Back to running through art top
sleepie's running through art 2000
2000年に見た展覧会などの記録。しかし忘却が先行しております。
でもって、記録を始めた3月からスタート。
3月1日>東京
- オラファー・エリアッソン
- ギャラリーコヤナギ
- 徹夜明けで、ショボショボの目で行ってしまったら、30秒ぐらい見つめ続けてたら何か見えるかも、という仕事だったんで、私には全然見えてません。多分。目を開け続けてられなかったもんで。
- 小品展
- なびす画廊
- 呉本俊松
- ギャラリー椿
- 明確な輪郭線と押さえられた色彩で、思い出の中の光景をスナップ写真に撮ったような画面を、オブジェ的な額でくるんだ作品。
- 小屋
- INAX
- 田んぼの真ん中などに建つ、小屋を集める。トタンの波板とベニヤ板の世界。
- シュポール/シュルファス
- 東京都現代美術館
- 名前は聞くものの、日本ではかつて埼玉県立近代美術館+岐阜県美術館+北九州市立美術館で開催された展覧会くらいでしか、まとまって紹介されていないフランスの動向を紹介する展覧会。ヌーヴォー・レアリスムをフランスのポップと呼ぶなら、それに対抗する形で登場したフランスのもの派とか、コンセプチュアリズムということになるのかと思うのだが、どうもかの国の動向は、同時代の政治状況から切り離して語ることが難しいようで、作品以前に理解への語り口の模索でつまずく感じがします。
- 低温火傷
- 東京都現代美術館
- 低温はわかるんですが、火傷になるんでしょうか。私も個人的には体温、血圧とも低めなので、力の抜けた表現の方が和むのは確かなんですけどね。
- ミツオミヤハラ
- かねこアート
- 清宮質文
- 南天子画廊
- 古郷秀一
- ギャラリー山口
- 伊江隆人
- ギャラリー山口
- 黒田克正
- ギャルリーユマニテ
- 金沢健一・音のかけらパフォーマンス
- ギャラリーなつか
- 鉄板を切っただけの造形に見えますが、思いのほか澄んだ、いろいろな音を聞かせてくれる作品と、それを使ったパフォーマンス。
3月2日>東京
- 向井良吉
- 世田谷区美術館
- 地味だが地道な仕事。量塊を表現できなくなったが、彫刻でありたいという悲壮な造形。
- sound art
- ICC
- 圧電マイクというのか、そういうもののオンパレード。
- TOHOKU/TOKYO-1925〜1945-相剋のモダニズム
- 板橋区立美術館
- 出不精なもので、どうしても住んでいる場所から視点を離すことが難しいのですが、個人的には「東北」というのも何となく思いを致すことが困難な土地なのですが、「東京」からでもそうなのかなと思える、近い過去を発掘する展覧会。
3月17日>東京
- 宮島達男
- 東京オペラシティ
- ビデオの作品などもありますが、青いダイオードを使った《Mega Death》は、巨大で圧倒的な作品でした。青色は、それまでに用いられていた赤に対して、後退していく色ですから、小さな作品では弱さが目についてしまう気がしていましたが、これほど巨大になると、全然違った空間が生まれていました。
- リュック・トュイマンス
- ワコウ・ワークス・オブ・アート
- 一定時間で描く絵画。主題は多種多様だが、全て等質。
- ヘルベルト・ハマック
- ケンジタキギャラリー
- キャンバス上の厚い樹脂。樹脂そのもののミニマル的な存在感があるのだが、その奥にキャンバスを見せることで、却って言い訳がましい作品になっている気がしたが。
- オラファー・エリアッソン
- ハヤカワマサタカギャラリー
- コヤナギの展示と対になるような写真作品。
- おんなのからだのつかいかた
- オオタファインアーツ
- 主体的なセックスを主体的に作品として呈示するもの。世界が一様であることに対する拒否を根底に見る。
4月>和歌山
- 田中恭吉
- 和歌山県立近代美術館
- 大正時代にわずかな作品を残して結核に斃れた「幻の芸術家」の実像を解明する展覧会。把握できるかぎりの遺品を示した展示に圧倒される。
- 長澤蘆雪
- 和歌山県立博物館
- 奔放な生涯を送り、夭折した絵描きだったらしいですが、水墨画というジャンルを非常に落ち着いたものととらえてしまうと、実際には画面の中で相当ダイナミックな実験がされているのを見落としがちです。
4月3日>大阪
- キュピキュピ
- ホワイトキューブギャラリー
- 宴会乗りと思えるビデオ作品で、わかりきったような、よくわからんような、少なくとも新しくはないし、なんで注目されてんのかわかんない人たちではあります。
- 秋岡美帆
- 信濃橋画廊
- 《光の間》揺れる光の線。
- 稲垣由紀子
- 信濃橋画廊apron
- エッチング、水面のイメージ。
- 大野良平
- 信濃橋画廊5
- 解体した作者の実家(池田市)の廃材などに手を加えてインスタレーション
- 青木綾子/伊藤存
- Kodama
- 定休日に、たまたま半ば無理やり見せていただいてしまいまして、ありがとうと思う反面、却って見た記憶の方が飛んでしまいました。縫い目で画面を作っていく伊藤のやり方、力の抜け方は興味を引きます。
- 善積湖戯人
- cubic
- 《顔出す》銅製の魚の下半身のようなオブジェが太鼓のようにぶつ切りになって立っており、白いゴムが張られている。しばらく見ていると、ゴムの面の真ん中から顔がぬっと突きだし、一瞬ニッと笑い(笑ったように見え)また引っ込んで行く。キネティック・アートというにも不細工だし、彫刻というのも気が引ける、何とも言い難い品物。
- 松谷武判
- 西宮市大谷記念美術館
- 近作を中心に40年の歩みを回顧する内容。具体美術協会に加わった作家であるが、イズムに回収されない作品の質を示す。一つのことを続ける強さ、一つのことの含む多様さ、結局は一つのことになってしまう、その地点というものについて考える。
- 小谷彰宏callsign exhibition
- 番画廊
