第1SS警察連隊
SS-Polizei Regiment 1
連隊は1942年7月、既存の第2、第3及び第10警察大隊を、連隊の第1、第2及び第3大隊として編入し、ベルリンにおいて第1警察連隊として編成されました。といっても連隊に編入される予定の3個大隊は、この時点ですでにそれぞれ別々の地域に出動しており、第1大隊(第2警察大隊)は1941年からロシア戦線の北方軍集団に派遣されており、高級SS及び警察指導者「北部ロシア」に配属されていました。
第2大隊(第3警察大隊)は1941年からロシアでSD(SS保安情報部)の指揮下で4個独立中隊として運用されており、各中隊は特別行動隊(Einsatzgruppe)B、C及びDにそれぞれ配属されていました。
第3大隊(第10警察大隊)は1942年1月からユーゴスラビアで増大するチトーのパルチザン勢力に対抗するために北スロベニアのドイツ本土への併合地域であるオーバークライン(Oberkrain)地方に派遣されており、第171警察大隊及び第181警察大隊とともにライバッハ(Laibach/Ljubljana)及びクラインブルク(Krainburg/Kranj)地区に駐屯していました。
第1警察連隊
Polizei Regiment 1
連隊本部
第1大隊(第2警察大隊)
第2大隊(第3警察大隊)
第3大隊(第10警察大隊)
1943年2月24日からは各警察連隊の名称に「SS」が追加されて一斉に「SS警察連隊」(SS Polizei Regiment)と改称され、これに伴い第1警察連隊も「第1SS警察連隊」と改称されました。
1943年3月、連隊の第1大隊(第2警察大隊)及び第3大隊(第10警察大隊)は東部戦線で大損害を被り再建中のSS警察連隊「グリーゼ」(SS
Polizei Regiment”Griese”)に編入されることとなり、南フランスのマルセイユへと移動しました。
一方第2大隊(第3警察大隊)の第1中隊は1943年1月にリガ(ラトビア)で第57シューマ大隊編成時のドイツ人基幹要員として編入され、その他の中隊(第2、第3、第4中隊)はSDに配属されたまま南部ロシアに派遣され、Maerish-Ostrau地区に駐屯しました。
1943年6月には第2大隊は新編成の第36警察狙撃兵連隊の第1大隊として編入され、ベラルーシなどでパルチザン掃討作戦に従事しましたが、第36警察狙撃兵連隊は中央軍集団の崩壊と後退戦の過程で事実上壊滅状態となり1944年8月30日付けで解散され、連隊の残余は第2SS警察連隊に吸収されました。しかし連隊の第1大隊となっていた旧第1SS警察連隊第2大隊(第3警察大隊)は第2SS警察連隊には吸収されず、1944年10月~11月にハンガリーのブタペストへと移動した模様ですが、詳しい事情は不明です。【補足-1】
1944年8月、バラバラになった旧連隊に代わり新たな第1SS警察連隊がハンガリーで再編成されることとなり、連隊本部は「特別編成警察連隊」の連隊本部が充てられ、第1大隊には第12SS警察連隊の第2大隊(第104警察大隊)が、第2大隊には第20SS警察連隊の第2大隊が、第3大隊には第21SS警察連隊の第3大隊に編入されました。
第1SS警察連隊
SS Polizei Regiment 1
連隊本部:特別編成警察連隊より
第1大隊:第12SS警察連隊第2大隊(第104警察大隊)より
第2大隊:第20SS警察連隊第2大隊より
第3大隊:第21SS警察連隊第3大隊より
しかし連隊の再編もつかの間、10月にはハンガリーで第6SS警察連隊が再建されることとなり、連隊の第2大隊と第3大隊は第6SS警察連隊の第1大隊と第2大隊として引き抜かれてしまいました。その後ブタペストでハンガリー在住の民族ドイツ人により2個中隊が編成され、この2個中隊により第2大隊が「半個大隊」(Halb-Battalion)として新編成されました。連隊を構成したのは元々33歳~45歳のドイツ人警察官でしたが、この頃にはドイツ人は下級指揮官を中心として約20%で残りはハンガリー在住の民族ドイツ人とオーストリア人で占められました。
包囲戦が始まるまでに連隊は3個大隊に拡大されており、セーケシュフェヘールバール(Székesfehérvár)地区で編成された最後の大隊が到着したのはブダペストが包囲される数日前のことでした。各中隊の戦力は様々で、100名~130名程度の中隊もあればかつての面影をとどめないまで消耗した中隊もありました。
