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sleepie's running through art 2002

2002年に見た展覧会などの記録をまとめています。

取りあえず280件ほどは見た(横浜トリエンナーレとかヴェネツィア・ビエンナーレとか1件カウントで良いのかとか、まあそういうことは措いとくとして)昨年に引き続いて、展覧会を見て歩くぞと意気込むが、しかし280という数字だけを見れば、過去に比べてそれほど歩けてもいないような気もし、やはり年には勝てないのかとあきらめつつ、ぼつぼつ行こうと思いますが、さて、どうなることでしょうか。

1月2日>京都

  • 広隆寺
    • 毎年のことだが、初詣は蚕の社と広隆寺へ行くのである。三柱鳥居や弥勒菩薩をはじめ、ありがたい仏様を拝むのである。

1月14日>伊丹、神戸、大阪

  • マクシム・デュカン展
    • 伊丹市立美術館
      • 写真というメディアの記録という特性と、表現という面の齟齬のようなものを感じたり、おそらく撮影者は過去の歴史を云々すること以上に、それに対峙する自分に酔いながら撮影してるんだろうな、というのは、対象を客観的に記録した映像である以上に、撮影者の曖昧な主体性(芸術としての写真を目指している風でもないところが)を感じさせてしまうからなのだが、それも筆者が「凡庸さ」をめぐる書物をのぞき込んでしまった故の感想かもしれず、文章がそれっぽくなってしまった。
  • 日比野克彦
    • 神戸ファッション美術館
      • 80年代に何だかわかんないなーと思いながら見てて、その頃の作品も含めて今回まとめて見ることができたわけだが、やっぱり何だかわかんないなーという感想なのである。学生が課題まとめてるみたいに見えるんだけど、それはこの人の真似をする学生が増えたからなのだろうか。
  • 日下部一司
    • 信濃橋画廊
      • いろいろな傾向の作品を、同時に展示している。一枚のハガキで、書いては消し書いては消しして続けた文通とか、古典的な技法による写真とか。個々の作品での実験(?)と、それが集まって展示されたときの分裂した感じとのおかげで、面白いと思ったものの、ちゃんと覚えられず、感想が焦点を結ばないのは、難なのか狙いなのか(多分狙いではないと思うが)。
  • 政木貴子展
    • 信濃橋画廊apron
      • 銅版画。版を不定型に切りぬいて、単色をベタっと刷った面と、細かい傷や細い線の走る部分とを対比させて見せている。ベタ面は、機械で荒らしているらしい。マチエールが独特だが、全体の形には研究の余地があるか。
  • 堀口研介 第7回個展 The GREAT CONQUEST
    • 信濃橋画廊5
      • 作家は、見た所ヤンキーな兄ちゃんである。ずっとバイクいじってたとか言うてるし。鉄の部材で構成された、人型が4体。足が4本のも居たから、人とも限らないのだが。一体の手がノミを打ち付ける動きをして、音を立てるようになっている。しかし、振り子を利用して連続的に動かす意図らしいが、うまく動いていない。

1月19日>和歌山

  • 和歌の浦の丘
    • 高津子山
      • 藤本由紀夫によるレクチャーとワークショプ。

1月24日

  • ここでぎっくり腰になり、しばらく動きが止まる。いててて。

2月2日>滋賀、大阪

  • 星野暁
    • 滋賀県立近代美術館
      • 単に土を押して、指の形を残しただけの造形が主でありますが、その行為の反復が集積すると、単純と考えられる行為が複雑怪奇なものに変容してしまうという事態を現出させるという荒技とでも言いましょうか。とりあえず展示が大変だろうこれ、という現場的な感想が前面に出てしまうのを押さえられないが、単に大変ということが評価の対象になるわけでないのは当然としても、ある種の大変さを造形として見せてしまうことによる効果もあるかもしれない。展示としては、もう少し作品を減らして、集中して見せる手もあったとは思うが、逆に量で圧倒しつつ、量に意味を持たせるようなやり方というか。腰の痛いのを押して行って良かったなあ。早くも今年のベストの一つと予感させる。
  • シマダタモツ展
    • 番画廊
      • CGのプリントアウトの上に、透明なメディウムなどをプリントしたような、上下左右対称の図形による作品。
  • 閉廊パーティー
    • ギャラリー白
      • 22年にわたって大阪、あるいは関西での若手美術家の重要な発表の場所であったギャラリー白が閉じるというので、パーティーに寄った。画廊主は何もせず淡々と閉じる積もりだったのかもしれないが、有志による催しをやることになったらしい。若い(20才そこそこ)人間もいるようだが、主力は30代後半以上の世代か。それより若い人たちって、どこで何をしてるんでしょうね。堀尾貞治のパフォーマンスやら、中西學のパフォーマンスつーかバンドによる演奏があり、最後が『ファンキー・モンキー・ベイビー』という、予想されつつお約束的なところまで含めて予定調和を超えた部分があり、まあ、なんだ、とりあえず行き場所が一つ減るのは確かで、寂しいことである。
      • 腰痛で馬力がかからず、最後の展覧会を見逃したのが残念というか申し訳ないというか。

2月16日>和歌山

  • 高津子山
    • 新たに作られたイスが3脚増え、場の雰囲気がまた変わっている。

3月12日>東京

  • 高浜利也
    • ギャラリーなつか
      • 作者が引っ越した先のアトリエの改装をモチーフに、建築の下地のすのこのような形象を展開させた銅版画。風が通るような画面。
  • 佐久間あすか展
    • プラスマイナスギャラリー
      • 身近にある紙やら何やらを貼り合わせて作られた造形というか、なんか、形になるまで貼り合わされたそういうものの塊。
  • 城井光広展
    • TEPCO銀座館
      • いろいろな形をすり抜けて、水の中を気泡がプクプクと上がっていくような作品だったと思う。
  • 常設展
    • space11
      • アイオウ、加納光於、池田満寿夫の作品を展示。池田満寿夫の油彩画が珍しい。
  • 花代展
    • ギャラリーKOYANAGI
      • なんかふにゃけた写真(……)
  • 日独交換展エレン・ムック、ヒルデガルト・フォン=チャップス二人展
    • ギャラリー21+葉
  • 黒須信雄展
    • なびす画廊
  • 眞田岳彦衣服造形展「Break the Seal/開封する」
    • ギャルリー東京ユマニテ
      • 画廊の空間をほぼ水平に分断する巨大な編みもの。毛糸というか、羊毛の油っぽい質感が野性味を感じさせる一方で、白っぽい色と造形の単純さは妙に清潔な印象も与え、とは言え編みものですから、手作業の複雑さも感じさせる。形の基本になっているのはセーターらしく、生活に根差しながら、生活から爆発的に遊離している、その落差をどうとらえるか。
  • 栗田宏一展
    • INAXギャラリー
      • 様々な色の土をそのまま見せる。鉱物性の絵具の素材でもあるわけだが、分類して並べるという標本採集的な仕事も、現在は理科であるより芸術なのだろうか。
  • 菅原清美展
    • ベイスギャラリー
      • アクリルのペインティング。
  • 井上玲子新作展
    • 東邦画廊
      • アルミ鋳造による彫刻。
  • 常設展
    • 南天子画廊
      • ジェームズ・タレルの版画、ジム・ダインの《ピカビア》3点組、サム・フランシスの版画、ブリジット・ライリーのドローイングなど。

