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sleepie's running through art 2001
2001年に見た展覧会などの記録をまとめています。
昨年は、数え方にも寄りますが、結局170件くらいの展覧会しか見て回ることができなかったことを反省し、「今年は見る年にする!」と意気込んだんですが、さて、どうなることでしょうか。1月9日>京都/大阪
- 堀尾貞治「いつまでもできないタブロ」
- アートスペース虹
- 壁の一面が少しずつ方形で塗られ、形が重なって行く。一方に同じ作業が行なわれているキャンバス。そして、毎年恒例となっている年初の虹での個展のために、一年間続けられてきた思考の跡を示すスケッチ群。
- クウキデパートII
- 「漂白メディテーション」はねうさぎ
- 画廊の空間の奥に向かって狭まる水平の円錐形が木で組み立てられている。その突き当りに投光機が設置され、間欠的に見る者に強い光を投げかける。円錐の木枠に張られたスクリーンの外側から、空や浜辺を写した映像が投影されている。手作りのタイムトンネル(あの番組を見た覚えのある人はどれくらいいるんでしょうねえ)のようなもの。
- 金田勝一
- ギャラリーココ
- ペインティングとサメのモデル。江戸期のものらしい金屏風を樹脂でコーティングし、トマトの葉や金魚やサメをペインティング。キャンバスを銀のメタリックに砥いだ上からペインティング。サメのモデルにアイルトン・セナの乗車車両のカラーリングを施したもの。伝統的な日本風のキッチュさと、板金屋やプラモ屋の技術的な確かさの拮抗。
- 刻展
- 射手座
- 日本画3人のグループ展。
- NEW YEAR'S CALL 2001
- 射手座
- メールアートのグループ展というか、画廊宛に送られてきたメールアート年賀状の展示であったらしい。
- 伊藤由佳「It's alive」
- 同時代ギャラリー
- 重倉恵子「おかあさん わたし おじさん」
- 同時代ギャラリー
- 複雑な個人的な家庭の事情をドキュメントした写真なのだが、話自体捏造かもしれず、しかしそれにしては淡々としすぎており、結局個人の事情なんて他人にはそんなに面白いものでないのかもしれない、なんて思うのは、女性週刊誌みたいなモノにはまってしまわない性格の人間だけかもしれず。
- 田中里絵子 Go Go Girl!
- 同時代ギャラリー
- ありきたりなフェミニズム批判風で、もの考えてない振りしながら考えてるけど、浅薄。
- 勝山正則
- 平安画廊
- 木版による風景
- 溝江壽之
- VOICE GALLERY
- 同じ日付が365枚重なった日めくりカレンダー2001年の365日分。365 times a dayと記されているが、365日正月とか、クリスマスとかも読める。部屋の真ん中でぐるぐると回りながら日を追いかける。
- 森口宏一「the other world」
- 番画廊
- 一方の壁の前に、密閉された方形のケースの中に直立する一本の赤い薔薇。その背後の薔薇を図案化した意匠の線画を白色で刷った透明なアクリル板。反対側の壁の前に、同じく方形のケースの中の円筒形の水槽を泳ぐ金魚。そしてその背後の金魚を図案化した意匠の線画を白色で刷った透明なアクリル板。両者の間に、作者の肉体に合わせて作られたガラスケースが、キャスター付きのステンレスのテーブルの上に、4本のステンレスの棒で中空に支えられている。一つの自画像の形。
- いたるところに、いつもあるない。展
- Oギャラリーeyes
- 岡田修二と中谷昭雄の二人の作家によるペインティング。岡田はモノクロームのフォトリアリズムの手法による油彩。中谷はストライプの集積が生み出すグリッドによる表面。
- 菊池孝
- 天野画廊
- 薄くへがれた木の作品5点。曲げわっぱのような姿勢。天井に貼りつくでなく、ぶら下がると言うには自由に水平に広がる薄い木の形。
- 伊藤誠
- ギャラリー白
- 樹脂による変な形とメッシュによる変な形。傘の柄と傘の形の連続のような樹脂の線。手を撮った写真と指の形に接する紙の中空の形。
1月14日>芦屋
- 刃根康尚
- 芦屋市立美術博物館
- 曲は古いのだが、電子機器を使う作品で、機材が新しいせいか、何か変。ヤマタカEYEが参加するためか、若い聴衆が多い。そこら辺も、作品の「古び」や作者の加齢とのギャップを感じさせるところだったが、このギャップが、良い方向に働いていたのも確かだと思う。いや、年を取ったもんだ。
- ドキュメント具体
- 芦屋市立美術博物館
- 吉田稔郎氏の遺品資料を展示室に広げ、写真と作品を展示する傍ら、資料整理をしている状況も展示している。果たして展示期間中に整理は終わるのだろうか。
1月20日>奈良/大阪
- 川島慶樹
- Gallery GM-1
- 彫刻とドローイングとペインティング。ブロンズに抜いた細長い作品2点。これまでの制作の延長で、この作家独自の自然に不自然な生物のような形の作品だが、これからの方向を探しあぐねているという感じではある。
- 森田多恵
- 信濃橋画廊5
- 奈良で時間をとった上、雪だし、さらにクローズの時間を間違えており、下谷千尋展などを見損ねてしまう。ふにゃあ。ともあれ森田多恵は、部屋の真ん中に吊り下げられた装置から、その装置内部の構造を装置の二方向へ投影する作品。それは、装置の右と左であるか、前と後ろであるか、手前と奥であるか、むこうとこちらであるか。レンズが使われているが、基本的には針穴写真機の原理で、構成物の内部を外に投影する装置である。
1月26日>東京
- 美術館を読み解く
- 東京国立博物館
- 東京国立近代美術館による企画で、表慶館という建物を通して、近代日本における美術館という制度の成り立ちを検証しようという企画のようだ。が、以前、京都市美術館で中谷至宏氏が企画した展覧会(何だっけ?)の二番煎じ、それも悪しき二番煎じという感。おそらく、作家たちにとっても、企画者にとっても、この「表慶館」という建物が、「美術館」として現われてはいないのに、無理矢理「美術館」として読み解こうとした所が敗因(って、負けたことにするのもどうかとは思うが)。それは、見る側にとっても同様で、読み解く、あるいは読み解き直すためのテキストとして、この「表慶館」はまったく唐突である。かつて美術館だった廃屋を改装しました、という所から抜け出せていない。だが、だからこそ、業界ジャーナリズム受けは良いのかも。松井紫朗は、作品として唯一成功している。偏狭なジャンル論でない、彫刻とインスタレーションの境界を遊びながら、作品を一つの体験として提示している。栗本百合子は、理念のみで作品としては意味不明、下手くそ。谷山恭子は、展示ケースを現実空間とつなげるようなインスタレーションで、それなりに面白くなくはないが、ありきたりの美術館観批評によりかかって、それを越える部分がない。高柳恵里は、この展覧会に出品してる意味がわからない作家になっているが、作品のわけわからなさは、特筆すべきである。低温火傷どころでない、貧血性の作品だが、もの派をもの派にかけあわせたようなこの痩せ具合を、肯定的にであれ否定的にであれ、批評できるようになるまでは、もうしばらく時間がかかるだろう。テレジータ・フェルナンデスは、これまたよくわからない。展示ケースの中に白い砂山が作られ、ブラックライトで照らされているのだが、どこから出たのだろうとか、そういうトリッキーなことにしか、関心が向かわない。荒木高子もこんなことしてなかったかあ。
1月27日>東京
- ギフト・オブ・ホープ
- 東京都現代美術館
- 雪である。いや、大雪で、吹雪いている。美術館にたどり着いた時点であんまり動きたくなくなっている。それはそれとして、展覧会である。ベアト・ストロイリ、シドニーと東京の何てことはない街の風景写真をスライド・インスタレーションにしている。ヤノベケンジ、空也上人となり、その言説アトムスーツと化す。大岩オスカール幸男、ノアの方舟と楽園、パース狂てるで。わざとかもしれんが。しかし、こういう程度の問題意識の持ち方と表現って、むしろ公募団体展には一杯ありそうな気がするんですけど、わざわざ「現代美術」と断ったような場で、これが提示されるのは、どういう経路なのかと思います。ナウィン・ラワンチャイクンは、インソン・ウォグサムのスクーターによるヨーロッパ旅行を再現。八谷和彦、エア・ボード製作中。カチョー、船。スラシ・クソンウォン、バンコクの日曜雑貨、御自由にお持ちください。山出淳也、壁一面の塗り絵、どないせえっちゅうんじゃって、塗るんか。絵の中の綴りが間違うてるのは、しゃれか?天然か?イー・ジンギョン、ちょい不気味。リー・ミンウェイ、手紙を書こう。柿の木プロジェクト(宮島達男)、善意の押し付けっぽいにもかかわらず、果たして手放しで善行と言える行為であるかという、従来からの疑問が消えず。島袋道浩、タコが旅をしたり、いろいろ。結果、雑多という印象。むしろ、常設で、中原實がまとめて展示されていたのがめっけもんであった。しかし雪である。マルタ・パンに雪が積もって良い雰囲気なのだが、後ろの景色が余りにも散文的なのである。(牛乳の集配所か)