- 予め番号を広報された携帯電話が仕込まれたオブジェに、電話がかかってくることで、いろいろな反応が見られるという作品。インタラクティヴなようで、そうでもない、というのは、電話をかける場とかかる場のつながり次第でそこら辺は変わるからである。作家のサイトがあります。>Jump
- 橋本和子
- 田中長徳
- Book Seller AMUS
- 「本の仕事+ウィーン写真展」
- 大久保武
- ギャラリークォーレ
- 金属の板の表面をグラインダーで磨き、ヘアラインの反射によって見えが変わる表面を作る。
- 市橋由紀
- ギャラリー白
- 瑛九の油彩画を思いださせる作品だった。
- 大山絵美
- ギャラリー白
- こっちでは、川口軌外の戦中の作品を思いだした。
- 田中朋子
- Oギャラリーeyes
- 小さなサイズで風景などを描いた淡々とした絵画が、ぽつんぽつんと壁にある。絵画であるよりは、インスタレーションとして制作しているように思える。
- 萩由利恵
- シティギャラリー
- 有機体のイメージを秘めた絵画オブジェ。
- 高島清俊+森秀夫
- サイギャラリー
- 後藤明夫のテキスト「藏の中」による写真と展示。複雑なシステムによる会場構成は、それ自体が非常に回りくどい表現である。
- 笹岡敬
- 福住画廊
- 真っ暗の部屋の中央に高さ180センチ×幅と奥行き50センチ位の直方体があって、回転している。直方体には小さな穴が穿たれていて、それがピンホールレンズになっており、周囲の壁に直方体の中の映像と、その光源自体であるランプとフィラメントの形が投影されていく。
4月29日>京都
- 川邊堤展「文字の記憶」展
- ギャラリーすずき
- 山田通夫
- アートスペース虹
- 水彩かカラーインクによる色面が紙の上に広がる。涼しげだが厚みも感じさせる。遠い平面。
- 谷敦子展
- はねうさぎ
- 陶の立体。
- 熊谷誠展
- ギャラリーココ
- 地平線と、そこへいたる道。単純な画面。簡潔な構成。しかし、遠近感をそぎ落とし、平面として現われる画面、を生みたいのだろうか。
- 梅本久美子
- ギャラリー16
- 空を映した映像と水によるインスタレーション、だったと思うのです。
- 北村純子
- ギャラリーなかむら
- 黒い土に白泥を象嵌することによる模様付けの壺。緻密なお仕事です。
- 中村滋延"Audio-visual Poem"+岡本久"Mawasu"
- 立体ギャラリー射手座
- ホログラム加工された円盤が6個。それぞれがシンセサイザーと連結されており、回すと音階が発音される。その速さによって、発音の速度が変わる。そんな形の作品。
- 曽和誠育
- ギャラリーマロニエ
- 「あかり展−飛翔」
- 矢吹沙織展
- ギャラリーマロニエ
- 平面だったということです。
5月28日>京都
- 笹岡敬
- 立体ギャラリー射手座
- 床下の光、水に沈むピンホールを水滴が落下することによる、複雑な光の動き。相変わらず15分以上、目を馴らさなければ見えるようにならず、見えるようになっても、何が見えているのか考えないとわからず、考えてもわからないと作者に種明かしを懇願してみたりする(いきなり作品を壊しにかかった実践野郎もいたらしいが)のだった。(おまけ)シノバー・アンダーグラウンド。
5月30日>大阪
- フェルメールとその時代
- 大阪市立美術館
- 高額投資、大量動員型展覧会の典型のように見えるのですが、幸い割と待たずに入れましたとか、一応最前列で見られましたとか、そんなことを話題にするのもどうでしょう。(書くなよ)当時のオランダの社会状況も含めた紹介で、ありがちな一点豪華主義的客寄せ展覧会ではなかったのですが、売り方はモロにそういう雰囲気でしたね。ただ、観客の方はそんなところは見てるような見てないような。それというのも、本題に入る前に館蔵品の遊廓図なんかが展示されていて、いけないところでいけないことをしてる図なんてものが、きゃー!こんなに多くの人の面前で……つっても誰も見てないんでした。
6月30日>和歌山
- 定規とコンパス−幾何学図形と美術の表現
- 和歌山県立近代美術館
- 点、平行線、多角形、いろいろな定規、円と、異なるディメンジョンを切り口に作品を見せていく展覧会。
7月8日>和歌山
- 印象派の巨匠 シスレー展
- 和歌山県立近代美術館
- 画家の没後100年を記念して開催された展覧会。
7月15日〜8月20日>タイ
- バンコク
- 7月15日、バンコク到着。既に雨季に入っているので、真夏の日本と比べればそれほどの暑さでもない。選挙があった影響で、バンコクは人口が減っており、交通などは比較的スムーズなようだ。
- 国立美術館(National Gallery)
- 日本国内では、実はあまり良い評判を聞かなかった国立美術館。それなりの規模もあり、一応タイ近代美術を代表する作家の作品はそれなりに見られるのだが、なんつってもあんまりやる気が無い様子ではある。タイ国内でも、評判はイマイチだったしな。それに、テンポラリーの展覧会場の方が大きくて、そこは貸会場が主な用途のようだ。(ああ、そりゃ日本の美術館でもあんまり変わらないところもあるかも。)最初の訪問時には、スファン・ブリ美術大学の学生による250点の作品の展覧会というのと、ドイツの作家3名によるアンコール・ワット補修調査に関するHeritage of Angkor展が開催されていた。
- 2度目の訪問時には「プミポン国王72歳記念展覧会」とフィリップ・モリスがスポンサーになっている「アセアン・アート・アワード2000」を開催中。国王を讚える展覧会には、現在活躍中の作家ほとんどが出品している感じ。
- 国立博物館(National Museum)
- こちらはさすがに大きく、各時代のいろいろなものがある。そりゃまあ、一昔前の「博物館行き」な感じの「博物館」ではあるが。王室の葬列に使われる山車のようなものが展示されているが、現在も実際に使われるもので、展示室の壁が扉になっていて、外へ引きだせるように作られている。4時閉館なので、全部見て回るには時間が足りなくなって、結局2回行きました。
