第49SS機甲擲弾兵旅団
SS Panzergrenadier Brigade 49
1943年11月17日、予想される連合軍の大陸侵攻への予備兵力としてSS戦闘団「I」(SS Kampfgruppe "I")から「IV」(SS
Kampfgruppe "IV")までの4個戦闘団の編成が開始されました。これらの戦闘団の編成は兵員や機材の不足によりなかなか進みませんでしたが、1944年6月6日のノルマンディ上陸作戦により戦況はにわかに緊迫化し、6月11日にはSS戦闘団「I」にもデンマークへの移動命令が発令され、デンマークの北海沿岸のエスビエルグ〜ブルムス地区に展開してユトランド半島南部の防衛任務に就きました。その後6月18日にはSS戦闘団「I」は第49SS機甲擲弾兵旅団と改称されましたが、その兵力は約4,000名程度となっていました。
これらの4個SS戦闘団の編成にあたってはSS下士官学校「ラドルフツェル」、SS第9教育補充機甲擲弾兵大隊、SS下士官学校「ラウエンブルク」および「ライバッハ」その他非ゲルマン系SS部隊などからの人員を基幹要員としていました。このうち第49SS機甲擲弾兵旅団(元SS戦闘団「I」)の第2大隊はドレスデンの近郊、ヘレラウの警察武器学校(警察下士官学校とする資料もある)の警察補充大隊から編成されており、治安警察部隊とも深い縁がありました。
第49SS機甲擲弾兵旅団(1944年6月11日現在)
SS Panzergrenadier Brigade 49
第1大隊:SS大隊「ロイテン」(将校14名、下士官114名、兵778名)
第2大隊:警察武器学校の1個大隊(将校13名、下士官125名、兵738名)
第3大隊:SS下士官学校「ラドルフツェル」の警戒大隊
(将校14名、下士官120名、兵680名、エストニア義勇兵による重装備中隊を含む)
SS第49砲兵大隊:ベネシャウSS砲兵学校第2教育訓練補充大隊より
オートバイ小隊:エルヴァンゲンSS機甲偵察教育補充大隊より
無線通信小隊:ニューレムベアクSS通信教育補充連隊より
高射砲中隊:37mm高射砲装備、ミュンヒェンSS高射砲教育補充連隊より
工兵中隊:ドレスデンSS第1工兵教育補充大隊より
自動車輸送中隊:ウィーンSS自動車輸送学校より
1944年8月12日、「第49SS機甲擲弾兵旅団」とSS戦闘団「III」から改編・改称され同じくデンマークにあった「第51SS機甲擲弾兵旅団」には西部戦線への移動命令が下りましたが、両SS機甲擲弾兵旅団は兵力秘匿のため「SS第26戦車師団」と「SS第27戦車師団」に改称されました。両SS旅団は8月24日からパリ南東のセーヌ河沿いの戦線で防衛戦闘を展開し、大損害を出しながらも北東へ撤退しながら遅滞戦術を継続しました。その後8月30日にはヴェルダンに到着、9月にはメッツ北西での防衛戦に参加しましたが、最終的に両SS旅団の残存兵力はSS第17機甲擲弾兵師団「ゲッツ・フォン・ベアリッヒンゲン」に補充兵力として吸収されました。
ヘレラウの警察武器学校から編成されたSS第49機甲擲弾兵旅団の第2大隊は、SS第38機甲擲弾兵連隊の第2大隊として再編成・編入されました。
参考資料
「アーマーモデリング2001年4月号SS最貧師団列伝第21話」(大日本絵画)
2002.8.22 新規作成