- プラメン・デヤノフ&スウェトラナ・ヘガー
- 小山登美夫
- BMWのアート・サポート・プログラムによる制作。とりあえず、ここに並んでいる作品だけを見ると、F1をテーマにした写真展にしか見えない。ICCの『出会い』展にも出品されているのと併せて見ると、解るのだそうである。(で、翌日行ってみたものの、解ったかというと、それが解んないのであるが、まあいいや)
- ピーター・ポマー
- TARO NASU GALLEERY
- ドイツの画家、壁に直接ドローイングしてる。
- Gallery's Debut
- RICE Gallery
- 以前の佐賀町エキジビット・スペースだった場所を、ギャラリー・コヤナギと佐谷周吾氏が共同で運営することになったんだそうである。とりあえず、両画廊の持ち物がならべられている。
- ミュゼ浜口
- とりあえずは大雪で、佐賀町から清洲橋を渡るのに遭難しかけてしまい、更に道に迷いながらも、何とかたどりつく。すごいわかりやすい所にあったんだが。浜口陽三の作品やら遺品やら、奥さんの南桂子の作品も見られてお茶もでき、状況にかかわらず一息つける場所だった。
- 小山穂太郎「phantom」
- 秋山画廊
- 都市の一角の夜景を写した写真の印画紙の一部を洗い流し、闇の中に形が記録されていることを暴露する。暴露とは、暴いて露にすることである。
- 箭内新一個展「sellout/hole」
- サージ
- 画廊の壁や天井に残された、展示のための穴の跡を、赤丸シールで示していく作品というかインスタレーションというか。特定の画廊という場所の、その場所性というか、その場所がその場所であることを、その場所において、その場所の特質を露にすることで、その場所自体に語らせる展示というか、作品というか、手段を作品化してるというか、ということだろう。しかし、こういうの「サイト・スペシフィック」と呼んでいいんだろうか?どっちでもいいけど。
- 山口勝弘「ドラゴンズ・ドリーム」
- INAX
- 台北でのプロジェクトの日本版だそうである。中空をうねるカラフルなチューブの端に、モニターが埋め込まれている。しかし、困ったなあ。
- 岩本朗展
- かねこアート
- 色彩とストロークを残す不定形なペインティング。色面はきれいだが。
- 新人展
- かねこアート2
- 白京子(油彩)抽象的な淡い色面に曲線が走る。久保木健夫(油彩)展示ブロックを構成した画面。掘切稔仁(写真)モノクロ、建築物の部分を主題にする。
- 常設展
- 南天子画廊
- 菅井汲、岡崎乾二郎はともかく、磯辺行久、なんと新作である。雰囲気はまるで60年代なんだけど。中村一美の最近の作品も。システムを追求することと、画面を成立させることと、絵画を描くことという、それぞれの理念やら実制作やらの折りあわせを苦闘している感。
1月28日>東京
- 出会い
- 東京オペラシティーアートギャラリー
- 島袋は都現美の『ギフト・オブ・ホープ』展にも出品してたり、似たような内容に思えたりするが、それはそれ。「出会い」と言われて、シュール的なデペイズマンを予想することもなくなったなあと、勝手な感慨を抱いてもみる。
- 幸福の場所を探して
- ワタリウム
- ジェームズ・リー・バイヤースの作品をこんなところで見ると思ってなかったなあと。
2月10日>広島
- 柳幸典−あきつしま−
- 広島市現代美術館
- 柳幸典の活動を回顧する展覧会。これまでにも結構作品は見てたはずだが、こうしてまとめて見ると、断片的にしか見ていなかった感を抱く。作家の問題意識の持ち方に一貫性を見直すこともでき、よい展覧会であったと思う。
2月16日>大阪
- 石原友明 Completly Blank
- 信濃橋画廊
- 「真空」を存在させること。それを、現実にやるとこうなるということ。画廊の一角に、真空を作り出している。そのためのガラス管や、工具類が組み立てられた装置が、画廊には置かれている。
- 石原友明 Ectoplasm
- graf bldg
- 触れることと見ることによる意味の出現を美術品の展覧という制度とともに問い返す点字による作品、作者本人が身体に装着するオブジェとその装着記録、話す作者をスローモーションでとらえて音を消したビデオなど、美術とはなにかを問い返しながら、美術の枠内楽屋オチに落ち込まず、知的遊戯でありながらスノビズムに堕さず、ユーモアを伴いつつ緊張を強いる、作品たちである。
- 小斉平真路
- 番画廊
- 東恩納裕一
- ブックセラーamus
- 川城夏未
- O Gallery eyes
- 油彩、微妙なヴァルールの差異で画面をほぼ二分し、形が描かれている、あるいはある形にそって、絵具が塗られている。
- 渡辺信明
- ギャラリー白
- ペインティング、相変わらずと思いきや、色の使い方が変わって来ている。カラフルになってはきているが、彩度は低く、グレージングなども加えて、くすんだ画面になっている
- 宮口弥生
- ギャラリー白
- 陶によるオブジェ。
- アズマヨシタカ・小倉暁・曽川あい
- city gallery
- 人体をテーマにしたグループ展
- 秦たかよし展
- city gallery
- Drawings'01船井裕・吉中正直・日下部一司
- sai gallery
- 船井裕:リトグラフの新作/吉中正直:ドローイング/日下部一司:葉書に鉛筆で手紙を書き、消して返事を書きというやりとり
- ル・コルビジェ版画展
- アート遊
- 藤島剛
- ギャルリー・ウー
- インスタレーション、わかりにくい、黒く塗られた直方体3つ対イミテーションの毛皮一本。(「わかりにくい」は、設置されている作品を、作品という物質として認識しにくい作品だという意味でした。)
- 中束範子
- ギャルリー・ウー
- 階段に赤いスリヨンテープで構成。
- 辻和美
- CAS
- ガラス、鏡、鉄を使い、衣装の拘束具としての側面を提示する。衣装が、そのイメージによって身体を拘束する点は、実は性差やらジェンダーやらセックスに関係なく生じ、あるいはそれらの差異を強化し固定化することによって暴力として現象するが、その暴力性を女性の身体性から実体化させたものと言えるか。
2月18日>京都
- 都鳥英喜
- 京都文化博物館
- 「明治の洋画家」である。油絵という舶来の方法で、絵を描くということ自体を身体化していった課程は面白い。しかし、後期の作品が、昨今路上の売り絵によく見られる、当たり障りのない「お絵描き」様式そのものであることには、複雑な印象を抱いた。あの無内容さとは何だろうか?そもそも無内容なのだろうか?しかし、内容があるとも思えないが。でも、内容って言ってるのは、何なんだろうか?
- 斉藤里香木版画展
- 平安画廊
- 立命館大学II部写真研究会
- 同時代ギャラリー
- 雪が降って良かったね。
- 色あそび 田中貴子
- 同時代ギャラリー
- 卵型の陶器、かわいいけどなめてるな。
- 大西健太個展
- voice gallery
- おやじギャグを写真と組み合わせたものだが、そこに書かれた「ギャグ」が、いわゆる「オヤジギャグ」なのか「さむい」だけのギャグなのかという、根本的な疑問を若干感じたが、どうでも良いか。
- 中路規夫展
- ART LIFE みつはし
- 80年代後半の作品から近作までを展示。斜面台にシートをそのまま見せる展示がスマート。
3月3日>芦屋
- 田中敦子
- 芦屋市立美術博物館
- かっちょええ。(の一言で終わらせてしまうのもどうかと思うが、まあ、そういうもんだし、むちゃかっちょええ)
3月9日>豊田
- 中原浩大
- 豊田市立美術館
- 豊田市立美術館のコレクションである回転イスと果物グラフとレゴモンスターに、写真、ドローイング、レゴの小品を加えた構成。イスは回り続けている。レゴは相変わらずの異様さである。
- コレクション展
- 豊田市立美術館
- たまたまなのだが、常設に金山明の部屋があり、1950年代から新作まで、10点ちょっと展示されている。浩大さんと、なんとなく似た雰囲気がある。何がだろ?