- シルパコーン大学
- 元々王立で作られた美術大学。絵画、彫刻、版画、建築、デザイン、各部門充実しており、工房もあるし展示スペースも十分に作られていて、発表も盛んなようだ。また、アート・ショップもあり、書籍や作品も購入できる。けど、建築学部のギャラリーは展覧会準備中、デザイン学部のギャラリーは撤去中だった。
- 絵画+彫刻+版画学部のギャラリーでは、Manop Suwanpintaの『戦う魂の休息』展が開催されていた。
- 各学部のギャラリーとは別に、伝統的な様式の木造建築によるアート・センターがあり、そこでは「Art & Culture for Peace 2000」というタイトルで、伝統的な寺院のイメージに基づくチャリティー作品展が開催されていた。
- ここでは、ターウォン・コ=ウドムヴィット氏、ルクスミ・タンチャロク氏、パティオス・ブッチャロエン氏、ヤナウィタ・クンチェソン氏、イティポル・タンチャロク氏、ティタポル・スワンクソルソン氏らと会い、話を聞いた。
- チュラロンコーン大学
- 「タイの東大」と呼ばれる大学で、キャンパスも広い。しかし、医学部近辺で迷って、数学やってる学生に英語で道を尋ねたら逃げられた。かなんな。さすが東アジア圏で日本と並ぶ非英語国だけのことはある。それはともあれ、大きな図書館の多分最上階にアート・ギャラリーがあり、訪問時にはアメリカ在住の中国人作家Hung Liuの「Where is Mao (2000) ?」を開催していた。また、ブックショップも充実しており、お世話になりました。ここでは、スラチャイ・イークファラコーン氏に案内していただきました。
- バンコク大学
- ここも美術科を設けており、アート・ギャラリーがある。キャンパスは結構広くて生徒数も多く、キャンパス内でも迷うが、何とか辿り着く。
- この大学の教官による「Ni Lae (That is)」と題された展覧会。学科の5回目のアニュアル展だということである。Nipan Oraniwesnaは、紙と粉末顔料によるインスタレーション。宗教儀式的でもある。Nuts Societyというグループの作品は、オーバーヘッド・プロジェクターを使って文字を投影するものだが、タイ語なのでよくわからない。Virapong Phadonsakは、紙でトランクなどを作った、ポップな彫刻というかインスタレーションの様なもの。Thanet Awsinsiriの油彩は、人物を背後からとらえる。Samat Suwannapongのモノプリント、Sansern Milindasutaのパラパラ漫画、Kata Sangkhaeのオブジェ。ギャラリーでは、英語がわからない受付のような監視のようなお姉さんが、親切に案内してくれ、他の展覧会の情報もくれるが、場所がわからない。
- Suan Dusit Art Gallery
- ラジャーブハット・インスティチュートという大きな学校の学内のギャラリー。どうも幼稚園から大学まである、大きな学校のようだ。
- 最初の訪問時はPreeda Suetrongによる「Karaoke」という展覧会で、CGの作品なども展示されているものの、薄暗い部屋の真ん中で、学生みたいな女の子がそのまんまカラオケをやってる。ちょっと困る。作家自身はこの学校の教官で、マルチメディア・インスタレーションを狙ったらしいと後で聞いたが、う〜〜ん。
- 2度目の訪問時は、Sittichai Prachayaratikunの新作展。展示室内にブースを設置して、それぞれに小さな展示を行なう、インスタレーション。コラージュの材料の中には、日本産の怪獣もいたりする。
- Surapon Gallery
- タイで現代美術を積極的に扱うギャラリーの一つである。画廊主のスラポン氏は元々ビジネスマンだったのだが、コレクターが高じて画廊を開いてしまったらしい。
- 1度目に訪問したときは、イティポール・タンチャロクやワタナ・ワタナポンを中心に、タイの現代美術を展示。
- 2度目の訪問時は、ターウォン・コ=ウドムヴィットの個展を開催中。
- アート・マーケットの話をされて、各国の駐在員が結構マーケットを形成してるんだが、日本人だけは作品を買ってくれない、なぜだろう?とか聞かれたんだが、なんでなんでしょうね?家が小さくて、飾れないんだよと、答えておいたが。その割には、手芸教室なんかはすごく盛んなんだそうで、どこ行ってもやること変わんないな、日本人。(そりゃそうでしょうけど)
- Numthong Gallery
- チャチャイ・プイピアの新作展を見る。巨大な自画像に像が群れてたりする。
- 訪問の直前にモンティエン・ブンマーが亡くなったとのこと。画廊のオーナー、ヌムソン氏も大変ショックだと話されておりました。
- Gallery 253
- 写真の作家を主に扱っているようだが、どうも画廊業で商売をするつもりがないのか、奥に何台かあるマックで、3人ほどがゲームに熱中している。デザイン事務所もやってるのかな。
- Sombat Permpoon Gallery
- 大手の画商さん。でかい店にありとあらゆる作品が一杯。美術で商売できることが実感できる。
- Mercury Gallery
- マーキュリー・タワーというビジネス・ビルの2階にある。ここも手広いコマーシャル・ギャラリーという感じで、近代的な作品だが外国人への土産風のものをたくさん並べている。実際、欧米人がお土産に買うんだろうな。
- シティ・ギャラリー
- サイヤーム・シティ・ホテルの一角にあるギャラリー。Vorasan Subhapの『The River of Life』を開催していたが、場所柄予想していた通り、欧米人向けのお土産的な傾向の強い作品と思った。
- About Studio / About Cafe
- こちらはノン・プロフィットで現代美術の紹介を主眼にしたギャラリー。中華街の中ほどにあり、1階は展示もされているがカフェで、2階が展示室とオフィスになっている。訪問時にはNuts Societyの展覧会を開催していた。タイの生活に密着した仏教的なことわざを、企業のロゴマーク仕立てでネオンにするという作品。展示に難しい注文がつくインスタレーションなどを頑張ってやっているようで、スタッフは次の展覧会に向けての壁の塗り替え作業中だった。