3月13日>東京

  • 森万里子 ピュアランド
    • 東京都現代美術館
      • 初期写真作品/リンク・オブ・ザ・ムーン(巫女の祈り)/エゾテリック・コスモス/ニルヴァーナ/エンライトメント・カプセル/クマノ/アーラヤ/ガーデン・オブ・ピュリフィケーション/ドリーム・テンプル/ミラクル などの作品で構成されている。しかし、なんだな、なんなんだこの偽物感つーか、贋ブランドでも本物ぽかったら喜んで使っちゃうわ的庶民感覚風開き直り自己正当化つーか、わかってやってんだから正当化する必要もないでしょ的な正面突破感というか、戦略なのか阿呆なのか、何がなんだかわかんないところがオウム的というか、どういう感想を生成すれば妥当なんだ?あ?
  • フィクション? 絵画がひらく世界
    • 東京都現代美術館
      • MOTアニュアル2002とうことで、「絵画」を切り口にしているが、それぞれの作家や作品の持つ脱力した感じは、「低温火傷」といった感受性のあり方をひきずるもののようだ。企画の主旨としてそのような雰囲気を選び取っているのか、状況を語るとそうなるのか、変に力むと知事も知事だけに変な方向に走りかねないので、ふにゃけてた方が安全なのか、そんなのは深読みなのか下衆の勘繰りなのか、何だか良く解んないけど、こういう私も結構脱力してるのか。
      • 今村哲:《……の最後の夢》と題されたシリーズの絵画。
      • 村瀬恭子
        • 《まつげ》とか、怖い系のドローイング。何にもなくても祟られそうな、そうですね、考えてみれば「祟」というのは、因果応報という関係性の中で生じるものであってみれば、そういった「関係性」自体が希薄な中において、「祟」自体が自己主張し始める状況を想像することもできるのかもしれません。この人の作品とは何の関係も無いでしょうが。
      • タナベマサエ
        • フィルムの映像やコマを手描きで書き連ねていくような仕事。
      • 紺泉
        • 精密なお仕事という印象でしたが、さて、何だったんでしょうか。
      • 柴田健治
      • 佐藤純也
      • 〓島伸彦(はいじまのぶひこ、〓は「草かんむり」に「配」)
      • 落合多武
        • カラーコピーとか。一見したところ作品ヅラしてないので、何となく記憶に残ってしまうところがありますが、それが作品の評価になるのかというと、良く解りません。
  • 日本の美術、世界の美術−この50年の歩み
    • 東京都現代美術館
      • 戦後美術の出発 1945-50年代/抽象美術の革新 1950-60年代/反芸術的傾向 1960年代/ポップ・アート 1960年代/ミニマル・アート 1960-70年代/版画と素描/サム・フランシス/リアル/ヴァーチャル/作品の名前/物語をつむぐもの/暗号と記号/建築空間の中の彫刻 という構成。
      • 寄託作品のサム・フランシスの大作4点が展示されていますが、建物の背が高すぎるためか、どうも作品の力を生かせない展示室のように思います。作品もでかいんだけどね。
  • 音のワークショップ
    • 東京都現代美術館
      • エントランスに入ると、竹のオブジェがそこここにあって、チャカポコいってるのである。松本秋則の作品によるワークショップらしい。
  • 横山大観−その心と芸術−
    • 東京国立博物館
      • 作品がどうこう言う以前に、予想された事態とはいえ人が多すぎて、まともに見られる状態ではない。これくらいの混雑になることを予想しながら敢えてなのか何なのか、人込みに対処しようとする姿勢のない展示順路の設定で、作品を見るより、人にぶつからないよう気を使いつつ、歩く方向を決めねばならない。それが自分だけではないので、警備員も誘導しようがなく、当惑している様子である。生々流転の前に人だかりがあって、その流れに入ったら30分くらい出てこられない感じ。写真の複製が壁の上の方に取り付けられているのは、サービスになるのだろうか。東京国立近代美術館に展示されてる時は、好き放題見られたのに、なんじゃこりゃ。
  • 没後30周年 松永耳庵コレクション展
    • 東京国立博物館
      • 大観展からの流れで、こちらも結構な混み具合だが、見られないというほどでもない。現在は方々の博物館や美術館に収蔵されている、個人コレクションとは信じがたいような名品が並び、茶道具として集めていくと、こういうことになるのかと、ものの構成のバランスに感心する。京都国立博物館や福岡市立美術館で見たことがあるものも多いが、1人のコレクションとしてまとめられると、圧巻である。しかし、こんな道具立てでお茶会をしたら、落ち着けないかも。
  • 眞島竜男・石川雷太展
    • 東京画廊
      • なんか、アジテーションである。アジテーションというもの自体が、既に懐かしいものであるような気もする。ゲバ字を書ける人間が、最近いないらしいと聞いたことすら、既にかなりの過去に属するし。そういう意味では歴史保存というか、伝統工芸というか、無形文化財的な表現になるのかもしれない。
  • 森野晋次
    • 村松画廊
      • 「Light Trap In the Space そこにある 光のわな」150センチ位の高さで壁から壁へ走る一本の棒。虫ピンの頭で壁に作られた形。整理された形の幾何学的な、しかし捻れた彫刻。
  • 松木佐織展
    • モリスギャラリー
      • 部屋中に葉脈を天上からテグスでつるしたインスタレーション。
  • アートスカラシップ2001現代美術賞
    • exhibit LIVE
      • 南條史生審査員部門ということで、小粥丈晴、 伊賀美和子、山本 基、安藤孝浩、雄川 愛、小林幸恵、木村幸恵、岩崎マミ、杉山健司、谷山恭子、萩野美穂。

3月14日>京都

  • KYOTO版画2001受賞三人展
    • ギャラリー三条
  • 関根勢之助
    • ギャラリーなかむら
      • 最近手掛けていると言う陶による作品を中心に、観念的な造形と手作業と、物質の齟齬。
  • 図と背景物語
    • 立体ギャラリー射手座
  • ミルミルEXHIBITION2
    • 立体ギャラリー射手座
  • 森口ゆたか
    • ギャラリーココ
      • 「あいまいな身体II」ビデオ・インスタレーション2点で構成。超スローモーションで再生される、話す人間の顔と、腕。顔の方は、発音もスローモーションで流され、低音の爆音のような音が響く。腕の方は、動いているのかどうか、わからないが。あんまりゆっくりできなかったもので。
  • 朴一南展
    • アートスペース虹
      • 方形を基本に構成された絵画空間。

3月16日>和歌山

  • 和歌の浦の丘
    • 毎度のことであるが、藤本由紀夫氏によるレクチャーの後、丘に登る。桜の木が多く、つぼみが膨らんできてるので、春の景色が楽しみになってくる。「桜が咲いて、何もない」という最後の状況に期待。

3月27日>京都

  • 脇田貴子展
    • ギャラリーココ
  • 中村祐子展
    • ギャラリーココ
  • 宮本奈緒展
    • アートスペース虹
      • モノクローム写真か、写真のコピーを、手製のライトボックスで裏から光を当てて見せるインスタレーション。写真とテキストが一体となり、ある恋愛の始めから終わりまでについて内省的に語る風を装っている。

3月28日>大阪

  • 新庄茂扶展
    • 番画廊
      • 紙を貼りあわせ、刻んだり掘ったりした仕事。紙は日々記されるメモを貼っていったもので、孤笑庵のメモなどとは比較にならない(しようとしても誰も知らんだろ)作家の仕事。
  • 橋本和子写真展
    • The Third Gallery Aya
  • 松井康子展
    • ギャラリークォーレ
      • 記号のような形を描いて、画面の半分を白く塗りつぶしたペインティング。
  • 猪原秀彦展
    • Oギャラリーeyes
      • 彫刻と言うか、オブジェと言うか、3点で構成されたインスタレーション。
  • 堀尾貞治連続展3
    • シティギャラリー
      • 相変わらず、ものすごい勢いで制作と発表を続ける堀尾貞治である。しかも、協力者を巻き込んで制作しているようだ。
  • 「思考XII-現在」展
    • ホワイトキューブ
      • 15人のグループ展
  • 宮崎陽平個展
    • 複眼ギャラリー
      • 謎の覆面レスラーのようなキャラクター、謎の少年のようなキャラクター、謎の犬のようなキャラクター、の三者が関係するようなしないような、版画、ドローイング、35ミリスライドによる仮想アニメなど。

4月16日>和歌山

  • あたらしい画面をもとめて−関西の半世紀−
    • 和歌山県立近代美術館
      • 同館の収蔵品を中心に、20世紀後半の関西で展開された前衛を旗印にする絵画運動を振り返る展覧会。松谷武判と孫雅由の二人展コーナーも併設。実物による美術の歴史教科書という趣だ。

4月19日>大阪

  • 福島敬恭 こころの中のこころ MIND OF UNIVERSE
    • 国立国際美術館
      • 滋賀県立近代美術館での星野暁展もものすごいもんだったが、これも大変さでは負けない、いや、勝ってるかもしれない。もちろん、そんなことで勝ってもどうということはないと言うか、全然問題にする話でもないのだけど、レベル出すの大変だっただろうとか、壁の仕上げは難しかっただろうとか、ガラスはもつのかとか、もうちょっとしたらパテが割れてくるんじゃないかとか、私が心配することではないんだが。とはいえ、そういう大変な品物であるから、実は滅多に見る機会がないわけで、日本においてミニマル・アートとか、プライマリー・ストラクチャーという傾向の作品制作を始めた代表的な作家の作品を実際に見ることのできる機会が得られたことを、まずは感謝せねばならない。「日本におけるミニマル・アートとかプライマリー・ストラクチャー」とか、簡単に書いてしまうのだが、こういうものの言い方自体を問題にしないといけないはずで、この人の作品自体も、一見して80年代に大きく変わっている。ステラの変身に比することができるくらいの変わりようなのだけれども、その変わり方が、美術史とか美学的なものの見方に対して、必然的なものなのか、アンチテーゼのようなものなのか、それとも作家の個人的な方向転換に過ぎないのかとか、いろいろ考えねばならないところが多いと思うが、思っただけにとどまる。今のところ。ただし、そういう話につっこんで行こうという展示ではなかったようにも思うが。
  • 坂井淳二展
    • 番画廊
      • 小さな正方形のグリッドで分割された画面を灰色調の色彩で満たしたリトグラフ。作品によってはオノサトトシノブのようだが。
  • 田中伸治写真展「アムネジア−空の物語」
    • The Third Gallery Aya
  • 加藤美奈子
    • O ギャラリーeyes
      • カラフルなリトグラフ。茶室といけばなのイメージ。懐かさを感じさせる作品、ということは、古いというか、昔、あったよなこういうの、と思わせるのだ。
  • 中谷由紀展/神羽麻紀展/矢部奈桜子展/ノーマークPart1
    • ギャラリー千
      • 閉まる間際に駆け込んだせいもあり、それなりにふむふむと思いながら見たにも関わらず、自分が持っている印象の、どれが誰の作品だったか、わかんなくなってしまいました。わかんなくなってしまいましたが、何というか、若い人の作品って、絵とか彫刻の体裁は取ってますけど、なんだか自分たちが思っている「美術」の範疇にあるのかないのか、わかんないという印象を共通して持ってしまいました。「新人類」なんて言葉もありましたが、そう言えば、妙に80年代の作品に似てるような気もします。

4月20日>大阪

  • 三嶽伊紗
    • CASO
      • 「測距儀−遠景の座標」と題された、オブジェ的な工作物によるインスタレーションだが、個々のものの持つ意味性と、展示空間の茫漠とした状況がうまく噛み合わず、印象を形成できない状態。「遠景」を語る以前に、あまりにも索漠とした近景に、仕掛けが取り紛れてしまったか。
  • 美術館の夢
    • 兵庫県立美術館
      • 新築なった兵庫県立美術館(愛称は「芸術の館」というらしい)の柿落し。近代の日本において、「美術館」というものが、その言葉も含めていかに想像され、実現され、あるいはされてこなかったかを検証する展覧会。高橋由一の螺旋展画閣の建築模型を見せるところなど、前身である兵庫県立近代美術館での「日本美術の19世紀」展など以来の研究の蓄積を見せる部分だが、展覧会自体がかなり広い範囲を扱っているので、個々のパートだけを取ると、やや物足りない印象。それぞれの「美術館」やコレクションは、当時の展示室の雰囲気を再現するなど工夫を凝らしているが、作品鑑賞を重視する人の目にはまったく入っていなかったらしいことが、某知人との会話で明らかになってしまった。逆にそういう企画の主旨を読もうとする私は、作品に集中できていなかったようだ。英語題名が「Dream of the Museum」となっていた点に、企画が練りきれていなかったことを感じてしまう。複数のMuseumsについてのいくつものDreamsがあって、その歴史を踏まえ、継続として、一つの結論を提案する形で、この「兵庫県立近代美術館」は、かくあるのだという、分析やら宣言やら歴史的使命やら決意やらを表明する姿勢を匂わせつつ、結局そのどれにもならず、総花的な展示に終始している感がある。特に所謂「読売アンデパンダン展」のコーナーなど、当時の熱気を再現することは不可能としても、それを伝えるものにもなっておらず、そこから「オフミュージアム」やら「環境芸術」やらが展開していった過程が見えないまま、山口勝弘の「イマジナリウム」につなげる展開も強引。日本近代の美術に内発性が欠けているとは、しばしば言われることだが、美術館という施設や制度についても、またこの兵庫県立美術館自体についても、決して内発的に誕生したものではないということを、逆説的に証明しているのかもしれない。
      • 旧・兵庫県立近代美術館では別館や新館に置かれていた常設展示スペースも、一つの棟に収められ、現代美術を中心に展示できる天井の高い部屋や、照度を落とした版画中心の部屋、小磯良平、金山平三らを中心に、近代の美術を紹介できる部屋と、まとまりはできた感じ。しかし、どうしてジャンル毎に部屋をここまではっきり分けて展示する必要があるのか、彫刻室に彫刻しか置かないというのも、海外の大規模美術館(ルーブルとか)の伝統に則っているのかもしれないが、悪い意味で博物館的で不自然な気もする。