3月10日>名古屋
- 黒川紀章回顧展
- 名古屋市美術館
- 美術館の横に、万博パビリオンのトラス(?)の一部が置かれているのが、展示より面白かった。解体された部分なんて、粗大ゴミに等しいんだが、メタボリズムの建築の一部となると、それ一個で建築の全体像を説明しうる、重要なサンプルになるんですね。
- 名品コレクション展
- 名古屋市美術館
- おなじみエコール・ド・パリの面々から、現代美術、中南米ゆかりの作品たち。赤瀬川原平の特集展示が渋い。
- 岸田劉生
- 愛知県美術館
- さすがに劉生である。写真資料も展示されていたが、子供時代の麗子だけが、激しく写実でないのが不思議である。
- Mel Bochner
- Akira Ikeda Gallery
- ピッツバーグ出身のコンセプチュアル・アーティスト。12インチが1フィートとか、伊勢神宮の宮川の河原で自分の拳を基準に拾ってきた石を、ピタゴラスの定理などの概念にしたがって並べたインスタレーション(本人は「スカルプチュア」と呼んでいた。)と、赤白のペインティング。多分、ペインティングとかスカルプチュアとか、あるいはインスタレーションなどの、既存のジャンル分けが無意味な性質の作品。概念と実体のずれについてとか、ヤード・ポンド法と、メートル法と、尺貫法についてだとか、伊勢神宮の遷宮だとかについてだとか、作家自身がいらしたのでいろいろ話す。
3月11日>岐阜/京都
- 常設展
- 岐阜県美術館
- ここの収蔵作品ではルドンが有名だが、山本芳翠の『浦島図』とか木村荘八『パンの会』なんつう楽しいものもあり、屋外には榎倉康二の『壁』が再制作されて残ってたりするのであった。
- 京都芸術センター
- Channel N
- 会場として定着し、「小学校」という場所の特性を全面に出して利用したり、場所性によりかかるような表現ではなく、ニュートラルな展覧会場として馴染んで来た。一方、ピアノが置かれたままの元音楽室で、音を造形の契機とした白木ゆりの作品が見られたりもして、「教室」的な部分と展覧会を見せる面との使い方がうまくなってきたと思う。牛島達治氏は、作品の調整を続けていたらしい。大変である。一度発表した作品だが、場所が変わるとやはり予期しない新しいトラブルが発生するらしい。
3月31日>東京
- NICAF
- 東京国際フォーラム
- 思ってた以上に、割と盛況。一画廊当たりのブースは狭く、作品も全般に小振りだが、それゆえにか、結構動いてもいるようだ。佐谷のお父さんがお元気で、展示解説をしてくれる。しかし、これに行ったので、同時期に開催されていたヤノベケンジの個展に行きそこなってしまった。
4月14日>福井
- 福井市美術館
- 仕事のついでに建物を見に寄った。見事な逆バンク。強風に煽られて自走してしまう清掃用はしご。取り換えようのない天上埋め込み式の電球(しかも階段の上で天上高6メートル)。さすがは黒川紀章先生。それはともあれ、高田博厚の作品と生涯を見られる常設展示は充実したもの。ワークショップなども頻繁に行われているようだ。
4月16日>大阪
- 善積湖戯人
- CUBIC Gallery
- 「ヨシヅミコギト」という名前は本名だそうである。作品は銅の板をさまざまに曲げたものにビス打ちしたもの。「ネジノジガ」だとか。北山善夫氏のアトリエで、子供時代から遊んでいたというか、手伝っていたというか、していたらしい。
- 中辻悦子
- 信濃橋画廊
- 人体を基に抽象化された線、グラデーションの目。
- 仲辻妙子
- 信濃橋5
- 麻布を箱状に折って着色、四角い余白にペイント。
- 山本亜紀展
- 信濃橋apron
- 黒い画面に青い円、あるいは球が描かれる。
- 小田英之
- AD&A
- 原爆とDNAを主題にした作品。CGのプリントとアニメーション。
- るさんちまん
- AD&A
- 劇場仕立てのビデオ・インスタレーション。下半分にスチームを溜めたガラスケースに、よく解らないテキストの投影と、ドンチョウの開閉によって間歇的に展開されるビデオの小品。チープな音楽も笑わせる。とおりゃんせのメロディーとパッヒェルベルのカノンが絡んだり。
- 高原洋一
- マーヤ
- 遺跡の発掘現場などの写真を主題にしたシルクスクリーンによる版画。
- 今井たえこ展
- SAI Gallery
- 「虹のかなたに」を主題にしたペインティングとオブジェ、昭和30年代初頭の多摩地区で撮影された8ミリホームムービー。二子玉川遊園での休日など。
- 趙誠茅
- 天野画廊
- 韓国の画家
- CITY CORE II 三澤浩二/上久保訓
- CITY Gallery
- 猪原秀彦
- Oギャラリーeyes
- ブロンズの立体
- 粟津尚子
- ギャラリー白
- 原色絵の具の厚塗りによる日本の伝統的文様
- 美藤信市
- ギャラリー白
- プリミティブなのか何なのかよく解らない絵。キャンバスの断片が壁に貼られ、床に撒き散らされている。対象も技法も一定しない。どうしたもんだろうか。
- 泉茂
- 番画廊
- 未発表のドローイングなど。70年代初頭の抽象的なドローイングに写真をコラージュした作品、平行線の筆跡による作品など。
4月29日>姫路
- 20世紀美術の形と動き
- 姫路市立美術館
- ドゥニーズ・ルネという人がやってる画廊がパリにありまして、1950年代の後半から、構成主義的な抽象芸術や、キネティック・アート、ライト・アートと呼ばれることになった傾向を精力的に紹介する活動をしてきたのでした。そういった活動の中で取り上げられた作品や表現を中心に、20世紀の美術を見直そうという展覧会でした。
5月11日>東京
- 国宝醍醐寺展
- 東京国立博物館
- なぜわざわざ東京くんだりまでやってきて、こんなもんを見なければならんのか、という疑問はあるものの、たまたまやってたので見ることは見たのである。
5月12日>京都
- 中川美代子展
- ギャラリーすずき
- 奥田容子インスタレーション
- アートスペース虹
- ひもに茶碗などが吊り下がるというか、穴を開けて焼かれた茶碗やティーカップに、紐を通して吊り下げるインスタレーション。
- 青木拳「磁土 白い風景」
- はねうさぎ
- 細い陶磁。小さい造形で、シャレみたいなところもある。爪楊枝ほどの陶を組み合わせてジャングルジムのような形を作り、窯でへたらせた造形など、緻密さとユーモアの絡み具合が面白い。
- 楢崎泉展
- ギャラリーCOCO
- 松本朋子展
- ギャラリーCOCO
- くぼまり
- ギャラリー16
- ネットを巻いたり並べたりして形を作る仕事。
- 長谷川博士
- VOICE Gallery
- 写真だが、対象に接近し過ぎたり、いろいろして、何が写ってるのかわからない写真である。写真の真は真実の真だとしても、そりゃ一体何か、という写真。
- ティナゴーン・ガーソンスワン
- ギャルリー宮脇
- タイの版画家である。伝統的な風俗に取材しながら、現代的な造形にまとめるという、かの国の作家らしい表現である。
5月13日>京都
- 日本のからくり人形展
- 京都高島屋グランドホール
- ちょっと企画性が勝ってるが、名古屋方面の祭礼の山車で今も実際に使われている人形などを展示。その他にも、からくり人形の白眉である弓引き童子が出品されていたが、こちらの動作はビデオのみ。そういえばトヨタのコレクションが東京の科学博物館に寄贈されたんだっけ。
6月30日>福井
- 宇佐美圭司・絵画宇宙
- 福井県立美術館
- 回顧展なのだが、作品の大きさもあるし、量もすごい。60年代から継続して精力的に活動を続けている画家だが、どうも日本の近代美術史って、そういう人ほどまともに扱えないみたいな気がする。既に60年代の評価が固まって、終わってるみたいな見方しかできん感じ。私もあんまりろくに批評の言葉を紡ぐことはできないですが。新作はどんどん大きく、動的になっており、現在の美術の状況如何にかかわらず、突進を続ける画家の姿勢こそ、制作に必要なものであると思うね。それが見える、良い展覧会でした。
7月2日>大阪
- 宮崎豊治
- 国立国際美術館
- 鉄を素材にしながら、作家個人の身体や生活や記憶を主題に、造形を続けている作家の回顧的な展覧会。70年代の作品を見られるのは久しぶりではないだろうか。自分を超越的に見る視点からとらえているのだけれども、その視点は、「神」みたいな高い所にあるのではなく、やはり自分の主観であるという、二重化された客観性というか、脱主観的な主観性というか、そういう視点を感じさせる彫刻。ところでこの美術館、正式には「独立行政法人国立美術館国立国際美術館」になったんですかね。
- 宮崎豊治
- ギャラリーほそかわ
- 新作立体10点弱。小さな人体を背後から覗く自分。
- 常設
- sai gallery
- 藤本由紀夫、ボイス、他
7月3日>大阪
- オプ・トランス!
