第22SS警察連隊
SS Polizei Regiment 22
連隊は1942年7月、警察連隊「ワルシャワ」(Polizei Regiment Warsaw) の連隊本部要員を引き継いで第22警察連隊(Polizei
Regiment 22)として編成されました。連隊に配属の各大隊はそれまでの大隊に替わり、第41警察大隊と第53警察大隊が新しい第1大隊と第2大隊として配属された他、Zamosz、ルブリン(Lublin)、クラクフ(Cracow)の各都市に駐屯していた警察中隊を編入して第3大隊が新しく編成されることにました。
しかし新編成の第3大隊については編成が遅れ、1943年1月23日になってやっと編成が完了しました。連隊の第1大隊と第2大隊は1942年中はワルシャワに駐屯していましたが、1943年2月には第1大隊はルブリンに駐屯し、第2大隊と第3大隊がワルシャワに駐屯していました。
第22警察連隊
Polizei Regiment 22
連隊本部
第1大隊(第41警察大隊)
第2大隊(第53警察大隊)
第3大隊
1943年2月24日、各警察連隊は名称のみが一斉に「SS警察連隊」(SS Polizei Regiment)と改称され、これに伴い第22警察連隊も「第22SS警察連隊」と改称されました。
1943年4月中旬からワルシャワゲットーのユダヤ人移送作戦に連隊の2個大隊が動員されましたが、4月19日からゲットーのユダヤ人抵抗組織との戦闘となり、武装SSと警察部隊約2,000名がゲットーを包囲し、ゲットー内と周辺部での掃討作戦は5月末まで展開されました。
ワルシャワゲットー蜂起の鎮圧部隊(1943年4月19日)
・武装SS補充・訓練大隊×2個大隊
・第22SS警察連隊の2個大隊
・トラヴニキ労働収容所のウクライナ人民兵大隊
・保安警察分遣隊
・総督府のポーランド人警察官及びポーランド人消防隊
・フランス製軽戦車(砲なし)及び装甲車若干数
・軽高射砲1個中隊(4月20日から増援)
・迫撃砲小隊(4月20日から増援)
ワルシャワゲットー内では56,065名が拘束され、うち7,000名がその場で射殺、6,929名がトラヴニキ(Trawniki)労働収容所に移送後に銃殺され、42,136名はルブリンのマイダネク強制収容所(Maidanek)、トラヴニキ(Trawniki)及びポニャトバ(Poniatowa)労働収容所へ移送されましたが、11月の「収穫祭(Erntefest)作戦」で全員銃殺されました。その他にゲットー内に隠れていた5〜6,000名が捜索により銃殺又は放火により焼死しました。
収穫祭(Erntefest)作戦
1943年11月3日〜4日、トラヴニキ(Trawniki)及びポニャトバ(Poniatowa)労働収容所からユダヤ人収容者をルブリンのマイダネク強制収容所(Maidanek)へと移送するとともに大量射殺が行われました。
11月3日、マイダネク強制収容所ではユダヤ人収容者8,400名、トラヴニキ労働収容所及びポニャトバ労働収容所から移送された収容者、工場から呼び戻された外部作業班を含めてユダヤ人10,000名が射殺され、1日で18,400名が射殺されて「血の金曜日」と呼ばれました。翌11月4日もポニャトバ労働収容所では銃殺が続き14,500が殺害され、2日間で合計4万名以上が犠牲となりました。
第2SS警察連隊はトラブニキ(Trawniki)及びポニャトバ(Poniatowa)労働収容所からルブリンのマイダネク強制収容所(Maidanek)への移送と射殺任務に従事しました。
作戦参加兵力:
第2SS警察連隊
第22SS警察連隊第1大隊(第41警察大隊)
第25SS警察連隊第2大隊(第67警察大隊)
第25SS警察連隊第3大隊(第101警察大隊)
ウクライナ人特別部隊
1944年6月22日、ソ連軍の「バグラチオン」作戦により中央軍集団の戦線が破られると第22SS警察連隊は一旦ワルシャワに集結後、7月からは東部戦線への増援部隊としてベラルーシに送られました。連隊は中央軍集団戦区で警察戦闘団「フォン・ゴットベルク」に配属されましたが、ミンスク西方のナリボキ(Nalibocki)森林地帯での戦闘で壊滅しました。
警察戦闘団「フォン・ゴットベルク」(1944年7月14日現在)
Polizei Kampfgruppe “von Gottberg”
第2SS警察連隊
第17SS警察連隊
第22SS警察連隊
第31警察狙撃兵連隊
第36警察狙撃兵連隊
連隊の残余は7月12日付けで第2SS警察連隊に編入され、第22SS警察連隊は1944年12月21日付けでダンチヒにおいて正式に解隊されました。
2003.5.13 新規作成
2004.10.1 改訂版
2023.9.3 改訂2版