- Project 304
- ここもノン・プロフィットで現代美術を紹介するギャラリー。訪問時には、May May Jyumusaiという、シカゴから帰国したばかりの作家の展覧会をやっていた。チョコレートで作家自身の原寸大の人形を作り、棺桶に入れている。タイでの伝統的、宗教的な生活に縛られている自分と、アメリカで生活する自分の落差、母親との関係などがテーマになっているようだ。
- TADU Contemporary Art
- これまたノン・プロフィットで現代美術を扱うギャラリー。国際交流基金やAFAAなどの共催による、国際的な若手美術家のグループ展を開催していた。国際巡回するそうである。人間からゴムの型を取り、観客が息で膨らますというタイの作家の作品が面白い。(資料が埋もれちゃって、作家の名前がわかんないぞ。)
- Space Contemporary Art
- もうひとつノン・プロフィットのギャラリー。アーティストが自主的に運営している。『Self Sevice』という展覧会をやっていたが、海外の作家との交流展を行なうなど、活発に活動している。けど、作家なもんで、日本かニューヨークに留学したいんだそうだ。
- Rama 9 Art Museum Foundation
- さらにまたノン・プロフィットの団体。ナショナル・ギャラリーがなんぼなんでもイマイチなので、美術館を作ろうと考えている人たちも多く、計画もあったのだが、先の通貨危機以来、経済的余裕はない。どうも現国王であらせられるラーマ9世の在位50周年を記念して、美術館を作る積もりで作品を集めにかかり、展覧会もやったのだが、実際に建てる経費が出せず、ウェブ上で仮想美術館を開くことになったらしい。(という経緯がどこまで正しいのか、これまたイマイチわからないが)で、そのウェブサイトを作っているオフィスで、作品展示のみならず、グッズや作品の販売を行なっている。だから現在の活動はウェブが中心で、マックがずらりと並んでいる。アーティスティックな国民性を反映して、サイトはかなり凝っており、充実している。ここのサイトを見れば、タイの近・現代美術はほとんど理解できるくらいだ。だからリンクはここだけに貼っておく。(<手抜きやろ)しかし日本の接続環境では重い!無茶苦茶重い!因みに、タイではパソコンは当然高級品で、一般人が個人所有するのはまだ難しいが、ネット自体は普及しており、ネット・カフェはどこも繁盛していた。しかし、英語に弱い国民性ゆえか、サイト自体のグローバルな評価はまだ追いついていないのかなあ?
- Gallery55
- コマーシャルのギャラリー。おしゃれなデザイン関連の店がテナントに多いビルに入っている。ロンドン帰りの作家の展覧会。何か良く分からん。
- AsiaBooks
- 大手の本屋さんだが、チェーン店もあり、あちこちでかなりの買い物をした。福引きで200バーツ当たったりもした。本屋さんはここと、チュラロンコーン大学のブックセンターのお世話になった。
- ワット・ポー
- 観光はあんまりする積もりではなかったんだが、最初に行ったこのお寺の仏塔や寝釈迦様の大きさやら、雰囲気やらに呆れ、観光も頑張ることに方針転換。
- ジム・トンプソンの家
- てなわけで観光旅行の定番、ジム・トンプソンの家です。シルク製品の商売と一体になって観光化されていて、余り期待していなかったのだが、移築された家を組み合わせて作った建物と、そのコレクションは絵画、染織、工芸品など質量両面において大したもの。
- カムティエン夫人の家
- ジム・トンプソンの家も良かったので、行ってみようと思ったら、改修中で閉まってたんでした。
- スアン・パッカード宮殿
- 元王家の離宮を博物館として運用している。入場料金などは若い芸術家の育成のための助成金として役立てられているらしい。王室の歴史に始まり、さまざまなコレクションはジム・トンプソンの家とも雰囲気は似ているが、いろいろ面白いものがある。ここの入場料収入などは、若い芸術家の育成のために使われているのだそうだ。
- ワット・アルン
- でかい、高い、細かい。やはり、すごいと思う前に呆れる(すごいのはすごいんですけど)。仏教寺院だが、ヒンドゥー様式で、建物に陶器を貼り付けて装飾する感覚が、初めて見る者には新鮮。
- ワット・プラケオ
- これまた、でかい、高い、細かいで、一巡するだけで大変くたびれる。
- ワット・トライミット
- 由来不明の黄金の仏像があるのだが、本堂を改築しており、敷地の横手の用心の悪そうな建物に仮置きされていた。仮設なためか、拝観料払わずに拝んでしまった。
- アユタヤー
- ツアーに入ろうかと思ったが、どうもそれぞれの遺跡をゆっくり見て回れそうなプランがない。昼飯食って、午後は川下りでバンコクまでとか、そんなんばっかり。なので、1日タクシーを借り切って、行きたいところを回ってもらう。何も言わないのにドライバー氏はエレファント・キャンプへ行ってしまったりして、象に乗りたいだろ?みたいな顔もされたが。
- バーン・パイン離宮
- 7時かっきりにホテルを出発したら、日曜日だったためか、道は全く混んでいない。到着が早すぎて、まだ開いていない。横をゆっくり通りすぎる。
- アユタヤ日本人居留地後
- 遺構が残されているわけでもなく、ほとんどただの土産物屋。山田長政の銅像と御朱印船の模型があると、大げさに書いてあるが、最近作られた小さなもの。歴史研究センターの別館があるが、こちらは10時オープンなので、パス。
- ワット・パナン・チューン
- 大きなお寺。一回りするだけでも結構な広さ。1325年建立という黄金の本尊は、漆喰に金箔のようだ。というか、基本的な建造物はすべて漆喰が基本らしく、古いものでも修理してキンキラキンに飾り立てていくのが、ここの文化なんですね。現在もお寺として活動しているので、現地の参拝者に混ざって邪魔せんように気を遣いながら見て回る。