- KPOキリンプラザ大阪
- 今さら「オプ」などという範疇を持ち出して、何をどうしようというのか。と言うのは「今さら」と思われているものを、「今さら」という形で語らせないための言葉なり戦略なりが見出せないからなのだが。単純に、学者が美術史的な再評価を行なうというのなら、それはそれでやれば良いのだけれど、そうでもないみたいだし。この会場のために作られた作品でないという点を差し引いても、「オプ」という形容詞を冠するには、どの作品も圧倒的に力不足。最近は知らないが、昔は小さいディスコでももっと「オプ」してたよな。(ディスコって、もしかして死語ですか?)
- 高橋耕平展
- 信濃橋画廊
- 写真の表面を洗い流した仕事。その点だけを見ると、小山穂太郎のフォロワー、と言ってかっこ良すぎるなら真似し、で終わってしまいそうだが、物としての印画紙の扱い方による表現を追求するという方向で、なんかやってくれれば面白いかな。
- 赤岩史子展
- 信濃橋apron
- 鉄板と石膏(?)によるコンセプチュアルな仕事。
- 島本勇二郎展
- 信濃橋5
- 焼いたカラーポジの写真。
- 青木綾子個展「花屋敷」
- Kodama
- 神経の昂ぶり型の仕事だろうか。幼稚さ、幼児性、原初性と狂気や残酷さをからめて、禍々しさを演出しているのか、提示しているのか、作家の質としてそうなっちゃうのか、その辺は見切れないところだが。
- 志智正展
- 番画廊
- 弧などの幾何学的な線条を重ねたペインティング。
- 里博文写真展「不思議の森−Wood of Mystery」
- third gallery aya
- 森の中の女性を撮影した複数の画面を画像処理で連続させ、ネガのプリントアウトを焼き付けた写真。森の中に横たわる頭部のない女性の裸体はデュシャンの遺作を容易に想起させるものだが、複数の視点から撮影された写真をコンピュータ処理で合成した画面はアルトドルファー/ブリューゲル的。
- 呉元俊松/中馬泰文「表紙の絵」展
- ブックセラーamus
- 中馬氏が手がけた『船団』、呉本氏が手がけた『樹林』というふたつの文芸誌の表紙デザインと、そこにデザインされたモチーフを展開した作品。ムーン・ライダース的にモダンでおしゃれな感じ。
- 村井八郎展
- クォーレ
- 小麦粉を水で溶いたプールと、そのしずくを滴らす造花の薔薇の花束。変化の様相を展示しているのだが、つまりは腐敗の過程であり、臭い。
- 大西久
- ギャラリー白
- 葱坊主のようなウドのようなショウガのような形を、ほぼ無彩色で描くペインティング。
- 南恵
- ギャラリー白
- 部屋を大きな箱で仕切り、その上に不定形な立体。迷路のように細い通路を進んでいくと、最後の一角には、リアプロジェクションで、こちらを写した映像が時間をおいて投影されている。非常に解りにくい。彫刻を作ってる人だと思っていたのだが、新しい展開をしようと思っているのかもしれないが、問題意識の焦点がぶれているのか、ずれているのか、という感想を抱いてしまう。
- SWAY
- Oギャラリーeyes
- 奥野規と松田香理による二人展。いずれも写真を使いながら、奥野は珍しくはないが変てこな風景をモノクロームにプリントし、松田は日常の一角を切り取った写真をリトグラフにする。
- アーティフィシャルな位相 パート1
- 天野画廊
- 思考XI−原質と原形
- シティギャラリー/ホワイトキューブOSAKA
- 伊藤秀男展
- ホワイトキューブPB
- 絵本作家による、硝子絵を箱に組み合せて立体的な風景を見せる。
- 大久保武展
- H.O.T.
- アルミの板にグラインダーでヘアラインを刻み、反射のマチエールを見せる。以前クォーレでも見た仕事の大きいもの。
- 小河朋司
- ギャラリーKURANUKI
- ストライプの裏側の色彩が、壁にほのかな形を落とす。大小あわせて42点、セットもあるから90点ほどにもなろうかという規模の個展。抽象的にただ色彩を見せる作品から、色彩による形を見せる作品へと移りつつあるのか、両方試みているのか、というところだが、形がはっきり見えすぎると、色彩を意識させる面が弱くなってしまうので、難しいところだと感じる。
7月21日>大阪
- 堀部恵美子
- 信濃橋画廊
- 設計図面のような銅版の線。カラーリトグラフと組み合せたり、いろいろなことをしているが、緻密な世界を作り上げている。
- 小川峰夫
- 信濃橋画廊apron
- 家具のような一対の作品。黒い直方体の上の面に彫り跡を残した木がはめ込まれていたり、黒い直方体の側面から引出のように飛び出した形の上の面に彫り跡を残した木がはめ込まれていたりする
- 池垣タダヒコ
- 信濃橋画廊5
- 石膏に刷った銅版の立体。立体的に成形した銅版の中に石膏を流しこみ、硬化の熱と膨張で、インクを写し取る仕事。
- 永井桃子
- 番画廊
- 童話の原画とペインティング。豚の光景。
- 辰巳直也写真展
- The Third Gallery Aya
- 路上生活の方々を収めたモノクロームの写真。会ったことがあるような気のする人たちである。
- 葉栗剛展
- クォーレ
- 木彫によるカリカチュア的な人物像。ヤンキーの皆さん、にいちゃん2人、ねえちゃん1人、バイク2台。
- 山中隆展
- ギャラリー白
- 細長い紙に着色、ドリッピングして貼り合せて行く作品。
- 館勝生
- ギャラリー白
- 絵の具、キャンバス、ストローク。相変わらずと言ってしまえばそうですが、微妙に展開しているような、後退しているような、どうでしょう。
- アーティフィシャルな位相 パートIII
- 天野画廊
- 藤原和子、他
- 場所-I展(?)
- シティギャラリー
- 水、ポリタンク、樹脂で象った身体の一部、写真。
- 福永千紗
- White Cube Osaka
- イラスト
- 津吉ゆうこ
- White Cube PB
- 絵画
- 藤原昌樹
- H.O.T.