4月25日>京都、大阪

  • 今井誠志−my collection MUSI−
    • ギャラリーすずき
      • 昆虫標本に擬された衣服の一部か?採集されたものではあるようだ。
  • いまふくふみよ
    • アートスペース虹
      • 淡い色彩が重なりあう染色された布。
  • 原田要
    • ギャラリーココ
      • 彫刻された木と、その表面に施される彩色。ものとして単独の作品なのだが、個々の作品の表面が、その形でありながら、色彩の場であるという複雑さをはらむ。
  • 松井恒人
    • ギャラリーココ
      • 日常空間の中で、服を脱いだり性的なしぐさをする若い女性を描いた絵画。
  • 五明真展 透明の部屋
    • ギャラリー16
      • 部屋の中央に低い水槽になっているアクリルのテーブルがあり、その下にモニターが据えられている。が、何だか良くわからない。
  • 末藤夕香展
    • 立体ギャラリー射手座
      • 布団を低く積み、並べた上に、レースを掛けてあるインスタレーション。
  • カミン・ラーチャイプラサート展
    • アート遊
      • 木炭によるドローイング。お経の文字で、恐竜や宇宙飛行士など、いろいろな形を描き出す。また別に、紙の中央部に穴を開けたドローイング。
  • 石川亮・少年少女科学クラブ・藤本由紀夫展
    • サイギャラリー
      • クラゲの標本が回ってたり、コピーを重ねて曖昧になった路線図や地図を白いレリーフ、しかも凹凸の低いレリーフにして白い壁に展示するとか。藤本由紀夫は中身の見えない《sugar》や、レンチキュラーシートの作品。
  • 芝高康造モノプリント展
    • 天野画廊
  • 増田妃早子展
    • シティギャラリー
      • オールオーバーな抽象と見える画面上に、単色で非常に薄く描かれた植木鉢と植物。
  • 佐々木ススム展
    • ホワイトキューブOSAKA
  • 堀尾貞治総集編
    • ホワイトキューブPB
  • 北城貴子展
    • O Gallery eyes
  • 辰巳卓也写真展
    • The Third Gallery Aya
      • お肌に彫られた絵をモノクロームで捉えた写真。
  • 山中嘉一展
    • 番画廊
      • わざわざ版画をやめて絵画をやる宣言をしての個展。これまでの作品で追求されてきた、方形や小さな円を基本とした構成の絵画。
  • 川嶋守彦展
    • 信濃橋画廊
      • 麗子像が短銃を構えている姿やステルス機をアルミで鋳造したものや、テントのような構造物に色々なロゴが小さく刷られているものなど。
  • 伴文夫
    • 信濃橋画廊apron
      • 服を主題に、ペットボトルに詰めたり、縫って行ったり。
  • 元永紅子
    • 信濃橋画廊5
      • 一部に十字形を描いた画面の上全体に、白い絵の具を細く絞り出し、淡い印象にした画面。
  • ART in CASO
    • CASO
      • 大阪で初めて(?)のアートフェアと言うことで、とりあえずは賑やか。
      • ギャラリーほそかわ、タカ・イシイギャラリー、TARO NASU GALLERY、ギャラリーSide2、ギャラリーTAF、ギャラリー小柳、ワコウ・ワークス・オブ・アート、ケンジタキギャラリー、タグチファインアート、SHUGOARTS、mori yu gallery、児玉画廊、Gallery HAM、ノマルエディション/プロジェクト・スペース、ギャルリー東京ユマニテ、ギャラリーヤマグチ、メディアショップ、ブックセラーアムズ、スクォッターズ、美術出版社などがブースを出展。

5月9日>京都、大阪

  • 岡井美穂展 イタリアの土より 絵と陶展
    • ギャラリーすずき
      • 陶芸とエッチング。
  • 長野久人展
    • アートスペース虹
      • 陰陽五行に基づいて、胎児の形を取り付けて黄色く塗装した、掃除機やら洗濯機やらの日用品(良くわからない)。
  • 佐野耕平展
    • ギャラリーココ
      • 幾何学的な形と、イスや本や魚の形を組み合せた彫刻。
  • 佐川晃司展
    • ギャラリー16
      • 四角い画面をいくつかの直線で分割した色面による絵画。複雑に重なったマチエール。絵画論的絵画というのだろうか、自己言及的というのだろうか、造形言語を切り詰めながら、形による思考を展開している画面のように思える。それは、形についてであったり、画面という空間についてであったり、それが平面であること、あるいは物理的に存在する物であることなどについてであったりするのだろう。
  • 山田真屋展
    • 立体ギャラリー射手座
      • ポップなキャラクターを配したイラストと、オリジナルのビデオクリップ。
  • 北村明久展
    • 同時代ギャラリー
      • 抽象的な筆触で、色彩の飛沫を残したペインティング。
  • Susanna Fagermo展(多分)
    • ギャラリーマロニエ
      • 男根型の陶器大小2タイプを大量に詰め込んだジュラルミンケース。デュシャン風便器に色々な柄をプリントした作品4点。うち1点は白いまま。その上下(前後か左右かも)に男根型の陶オブジェが取り付けられている。
  • Oie Lislerud展(多分)
    • ギャラリーマロニエ
      • モンローの肖像を処理して焼き付けた陶板。
      • この(多分)というのは、Susanna FagermoさんとOie Lislerudさんの、どっちがどっちであったか、わからなくなってしまったといういことである。いばることじゃないが。
  • 山村幸則展
    • ギャラリーマロニエ
      • リチャード・ディーコン風の宙空に曲線で構成された立体。まずは白い角柱を曲げて作ったように見える。四角形の断面の外側3面は石膏で固めたような質感なのだが、内側には白い毛皮状の素材が埋め込まれている。表面はアクリルで塞がれているので、遠目には白い素材と見えるが、構成要素である棒というか柱というか自体を結構作り込んである。
  • 大森裕美子展−ongoing−
    • SAI Gallery
      • ゴムの匂いも生々しいが、どのゴムもジャッドやらアンドレやらモリスやらのような形に折り畳まれたり伸されたりつるされたりしているのである。作家自身がそれを意図しているのかどうかは不明。
  • 柳休烈展
    • Gallery H.O.T.
      • 韓国の作家。伝統的な舞踊を象ったアルミ鋳造の彫刻と絵画。
  • 柳休烈展
    • 天野画廊
      • 韓国の作家。伝統的な舞踊を象ったアルミ鋳造の彫刻と絵画。
  • 三輪岳史展
    • City Gallery
      • キャラクター的に処理された犬(この場合「ワンコ」かな)のペインティング。
  • IN-OUT展
    • Whitecube Osaka
  • Small stone展
    • Whitecube PB
  • 館勝生
    • ギャラリー千
      • 油絵具をたっぷり使って、羽根のような形を、画面の一部に重心を置くように、偏って配置した画面を作ってきたのが、ここしばらくは行き詰まったような苦しい制作になっていたが、不定形なストロークから、四角形を描くようになって、形は厳格になったが、画面には自由度が増したようだ。
  • No Mark II
    • ギャラリー千
      • 若い。ここしばらくのグループ展は、若いなあと思うと、他の感想が出ないのであった。どうしたもんだろう。
  • 泉茂展
    • 番画廊
      • 1950年代の版画や水彩画など、詩情あふれる作品。
  • 加藤登美子展
    • 信濃橋画廊
      • 淡い色面で上下、あるいは三層に塗り分けられた画面。
  • 冨里重雄展
    • 信濃橋画廊apron
      • 種子とドット。
  • 門田修充
    • 信濃橋画廊5
      • ブリキ細工の首の動く巨大な人形のような彫刻のような造形物。

