃討作戦
作戦参加兵力:
第4第SS警察連隊の一部
第12SS警察連隊第2大隊
第13SS警察連隊の一部
第26SS警察連隊の一部
第825(ボルガタタール)歩兵大隊
第102(コサック)騎兵大隊

 8月16日~8月20日にベラルーシ北部のビャウィストク(Bialystok) 及びフィボーカエ(Glebokie)で実施されたユダヤ人ゲットー撤去とユダヤ人移送作戦では第26SS警察連隊の第1大隊と第2大隊が従事しており、約10,000名のユダヤ人を総督府のトレブリンカ(Treblinka)収容所に移送しました。

 1943年9月、連隊の第1大隊は総督府(ポーランド南東部)のザモシチ(Zamość)地区~カルパチア山脈付近でのKolpak将軍のパルチザン旅団掃討作戦に参加し、10月には連隊の3個大隊がベラルーシ北部に終結して「ハインリッヒ(Heinrich)作戦」に投入されました。

ハインリッヒ(Heirich)作戦
 1943年10月25日~11月9日、ベラルーシ北部のドレトゥニ(Dretun)及びポロツク(Polotsk)東北~ラトビア国境地帯の森林と湿地帯でのパルチザン掃討作戦。この作戦にはクルト・フォン・ゴットベルクSS中将兼警察中将の戦闘団「フォン・ゴットベルク」(Kampfgruppe “von Gottberg”) や第3戦車軍の後方部隊が動員されたほか、北方軍集団戦区では戦闘団「イェッケルン」(Kampfgruppe “Jeckln”)が作戦に参加しました。
 この作戦でパルチザン5,452名が殺害され、住民約8,000名が強制労働に連行され、さらに約8,000名の住民が再定住のために強制移住させられました。
 ハインリッヒ作戦は11月14日まで実施される予定でしたが、10月初めに開始されたソ連軍の冬季攻勢によりネヴェリ(Nevel)地区で防衛線が突破されたため計画より5日早く11月9日までで中止され、戦闘団「フォン・ゴットベルク」と戦闘団「イェッケルン」はそのまま防衛戦に投入されました。第26SS警察連隊の3個大隊は下記部隊とともに「Wider地区」に配属され作戦に投入されました。


第26SS警察連隊第1大隊~第3大隊
第313(ラトビア)警察大隊
第316(ラトビア)警察大隊
1個警察戦車中隊
1個SD出動分遣隊
3個高射砲部隊
1個警察通信中隊
2個対戦車砲部隊


 この作戦でパルチザン5,452名が殺害され、住民約8,000名が強制労働に連行され、さらに約8,000名の住民が再定住のために強制移住させられました。ハインリッヒ作戦は11月14日まで実施される予定でしたが、10月初めに開始されたソ連軍の冬季攻勢によりネヴェリ(Nevel)地区で防衛線が突破されたため計画より5日早く11月9日までで中止され、戦闘団「フォン・ゴットベルク」と戦闘団「イェッケルン」はそのまま防衛戦に投入されました。
 1944年1月16日~2月10日、第26SS警察連隊は戦闘団「イェッケルン」に配属されて第16軍/第43軍団の第263歩兵師団戦区で防衛戦に投入されており、2月14日~3月7日の間も引き続き戦闘団「イェッケルン」に配属されて第16軍/第6SS軍団の第83歩兵師団戦区で防衛戦に投入されました。

 1944年4月、第26SS警察連隊は北方軍集団戦区から離れ、ベラルーシでのパルチザン掃討作戦に再び投入されました。

春祭り(Frühlingsfest)作戦
 1944年4月16日~5月12日、ポラツク(Polotsk)近郊のウシャチ(Ushachi)地区でのパルチザン掃討作戦。「にわか雨(Regenschauer)作戦」作戦の直後に開始され、第16軍の後方部隊がポロツク地区の南と西から第3戦車軍の後方部隊に向かってパルチザン部隊を追い込みました。
 この作戦ではSS戦闘団「フォン・ゴットベルク」を含む「にわか雨(Regenschauer)作戦」参加部隊の他にさらに大兵力が招集され、パルチザン部隊は激しく抵抗しソ連空軍も航空攻撃と大規模な空輸により支援し、ドイツ軍も空軍のシュツーカと多数の警察及び武装SS部隊を投入し、第95歩兵師団がパルチザン部隊の撃破に成功しました。
 パルチザン部隊の損害は戦死、捕虜、負傷者14,000名に上り、3,000名以上がオルシャ地域へと脱出したものの、ポラツク南部地域からはパルチザン部隊が一時的に一掃されました。
作戦参加兵力:
第2SS警察連隊
第24SS警察連隊
第26SS警察連隊
第31警察狙撃兵連隊第3大隊
第36警察狙撃兵連隊第1大隊
第286保安師団第64保安連隊
第330国土防衛大隊
第350保安大隊
カミンスキー旅団第1連隊
カミンスキー旅団第5連隊
カミンスキー旅団護衛大隊
第56(ウクライナ)シューマ大隊
第62(ウクライナ)シューマ大隊
SS連隊「ディルレヴァンガー」
第5ラトビア国境防衛連隊
第2ラトビア義勇警察連隊
第3ラトビア義勇警察連隊
第201保安師団

 1944年7月、第26SS警察連隊はベラルーシ西部でドイツ軍中央軍集団の崩壊による後退戦の中で壊滅しました。連隊の残余は1944年8月からWeissing警察中佐が指揮を執り、北イタリアの南チロル地方に送られて新編成の警察連隊「ブリクゼン」の基幹要員として編入され、公式には1944年11月に解隊しました。


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