- 鉄板によるヤジロベエ。ほとんど溶断して曲げただけという感じの細長い鉄が三枚、溶断して曲げただけの三つの支点の上に乗っている。
- 杉浦隆夫 ナンセンスな遊び−砂浜で埋まる−・−家の庭で埋まる−
- Oギャラリーeyes
- 縦穴を掘って埋まる、という、それだけ。自宅の庭と、近所の浜辺で2回やったらしい。ビデオ、CD-ROM、写真による記録と、再現インスタレーションと呼ぶのもはばかられるような簡素な作り物。単純で、バカのようだが、何を考えればよいのか考えずにはいられなくなる、曲者な作品(と、呼んでいいものかについても考えてしまう)。
7月22日>福井
- ジャポニスム展
- 福井市美術館
- 小規模だが、特にアール・ヌーヴォーへの日本美術の影響をすくい取った展覧会。小規模ゆえに、日常生活に密着した造形に、日本の影響が強く表れていたことを感じさせる。ちょっと気になったのが、アール・ヌーヴォーという名称の起源となった美術品店を興したS・ビングの名が、サミュエルとされていたこと。この人、本当はジークフリードだったのだが、ユダヤ系だったので誤って「サミュエル」と呼ばれるようになったと聞いたことがあるのだが、どうなのだろうか。
- 宇佐美圭司・絵画宇宙展
- 福井県立美術館
- 講演会があるというので、聞きに来た。会場には作者のアトリエが再現されていて、実際に制作も行われていた。芸術家が公開制作をしたり、自作についての講演をするというと、自己顕示とか目立ちたがりとか思われる危険があるが、この人の場合、あえてそんなことをやって、自分を見直したいという欲求が強いようだ。自作を論理的に説明しようという意欲も強く、おかげで難しく考えすぎているのではないかと思わせるところもあるが。勤めていた大学の体制についての辛辣な質問などもあり、一筋縄でいかない密度の濃い内容。
8月17日>田辺
- 郭徳俊
- 田辺市美術館
- 1960年代、キャンバスにボンドや胡粉を塗り固め、盛り上げ、透明感のある滑らかな表面に、複雑に作られたマチエールを見せる絵画作品。具体的な形、極度に抽象化され、デフォルメされた人物や顔の痕跡を認めることができる画面には、風刺や批判の精神が響いている。
8月25日
- 古久保有亜ヴァイオリンリサイタル
- ちょっと趣向を変えて、クラシックのコンサートに行ってみる。なかなか堂々とした弾きっぷりだが、なんか途中から出てきた司会者が、さっぱり訳わかっておらず、ぶち壊し気味。奏者にはかわいそうだった。
8月31日
- Little Dancer
- なかなか映画館へ行く時間が無く、久しぶりに見た映画。主人公のチョカチョカした動きが、私に似てると言われてしまう。クラシック・バレエを目指す男の子の話なのだが、しかしT-Rexの偉大さを改めて感じたりもするのである。
9月5日>大阪
- 新野耕司
- 信濃橋
- 日野あすか
- 信濃橋画廊5
- 奥田右一
- 信濃橋画廊apron
- 伊庭靖子
- AD&A
- 食べ物の一部を拡大した写真を写した油彩画。写真が元になっていることを意識させるような描写は、焦点深度の違いによるぼけによって意識されるが、一方で全体もぼけており、そのぼけ具合は絵画でしか生み出せないものかもしれない。
- 中川久子
- AD&A
- 中馬泰文
- 番画廊
- 組み立て前のプラモデルを主題にグラフィック処理した作品。かつて定番と思われた戦闘機や軍艦、戦車などに混じって、ガンダムが取り上げられているのが違和感もあり、妙に納得させるところもあり。
- 3世代展 - 3 Generation Photo Exhibition [KUUKAN]
- The Third Gallery Aya
- Style and Reflection
- O Gallery Eyes
- 園川誠と前田朋子。ペインティングの二人展。
- 多田規子展
- 天野画廊
- 河上襄展
- シティギャラリー
- 谷名恵理子展
- WhiteCubeOSAKA
- そうまこうへい展
- WhiteCubePB
- 黄瀬重義
- ギャラリー白
- 北村暢
- ギャラリー白
- 澤田語郎展
- クォーレ
9月8日>京都
- 増野智紀「原色の文字たちのゆくへ」
- ギャラリーすずき
- 孫雅由
- アートスペース虹
- 小型の版画、ドローイングを集めた展覧会。モノクロームの神経質な線描から、色彩豊かな柔らかみのある色面への展開。
- Between the Lines
- ギャラリーココ
- 京都の工芸
- 京都国立近代美術館
- 「工芸」という語彙自体の持つ問題(美術を語るために捏造された言葉なんじゃないか、とか)もさりながら、前世紀後半に京都という土地で、伝統的な「工芸」の技術、技法、材料を用いながら、いかに多様な表現が試みられてきたかを、コンパクトに示す展覧会。作品数は多くなければならず、大型の作品もなければならず、会場等には限りがあり、等の条件は、特に厳しかったことが予想されるが、手堅くまとめた印象を持った。
- 大石ゆきよ展
- ギャラリー16
- 井原義雄展
- 射手座
9月14日>東京
- 村上隆
- 東京都現代美術館
- 草間彌生展にもバルーンあったけど、使い回しか?流行ってるんか?まあ、大分前からバルーンは使ってはるか。展示は大型のプラモデルのようなもの(フィギュアっちゅうんですか)から始まるが、最終的にはキャンバス上の絵画へ行き着くという感。それよりも常設展で、亡くなられたばかりの斎藤義重と堀内正和を回顧する一角が設けられており、点数は少ないが充実した内容。
- Rice Gallery
- Are You Meaning Company/中村哲也/ナウィン・ラワンチャイクン/束芋
- 近藤正勝展
- TaroNasuGallery
- 風光明媚な山岳風景を、彩度を異様なほど高めて油彩で描いた作品。
- 小山登美夫ギャラリー
- 展覧会は終わって閉まってましたが、片付ける途中の奈良作品を見ました。
- ミュゼ浜口
- 中川佳宣
- タグチファインアート
- ギリシア陶器の壷の形態を引用し、バラ科の植物名と組み合わせたオリジナル作品集と、立体作品数点による展示。土から生まれるものの感覚と、呼応する作品。
- 宇佐美圭司・絵画宇宙展
- 三鷹市美術ギャラリー
- 東京でも見てみた。かなり狭い会場で、規模も小さくなっているが、厳選された作品によって、回顧展としての迫力は十分備えている。会場自体が小さいので、最近の巨大な作品を見られなくても、充実感あり。
9月15日>東京
- 現代美術の手法(6)−光とその表現
- 練馬区美術館
- 石井勢津子、上田薫、瑛九、倉重光則、小山利枝子、作間敏宏、佐藤時啓、杉本博司、高橋洋子、徳永雅之、菱山裕子、山口勝弘、吉永裕という13人の作品を通して、光の表現を手がかりに現代美術への一つの切り口を見ようという展覧会。しかし、この人選は、展覧会としての主題をまとめきれていないことを示すものだろう。「多様さ」が、曖昧模糊の言い訳となっている。
9月16日>栃木/東京
- ヴァイブレーション[結びあう知覚]
- 宇都宮美術館
- 15人の作品と「ヴァイブレーション」という言葉を通して、美術に触れる回路を開こうという、実験的な傾向の強い展覧会。「彫刻」と分類されてきた作品が多いが、「彫刻展」という構成を取らず、歴史的な枷も外して、作品を見る場を生みだそうと試みたようだ。カタログには唐突に石原友明も参加。
- 高村光太郎、平櫛田中、柳原義達、アルベルト・ジャコメッティ、コンスタンティン・ブランクーシ、ドナルド・ジャッド、アントニー・ゴームリー、安田侃、青木野枝、伊藤誠、佐藤時啓、原田要、椎原保+樋口裕昭、安藤栄作、平田五郎
- なかなか脈絡をつかみにくい人選、というか、「脈絡」という考え方自体を問題にして、しかし新しい「脈絡」を提案するのでなく、「脈絡」を生み出しながら見ることを要請する内容だったんだろうと思うが、しかし、作家ごとにブースで分かたれた展示のため、個々の作家と作品に集中することと、隣の部屋や、展覧会全体による発言のようなものを感じるには、難しさを感じた。
- 私の中のフリーダ/森村泰昌のセルフポートレイト
- 原美術館
- ポスターを見た限りでは、失敗だろうと思ったのだが、実際には、簡単に成功/失敗と割り切れない、複雑な世界があった。森村の「作品になる」という姿勢から見れば、フリーダ・カーロの痛みに「なる」ことはほとんど無理じゃないかという先入観があって、そういう意味では作品の表面をなぞっただけにとどまっている感じもしてしまうんだが、しかし、この「表面をなぞるにとどめる」ことを、森村という人は意識してやってる面もあるようで、一筋縄で片付かないものであると思うのでした。
- John MAEDA: Post Digital
- ICC
- 文字、アルファベットの一字一字をどのように表現するかとか、文字の表示を行なうことを批評的にやってみたら、美術みたいになっちゃったというか、美術というのは元々そういう実験の場なのじゃないかとか、まあ、そんなことを考えたりしました。ちゃちっぽい(あくまで「ぽい」です)ソフトで、この人が作ったものを見たことがあったような気もするが、ソフトとしては「役に立つ」ものでないので、あんまりしっかり覚えてないように思う。しかし、既に懐しいものの領域に入ったような気もしつつ、こういう作品は古びることなく残るのではないかとも思うのだった。しかし、常設はどこへ行ったんだ?