5月13日>大阪

  • 中西學 Walk A Mile In My Shoes
    • 信濃橋画廊
      • 発泡スチロールを芯にして樹脂で表面を仕上げ、メタリックな塗装を施された、彫刻であるより立体的な絵画という感の造形。一見したところオートマティスムのようで、実は意図的に描かれた素描を、立体に展開させた作品群。意図して作られた訳ではないらしいが、人体に見える要素も多く、形容しがたい異様さをはらむ。
  • 坪田政彦展
    • 山木美術
      • 版画とペインティング。他の色も使われているのだが、白と黒の印象が残るモノクロームに近い画面。小さな正方形を線で引いて、中に点を一つ打つとか、ばってんをつけるとか、行為はミニマルだが、結果する画面はむしろ冗舌な仕事。
  • 井上禎人展
    • 番画廊
      • イラスト風の作品。クラプトン、スティング、猫、バリ島、天使、ホックニー、ウォーホル、ベーコンら。ベーコンがやけにカワイイ。
  • シスム
    • ギャラリー千
      • 蛍光灯と科学反応。床に長く設置された蛍光灯が中心になる展示だが、廊下に延びた蛍光灯に、とりあえずつまずきかける。実際につまずく人も多い。蛍光灯の光を太陽電池に当てて、光の強弱で、スクリューが回ったり回らなかったりして、反応の状態が違ったりするとか、そういうことか。
  • 国谷隆志
    • ギャラリー千
      • 細長く不定型に吹いた1メートル半ほどのガラス管を数本(十数本か?)、ネオンにして吊り下げたインスタレーション。不定形のため、薄ぼんやりと赤く発光しているが、光は一定でなく、管の歪みに沿って収束したり拡散したりしている。
  • 本物らしい非現実
    • ギャラリー千
      • 阿部大介/浮島恵/片山啓/衣川泰典/山口義順による版画。
  • Printing Hazard
    • ギャラリー千
      • 名古屋芸術大学(だったか?)学生による版画展。木版ですごく小さなイメージを作ってた作品と、彼氏とのデートの一場面を克明にリトグラフにした風情の、どこまでフィクションかわからない作品をうっすらと覚えている。
  • 堀尾昭子展
    • ギャラリークォーレ
      • 白い木の箱の中にケント紙の白い箱が入っているとか、ある視点から見ると直線に見える鏡を使ったオブジェとか、1ミリの厚みの有無で幅が違って見えるストライプとか、そういう微妙なオブジェ7点によるインスタレーション。茶室的な緊張がある。
  • CAS Academy Awards
    • CAS
      • 美術・芸術大学の在校生を対象に行なうビデオアートのコンクール。入選作品は、オランダで同様に審査された作品と交換展を行なうらしい。「ビデオアート」とは言うものの、映像技術の実験を全面に出す作品はなく、昔からの8ミリ個人作家の作品(つーのもわかったような、わからないようなだが)と変わらない感じ。そりゃ、今、映像つったら、まずビデオ撮るのが当然だもんね。そのため、かつてのような「前衛」「実験」意識はほとんど無いようだ。逆に「実験的」であることが難しいのかもしれない。昔、「実験的」と呼ばれていたような映像は、MTVとかスクリーンセーバーとかの画面で散々見られるようになっているわけだから、「実験」の場が変わっているのかもしれない。あるいは「実験」という意識が「制作」と結びつかなくなっているのかもしれない。いや、しかし、それじゃ「制作」って何をやってるんだ?単に「商業」的でないということだろうか。あー、いや、そういう議論も昔、飽きるほどあったぞ。しかも、議論自体は貧しかったぞ。「実験」の場が見つけにくいところで、それぞれ実験してるのだが、いかんせん年齢ゆえか、過去の歴史的蓄積を踏まえそこなっているということだろうか。しかし、日本で「過去の歴史的蓄積」に触れられる場所なんてあるのか?>リンク

5月23日>和歌山

  • ダグラス・ワーザン&やなせあきら フルートコンサート
    • 和歌山県民文化会館小ホール
      • バッハから武満まで、幅広い選曲。西洋人が楽譜に基づいて武満を演奏すると、楽譜に表現しきれない間合いの違いらしきものが出て、面白いと思ったりする。

5月31日>和歌山

  • 西村伊作の世界展
    • 和歌山県立近代美術館
      • 大正モダニズムを代表する人物の一人、西村伊作の全貌を紹介する展覧会。サブタイトルに象徴されるように「生活を芸術として」生きようとしただけに、所謂「芸術」ではない活動を評価すべき人かもしれない。しかし、あれ「芸術」か?

6月1日>大阪、京都

  • 松井智惠展
    • 信濃橋画廊
      • 展覧会全体は、「寓意の入れもの」と題されている。ヴィデオ・インスタレーションと呼ばれる範疇の作品のように見える。「kojima」というヴィデオ作品が、壁に投影されている。月。海底がのぞけるようになっている観光船から見た、飛び過ぎる海底の光景(多分)。南洋(と見える)の小島。干潮で陸続きになり茸のように侵食されている形がはっきりわかる小島。恐らく作家自身(ビキニ着用)が手前から島に歩みより、右手から島の向こうを回って、左手から現われ、画面やや左よりの波に侵食されて庇のようになった島の根元に横たわる。しばらくして起き上がり、島を一回りして、同じように横たわる。それが数回繰り返される。プロジェクタが設置されている一角は、日用品やら廃材らしきものが積み上げられた物置きのようになっており、中をのぞき込もうとすると、映像の光をさえぎらざるを得ない。そこからロバの剥製が一体、映像の方を向きつつも目をそらすように置かれている。一方、普段は展示に使われていないボイラー室の壁に、落書のようなドローイング。裸電球に、花のような針金の傘。かくことを要請するような文言とクレヨンが置かれているが、何かが書かれた跡はない。
  • 村治豊展
    • 信濃橋画廊apron
      • 素焼きのユーモラスな頭部のオブジェを木などと組み合せる。
  • 託摩昭人展
    • 信濃橋画廊5
      • システム手帖の頁に記録された日記とその日のスナップ写真の一部を拡大した映像を重ねたもの、1年につき16日分を10年分。
  • The Golden Week
    • 児玉画廊
      • エヴァ・スベンヌングのキュレーションによる、ヨーロッパの若手作家Olaf Breuning、Susanne Burner、Valentin Carron、Brice Dellsperger、Nadia Lauro、Torbjorn Rodland、Joanna Rytel、Bruno Serralongue、Sean Snyderという9人の作家の展覧会だったらしい。「ゴールデン・ウィーク」というテーマで、休暇や観光のステレオタイプ化した図像を利用した作品を集める。近隣の旅行代理店にも作品を設置したらしいが、そっちへは行けなかった。作品は、どれが誰のものか憶えてないのだが、動物相手にセクシーなダンスしたり、一人が何役もやってツインピークスを再現してたり。もういいよ、こういうの、という感想を抱かせることが狙いかと思わせるほど、ステレオタイプを利用も批判もできず、ステレオタイプ自体の悪質な再生産にしかなってないものだった。
  • 青木万樹子展
    • Cubic Gallery
      • 少ない線で人物や状況を描出したペインティング。
  • 津田直作品展
    • Gallery Kai
      • 「近づく(ここではない場所)」カルデラ湖の写真(多分)。尋常に見えない風景を写真で撮影しているのか、写真を操作して尋常に見えない風景を作っているのか、わからないようにしているのか、どうか。
  • 元永定正展
    • 西宮市大谷記念美術館
      • 新作を中心とした展示。現地で制作された作品というか、一室もあるほか、庭も使っている。普段は常設に使われる部屋に旧作を展示しているので、全館を挙げての展覧会。この規模の建物だと、全館展示もまとまりを持って見られる。
  • 立嶋滋樹展
    • 番画廊
      • 縦長の画面に、抽象的な色面による空間を作り、風景を思わせる形象を配置している。形を描きながら、画面を作るために、半ば具体的に見える形によりそっている。ただ、その形自体よりも形の背景にあたる部分のマチエールの作り方にもう一工夫欲しい。
  • 大阪写真月間2002 第1回写真家150人の一坪展
    • The Third Gallery Aya
    • Book Seller Amus
      • 写真のグループ展
  • 巻幡和弘展
    • ギャラリー千
      • 廃品、特に農機具の部品を組み合せて、動物の形にした彫刻。
  • 写真家高橋栄・触覚の冒険
    • ギャラリー千
      • 花を主題にした写真と、板などのイメージを組み合せた銅版画。
  • 北義昭大賞受賞記念展
    • ギャラリー千
      • 南米の子供を撮った写真。
  • softpad "information"
    • ヴォイスギャラリー
      • ヴィデオ・インスタレーションの形で発表された作品などを編集したプログラムを走らせている。スピーカーがB&Oなのだが、こういうの、何と呼べば良いんだろうね。プログラム・インスタレーションとか、電子カタログ展示とか、そういうものですかね。
  • 名和晃平展
    • ギャラリーマロニエ
      • ビーズを貼り付けて構成した人体や鳥(アヒルか?)、泡立つ白濁した水面、イミテーションの観葉植物。
  • 長谷川政弘
    • ギャラリーマロニエ
      • 鋳造された林檎たち。いくつかの林檎をくっつけた形で鋳造し、全体としてはその個数分に足りない状況を作っている。
  • 西村歓子展
    • ギャラリーマロニエ
      • 陶の立方体を基本にした造形。キュービックで見たのとほぼ同じだが、形を作る基礎になるような木枠も含めてインスタレーションが行なわれており、意図が今一つ伝わらないかな。

6月2日>京都

  • 山本麻矢展
    • ギャラリーすずき
      • 「桜 SAKURA」格子、家族写真、緋毛氈、20×10cm位の面積に桜の散った地面を再現したの小さな箱で構成されたインスタレーション。
  • 鈴木昭男
    • アートスペース虹
      • 「なげかけ」&「たどり」
      • セメントブロックを積み上げた柱が4本。中央に縦の穴があり、森を思わせる場所で録音されたような、水音や鳥のさえずりなどの音が流れている。穴の中を覗くと、下3分の2くらいがぼんやりと青い光で照らされている。
  • 栗田咲子展
    • ギャラリーココ
      • 作家の身辺を描いたような、しかし非現実的な印象を与えるペインティングである。作家の身辺には、作家の夢も含まれるゆえの非現実感か。安直とも思える画面作りだが、緻密に構築された現実とは違う世界の創出のための必然か。
  • 鈴木貴博 帰ってきた「生きろ」展
    • ギャラリー16
      • 「生きろ」と書く展示やらパフォーマンスやらを世界の数ヶ所で行ない、その際の記録映像を持ち帰ってきた展示。ディスカッションとシンポジウムの連続。
  • 少年少女科学クラブ展
    • 立体ギャラリー射手座
      • 点々と青いピンライトで照らされた暗い展示室に設置された4つの柱場の作品。おそらく一定時間に何かの溶液が水の中に落とされ、その溶液が拡散して行く様が、青い光で照らしだされる。と、思ったら化学反応で発光しながら溶液が拡散して行くらしい。一定時間でサウンドも響く。別の一室では、溶液の中のクラゲが2体。
  • 津上みゆき展
    • ギャラリーなかむら
      • 抽象性の高いペインティング。
  • 林康夫展
    • ギャラリー三条
      • 家屋のような構築物を思わせる陶の造形。内部の空間がはらむ構造や意味のようなものが、表面に模様として現われているような形。過去の作品を舞台の背景に使った、フランスでのオペラの記録映像など。
  • 片岡健二展
    • 同時代ギャラリー
      • 女性の顔を正面からとらえたペインティング。写真に基づくものか?
  • 中込洋子版画展
    • 平安画廊
      • アクリル板によるドライポイントとモノタイプを組み合せ、淡いブラシストロークの中に、形象が浮かぶような画面。
  • 田中栄子展
    • ギャラリー宮脇
      • 「warp」風景を中心とする主題を、ざっくりとした筆遣いで描き取ったアクリル絵画。
  • 藤本由紀夫展
    • 京都芸術センター
      • 「in/out」一室に《suger》2点、もう一室にキーボード4台による《room》(っていうタイトルかな?)断続的で不規則な小さな音と、持続的な音の対比。双方において、作品の音が、それ以外の音を際立たせる効果を持つ。