- ワット・ヤイ・チャイ・モンコン
- 大きな仏塔があり、上ることができる。四方に広がる森の中に、崩れかけた仏塔が点在する風景は、「風の谷のナウシカ」などに描かれるそれとそっくり。というか、まあこういう風景を引用してるんだろうが。ここも遺跡であると同時に現在もお寺として活動しているので、建物が壊れてしまった寝釈迦を、それだけ修理して拝んでいたりもする。
- アユタヤー歴史研究センター
- 1990年に作られた、展示の良くまとまった施設。
- チャオ・サン・プラヤー国立博物館
- いろいろな出土品が展示されているが、しかし、外に残っている遺跡がすごいし、展示もあまり整理できていないので、期待した割には今一つ。裏庭からワット・プラ・ラームの仏塔が見える。
- 昼食はモラドック−タイ・レストランを候補にしていたが、同じ場所というか建物の一階にあるカオ・ホム・レストランに入ってしまったらしい。しかし、観光客も地元民も来る店で、ちゃんとおいしい。メニューの料金よりかなり安かったのが、腑に落ちないが。レストランのすぐ横にも名前も書かれていない遺跡があり、腹ごなしに散歩。
- ワット・チャイワッタナラーム
- 17世紀、ビルマ軍に破壊され、焼かれた寺院の跡を再建したもの。ここはすごい。1時間くらい居て、写真もかなり撮る。しかし、東を向いた大きな仏像2体の頭部が修復されている。そこだけ新しく、プロポーションも狂っていて、変。中央の仏塔にも上るが、急勾配なうえレンガが焼けていて、危ない。
- ワット・ナー・プラメーン
- 王衣をまとった仏像とアユタヤ最大の本堂を見るが、再建されたものだし、何というかお寺のパターンは同じなので、今一つとか思うようになってきた。
- ワット・スワン・ダーラーラーム
- とっととバンコクへ帰ろうとするドライバー氏を引き止め、行ってもらう。これまでには行ったことがないらしく、迷いながら到着。比較的新しいお寺なのか、観光コースに入っていないのだが、近代の始めに描かれた、中途半端な遠近法表現の仏画があって、面白い。お堂の一つは改築中だった。
- チェンマイ
- 寺、寺、お寺、とにかくお寺。バンコクもだけれども、京都に負けないくらいお寺があって、大概どこもキンキラキン。こういうところで開く悟りはどんなもんなんだろうか。日本語のガイドブックには紹介されていないお寺も結構ある。
- チェンマイ大学美術学部ギャラリー
- RUNGSAKU DOKBUAによる『コンピュータ・アート』展。確かにCGもあるけど、ほとんど手描きの油彩画だぞ。けど、うまいな。うまいけど、自我の内面の宇宙とか、暑苦しい内容なので、ちょっと苦手。国王の肖像も数点あり、タイの画家は国王の肖像なら空で描けるのかと思う。
- チェンマイ大学
- ソンポーン・ロドポーン氏
- 大学では版画を学んだそうだが、現在は美術史を研究している。タイの近・現代美術について教えてもらう。
- ポンデイ・チャイヤクート氏
- エッチングで、伝統的な銀器や家具などを主題に制作を続けている。
- チャイヨート・チャンドラティッタ氏
- ペーパー・ブロックという手法で、グラデーションを生かした多色の画面を作っていたが、最近は黒一色の木版による表現を試みている。
- アラヤ・ラスジャームリーンスーク氏
- ヨーロッパでの活動が長くなっており、インスタレーションとパフォーマンスを中心に制作している。最近の彼女の作品は、死を直接的に扱っており、タイ人には受け入れられにくいのではないかという感想もあった。
- トンチャイ・ユカンタポァンポーン氏
- 伝統的な染織の意匠を版画に翻案して、幾何学的な画面を作っている。以前はエッチングでやっていたが、最近はリトグラフを制作の中心にしているとのこと。
- チャイヴート・ルアンルディクール氏
- 作品について説明を受け、いろいろ話をする。現在の作品と、伝統的な寺院の姿との関係が、やはり大きな問題である。光のグラデーションの状態、垂直の構成、左右対称性、色彩の種類と金箔の多用などに、伝統的な造形の特質が引き継がれている。それは意識してそうしているところもあれば、無意識にそうなってしまう点もあるということであった。
- チェンマイ現代美術館
- チェンマイ大学附属の現代美術館らしい。一つの施設でもいろいろな表記があって、何を信じれば良いのかわからない。ポンデイ・チャイヤクート氏が館長も務めていらっしゃるようだ。
- 広い敷地に立派な建物に見えるのだが、実際は未完成で(そんなんばっかりだが)、講堂みたいな施設では、まだ建築工事が行われていた。雨、漏ってるし。こうなる予定という図面と模型が展示されてたりする。
- けど、ミュージアム・ショップもカフェもあり、本も結構買いました。
- 遠藤浩治展
- チェンマイ大学へ客員で教えに来ていたそうで、日本でも留学生を受け入れたり、交流はけっこうあるらしい。人物を主題に、象徴的な内容を持たせた大型の木版画。
- Time & Being展
- 日本とタイの交流展。タイ側の作家のキュレーションをしたのがソンポーン氏。通貨危機でこけたものの、急激な経済発展と都市化を経験しているタイでは、伝統的な表現を見直す傾向が強くなっているとのこと。仏教説話とその伝統的な表現に、現代美術の手法によって新たな面を開こうとしている作家を集めたという。
- これを評価することは、逆オリエンタリズムみたいなことになってしまうかもしれないという、抑制が働くのも確かだが。
- タワチャイ・ソムコン氏の作品は油彩で、マチエールがすごくきれい。抽象的だが、タイでは誰でも知っている仏教説話を基礎にした作品なのだという。
- チェンマイ国立博物館
- 最近、展示を「近代的」にやりかえた様子で、バンコクの国立博物館より整理されている。ラーン・ナー・タイ王国の歴史と文化などを中心に展示してるのだが、タイ語・英語併記の解説パネルのそこかしこに文法などの訂正の書き込みがあり、一部は現場で工事中。金槌の音が響く中、監視員は平気でおやつ食べてるし。