- わたしの家はあなたの家、あなたの家はわたしの家
- 東京オペラシティアートギャラリー
- ホウ・ハンルゥ、ジェローム・サンス両名の企画による国際展の東京バージョンだそうである。11人/組のアーティストによる展覧会。
- アトリエ・ワン
- 考現学の影響を受けているのか、小さな家の模型を遠くからモノキュラーで見せたり、首都高をガイドしたり、リサイクル・プランの提案があったり、ホームレス’ホームの採集をしてたり。「ワン」って、1(one)じゃなくって「bow wow」だったのね。
- B.a.d & ネイバーズ
- ハウステンボスに勝手に提案をしてるのが笑える。
- キム・ソラ/ギムホンソック
- 電化製品で固めたイグルー。
- イェンス・ハーニング
- 外国人無料。
- スラシ・クソンウォン
- ラッキー・トーキョー2001
- 東京都現代美術館での「ギフト・オブ・ホープ」展にも出品していたが、応募者全員に豪華景品から粗品まで、とにかく何かが当たる、というイベントを作品にしてしまう。会場では何も当たらなかったが、その後、作者手作りのバッグを送ってきてくれた。サンキュー。
- ザビエ・ムラン/小浜泉
- 楽に生活するための支えとして展開/組立直しできる衣類や鞄。実際に役に立ちそうなものと、全然あかんやろ、というものが混ざっているところが、逆に笑える。役に立つかどうかという判断自体が、実際には各人各様なはずで、「役立つ」とはどういうことか、とか「便利な生活」とは何か、とか、そういう反省を要請する積もりもあるのかないのか、そこまで見えないところも微妙。
- 小沢剛
- カプセルホテルで相談芸術。カプセルをより快適にするためにはどうするかで、結局装飾へ向かったような。
- ペリフェリック
- ポスター・ウィンドウとか、ネオン・ネストとか、ちょっとわかりにくかったな。
- スゥ・ドーホー
- すけすけのナイロン布でニューヨークのアトリエを忠実に再現。彼の作品には、ヴェネツィアでも会うことになる。
- ワン・ジャンウェイ
- 違法海賊板ビデオを集めたホームシアター。ただそれだけのもんになってしまって、失敗でしょ、これ。
- 山出淳也
- あちこちの家で実際に使われているカーテンを借りてきて、高く吊る。結構キレイで、なかなか味わいのあるインスタレーションになっている。家の窓の大きさって、実感をもって見直すこと、ほとんどないもんね。
9月17日>東京
- ジョージ・シーガル
- Bunkamura
- 回顧展で並べられると、高名な作家については、高名な作品を知っているだけで、実は作品について知るところが少なかったのだと気付くことも多いが、今回もそういうケース。石膏でモデルから直接型を取る作品という、制作の方法論ばかりが有名な作家だが、そこにいたった経緯とか、宗教的バックグラウンドとかが紹介されていて、充実した回顧展。ただ、本当に有名で代表的な、1960年代のアウトサイド・キャスティングによる無着色の石膏作品が、ほとんど出品されていなかったのが、不満といえば不満。
- sap art-ing tokyo 2001
- セゾンアートプログラム
- かつての幼稚園と小学校の建物で開催されている、若手作家を発掘する展覧会。かつての小学校での展覧会、というのも結構定着してきて、それ自身では目新しいものでは無くなってきたが、展示会場としてではない歴史性をはらむ場所での展覧会は、その歴史性とどうつきあうかという問題を、常に抱えることになる。この展覧会では、その点については各作者に任せられたようだ。見ての印象だが。かつての教室というシチュエーションを、うまく利用できた作家もいれば、完全に無視を決め込んだ者もいた。悲惨なのは、利用しようとして失敗した人で、数人は目も当てられない惨状という感じでした。特にうまくいった人と、ひどかった人は、場所のせいということにして、あまり反省しすぎないことでしょう。
- 岡田一郎:地下からの鉄パイプと風、漏斗状の開口部にパラフィンの蓋。
- 古厩久子:手の動きを写したビデオ。
- 伊部年彦:不気味を装ってたり、絵が吊られていたりするインスタレーション。
- Are You Meaning Company:何か、テニスしたはるんですけど。
- 中尾寛:校庭の地下の構造を利用したインスタレーション。だが。
- 田中功起:休憩室みたいなものが作られてたんですが、何だったっけ。
- 中川絵梨:ステンレスの板に加工した作品なんですが、これが調理室に展示されていて、場所に溶け込んでしまって、作品としての存在感まるでなし。かわいそうなくらいでした。
- 小野瀬裕子:「教室」性を完全に隠蔽して、「ゴージャス」な空間を作り出している。「教室」であるという記憶を逆手にとって、まず驚かすことで成功している。
- 小林耕平:ビデオなんだけど、CGなのかな。ポワーッとした動きを見せる作品で、緊張感を強いるかと思うと、外している感じもあり、よくわからない。懐し系のような気もする。
- 小林晴夫:雪山が再現されているのだが、良くわからない。後片づけが大変だろうなとか、そういう感想。
- デジタルPBX:講堂を真っ暗にして、さまよう形のインスタレーション。学校には謎の空間があったことを思いださせる効果有。
- 風間サチコ:木版で風景を素材にひねった表現。
- 鈴木理作:写真を壁と、教室内の各机に配置。インスタレーションとしては、うまく行ってるんじゃないでしょうか。
- 正木隆:黒字のキャンバスに白一色で建物を描いた絵なのだが、不気味。
- 藤城凡子:ボタンを縫い付けられて異様な状態にあるお人形さんたち。悪意があるのかフリなのか。
- 西村雄輔:蜂蜜で虫を呼び寄せたり、自然状態というものを呈示しようとしてるのかと思うが、きちゃない。
- 南川史門:何かに見えるような、違うようなという形を組みあわせるペインティング。
- 今泉康子:抜けた感じのインスタレーションだったと思う。
- 居城純子:描かない部分を残した絵画を制作しているようだが、教室ではインスタレーションも制作してた。
- 小瀬村真美:本来、この世のはかなさを象徴的に警告するオランダの静物画を主題にしたビデオ作品を中心に、かつて学校で使われていたように思われる廃品でインスタレーション。環境をうまく取りこめた作品になっている。
- 山内崇嗣:同語反復をタイトルとした作品だが、タイトルが同語の反復であったことしか覚えていない。
- 謝琳:理科系の工作物でした。暑かったです。
- 中村明子展
- 秋山画廊
- 黒く着色された水苔、紙のセル、天井に水辺の写真をはめ込んだ黒い桟の障子。
- スージー・フ=レヴィ
- INAX
- 衣服を主題にすることで、拘束される人体や生活の意識と、開放を語ろうとしているようだ。しかし、器用仕事とか、単なる手作業に見えてしまう面も強い。難しいところだ。
- 猪谷六谷雄スタイル
- INAX
- いがやくにお、と読みます。 スキーのみならず、幅広い活動を行われたとのこと、なかなかワイルドです。
- 常設
- 手
- 三澤浩二
- ギャラリー山口
- ペインティングだが、ストロークを見せながら、マチエールを殺した平らな表面に仕上げられている。
- 岡村まさを
- ギャラリー山口
- 箱のように見える形をモティーフにしたペインティング。棺桶に見えてしまう。
- 小原健吾展
- NC Art Gallery
- 赤一色の平面の一部にストロークや絵の具の盛り上がり。
- 原透展−Time Axis−
- かねこ・あーとギャラリー
- ねじれる石。
- 渡辺忍展−包む・包まれる−
- かねこ・あーと2
- 包む形の白い大理石、包まれる球状の大理石。
- 池田良二
- 南天子画廊
- 銅版画という手法によって、独特の詩情を湛えた画面を生み出してきた作家の、作品集出版を記念する展覧会。色彩銅版とか、大型のプレスとか、技法に目が行ってしまいがちだが、この人が形にしたい世界について読み直す機会となった。
- モダン・スカルプチャーズ
- カサハラ画廊
- カルダー、カロなど、20世紀の彫刻作品を紹介。
- 西島直紀−遠景に触れる時−
- ギャルリー東京ユマニテ
- ペインティング、反復されるブドウの姿。
- 川島清
- フジテレビギャラリー
- 鉄を中心に、いろいろな素材を組み合わせたというか混ぜ合わせたというかくっつけたというか、そうして形作られた作品だが、キーファーと若林奮の混合のようになっている。
- 太田良一展
- なびす画廊
- カラフルなペインティング。稚拙を装う線をなぞる。
- 塚本元展
- ギャラリー21+葉
- ドローイングのような軽さで描かれたペインティング。
- 杉本博司
- ギャラリーコヤナギ
- 蝋人形をストレートに写したモノクロ写真のシリーズ。これまでの仕事の大きな要素が、写真に写すことで、現実と虚構の境界のゆらぎを生み出すことにあったとかなり乱暴に要約するなら、単体の蝋人形をアップで写した大型の写真は、単なるポートレート写真になるか、蝋人形の写真になるかになってしまい、見るという驚きへといたらない。シェイクスピアを撮った作品では、人形のデキが良く、そうすると役者を扮装させた写真と大差ないし、逆にデキの悪いヴォルテールの人形は、単なる人形の写真に見えてしまう。逆に生身の人間一人の存在感の大きさを感じはするが。
- 北川健次
- ギャラリー池田美術
- 版画集『サン・ミケーレの計測される翼』出版を記念する展覧会。神経質で緻密で歴史にずっぷり漬かった世界。出来事が記憶となり、抽象化され、そして他人の思考の中でゆっくりと開く過程を思う。