6月10日>大阪

  • 川崎純敬展
    • 信濃橋画廊
      • ドローイングを施した板を壁から浮かせたように設置。
  • 細川悠紀子展
    • 信濃橋画廊apron
      • 身体や口唇や耳たぶや花や果実をシュールレアリスティックに組み合せた青一色のドローイング。どろどろの世界。
  • 窪田順展
    • 信濃橋画廊5
      • 壁に鏡が向かいあわせて取り付けられた間を結んで、直線上に置かれた赤い紙片の帯と、その周りの白い紙片の帯。アートナウ2000「なごみのヒント」出品作の残骸だそうである。紙は赤白とももみくちゃになっている。鏡の両方に線が延びていくように見えるが、展示期間中にかたちを変えていくということ。
  • 荒川望
    • Cubic Gallery
      • 和紙による不定型な造形を画面としてドローイング。
  • 伊藤祐之展
    • 不二画廊
      • 樹脂による幾何学的な造形物によるインスタレーションのようだが、休みなのか閉まっていて、ウインドー越しにのぞいただけ。
  • 具体美術協会 オプティカル・キネティック・ライトアート展
    • 大阪府立現代美術センター
      • 聴濤襄治、名坂千吉郎、松田豊、菅野聖子という、かつての具体美術協会メンバーの作品。懐かしモノでもあるが、菅野聖子の作品などは比較的新しい。それでも80年代だが。具体美術協会の再評価が1980年代の後半から日本国内でも行なわれ、芦屋市立美術博物館での継続的な展覧会でも紹介されながら、十分な意味付けをされたとは言えない、60年代後半の具体メンバーの作品群である。さすがに故障箇所もあるようだが、30年経った今でも動くとかいうことでなく、こういう作品が流行したことを歴史なら歴史として位置づける作業は必要だろう。
  • Saskia Wendland
    • galerie ou
      • 丸をテーマに制作している人らしい。窓がはずされて、窓のある壁面に大きな丸い穴を穿った仮説壁が設置されているインスタレーション。一見、何もない。
  • 小熊幸子
    • galerie ou
      • 筒状のかたちをモチーフにした小品。
  • ひとりのために/NOT General
    • サイギャラリー
      • イチハラヒロコ、ノエル・カプンズ、豊嶋康子、アン・ゼーバッハによる二組のコラボレーションによる作品。窓に貼られたテキスト群と、編み物で作られた黒い木の形。通信の中で作り上げられた物語と、それにまつわるイメージやオブジェ。
  • 和田高甫展
    • Gallery H.O.T.
      • ステンレスとアクリルを組み合せた抽象彫刻。初個展の若い作家だが、それゆえか、懐かしい作風でもある。
  • 菊池孝彫刻展
    • 天野画廊
      • 曲げワッパのような、薄く細長い木片と自然木を組み合わせた造形。1mmでも宙に浮かせることが文明なのか。
  • Wonderland展
    • シティギャラリー
    • ホワイトキューブOSAKA
  • 田中清代展
    • ホワイトキューブPB
      • 絵本の原画だが、エッチングに手彩色で、やや無気味。
  • 米田由美展
    • ギャラリークォーレ
      • 頭蓋骨にICやら蝶の羽やらを貼り付けた彫刻を5点。鼻の骨がやけに高い。
  • 舩井裕展
    • 番画廊
      • 自由なストロークの抽象的なモノクロームのリトグラフ。所々に風景らしきものや、何かの対象、文字などが配されている。
  • 中屋敷智生展
    • Oギャラリーeyes
      • 食材(という言葉が一般化したのも、「料理の鉄人」以来じゃないか?)を主題にした大型の絵画。カツオと鰹節、煮干など。
  • るさんちまん「第7回る会生きション」
    • ギャラリー千
  • 中野祐介+林泰彦展
    • ギャラリー千
  • みやばら美か+すぎもとたつお展
    • ギャラリー千
  • あいだだいや展
    • ギャラリー千
  • アニメーション展
    • ギャラリー千
      • えー、上記5件、オープニングだったせいもあって人がいっぱいで、一体どれが誰の何でどうだったのか、わからなくなってしまいました。

6月16日>和歌山

  • 第23回市民能
    • 和歌山市民会館 小ホール
      • 「世界文化遺産「能」を人間国宝でみる」と、いかにもいじましいタイトルで宣伝されており、いささかげんなりだが、九郎右衛門さんが見られる機会なので参加。
      • 仕舞 邯鄲 小林慶三/仕舞 氷室 片山清司/舞囃子 飛鳥川 松井彬/能楽 野宮 片山九郎右衛門という番組。
      • 狂言がなくて、その代わりに(?)小林慶三氏が野宮について解説されたのだが、やっぱり、狂言がないと気が抜けないし、トイレに行く時間が無くなって、しんどかった。解説の間に行けば良かったのね。

6月22日>大阪、西宮

  • 長尾浩幸展
    • 信濃橋画廊
      • 日常の一場面というか、現代の非日常的な日常感を描いたペインティングの上から、レース生地の模様を白でプリントして、日常性と非日常性、描かれた場面と、それを眺めている現実であるはずの観客の意識を気色悪く浮き上がらせようとする(多分)作品。
  • 佐野隆子展
    • 信濃橋画廊apron
  • 窪田順展
    • 信濃橋画廊5
      • 紙、細くよじれて、赤と白がないまぜになった山になっている。
  • 丸山直文展
    • ギャラリー・ゼロ
      • ぼんやりと描かれた子供。ぼんやりとした部分と、物質的な厚みのある塗料で縁取られた部分が対比的だが、ぼんやりとした子供のイメージからは、どうしてもボルタンスキーを思いだしてしまうことを止められない。
  • 美術館の遠足6/10
    • 西宮市大谷記念美術館
      • 藤本由紀夫による一年に一回の展覧会。今回、藤本氏は連続レクチャーで話し続けられているようで、会場では見かけない。今年の展示は、建物のトリッキーな場所を探しまくるというやりかたかたではなく、全体におとなしい雰囲気。と、思ったら、地下まで掘られた排気口のような場所に水を張って倉俣史朗の椅子と耳を置き、はしごで降りるか水の中を行くかという過激な展示もあった。屋外にある岡本太郎の彫刻の中から、1950年代の実験音楽らしきものが流れるという趣向もある。茶室の床には、定番の村上三郎の投球絵画。館蔵作品を、地平線と水平線を連ねて対比しながら展示するという、この美術館と藤本氏ならではの空間もある。

6月30日>京都

  • シャガール展 その愛とファンタジー
    • 京都市美術館
      • シャガールって、純粋に画家として評価する目で見ることが、この頃はすごく難しくなってるなあと、思います。
  • 美術館de夏休み
    • 京都市美術館
      • 館像品の中から涼しげな作品を集めて展示。
  • 新鋭選抜展
    • 京都市美術館
      • いろいろいっぱいありました。
  • カンディンスキー展 抽象絵画への道 1896-1921
    • 京都国立近代美術館
      • なるほどねえ。とか感心しながら見てたんだけど、何に感心していたものやら。
  • 漆工芸の美「根来」展−朱と黒のかたち−
    • 細見美術館
      • 根来塗必ずしも根来のものではないらしいが、室町、桃山時代のものを中心に多様な器物を展示。
  • 浜田暁子展
    • ギャラリー16
      • ビニールで組み立てた小さな家型のオブジェを床に配置したインスタレーション。子供の襲撃の後で、補修作業が行なわれている所であった。
  • 三宅紗織展
    • ギャラリーココ
      • リトグラフで日常の断片のような、物語の場面のような、しかし、モチーフも造形も曖昧なままのような、作品。
  • 松山淳の「ちくびるーむ」展
    • アートスペース虹
      • タイトルのまんま、乳首だらけのソファー、クッション、目の不自由な人を誘導するマット。
  • 二宮幸司展
    • ギャラリーすずき
      • ジェネラル・エレクトリック社製のの冷蔵庫と、それを忠実に再現した木彫。中に持っているものを適当に入れてくださいという展示。代わりに冷蔵庫から飲み物をもらえる。
  • 井上よう子、奥田輝芳、水口裕務、吉田淳一
    • ギャラリーなかむら
      • 絵画の四人展
  • 井田彪展
    • ギャラリーマロニエ
      • バランスを取る鉄。
  • 辻田恭子展
    • ギャラリーマロニエ
      • 金属による装身具。装身具として主張が強く、装身具にならないほどの装身具。
  • 稲垣弥寿子展
    • ギャラリーマロニエ
      • 便所の下駄とかつっかけとかサンダルとか(ミュールゆうんか)をゴテゴテに飾りたてたようなオブジェ。

