PHOTO-DIARY

2000.03.08
母の俳画

79歳で亡くなった母親は書画が好きだった。一時期俳画に熱中して、週3回それぞれ別の先生に 習ったことがあった。そのうちの一人が貸してくれた手本帳を一晩で写してしまったこともあった。好きな草花を写生したり、節句には孫に雛人形や武者人形を描いたりした。絵画を描いて持たしてくれた何枚もの色紙はポーランドにいたとき、プレゼントとして重宝した。木箱一杯の岩絵の具を残してくれたが、まだそのままにしてある。


△「万緑や」の句と書は先生のものかもしれない
「万緑や XXXXの ある限り」XXXXはどなたか読める方教えてください
俳句はたしかやらなかった。絵とサインは間違いなく母のものです


△「野焼あと 広野の涯に 桃咲けり」は先生か?


△実寸(部分)


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