9月18日>横浜
- 奈良美智
- 横浜美術館
- 新作のようだが、基本線はこれまでと変わらない。目を見開いた真横からのポートレートが新しいのかもしれないが。コレクション展でも寄託作品が展示されており、規模の大きなものです。
- 横浜トリエンナーレ
- iMacだらけ。しかし、ビデオや機械仕掛の作品が多いためか、「調整中 Under Repair」がやたらに多い。
- バッタは降りてしまっていて、見られなかった。
- レンタサイクル1000円なりを借りて、走りました。
- 取りあえず、出品作家が多かったので、個々についてはぼちぼち書いていきます。(ほんまかい)
9月24日>和歌山
- 藤本由紀夫ワークショップ
- 萬波、高津子山
- 萬波のベランダに仮設置された「和歌の浦の耳」に座る。
- 続いて高津子山の上でコンサート
10月6日>大阪
- 岩村伸一
- sai gallery
- 紙の上の土の形。猫の顔のような蛙の顔のような、形。形とは何だろうか。
- 植松永次陶展
- 天野画廊
- 陶による造形、陶板と陶玉。かわいいものである。
- 飯田真人
- City Gallery
- 機械の形を造形した作品。青と黄色という色彩は、機械っぽくない。機械であるより、建築風でもある。機械を模した建築のような絵画なのか。ナットの頭やプラスねじの凹みの方向が不揃いなのが、かえって不自然である。
- スズキコージ
- WhiteCube
- 絵本作家である。ワイルドな絵。
- スズキコージの選んだ作家展
- WhiteCubeOsaka
- タイトルは不正確だが、なんかそういう展示
- 善住芳枝展
- ギャラリー白
- 絵画、である。複雑なテクスチュアを与えられた、ほぼモノクロームの画面を削り取るように、線がのたうち回っていると言うような、表面。説明が非常に困難。
- 圓城寺繁誉
- ギャラリー白
- 児嶋サコ展 私が彼に出会った時
- O Gallery eyes
- ぬいぐるみ、と着ぐるみ?の中の作家
- 無人劇団ボクヲ 思い出プラズマ
- クォーレ
- ポリエステルで作った人型に、新聞の折り込み広告を詰めたもの。ロボット君の行動。
- 並川誠
- 番画廊
- ネオン管を使ってポップな感じで車などの絵を作っている。私は単純に電気が怖い。
- 垣本泰美写真展 「Little World」
- The Third Gallery Aya
- ターウォン・コー・ウドムウィット
- ギャルリー宮脇
- ヒョウタンやタイの宗教的、呪術的記号をモチーフにした版画、ドローイング。
10月7日>大阪、和歌山
- 田中信太郎
- 国立国際美術館
- 樹脂による絵画とも彫刻ともレリーフとも言って、どれでもないであろう新作をワンフロアに展開。旧作でワンフロアを埋める。《マイナー・アート:ピサ》が、2メートルちょっと分だけの展示だったことを不満というのはわがままだろう。今年見た中でベストの展覧会。
- マックス・エルンスト
- 和歌山県立近代美術館
- あまりにも有名な作家だが、これまであまり紹介されていなかった彫刻作品を多く見られたのが収穫。夫人であったドロテア・タニングに毎年贈り続けていた誕生日プレゼントの小品も密度が濃く、見られて幸せなものだった。
10月16日>London
- Andre Serrano
- Barbican Centre
- わざわざここで見なくてもと、思わなくもないが、セラーノの回顧展である。しかも、朝一番で脳味噌とか心臓とか死体とか尿とか精液とかセックスとかである。芸術性を云々する以前に、悪趣味だと思うのである。
- Toba Khedoori, Raymond Pettibon: LA Stories
- Whitechapel Art Gallery
- ロス・アンジェルスを拠点に活動する二人の芸術家を組み合わせた展覧会。
- Isamu Noguchi
- Design Museum
- わざわざここで……とも思うが、イギリスにおける日本年の一環らしい。デザイン・ミュージアムらしく、展示は大層凝っている。ノグチの照明器具や、公園計画の模型を多く展示し、デザイナーとしての面を強調した展示だが、にもかかわらず「彫刻家」ノグチが見えるところは、展示の優秀さに負う面も大きいだろう。
- Tate Modern
- でかいわ。とりあえず。
- Surrealism
- Tate Modern
- Katherina Fritsch
- Tate Modern
- Permanent Collection
- Tate Modern
- Japanese Contemporary Art
- Hayward Gallery
- これまたわざわざここで見なくてもという感も無いわけではないが。
10月17日>London
- British Museum
- ICA Gallery
- Trafalgar Square
- The National Gallery
- Tate Britain
- Victoria & Albert Museum
- Chihuli
10月19日>Venice
- Basilica di San Marco
- Museo Correr
- Palazzo Ducale
- Esposizione Internazionale d'Arte Moderna
10月20日>Venice
- Basilica dei Santissima Giovanni e Paolo
- Scuola San Giorgio degli Schiavoni
- San Zaccaria
- Esposizione Internazionale d'Arte Moderna
- Arsenale
10月21日>Venice
- Ca d'Oro
- Basilica Santa Maria Gloriosa dei Frari
- Scuoka Grande di San Rocco
- Colleczione Peggy Guggenheim
- Santa Maria del Salute
- Galleria dell'Accademia
10月22日>Venice->Milano
- Venice->Milano
- ヴェネツィアからミラノまでは鉄道で移動した。海岸から山へと走りながら、ヴェローナなどの街を通り過ぎて行く。止るたびに、何日か延ばして、ここで降りようかと思う。
- Duomo
10月23日>Milano
- Museo Duomo
- Futurismo
- Palazzo Reale
- Museo Poldi- Pezzoli
- Civica Gallerie d'Arte Moderna
- Schwitters準備中
- San Simpliciano
- Pinacoteca di Brera
10月24日>Milano
- Castello Sforzasco
- S. Maria delle Grazie
- Cenacolo Vinciano
- Pinacoteca Ambrogiana
- Santa Maria Presso S. Satiro
- S. Sebastiano
- Europe impossible
- Coutauld Institute Gallery
- Natural History Museum
- Science Museum
- San Giorgio Maggiore
- S. Ambrogio
- s. Lorenzo Maggiore
11月3日>和歌山
- 高津子山
- 藤本由紀夫の講義に続いて、丘に登る予定だったのだが、晴の特異日文化の日がとんでもない大雨のため、行事としては中止に。それでも無理矢理登って、雨に打たれる耳を体験。雨の日の野外イベントには参加するものであるという教訓を得る。
11月9日>大阪
- 大阪トリエンナーレ(第二期)
- 海岸通ギャラリーCASO
- ヤノベとか福田美蘭とか、本当に自分から応募したんだろうか。それはともあれ、第三世界の芸術家たちには、こういう国際的なコンペはいまだに非常に有効なアピールの手段らしく、展覧会の形式に対する彼我の温度差を強く感じる。
- 竹岡雄二
- ギャラリーヤマグチ
- 方形を基礎に画面のほぼ左半分がモノクロームのグリッド、右半分が多色の塗り分けという画面。
- 中路規夫
- 信濃橋画廊
- 実線と点線、幾何学的な図形と、My Romanceの主題などが、組み合わされている。
- 浜田龍
- 信濃橋apron
- くぼんだ眼穿で半開きの口から活字の歯をのぞかせる粘土の顔。頭部に羽が生えているが、と言うよりも、UCHIDA製の羽根帚が突き刺さっているのである。犬のような胴体は鋼管で構成され、フライパンやお玉など、金属製の台所用品が無数に吊り下がっている。
- 福岡菊
- 信濃橋5
- アシュラの頭と手の、生きている状態と燃え尽きた状態。
- 伊藤存
- KODAMA
- 毛糸の縫い取りによる絵画。(ペインティングと呼んで良いんだろうかね)ビデオ作品2点。
- 西村歓子
- Cubic Gallery
- 一見ミニマルな立体だが、陶。陶器の味を殺しているのか、生かしているのか、ミニマルなのか、コンセプチュアルなのか、わびさびなのか、微妙な所で仕事をしている。今の所良いバランス。
- 武蔵篤彦
- ギャラリーH.O.T.