7月13日>大阪、神戸

  • 福岡道雄展
    • 信濃橋画廊
      • 黒いポリエステルの彫刻。黒いバルーン、カタクリ日記、黒い家の表面にも文章が刻まれている。1960年代後半に制作された8ミリ映像が3本。「飛ばねば良かった」と題された展示は、なんか辛い。今になって辛いのではなくて、ずっと辛い感じはあるんだけれども。
  • 前田要治展
    • 信濃橋画廊5
      • ストライプの絵画。描かれたストライプもあれば、キャンバスに部分的に紙を貼って作ったストライプもあるようだ。
  • 草間弥生展
    • 児玉画廊
      • 絵画、立体、本人が独唱するビデオ、水玉の部屋のバルーン。網目やおたまじゃくしやかぼちゃやという、いつもの草間ワールド、と簡単にくくってしまうのもいかんが、目新しいものだらけで、特に目新しくはないが、そもそも目新しさを問題にしていないのであって、変わらずにいつも同じだけれども伝統芸能化もマンネリもしない恐ろしさ、と。
  • 許仲敏(シ・チョンミン)
    • アート遊
      • 木版に人体を抽象化した模様のような造形。版画と版木自体を作品にしたようなもの。エッシャー風でもある。
  • CHO, EUL-SUN展
    • サイギャラリー
      • 等角投影法による直方体を主題にした作品。小型の画面をいくつも配置して、形を浮かび上がらせる作品と、折り畳んだ紙の背の部分に形が浮かび上がる作品。
  • 佐古馨展
    • ギャラリーH.O.T
      • 木と鉄を組み合せる造形。楠の一木を彫刻した造形の割れを鉄板で止める。平らな木の板を鉄の輪で締めるなど。不定型に溶断した鉄の板を組み合せた「ドローイング」もある。
  • 鈴鹿芳康展
    • シティギャラリー
    • ホワイトキューブosaka
    • ホワイトキューブPB
      • 自写像を作品にし続けてきた作家の、小規模な回顧展の趣。顔の部分をポラロイドで撮影してコンピュータに取り込み処理した作品では、部分的に作者と、知り合いの英国人と作者の父親の顔の部分が混ざり合い、変な感じになっている。
  • 山田勝洋展
    • Oギャラリーeyes
      • 樹脂の黒く滑らかな表面に銀で描かれた1950年代の日本映画の一場面。漆工のようで、そうではないらしく、必ずしも工芸品的な完成度が追求されている作品でもない。映画の一場面でありながら、正方形のフォーマットに描かれているため、独立した風景画のように見える。
  • 芦谷正人展
    • 番画廊
      • グリッドを描く。抽象的な背景の上に、グリッドに抜いた白をかけ、タイル地の壁に囲まれた空間を題名につけている。風呂場とか。
  • 草間弥生マルチプル展
    • ブックセラーamus
      • カボチャのオブジェと版画。キンキラキン。
  • 山口啓介展
    • 西宮市大谷記念美術館
      • 西宮生まれとは、知らなかった。知っていても、忘れていた。どうでもいいが。版画作品で注目された人なので、その印象が強く、常設展示でも館蔵の版画作品を特集しているくらいなのだが、作家自身は技法の違いに基づくジャンルわけなどに捕らわれない関心の広さを持っているようだ。展覧会自体も「植物の心臓、宇宙の花」と副題がつけられている。カセットテープのケースに封じ込めた植物の部分《カセットプラント》。黙示録的造形物《Calder Hall Ship Project》。近作の自立式絵画《コロニー》。知恩院経蔵の輪蔵をモチーフにした作品など。もちろん、船のようなイメージを中心に据えた巨大な銅版画も展示されており、迫力は相変わらずである。美術とか芸術というのは、自律した領域であるとは思うが、領域に自閉する危険もはらんでいるわけで、その自閉性を打ち破るのは自律性によるしかなく、しかし結果、より自閉しているような表現に到ることもあるのだが、いや、むしろ自閉を徹底することによってしか、打開と普遍には到らないのではないかという葛藤が、作品の巨大化を生むのだろうか。
  • 美術の力−時代を拓く7作家
    • 兵庫県立美術館
      • 河口龍夫
        • 蓮を鉛に閉じこめた作品群。中庭のようになっているところでは、鉛の板に蓮の種を閉じこめた作品を貼り付けたガラスに向けて、スプリンクラーが間欠的に噴射され、攻撃的な音を上げている。
      • ヘンリク・ハカソン
        • 鈴虫の鳴き声を録音、映像と共に再生。虫の声に対する日本人の美意識と、欧米人のそれとの対比を読み取るところまでいかない、非常に即物的な呈示。
      • ビル・ヴィオラ
        • 5面のスクリーン。水面に落ちる人体。作品の内容よりも、真っ暗な部屋の中で、出来事が起りそうな画面に向かってゾロゾロと動いていく人たちが、なんか変。
      • 小林孝亘
        • 風景や人物や車の後部やガスの炎や見上げるネズミや何やかやをのっぺりと描いた絵画。以前に比べると、物語性が薄まっているような印象を抱く。
      • ハンス・ペーター・クーン
        • 光の列と音の列、具体的にはスピーカーの列。32個のスピーカーと蛍光灯、厚いフェルトの床、床から天上まで延びる幅1メートルほどの赤い帯。音が動いていく。
      • 青木野枝
        • 溶断した鉄の輪と細い板をつなげた造形。「空玉」と名付けられている。高さ5メートル位の造形物が部屋一杯に配置され、メリーゴーランドの骨格のようでもある。最小限の要素の組み合わせで作られている形だが、溶断という手法と、形の大きさによって、概念的な性格を殺すことが試みられているのかと思う。
      • 蔡国強
        • 99隻の小さな金色の船が展示室の中ほどに浮かび、ガラス窓から外へ向かおうとしている。
        • 「青い龍」オープニングイベント蔡国強「青い龍」19:00-日没時刻やら天気の具合やらで、20:00を過ぎてからのスタートとなる。アルコールランプの炎を灯した99隻の小舟が、蛇行しながらゆっくりと美術館前の水路を横切っていく。曳航する船には蔡氏本人も乗り込んでいた。やがて、美術館の正面辺りで、小舟は一艘ずつ海中に没し始める。炎が消える静かな音が断続的に広がり、静寂が訪れる。大量の火薬や花火を使うのとは正反対の、非常に静かなイベント。実は、小舟を沈める積もりはなくて、もっと遠くまで引っ張って行く積もりだったのが途中で沈んでしまったそうなのだが、今回はこの失敗によって「芸術になった」。
  • コレクション名品選
    • 兵庫県立美術館
      • 日本の洋画:明治から現代まで/近、現代の彫刻/版画と写真/郷土ゆかりの美術 特集展示:村上華岳と兵庫の日本画家/金山平三記念室/小磯良平記念室という構成。地元でありながら、具体美術協会会員の作品を見られる場所がこれまでなかった(芦屋や大阪市もやってるけど、常設となると東京都現代美術館へ行かなければどうしようもなかった)ことを思うと、新館新築も意味があったか。

7月26日>倉敷

  • 2002両洋の眼−新美術主義の画家たち
    • 大原美術館
      • なんでわざわざ大原美術館でこんなもんをやらねばならんのか、コレクション展示しといてもらう方が圧倒的にありがたいのであるが、まあ行ったらやってたんで仕方無い。西洋近代絵画の方は展示されてたのだが、日本の近・現代美術の展示を無くして、これだったんです。《陽の死んだ日》が見たかったよう、とか《深海の情景》が見たかったよう、とか児島虎次郎があ、とか「自称」芸術家のヨシダミノルの作品をを、とか(くどいか)泣きの入り所はいくらでもあるのだが。しかしまあ、常設に匹敵する展覧会でなかったことは、圧倒的な事実としてどうしようもないわけで、その時点でなにをどう頑張ろうにも(誰がだろ)しょうがないわけです。さらに、大原の現代日本のコレクションの先に、この展覧会を持ってこられても困るものであってみれば、ちょっとコメントの仕様に詰まるんですけど。
  • イマジネーション・ワークス 映像体験ミュージアム
    • 倉敷市立美術館
      • 東京都写真美術館にある、映像の仕掛けの歴史を見せる展覧会。パラパラ系の歴史的なところから、現代作家の作品まで紹介。
  • 若竹の園/倉敷基督教会会堂
    • 倉敷市内
      • 和歌山で西村伊作の展覧会を見たので、建物だけでも見に行ってみたわけです。外回りをぐるっと見ただけですが、今は住宅地の中で、結構背の高い建物やアーケードもあり、埋もれて建ってる感も無きにしもあらずですが、建設された当時は、そりゃあ感動的なものであったことがしのばれます。

7月28日>京都

  • THE BOOK/鑑賞週間
    • ギャラリー16
      • 書物の形の作品いろいろによるグループ展。出品は、柏原えつとむ/加藤万也/岸田良子/庄司 達/関根勢之助/田中偉一郎/田中功起/田中広幸/寺田就子/長野五郎/森繁之という面々。本棚の上でひしゃげて立っている辞書類を、カラーコピーで再現した作品は(作家誰だっけ)意外と難しいんじゃないかとか。
  • 近代日本の異郷都市 京都名所再発見
    • 京都市美術館
      • コレクション展かと思いきや何と!特別企画展なのであった。それはそれとして、懐かしい京都の名所が絵になったものばっかりだが、実際の京都はどんなもんなんだろうか。バブル崩壊以降の方が、街の景色の変わり方が激しいような気もするが。嵐山とか、タレントショップができてひどいことになってから行ってないけど、最近はどうなんでしょうね。
  • 坂井むつみ展
    • アートスペース虹
      • 人型の空虚な凹みをさらす寒冷紗。
  • 百万人のための少女概論 坪口恍戈展
    • 立体ギャラリー射手座
      • 写真とテキスト或はテキストと写真。「少女」になぜこだわるのか、興味ない人間には意味不明であるが、少女ねえ。被写体が「少女」ちゅうより「ねーちゃん」なんだよなあ、女子高等学校生っちゅうのはって、偏見か。