- MINI ART GALLERY
- SUAN DOI HOTELにある小さなギャラリー。小さいと言っても、一軒の建物なのだが。チェンマイ大学の学生の作品を展示し、宿泊客を中心に販売している。チェンマイにはここ以外に現代の作品を扱うギャラリーは無く、学生や教員たちも発表をどうするか、問題なんだそうである。
- ワタナ・ワタナポーン氏アトリエ
- チェンマイ大学の美術の教授で、自宅の一部をギャラリーにしている。カナダで美術教師をしていた経歴が長く、タイの美術界ではむしろ無名の画家と言って良いと自分でもおっしゃるが、タイ社会の現状を批評的に表現した作品も多い。しかし、バンコクを離れて北の方へ来ると、風景画を描きたくなるのだそうだ。これは、ワタナ氏に限ったことではなく、最近は都市化が著しいバンコクを嫌って、北の方へ引っ越す作家が少なくなく、そうすると風景画を描きたくなるんだと。
- Doy Ding Dan Pottery
- Doy Ding Danは、赤土の山という意味だそうだ。ソラサック氏という陶芸作家の工房だったのだが、日曜日だったので作家は不在。日用品が中心だが、いろいろな作品を制作している。陶芸はサンカローク焼き以来の伝統があり、盛んなようだ。
- チャーン・プアク門
- チャーンは象、プアクは白で、白象門という意味。チェンマイ旧城郭の北門。南国のためか、王は北を向くものなのだそうで、北側のこの門は、最も重要とされているのだそうである。
- ワット・チェンマン
- ワット・プラシン
- ワット・パン・タオ
- ワット・チェディ・ルアン
- 地震で倒壊したという巨大なチェディ(仏塔)がすごい。しかし、ユネスコが日本の資金で行なったという修復は、そこだけ角張ってたりして、ちょっと変かもしれない。
- チェンマイ門
- ターペー門
- ワット・チェット・ヨート
- 大きなチェディと、一部に残る漆喰細工の美しさを堪能。
- ワット・ウモーン
- 洞窟になっている寺院などを見る。洞窟の天上に壁画が残っているそうなのだが、修復作業中のため、見ることができなかった。
- ワット・スワン・ドーク
- たまたま話しをしたお坊さんに、チェンマイで2番目に重要なお寺だと聞いたが、規模と現在の格式のことで、遺跡として古いものが残っているとかいうわけでは無いらしい。
- ドイ・ステープ
- チェンマイ西の山の上にあり、市街が一望に見渡せる。途中、山の中に入ると温泉もあったりするらしい。
- タイ北方:チェンラーイ/メーサーイ/チェンセーン/チェンコーン
- ターウォン・コ=ウドムヴィット氏宅
- タイ北部チェンラーイ近郊にあるターウォン氏の別荘。アトリエも建築中だったが、建物自体が同氏の作品を展示するギャラリーのようになっている。自分の伝統的な生活の中にある占い文化や宗教的感情、最近ではタイ北部で使われていた日用品などに想を得た作品を制作している。
- タワン・ドゥチャネー氏アトリエ
- タワン氏は、タイ国外で国際的な評価を得た最初のアーティストの一人。広大な敷地に小さな建物が数十棟もあり、仏教に基づく今日的な宗教的コミュニティーで制作を続けているらしい。タワン氏のコレクションが棟ごとにまとめられているが、床にはありとあらゆる動物の毛皮が敷き詰められていて、仏像やら楽器やら刀剣やら、ありとあらゆるものがすごい分量集められている。大きな博物館と言ってよい。その内の一棟がタワン氏のアトリエで、巨大な絵画が制作されていた。仏教的な主題をモノクロームでミケランジェロの壁画のように描いている。仏教を主題にしながら、現代的な手法で描くのみならず、新興宗教教団みたいな活動もしているので、美術界からは仏教を冒涜しているという非難を受けたこともあるそうだが、仏教への帰依は強固なものだそうである。
- ドイ・トゥン・ロイヤル・ヴィラ、メー・ファー・ルアン植物園
- ラーマ9世の母上の別荘で、晩年に住まれた宮殿が公開されており、その周辺が植物園となっている。王母の発案により、タイ北部の山岳少数民族を中心に、麻薬栽培からの商品作物栽培への転換と、経済的な自立、生活向上を目指すプロジェクトが進められており、その一環として観光産業の振興をはかる施設でもある。
- Cottage Industry Center and Outlet
- 絹と綿のファブリックの工場と、製紙工場がある。どちらでも製品を売っている。製紙工場では、サーSaaという木の樹皮から和紙を作っている。原料は日本にも輸出されているそうである。ケシ栽培から紙や綿、コーヒーなどの商品作物の生産への切り替えが計られているが、更に現地で製品化することも進められている。
- メーサーイ
- タイ・ミャンマー国境。現地の人たちは、国境を往来して商売している。出入国は割と簡単らしいが、眺めるだけで戻る。
- チェンセーン
- ゴールデン・トライアングル
- タイ、ミャンマー、ラオスの三国がメコン川をはさんで接している。麻薬栽培の代名詞みたいな地名だが、タイ側では随分状況が変わっているようだ。観光産業に力を入れて、麻薬栽培からの脱却をはかっている。またメコン川をちょっとさかのぼれば中国なので、交易が盛んになっている。ドリアンを輸出する船が停泊していた。
- ワット・チェディ・ルアン
- 大きなチェディのお寺という意味。しかし、本堂の屋根は倒壊しており、残った壁の回りに柱を立てて、トタンの波板で屋根を葺いている。
- ワット・パサック
- チークの林のお寺という名前通り、チークが植林された中に遺跡がある。本堂は倒壊して、床しか残っていない。チェディには漆喰細工が残っているが、いつごろ作られたもので、様式は何なのか、調査は進んでいないらしい。ちょっと見ただけでも、細部の装飾文様など、南のものとは違うようだが。
- スコータイ
- アユタヤと並ぶユネスコ世界遺産登録地である。