なお、第1大隊に編入されたはずの「第104警察大隊」は1944年5月に北イタリアに移動している模様で、実際にどの大隊が第1大隊として編入されたかは謎です。一つの可能性としてブタペストに移動した第3警察大隊が編入された可能性がありますが、確かな証拠は発見できていません。
ソ連軍がブタペストに迫ると第1SS警察連隊は第6SS警察連隊及び第12警察戦車中隊とともにブタペスト防衛戦に投入されました。連隊は1944年12月2日から12月22日までは第22SS義勇騎兵師団「マリアテレジア」に配属されており、12月27日から1945年1月26日にかけても引き続き第9SS山岳軍団に配属されてSS騎兵師団とともにブタペスト南東の郊外での防衛戦に投入されました。
12月27日までに第22SS義勇騎兵師団「マリアテレジア」の部隊はAttila防衛線の中間陣地であるショロクシャール(Soroksár)(23区)~Soroksárpéteri~Pestszentimre(18区)北側の防衛線に後退し、郊外のジャール(Gyál)地区とヴェチーシュ(Vecsés)地区は放棄されました。翌12月28日にソ連軍は第3戦車旅団で増強された第68親衛狙撃兵師団の部隊がPestszentimre(18区)を占領し、第22SS義勇騎兵師団はPestszenterzsébetまで後退してしまいました。この日の戦闘で第1SS警察連隊は小銃弾7,200発、機関銃弾12,400発、機関短銃弾815発、小銃榴弾55発、パンツァーファウスト7発、迫撃砲弾181発を消費したと記録されています。
12月29日には連隊の第1大隊の守る前線は2両の装甲戦闘車両に支援されたソ連軍第66親衛狙撃兵師団の約200名の部隊の攻撃を受けました。攻撃はPestszentlorinc(18区)~ショロクシャール(Soroksár)(23区)への道路沿いに突破となり、予備部隊となっていた連隊の第2大隊はPestszenterzsébet地区の入口で112高地方面からの攻撃に対して防戦に努めましたが、街の前面の塹壕を占領されました。しかしドイツ軍は即座に反撃して2両の装甲戦闘車両のうち1両を交差点で擱座させるなど、大きな損害を与えてソ連軍を撃退しました。
1944年12月末の時点で連隊の第1大隊と第2大隊は第22SS騎兵師団「マリアテレジア」の戦区に配属され、第3大隊は第10中隊がRakosszentmihaly地区に、第9中隊がCsepelの南に配備された他は壊滅した部隊残余から編成された「予備隊」(約35名)がブダ地区で待機しており、1月6日にはペスト地区に急派されました。1月の第1週には第1大隊は第3大隊の残余とともにブダ地区に移動し、橋頭堡北西部のLátó-hegy(II区にある標高376m)の丘とその南側に配備されました。連隊の他の部隊はペスト橋頭堡が放棄されるまでペスト地区で戦い、ブダペストの陥落と共に壊滅しました。
第1SS警察連隊は1945年3月12日付けで正式に解隊され、包囲外に在った連隊の残余は3月16日付けでSS警察旅団「ヴィアト」の第29SS警察連隊へと編入されました。SS警察旅団「ヴィアト」(SS Polizei Brigade “Wirth”)は4月6日付けで武装SSに移管され、第35SS警察擲弾兵師団へと拡大された際には、さらに第89SS警察擲弾兵連隊へと改称されました。
【補足-1】
前回の改訂2版では『第2大隊(第3警察大隊)は1943年6月に第36SS警察狙撃兵連隊の第1大隊として編入されることも計画されましたが、7月に計画は変更され代わりに第8SS警察連隊第1大隊の残余が編入されました。』としていましたが、第8SS警察連隊第1大隊が編入されたのは第38警察狙撃兵連隊が正当で、誤認がありましたので修正しています。
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2001.8.16 新規作成
2002.2.12 一部改定
2004.6.17 一部改定
2007.10.21 一部改定
2008.8.15 一部改定
2010.1.19 一部改定
2011.1.15 改訂2版
2018.6.24 改訂3版
2021.12.7 ブダペストの戦闘を追記