8月24日>神戸

  • 鉄腕アトムの軌跡展 空想科学からロボット文化へ1900-200X
    • 神戸ファッション美術館
      • 岩野勝人による再制作オブジェにより、ロボットの歴史を概説し、鉄腕アトムを紹介。R.U.R.や、メトロポリスのマリアさんなんかの再制作オブジェ、使用後に捨てるんだったら欲しいな。(という気がするだけで、実際には貰える空間を所有していない)第二時大戦にむかう時期の紹介が、やや物足りないけど。タンクタンクローだけだし。さらに、アトムはともかくとして、70年代以降の部分、大阪万博のフジパンロボット館のロボット達の再展示は良いが、そこからガンダム、アラレちゃん、エヴァンゲリオンと、ありもの並べただけという印象。トヨタとか富士通とかの工業用ロボットでも持ってきた方が、良かったんじゃないのか。アトム再製作されるそうですが、既にあんまり興味がわかないやい。カタログの面白さと、展示内容の薄さのギャップが予想通りでもあり、ということは、展覧会でなくても良いんじゃないの、これ。
  • あたりまえのこと 堀尾貞治
    • 芦屋市立美術博物館
      • 「きったねー」という感想が微笑みと共に漏れ出るのを押さえることができず、しかし、そこで生まれる「きったねー」という感想は、日常の使用における「汚い」という言葉の意味する領域とは明らかに別の「きったねー」であり、そういった事態は堀尾貞治をめぐるあらゆる場と言葉において生じてしまうのであるが、美術とか芸術とか展覧会とか個展とか美術館とか作品とか発表とか制作とかパフォーマンスとか、事象を語るためには用語が必要なはずだという当然のことが、いちいちの言葉がその普通の意味では使えなくなってしまい、さりとて適当な言い代えや言い回しもあるわけでない。これは、話者の非力や国語力不足によるものでなく、堀尾貞治という現象の特異さを示すものであるのだと、断言してしまおう。それを「あたりまえのこと」として呈示されるということは、「あたりまえ」の世間が実は「あたりまえ」でないのか、はたまた「あたりまえ」という概念が狂っているのか、俺が「あたりまえ」でないのか、堀尾貞治が「あたりまえ」ではないのか、こういうことを考えること自体が「あたりまえ」でないような気もするが。「サダハル」という名前の響きは、いやが応でもホームランバッターを思いださせつつ、王貞治のホームラン記録などものともせず、はるかに陵駕しておつりでも持ってけ泥棒状態の無茶苦茶さは、田中敦子を「かっちょいい」の一言で言い切らねばならない潔さと等価のノイズだらけの大混乱した潔さなのであると、無理矢理言ってしまって賛辞とさせていただきますって、何書いてんだかわかんないのがどうしたってんだい!ってえもんよ。

8月25日>和歌山

  • 本居宣長と和歌山の人々
    • 和歌山市立博物館
      • 「国学」という学問領域の実態を、実はよく知らないままだったことを、この展覧会を見て思い出したが、それが解ったわけではない。本居宣長が和歌山と非常に深い関係があることを再認識した。しかし、ガラスケース内に宣長の書斎「鈴屋」の写真を巡らして、その上に宣長が好きだったと言う鈴を貼り付けた展示には笑ってしまう。

9月17日>京都/大阪

  • 中田憲男展
    • ギャラリーすずき
      • ベニヤ板に描いた街のざわめき。80年代のイラストのようだが、作者は若い。
  • 小名木陽一展
    • アートスペース虹
      • 「紙の墓標」軍備と戦力による扮装解決を否定した日本国憲法第9条や、コスタリカ憲法、マタイによる福音書中、復讐法すら否定しての絶対的な平和を訴える条を刷った紙の作品。織による制作を続けてきた作家だが、昨今の社会状況に対する怒りが露であり、それを共有できる私は少数派?年寄り?(語尾上げやめなさい)
  • 大谷豪範展
    • ギャラリーココ
      • 地図によるペインティング。というか、地上を真上から見た図が地図なのか、真上から眺めた風景が地図なのか、地図を描いているのか、真上から見た風景を描いているのか、地形を描いているのか、ストロークには個性を出そうとしているようだし、その辺りが作者の中で整理される必要がありそう。
  • 岸田良子展
    • ギャラリー16
      • 「断片/白地図(日の昇る夕べの風景)」偶然こちらも地図を主題にした作品。いくつかの国を州や県別に色を塗り分けた木のパネルで構成されている。フランスは解ったが、あとは結構どこだかわからない。
  • the open air
    • Oギャラリーeyes
      • 開廊3周年を記念する企画展として稲垣元則、上村亮太、児玉靖枝の作品で構成。稲垣は南国の屋内も屋外もない空気を匂わせるペインティング。大量のドローイングをかいているらしい上村はその中の数点。児玉は金魚をモチーフに茫洋としたペインティング。
  • 佐内正史
    • ブックセラーamus
      • 「HUGの季節」エッチな女の子の写真。つーんだが、女の子にエッチなポーズをさせる写真家がエッチなのか、エッチなポーズをしてしまう女の子がエッチなのか、そんなものを展示する画廊がエッチなのか、それを見てエッチと思う観客であるところの自分がエッチなのか、はてさてどうでもいいことだが。
  • 上村明子写真展
    • The Third Gallery Aya
      • 「beyond the dailylife 3」対象によって明暗の落差を強調した白黒写真。
  • 斎藤毅展
    • 番画廊
      • キャンバスに液上の絵具をたらした跡によってできるほぼ平行な線を組み合せた画面。

9月21日>和歌山

  • 山本容子の美術遊園地
    • 和歌山県立近代美術館
      • 「銅版画家」として、この作家の歩みを回顧する展覧会。最も初期の、バンドエイドなどを題材とした作品は魅力的。また、1980年代初期の、息詰まるような線による作品が頂点か。作家としても行き詰まった時期だったようだが、苦しい時の作品の方が、切羽詰まって見るに値するものだというのも陳腐だが、年とってだらけた魅力が出てくるにはまだ若いしね。それにしても、なんでこんなに人気あるんだろうねえ。

9月24日>高野山

  • 奥の院
  • 刈萱堂
  • 金剛三昧院
  • 国宝多宝塔
  • 高野山霊宝館
  • 金剛峯寺
  • 一条院

9月25日>高野山

  • 高野山大門
  • 金剛峯寺
  • 徳川家霊台
  • 女人堂

9月29日>徳島

  • 高村光雲とその時代
    • 徳島県立近代美術館
      • 日本の「近代彫刻」の基礎を築いた人でありながら、まとまった回顧展が開催されるのは初めてであるという。集められたものを見ると、確かにこれは自分の表現を追求していくという、「近代的」な芸術家観のあてはまらない作家ではなかったのかという気がする。作品が集められても、どうも「光雲像」というか、こういう作家であるというものが見えない感じなのである。光雲をスターターとしてとらえる展覧会の構成だったが、あるいは江戸までの彫刻の終点として見る方が落ち着くのかも知れない。日本の彫刻の歴史は、鎌倉の仏像彫刻で終わって、以後見るべきものはいなどと言われることが多く、学校でもそのように習った、というか、見るべきものはないと言われてろくに教えてもらわなかったりもしたのであるが、まさにその見られたものでない彫刻の代表格みたいなものが光雲だったのではないか。しかし、そこから日本の近代彫刻が始まっているということを、考え直さねばならない時期にあるのではないかということを、示す展覧会なのかもしれない。
      • 同じく浮世の下品な絵でしかなかった浮世絵が海外で評価され、19世紀後半以降のフランスを中心とした美術に強い影響を与え、それが逆輸入される形で日本の絵画に影響を及ぼすといった、絵画における表現の歴史的な展開に比すべきものが、彫刻の場合には見られない様子なのはどうしてか、とか、考え出すと大変だが、考える前に見ないとね。
    • 徳島県立博物館
      • 歴史、文化、自然と、広い領域を扱う展示。

10月13日>和歌山

  • 万葉薪能
    • 和歌の浦片男波公園野外ステージ
      • 狂言「蝸牛」/能「葵上」
      • 火入れの儀式(神式)やら、解説やらにも結構時間をかけ、メインイベントまでに疲れるが、見てる方以上に鳴物や演者への負担が大きいようだ。能が始まる頃には、笛も鼓もまともに鳴らなくなっている。鳴らない小鼓の音をPAで無理矢理拡大して、レゾナンスで発生するうねり音を聞く羽目になる。演者も喉がいたんで、声を出すのがつらそうだ。
      • なんでわざわざ「薪能の会」なのかよくわからんが、「能の会」にするには、ちゃんとした能楽堂が無いのかね、和歌山は。

11月12日>和歌山

  • 美術百科 この人のこの一点の巻
    • 和歌山県立近代美術館展
      • 百人ほどの作家の作品を一点ずつ展示。コレクションの一点一点をじっくり見ようという企画で、ストーリーのある展覧会ではなく、さりとて有名品を並べているわけでもなく、珍しい気もする。むしろこちらがストーリーを組み立てることになるのか。しかし、作家と作品の解説読むだけで、結構時間もかかります。