- 基本的に造形物はラテライトかレンガを大体の形に積み上げて、化粧漆喰で形を整えるという作りなので、野ざらしで漆喰が剥げていくのを時々直すのが当然という文化なのだろう。信仰の対象でもあるわけだから、こと仏像に関しては最近も直されているものが多い。全体に、遺跡は古いが仏像は今世紀というか最近直されたものが多いようだ。実際、こういう仏像では様式史など考えるのも難しいものがある。と言って博物館の展示だけ見ても、なかなか形の特徴をつかみ取るところまでいかない。
- パイリン・ホテル
- チェンマイのツアー・デスクで予約したのは、現在のスコータイ市街と遺跡群の中間ぐらいにあるホテル。欧米人のツアー観光客の受入を主にしているところのようだ。スコータイは自転車で回ればよいが、シー・サッチャナーライへも行きたいので、1日は2ヶ所を回ってくれるホテルのミニバスを借りることにする。
- 食事はホテルのレストランを使うが、安くておいしいの。しかし、回りを見回すと、西洋人がパスタやらステーキやらハンバーガーやらを食べている。なんだこいつら。
- 毎日7時30分からキーボードの生演奏があり、8時から歌手が入っていたのだが、曲目はプレスリー、ビートルズときて「北国の春」「夢追い酒」「ここに幸あり」。この三曲は方々で聞いた。
- ワット・マハタート
- ワット・シー・サワイ
- ワット・トラパン・グーン
- ワット・サーシー
- ラームカムヘン国立博物館
- タイの仏像で取りあえず「なんじゃこりゃ?」と思ったのが、歩く姿の仏様「Walking Buddha」なのだが、これこそがタイ仏教美術に独自の表現のようで、ここにも大きなウォーキング・ブッダが一体あった。歩く姿の仏像は、一見すると非常にバランスが悪く、危なっかしく、宗教的な強固さとか不動の安定感とかを視覚化するためには、何とも具合の悪い形と思えるのだが、その運動の優美さがむしろタイの造形文化の骨格になっている。
- が、ここで一番注目したのが、スコータイ王朝の便器である。
- ワット・シー・チュム
- ワット・プラ・パーイ・ルアン
- ワット・ソン・カオ
- ワット・ソラサックが向かい合っているのを見、
- ワット・マイ
- ワット・チャーン・ロム
- スコータイの城壁の東側にある。修復の真っ最中で、周りを掘って基礎の補強がなされ、足場が組まれていた。
- ワット・トラパン・トーン
- ワット・トラパン・トーン・ランへ行くつもりで、怖い思いをしてぼろぼろの橋を渡った先の島にあったお寺。今もお寺であるせいか、チェディはあるが遺跡らしい風情はない。
- ワット・トラパン・トーン・ラン
- スコータイ美術の最高傑作と言われる漆喰細工が残る。
- ワット・サパーン・ヒン
- 遺跡の最も西側にある?。山の中腹までの石段が結構きつい。遺跡公園の方向がずっと見渡せるのだが、ほとんど森で、間からいくつか見えるチェディもどれがどれという形まではわからない。しかし、北西から南西の方に山が見えるだけで、ずっと平原である。国の一つもできようかというか、できて当然かというか、しかし一方、国なんぞなくても暮らしていけるわいというか、そういう、どうでも良くなる広さである。
- ワット・プラポット・ノイ
- ワット・チャーン・ロブ
- トゥリアン窯
- 窯が一つだけ残っているのかと思ったら、一帯が窯址なのだった。そこここにばらばらな方向を向いた窯址があって、陶器の一大生産地だったことがわかるが、現状は取りあえず野原。
- シー・サッチャナーライ
- ワット・チャーン・ロム
- ワット・チェディ・チェット・テット・テーオ
- ワット・ナーン・パ・ヤー
- ワット・カオ・パノム・プレーン
- ワット・スワン・キリー
- ワット・カオ・パノム・プレーンから茂み越しにチェディが見えており、尾根伝いに行けそうだったが、暑さもあってかなりくたびれ、車も待ってくれているので写真だけ撮って降りる。
- サンカローク窯址研究センター
- 発掘されたサンカローク窯を現状保存してあり、いくつもの窯が重なり合っている様子から、焼物の一大産地であったことがうかがえる。おそらくヨム川の河岸段丘を利用して一帯に築窯されたものだろう。しかし向かいにあった土産物屋に、発掘品と言って並べられているものの方がセンターにあるものより大量というのはどういうことか。(まあ、いんちきなんだろうけど)この土産物屋は隣に工房とガス窯があって、写しものを現地生産で売っている。ことによったらここのおっさんのひいじいさんのひいじいさんのひいじいさんくらいは、当時の陶工だったかもしれないが
- ワット・プラ・シー・ラタナー・マハタート・チャリエン
- ここにもきれいなウォーキング・ブッダが一体あった。
9月19日>和歌山
- 東欧絵本の世界
- 和歌山県立近代美術館
- 東欧の絵本のクオリティーが高いことはよく知られているが、その原画を紹介する展覧会。共産主義支配による画一的な社会において、芸術的な抵抗手段として、絵本や童話の世界で極端な自己肯定が表れてくる点は、痛々しくもある。が、昨今の日本における「自分探し」とか「癒し」とかいう傾向と、文言だけだと変わるところがなく、受容のされかたを考えると、なんだかなあ。
11月3日>和歌山
- 現代版画の軌跡−ゆめとめざめ
- 和歌山県立近代美術館
- 豊富な近代版画収蔵作品を中心に、新たな視点で作品を紹介するという展覧会の一つ。具象的な主題が、現代版画作品において、どのような意味を持って扱われてきたかを見せる。特に、写真製版という技術を中心に、作品における現実とは何かと問うことが、制作の大きなテーマだったことが示されている。
11月4日>大阪
- 写真/絵画/平面
- ATCミュージアム
- 「大阪市立近代美術館(仮称)建設準備室」が収集した作品による展覧会である。いわゆる「常設展」のおもむきと「企画展」にしようという意図が中途半端に交錯しつつ、いろいろ見られるのでお得な感じはする。しかしこの「美術館」、どっかに建つんでしょうか。折角の収蔵作品なのに、ハコが半端では、モノまで(企画も含めて)半端に見えて、かわいそうな気がします。
11月5日>京都
- 伊藤若冲
- 京都国立博物館
