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sleepie's running through art 20c.
 2000年以前に見た展覧会などの記録。2000年も20世紀のうちなのに、別にページがあるのはずるいとか、題名に偽りがあるとか、言いたい向きもあるかもしれませんが、それはそちらで適当に言っててください。

 sleepieに物心っちゅうものがついてくるのが、1960年代後半以降なので、「20c.」といいながら、後半1/3もないではないかと言いたい向きもあるかもしれませんが、それもそちらで適当に言っててください。

 知人某から「1987年4月から1989年12月までの回想録」をリクエストされたんだが、えらく細かく限定された要望で、応えられるかどうかもわからないが、まあ、ぼちぼち行くわ。

1970年>大阪

  • 万国博覧会(万博)
    • 1973年のモネ展について先に書いてしまったんだが、博覧会といえば万博は確かに強烈だった。美術展もあったらしいが、それは行ったかどうかも実は良く憶えていない。
    • 私は万博の開会式のテレビ放送を幼稚園で見て、小学校に入学してから何回か会場に行ったんだったと思う。多分。
    • 万博には何よりも「アポロ11号」を見に行ったんである。他はおまけであった。若い人は知らんかもしれんが、人類は月まで行ったんである。今から見れば信じられないちゃちなコンピュータと、しょぼい機械で、行って帰ってきたんである。当時の私は毎日、新聞の天気欄の横の「アポロ欄」をスクラップしてたくらいに、はまってたのである。で、空気圧で膨らましてあるという天井のアメリカ館へ行ってみたら、コンパニオンのおネエちゃんが、司令船(円錐形のやつね)を指して、「これが月に降りて、帰ってきたんです」などと説明しやがる。違うんだ。それは周回軌道で着陸船を待ってたんで、着陸船は地球に帰ってきてないんだよお、と抗議しようとしたが「立ち止まらないでくださーい」という流れに負けてしまって、未だに不満を抱いているんである。私がわざわざこんなところで言うこともないことを棚に上げて、はっきり言っとくが、司令船は月には着陸してません!
    • 最近は《太陽の塔》が人気であるが、当時は未来志向の会場に、なんであんなダサいもん建てるのよっちゅう感じだった。その《太陽の塔》を見ずに済むのが、塔の中の展示であった。後に国立民族学博物館の基礎になったのが、このときの展示品だったのではないかと思うが(全然違うかもしれない)、アフリカの仮面など、見たような記憶がある。生命の樹もなんとなく覚えている。
    • しかし結局、一番印象に残っているのが、西ドイツ館で食べたケーキだったりする。洋酒をきかせたケーキなんてものを、ほとんど初めて食べたせいだったのか、本当においしかったのか、良くわからんが、あれはうまかったんだよ、うん。
    • 西ドイツは音楽の国なんだとか、フランスはしゃれてるけど内容が無いようとか、オーストラリア原住民の武器はブーメランだとか、他にも色々感想もあり、知識も仕入れたが。

1973年>京都

  • モネ展
    • 京都市美術館
      • それ以前にも展覧会には行ってたはずなのだが、自分で意識してものを見たという記憶が一番強く残っており、当時も影響を受けた最初の展覧会がこれであった。当時の記録を見ると、開催期間は5月19日から6月26日までとなっており、油彩65点で構成されていたそうである。西武百貨店、京都、福岡県文化会館と巡回したらしい。残念ながらカタログは買わなかったらしく、出品作品などははっきりわからないが、《印象・日の出》や《ルーアンの聖堂》連作が3、4点展示されていたはずである。ルーアン聖堂の連作も強く覚えているが、それよりも《積わら》である。《ジヴェルニーの日の当たる積わら》(1884)が出品されていたらしいが、何が描かれているのか、さっぱりわからないことに、大変強い衝撃を受けた。本当に何が描いてあるかわからず、家に帰ってから画集を借りてきて模写したくらいである。模写しても何が何だかわからなかった。何だかわからずに模写するっつうのも、何だかもうしっちゃかめっちゃかなわけだが。当時の私は、実はあんな風に積まれている積み藁の実物を見たことがなかったということもあるのだが、それにしてもあそこまで何だかわからない絵というものがあることを初めて知ったのであった。モネが弁当持参で日がな一日積み藁を眺め続け、農民から狂人よばわりされたというエピソードも、それなりにグッとくるものはあったものの、あのわからなさの前では何の説明にもならなかった。因みに、カンディンスキーも、モネの《積み藁》を初めて見たとき、何がなんだかわからなかったという話を知り、親近感を覚えるのは、かなり後年の話である。当然のことながら、カンディンスキーが感じたわからなさと、私の感じたそれが、同じものであると言う保証はまったく無いのであるが。
      • これがきっかけで、美術全集を借りて見て、自分でも欲しくなって親にねだって買ってもらい始め、まあこんなことになってるわけで、あれから30年か。年だけ取って、大したことないな、ホント。
  • 徳岡神泉遺作展
    • 京都市美術館
      • モネ展を見に行ったら、隣でやってたんで、ついでに見たという感じでしたね、当時は。会期は5月20日から6月10日だったそうです。52点出品されてたそうで、小鹿とか覚えてますけど、さすがモネを見た後では特筆すべき感興を催すこともなく、疲れてたし。いや、それよりも、モネの、というよりも西洋絵画の光の描写と空間把握のあり方と、日本画の平板な空間を対比してしまい、後者を異様なものと感じてしまったんですね、当時。おかげでマネなども長いこと、気持ち悪いから忘れられない作家になっておりました。

1973年>京都

  • ボナール展
    • 大丸京都店7階特別会場
      • 記録を見ると、11月15日から27日までという、えらい短い会期だったようだ。ボナールの絵自体は、輪郭線のはっきりしないぼやけた印象で、世評に言われるほど色彩も鮮やかだとか豊かだとか感じることができず、あまり好きになれなかったのだが、それゆえに印象に残ってしまっているのだから、皮肉というべきか。油彩画よりむしろ素描において、線描だけで対象をとらえる画家の力を強く感じたのを覚えている。

1977年>京都

  • ヴァン・ゴッホ展 オランダ国立ヴァン・ゴッホ美術館所蔵
    • 京都国立近代美術館
      • 見たはずなんだけど、77年だったら、多分「ゴッホ、ああ、若いときにはまったね」という、それこそマセた感じだったような気がする。会期は1月6日から2月20日だったらしい。

1985年>京都

  • ラデカルな意志のスマイル
    • ギャラリー16
      • 写真を使う作家3人のグループ展でしたが、何と言っても森村泰昌がゴッホの作品に扮した作品を初めて発表したのがこの展覧会で、見た途端にびっくりもし、笑いもし、これはすごいものであると思いました。その後の森村氏の活躍までは想像しませんでしたが。
      • 石原友明さんの作品は、自分の姿をキャンバスなどにプリントした系統のもので、それまでにも見たことがあったため、初見のインパクトのようなものは無かったかもしれない。

つづく……かも


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