11月16日>大阪

  • EXPOSE 2002 夢の彼方へ ヤノベケンジ×磯崎新
    • KPOキリンプラザ大阪
      • 展覧会キュレーション:椹木野衣
      • 1970年のExpoを2002年にExposeするという意図で、大阪万国博覧会を起点に、会場跡地の光景に大きな影響を受けたという物語に立つヤノベと、お祭り広場を中心に、万博自体をプロデュースした磯崎のインスタレーションを対比させる。さらに、万博のシンボルマークを巡るあるデザイナーのいきさつ。また、ヲダマサノリの展示により、万博を巡るわい雑さ、曖昧さ、反博など、歴史からは整理されて消えてしまうだろうが、その時代を生きていた人間にとってはより本質的であったかもしれない細部を掬いとる。細部こそ大量であり、ここにもまた取捨選択と整理が行なわれていることは、それが展示である以上、当然でもあるが。ヤノベはチェルノブイリの廃屋で見た人形を主題にした立ち上がるロボットと、お祭り広場のロボット「デメ」を取り上げた新作を対面させて展示。新作は時々かがんで作品の前に作られた水溜りに顔面らしき所をつける。と、顔面は熱せられており、ジューッという音を立てて、湯気が上がる。鉄板を接ぎ合わせたたその顔の下には、太陽の塔の金色の顔が取り付けられている。ロボットの一番上には二つの球が並んでおり、月の石とバイオスフィアを模するものが並んでいる。その背後の壁からは、ニコニコ顔の黄色い太陽のようなオブジェから、シャボン玉が吐きだされている。磯崎はS字状に湾曲した回転する壁が8つか10か設置され、その両面に北斎の怪談絵などがプリントされ、回るにしたがって新たな視線強要し、また遮る。奥の壁に建築のプランが投影される。広島の爆心地で焼け焦げた死体の写真と、怪談を描いた浮世絵が壁の回転によって次々に視野に飛び込んでくると、お化けを描いとけば原爆の図になると思っていた丸木夫妻の話を思い出したりもする。建築家だからなのか、既成のイメージを用いることによって、建築でない場所のインスタレーションにおける、表現の幅を広げたいのかもしれないが、少なくともこの展覧会の意図を汲んだものにはなっていないし、作品らしきものとすら呼びうることを躊躇させるに足るものである。
  • 吉岡俊直展 "STEEL LIFE"
    • Sinkyone Art Space
      • コンピュータ・グラフィックによって、生物的なイメージを作り出した作品。
  • 松井紫朗
    • 信濃橋画廊
      • 「カーテン・コール」と題された展示。
  • 坪田昌之
    • 信濃橋画廊apron
      • 木を彫って、色を付けた作品。単純な造形であるが、単純さの中に、決定的な形を見出すのは難しいだろうと推測される仕事。彫り跡を残したり、青などの色彩を工夫したりしながら、作った手について思わせる形を生み出す。
  • 島本勇二郎
    • 信濃橋画廊5
      • ネガを加工して、人工的な色彩と独特のイメージを作った作品。
  • 大河内久子立体展
    • espace446
      • 鉄の塊から生えるように曲線を見せて伸びる細い鉄の線。
  • 金氏徹平 空白と漂白
    • Kodama
      • さまざまなものに、雪のように降り積もる小麦粉。甘い香りに満ちた展示室。うどんやラーメンの乾麺に小麦粉が積もる様はシュール。街中に同様のインスタレーションを行なった現場を記録したような写真(詳細は未確認)ツララのように垂れる石膏の造形。塗り絵の線をコラージュしてコピーしたドローイングのような作品。
  • 坂井淑恵展
    • GALLERY ZERO
      • 多様な青緑色を主調とする曖昧な画面。人物らしきものがたたずむ風景のような、場面。茫洋とした不安と諦念の沈殿する、画面。
  • 木村秀樹展Hideki Kimura: Translucency 2nd
    • ノマルエディション/プロジェクト・スペース
      • 80号位のパネル19枚を組み合せた巨大な作品。ガラスの温室を主題に、シルクスクリーンという技法や、絵画の平面性と奥行きや、色彩の多層性や、様々な問題を扱う作品。あるいは、芸術上の問題を扱うことを主題とする作品ということもできるだろうか。グリッドと線遠近法による絵画空間を措定し、そこに建築物らしいイメージ(語の正しい意味におけるイメージ)を配置しながら、綿密に計算された仮構を現出させる。
  • Contemporary Art Game Fantasia/HOSPITAL OF GHAMI
    • Gallery KURANUKI
      • 川島慶樹、石川コオ、ジャウマ・アミゴー、リュイス・サンスによるプロジェクト
      • ムスタン王国に建てられた西洋医学に基づく病院に作品を設置しに行こうというプロジェクトの記録展である。記録展ということは、そういうことをしてしまったんですね、この人たちは。
      • 今年の流行語の一つに「ちょボラ」っちゅうのがあったそうで、「ちょっとしたボランティア」の略ということで、公共広告機構あたりが元凶らしいのですが、まあ大きなお世話というか、チャリティーとボランティアを混同したうえ、わざわざ言われなできんのかい程度の話で騒ぎ立てる善意は害悪であると断言したくなる言葉でありましたが、一方、「ムスタン王国の病院に作品を持っていって設置する」といえば、これはちょっと聞くと「大ボランティア」ではないかということになります。しかしこれ、略すと「ダボラ」でありまして、「川島慶樹と二人のスペイン人」と聞くと、そりゃ「ダボラ」という印象を持つのは必然というべきか、既に実現されてしまっているにも関わらず、プロジェクト全体に対してそういう感想を抱きたくなるのも自然なことではないかと思いますが、しかし、ここで抱かれる、なんだか「ダボラ」っぽいという感想が、決して否定的なものではなく、むしろ肯定的あるいは称賛の意味を込めたものであることを、強調しておきたいと思います。というのも、「ムスタン王国の病院に作品を持っていって設置する」って、ありがたいのか人助けなのか啓蒙なのか自己満足なのか、なんだかわかんないでしょ。で、どれでもあるけどどれでもないと、本人たちもわかりつつ、何よりも「これを実現したい、見てみたい」という芸術家として最も根本的な欲求に忠実に行動した結果、この「ダボラ」性に帰結したのではないかと思うからです。
      • 無茶苦茶重そうなブロンズの鋳造作品を現地の強力さんに運んでもらって、病院の中庭に設置してきた川島慶樹、笑えます。
      • 共同の水場や病院の軒下に、二重丸を描くジャウマ・アミゴー。現地の人にとっては、何だかわからない、キレイになったけど、落書き要らんでーくらいに思われてるかもしれませんが、落書きに匹敵するほどの単純な二重丸が、そこに描かれる姿はやはり美術になっているわけで、これは作家の力ですね。
      • すべての記録をおさめた石川コオの写真も、変に力まず気取らず、現場の空気を良く伝えるものでしょう。というか、現地へ行かないかぎり、写真だけが出来事のすべてでもあるわけです。この、何の役に立つかわからないどころか、役に立たないことに積極的ですらありそうな、美術を象徴するようなプロジェクト全体を正面から記録していて、言葉で説明できない(すると「ダボラ」とか言ってしまいかねない)意義のようなものがにじむものです。
  • 実に2ヶ月ぶりの大阪画廊回りである。

11月30日>京都

  • 大レンブラント展
    • 京都国立博物館
      • 大混雑を予想して行ったら、結構空いてて楽に見られ、夜間開館のおかげで常設展示もゆっくり楽しめた。「大」がついてるだけあって、一時ちょっと流行した気味のある「××とその周辺」的な展覧会でなく、レンブラント一本で、しかも生涯にわたる画業を肖像画を通して概観できる内容。(「××とその周辺」つーのも、美術史研究が広がり深まってるという面があるのかもしれないが、展覧会としては、目玉作品ちょっとだけか、ひどいときには一つだけ+同時代というだけの二流品や三流品をおまけに、お茶を濁す風情を拭えなかったしなあ)注文肖像画や空想的肖像画の合間に、《サムソンとデリラ》や《聖家族》などの宗教画が織り交ぜられ、深みのある内容でした。ルーブルの《ティトゥス》も可愛い。総点数は40点でしたが、これで「来てない作品がある」とか言ったら、それは贅沢というもんでしょう。

12月11日>和歌山

  • 魔笛
    • ポーランド国立ワルシャワ室内歌劇場オペラ
      • 演奏、演技、歌唱とも、私ごときがごたくをこねる必要のない水準だったが、歌詞と筋のくだらなさを再認識。芸術のすばらしさって、何でしょうね一体。あの時代にゾロアスターだのイシス神だの言いながら、ぶち込まれることもなく、それなりに仕事ができたのは、ストーリーの下らなさでごまかしたからだったんでしょうか、などと、さらに下らん想像をしてしまいます。
      • ちなみに、ウィーン国立歌劇場で魔笛を見た経験のあるyouyouさんは、「セットがしょぼい」とご不満でしたが、まあ、ツアーだしなあ。

12月14日>神戸

  • 常設展示
    • 堀江オルゴール博物館
      • オルゴールと言っても、19世紀の後半から20世紀の初期まで、レコードなどの記録メディアが発明される時代に並走して、多く開発された自動演奏装置を多数所蔵し、音も聞かせてくれる。オートマタもあるし、保存も良い。フッフェルトのフォノリスツ・ヴィオリーナがオリジナルとコピーの2台もあるし。月替わりのプログラムで演奏をしているのだが、全部聞くには何ヶ月かかることか。
  • 未来予想図 私の人生☆劇場
    • 兵庫県立美術館「芸術の館」
      • 「未来予想図」は前向きですが、「私の人生☆劇場」って、後ろ向きなタイトルで、この矛盾を作品がどう解決してるんだろうなと思いましたが、基本的にみなさん後ろ向きな「人生ヨ劇場」という印象を受けました。
      • やなぎみわ
        • 展覧会タイトル自体が、この人の作品から着想されたのではないかなと思わせるものです。
      • 内藤絹子
      • 松井智惠
        • 小島、ヒマラヤ。少女は大きなツヅラを背負って、お山の方へ歩くのです。そちらの部屋には、紅がたたずんでいるのです。
      • 森村泰昌
        • 過去の作品に使った大小の道具をガラスケースに陳列し、ビデオを放映するインスタレーション。激しく「人生☆劇場」してて、回顧的。アルテジアか……
      • かなもりゆうこ
      • 児玉靖枝
      • 黄鋭
      • しばたゆり
      • 榎忠
      • 堀尾貞治
        • 前も後ろもなく「あたりまえのこと」を呈示しまくる堀尾貞治。美術館に着いた途端、そこには予想通り(予想してる私も私だが)のブルーシートと木切れ、板のちらかりが捨てられるように設置されているのか置かれているのか展示してあるのか、わけわからんけど、アルマンのまねしんとかになっているのであった。もおね、展覧会も展示室も作品もゴミも展示も廃棄も今日はちょっと寒いのそれがどおしたの。オールオーバー?傘?宴会?パフォーマンスも繰り広げられ、シンバルは飛ぶわ紐は伸びるわ紙の塊は落ちてくるわ、終わったとき、月空に「大丈夫、月は落ちない」とつぶやく私であった。
  • コレクション名品選III
    • 兵庫県立美術館「芸術の館」
      •  

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