- 「若冲、こんな絵かきが日本にいた。」かなんか言われても、以前の展覧会(確か京都市美術館であったはずだが)も見てるんで、つい「知ってるよ」と返してしまいそうになるんだが、狩野派を正統とする美術史の眼からすれば、驚異的にどうしようもない絵描きなんだろうな、などと思いはするものの、正直なところそういう詳しく細かい点までは、実感として見尽くすことができない。和歌山県立博物館で蘆雪の展覧会もありましたが、江戸期の美術を見直す流れがあるのでしょうか。正面から描かれた鶏の顔が、倉田江美の描く鳥と同じなんだが、鶏って本当にあんな顔なのだろうか。作品は圧倒的に面白い。
11月13日>大阪
- 森口ゆたか
- 信濃橋画廊
- 両親と子供たち、家族と思われる人間たちの顔写真が、回転するコップを通してスライド投影される。ぼんやりとした記憶のような現実の光景。
- 森田浩一
- 信濃橋画廊apron
- トランプあるいは名刺のような小さなカードに女性の陰部や顔を描いたものが壁に配置される。
- 浮川秀信
- 信濃橋画廊5
- 赤く塗られた木による造形物。これまでは樹脂によるねじれた形の呈示が主だったと思うが、今回の作品は木であることをはっきり見せ、単体の形でなく、箱のような、あるいははしごのような造形物を見せる。
- Towards Utopia
- CASO
- 桑山忠明による「project for CASO」、石原友明、藤本由紀夫、大久保英治の三人による「五感の芸術 -その身体性の拡張」、サイモン・フィッツジェラルドの「trace」など、複合的な展覧会。会期延長中、しかも本来休みの日に見せていただきました。記録がこちらに>Jump
- 大阪府コレクション
- CASO
- 大阪トリエンナーレ展入賞作品が展示されている。大阪府は美術館を作るからと言って公募展をしていたはずだが、美術館はポシャり、宙に浮いた収蔵作品がこういうところで展示されている。中途半端。それでもモノレールの駅に放置したり、企業ビルに貸しだしたりするよりはマシか。
- 岩村伸一
- 不二画廊
- 大きな紙と泥?、そして色鉛筆?/小さな紙と、泥?/木、以前はイスだったように思える木に、大小の多くの穴が貫通しているもの/そういう「作品」たち。
- ナルシシスムを静かに破壊せよ
- ノマルエディションプロジェクトスペース
- 三脇康生氏の企画により、今村源と大島成己のニ作家が本の形に作品をまとめ、展覧会にしたもの。本を切り抜いて組み立てていく、あるいは切り抜いて組み立てると作品が現われてくるという今村源の作品の在り方が面白い。一方大島の作品は、現実の光景を写真に撮りながら、こうは見えないはずだ、こんな瞬間を写真がとらえられるのかと、疑問を起こさせるほど直接的な写真。記録がこちらに>Jump
- 浅利美織
- ギャルリーou
- ビニールのベッドの上の紙とビニールの枕というか風船というか。
- 遊上陽子
- ギャルリーou
- ベランダに鏡面加工された紙を敷く。
- 河内正明
- 福住画廊
- 月を主題にした銅版画。
- 林延子
- SAI Gallery
- 表面をゴムで作ったティディベア。サイズ、詰め物もいろいろ。ユーモアより凄惨さが漂う。
- 具体+アンフォルメル展
- アート遊
- 河崎晃一
- 番画廊
- 染められた布による造形。
- 長井弥生写真展
- 清水喜美子
- ギャラリークォーレ
- フェルトの上の紙。
- 堀内昇
- ギャラリー白
- ペインティング。色面の上のストローク状の形象、あるいはストロークを巡る空間。
- 渋谷信之
- ギャラリー白
- ペインティング。
- 梅崎由起子
- 複眼ギャラリー
- ぬいぐるみ、染色、シャツ。衣料品と、着る人のlife。
- フジタマ展
- 複眼plus
- 「ファンシーズ」と題された、オジン、オバンのバス観光旅行記録ビデオ作品10分+写真インスタレーション。歌う、走る、見る。ありがちなのにわけのわからん世界。作品もありがちなものに思えなくもないが、みょうちくりんなインパクトに負けて、見てしまう。どうも、作家は両親の行った慰安旅行かなんかについていくか紛れ込むかして撮影したようで、最後の方には「あんた、何撮ってんね?」「全部」という会話もこっそり配されている。
11月18日>大阪
- 常設
- ギャラリーほそかわ
- 高松次郎、奈良美智など。
- 安斎重男
- 国立国際美術館
- 被写体がみんな若い!懐かしい!
- 進化する映像
- 国立民族学博物館
- 映像の歴史と民族学の関係、それぞれ興味深いが、「民族学」という観点からは曖昧な内容か?展示されているものはそれぞれ興味深く、実作することもできて楽しい展示である。しかし、東京都写真美術館の展示を、なぜ民博でやる必要があるのかという、基本的なところの説明が弱い。
11月19日>京都
- 広重明個展
- 平安画廊
- 折り返された裏面を見せる紙。
- 佐野孟夫
- ギャラリーなかむら
- 染色と素描、東南アジアに取材。
- 酒井一貴
- 立体ギャラリー射手座
- 犬の視線で撮られた写真と犬を撮った写真。
- 楊井朋子
- 立体ギャラリー射手座
- 陶によるハニカム、透明の素材にテキスト。
- 藤原昌樹「I want to be a man」
- ギャラリーすずき
- 溶断された鉄板のモビール、長い鉄のやじろべえ。
- 仁後真理子
- アートスペース虹
- トレーシングペーパーに色鉛筆の色面、微妙な塗りわけと反映、重ねられる光。
- 山部泰司
- ギャラリーココ
- 定められた形を描く。エマルジョンの性質を変え、固まる前に層を替えて流動させる。色彩を限定して、形が描かれているのだが、何の形であるかが、わかりそうでわからない微妙な形であることによって、形は常に何かの形でなければならないのか、何かの形を見出してしまう、あるいは描こうとする態度をいかに批判するかということも、行なわれているんだろう。画面というのは広いし深い場所である。
- 小川茂雄
- ギャラリーココ
- 家の内部の写真を撮ってもらい、別の時間、別の撮影者による同じアングルの画面を描くということをやっている。