- 50センチ角位のペインティングを無限に繰り返していくプリント。
- 渡辺晶子
- ギャラリー白
- 長谷川睦
- ギャラリー白
- 松塚哲子
- Oギャラリーeyes
- 大型の細長い銅版。一部雁皮紙を重ねたような繊維のササクレのある画面。
- 大橋勝展
- ギャラリークォーレ
- 映像
- 林ナミ子
- 番画廊
- 石内都
- The Third Gallery Aya
- 日本のモダンという感じの建築写真。元遊廓を撮影したものだそうだ。日本家屋で意匠がハートマークだったり、変にタイル貼りだったり、ステンドグラスがあったり、対象の危ういぬめりを良くとらえている。
- 村田千秋
- ギャルリーou
- 画廊の視点
- 大阪府立現代美術センター
- 京都と大阪の画廊主催の展覧会。各画廊が一作家を推薦して展示しているが、会場が移転して狭くなってしまい、込み入った印象。山田道夫(虹)今井瑾郎(天野)白井千尋(すずき)星巻(DEN)佐藤巧(なかむら)ウエダリクオ(ou)ヒロセガイ(キュービック)津田睦美(aya)青木健地(シティ)冨長敦也(ダブリュー)大山幸子(番)ミッシェル グランジェ(夢創館)福島清(ワカオユキカズギャラリー)
- ベネチア・ビエンナーレ報告会「そして、これからはじまること」
- 大阪府立文化情報センターさいかくホール
- 藤本由紀夫×山下里加
11月13日>浜松、津
- 杉山晶子
- アート・デューン
- 諏訪直樹
- 三重県立美術館
- 無限連鎖する絵画。「絵画」による表現をめぐる思考が、半ば立体的な造形物としての作品として展開しながら、「端」を持たない表現の追求に向かったのかと思われるが、初期のグリッドに基づいた作品が、既に作品の物理的な限界を超える表現への志向を孕むものだったのかもしれない。
11月15日>徳島
- 京都の日本画−京都画壇の俊英たち−
- 徳島県立近代美術館
11月22>大阪
- Contemporary Art Game Fantasia (Cagf)
- Guerilla/YAZOO Hair
- Cagfというのは、スペインのリュイス・サンス、ジャウマ・アミーゴ、ジョゼップ・マリア・カニャメラスと、日本の川島慶樹、石川コオによるアーティスト・グループ、らしい。
- で、リュイス・サンスとジャウマ・アミーゴの二人が滞日制作/発表を終えて帰国するのに合わせて開かれたパーティーだが、作品も展示されているのであった。
- 来年の夏に、ネパール・アッパームスタンの病院で制作するとか、作品を置くとか、そういう計画もあるとのことだ。
11月23日>大阪、西宮
- Stay with art〜眺めの良い部屋〜
- Hotel T Point
- 森村泰昌《白いレンタルショップ》
- 森村泰昌《黒いヒーリングルーム》
- ソフトパッド《form and color》
- 高嶺格《MUTED SPACE》大型の鏡を立てた空間
- 木村友紀《アンネ・フランクからの質問:あなたは無人島にいても今日着る服を選ぶ?》ビデオ
- 宮永甲太郎《華》砂場遊びの跡のような
- 宮永甲太郎 小型の陶作品によるインスタレーション
- 堀田裕子《garden》
- 中西學《Yardstick of Memory》
- 桑島秀樹《THE LIFE》金魚をミキサーに
- 岩崎正嗣《in sphere》
- ログズギャラリー《Residual Noise / cycle per second》
- 堀田裕子《リンク》浮かぶ白黒のボール
- 井上信太+前田真二郎《羊飼いプロジェクト in 内蒙古》
- 廣岡千恵《ドアノブカベカバー/カベネット》
- 美術館の遠足
- 西宮市大谷記念美術館
- 恒例と言えば恒例だが、私は久しぶりの参加である。久しぶりだが、やっぱりこの日をめがけて一気に来る人たちで、美術館は大混雑である。ガラスケース内が天井も壁も枯れ葉だらけになっているのを見て、ゾッとしたりする。
- 芦屋へ行くのをころっと忘れていた。更に、この日は画廊も普通に開いている日だったのだが、日曜と勘違いして、どこにも寄らず。
12月2日>京都
- 西村正幸
- ギャラリーすずき
- サラエボ、アフガンの子供たちへ。
- 寄神くり展
- アートスペース虹
- 画廊の床いっぱいに敷き詰められたじゅうたん。そこに縄跳びなどして遊ぶ子供の後ろ姿が刺繍されている。
- Maxi Graphica Sattelite
- ギャラリーココ
- 安東菜々、出原司、池垣タダヒコ、木村秀樹、田中孝、中川佳宣、中路規夫、長尾浩幸、濱田弘明、武蔵篤彦、大島成己、日下部一司、熊谷誠、設楽知昭、坪田政彦、西村正幸、松浦孝之、山口純寛、山田佐保子、Bill Laing
- エクステンションマキシグラフィカ
- 京都市美術館別館
- 安東菜々、池垣タダヒコ、出原司、木村秀樹、田中孝、中川佳宣、中路規夫、長尾浩幸、濱田弘明、武蔵篤彦、ウイリアム・J・ラング、大島成己、日下部一司、熊谷誠、設楽知昭、坪田政彦、西村正幸、松浦孝之、山口純寛、山田佐保子
- 曽田浩隆展
- ギャラリー16
- 絵筆を持つ手を描く小型のキャンバスを併置。ペインティングとして見せたいのか、インスタレーションにしたいのか、どっち着かずな感じ。
- 中野庸二
- ギャラリーなかむら
- アクリルのペインティング。蛍光色のような海辺の景色。
- 高田嘉代
- ギャラリーマロニエ
- ダンサーをモチーフにしたペインティング。
- 室田泉
- ギャラリーマロニエ
- 家族写真をデジタル処理したような染色。ヤンキー入ってます?
- 松下友美
- ギャラリーマロニエ
- フェルトで作られたキリンの首のようなものが床から天井まで延びている。
12月15日>和歌山
- 一期一会
- 和歌山県立近代美術館
- アートプロジェクト「和歌の浦の丘」高津子山
- 藤本由紀夫レクチャーに続いて、高津子山に登る
12月22日>大阪
- 空間のコンポジション〜クレー、カンディンスキー、モネ
- アサヒビール大山崎山荘美術館
- この美術館が所蔵する作品を、藤本由紀夫がアレンジして、音を付け加えて展示している。点数は少ないのだが、一点が持つ意味、特に作品に内在する音を意識させるような展示が試みられている。ここは、建築と由来も興味深い美術館だが、結露をまったく無視した安藤忠雄の建築はどうかと思う。
- 川島慶樹「みんな男になる」
- 番画廊
- 鉄床のような形の彫刻らしきものがいくつも置かれている。実は、巨大な男性器の形をしたランプとシャンプー・ケース。女性が腰かけても男性になるという、そういう作品。レバーを押すと、白い粘りのある液体が先から出てくる仕掛け。一家に一台どうですか?とか言うんだが、シャンプーとリンスやったら二つ要りますやん。
- 横溝秀実
- O gallery eyes
- 作家のイニシャル、HYをロゴマーク的にあしらったキャンバスや、靴など、HYがエンボスされ、パステルカラー一色に塗られたキャンバスに、大型のハトメでHYと穴が穿たれている。
- 高間準
- ギャラリー白
- 原勉
- ギャラリー白
- 日仏現代作家展−モノクロームの再生と大阪の商家−
- 旧小西邸
- 松谷武判、ダニエル・ポントロー、田口梅屋、堀尾貞治、坂出達典
- 重要文化財への指定を答申された旧小西家住宅を舞台に、作品を展示している。
- MONOCHROMES
- ギャラリーほそかわ
- 松谷武判、ダニエル・ポントロー、田口梅屋
- 光の記憶
- KURANUKI
- 片山雅史+金沢健一
- 片山雅史は、モノクロームのストロークが印象的だった画面から、一転して黄色が眼に響く絵画を発表。デジカメで撮影した写真を拡大処理した画面を元に、描いているらしい。描写対象の具体性と、描写の曖昧さ、そして画面という空間の成立を巡り、実験中という印象。
- 金沢健一は、鉄板を様々に切って、その音を響かせる「音のかけら」。