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 グリンデルワルド Grindelwald


 アイガー メンヒ ユングフラウ3山など4000m級の山々を擁するベルナーオーバーランド その中心となるのがグリンデルワルドだ 
 それだけに今回訪れた三都市の中で日本人観光客は最も多い
 街そのものは大変小さく中心街は10分もあれば歩くことが出来る

グリンデルワルド駅
グリンデルワルド駅
ここからは登山列車のクライネシャイデック行きや
インタラーケン行きの列車も出ている

早朝の小高い村から
正に静寂の夜明け

アイガーの朝焼け
ヨーロッパ三大北壁 アイガー
午前6時の朝焼け

クライネシャイデック駅を後に
登山電車を乗り継いで
クライネシャイデックからユングフラウヨッホへ
ユングフラウヨッホ
世界最高所の駅
ユングフラウヨッホ
アレッチ氷河
スフィンクス展望台からのアレッチ氷河






 フィルストFirst 〜 バッハアルプゼーBachalpsee 〜 ファウルホルンFaulhorn(2686m)


 グリンデルワルド〜(ロープウェイ)〜フィルスト
 フィルスト駅10:25〜バッハアルプゼー(11:50-12:50)〜ファウルホルン(14:05-14:55)〜フィルスト駅16:40
 フィルスト〜(ロープウェイ)〜グリンデルワルド
 (2003/7/20 快晴)

フィルスト行きロープウェイ乗り場
グリンデルワルドにある
フィルスト行きロープウェイ乗り場

フィルスト乗り場
ここからいよいよ今回のハイキングスタート


歩き始めて最初の内は左手にグリンデルワルド村 さらにアイガーが望める


今年は異常気象で花の見頃は例年より早い
それでも可憐な花が咲き乱れる

道は大変よく整備されていて
凹凸もほとんどない

歩くこと一時間半
行く手にバッハアルプゼーが見えてきた

バッハアルプゼーからシュレックホルンを望む
バッハアルプゼーからのシュレックホルン(4078m)を望む


ちょうどワタスゲが見頃



バッハアルプゼーから
ファウルホルン山頂までは
二箇所の避難小屋が設けられている
ファウルホルン頂上直下
ファウルホルン山頂直下は
ジグザグの急登 もうひと頑張り
山頂にはヨーロッパ最古の山岳ホテルがある


ファウルホルン山頂(2681m)からの眺望
遠く横たわるエメラルド色のブリエンツゼー






 アイガーグレッチャーEigergletsher 〜 クライネシャイデックKleine Scheidegg

 
 アイガーグレッチャー12:20〜昼食13:03〜クライネシャイデック14:45
 (2003/7/21 曇り時々雨)

アイガーグレッチャー駅
アイガー・メンヒの胎内トンネルを出て直の
アイガーグレッチャー駅

クライネシャイデックまで1時間10分の表示
スイスのハイキング案内板は
どこに行っても見易い

ミューレン村↑  ↑シュトックホルン                               ↑ クライネシャイデック駅
ハイキング道の左手には雄大な草原が広がる


あいにくのお天気
時々雷を伴った激しい雨が降る

途中 登山電車の線路をくぐる


赤い車体の登山電車は
やはりグリンデルワルドのシンボル






 クライネシャイデックKleine Scheidegg 〜 アルピグレンAlpiglen


 クライネシャイデック14:50〜アルピグレン16:10ー(登山電車)ーグリンデルワルド16:48
 (2003/7/21 曇り)



アイガー(3970m)↑     メンヒ(4099m)↑      ユングフラウ(4158m)↑  ↑クライネシャイデックホテルズ
雄大な三山を従えたクライネシャイデックホテルズからのスタート

 

道はなだらかな下り
息を切らせながら登ってくるハイカーもいる
アイガー北壁の真下をハイキング
右頭上に覆い被さるアイガー北壁に圧倒されながらのハイキングコース
登山電車からは落ち着いて見ることは出来なかったが
その真下をゆっくり歩くこのコースは難攻不落と称されるアイガー北壁を
心行くまで堪能できる

お天気が悪い為か終止静かな道が続く
アルピグレン駅
のどかなアルピグレン駅
ちょうどクライネシャイデックからの
電車に間に合った

車窓風景は正にスイスの趣き



グリンデルワルド駅に到着







 クライネシャイデックホテルズの歴史

 
 クライネシャイデックに最初のホテルが建設されたのは,1840年のこと。Zum Gemse(ツム・ゲムゼ)という名前の峠の山小屋を買い取り、1842年に建て直してオープンしました。
 初代のオーナーはChiristian Seiler(クリスティアン・ザイラー)、そしてホテルを発展させたのが、Adolf Seiler(アドルフ・ザイラー)という人物です。彼はグリンデルワルトでの温泉の採掘に着手したり、将来の需要を見越してクライネシャイデックからグリンデルワルトまでの下水道の工事などをおこなったり、またホテルの入り口には大砲を置いて登山家がアイガー、メンヒ、ユングフラウなどの登頂に成功すると祝砲を鳴らすなど、かなりのアイデアマンでした。当時はまだ鉄道が開通していない時代。ラバに引かせたトロッコをラウターブルンネンやグリンデルワルトから引き上げてホテルの物資を確保していた記録が残されています。
 1864年にHotel Bellevue(ホテル・ベルビュー)が完成。1896年にはすぐ横にHotel Des Alpes(ホテル・デザルプ)が完成しましたが、当時は2つの別々のライバルホテルでした。しかし1914年にはホテル・デザルプをザイラーが買収し、一階部分をテラスでつなげてほぼ現在のホテルの形が整うことになりました。1893年にラウターブルンネン、グリンデルワルトからの登山鉄道が開通。1912年にはここからユングフラウヨッホまでの鉄道が開通したこともあって観光客は飛躍的に増加します。
 しかし、1914年から5年間続いた第一次世界大戦の問は経営の危機に立たされることになります。一旦はホテルを閉鎖しましたが、4年後には再開しました。折りしも戦争が終結した1920年代に入るとイギリスでは空前のスキーブームが訪れます。それに乗じてシャイデックホテルズも1925年から26年にかけてはじめて冬季営業を始め、大成功を収めることになりました。当時のスキーシーズンは11月末から翌年の5月までだったといいますから現在よりかなり長い期間楽しめたようです(現在では通常、クリスマスから3月末か4月初めのイースター休暇まで)。また、カーリングも非常に盛んでホテル前の広場にはカーリング場が作られて大会が開催されていました。
 1929年にはホテルを大改装。多くの部屋にバスやシャワーが完備され、内装も英国調に改装されました。現在のホテルの内装はこの時以来のものです。多くのヨーロッパからのお客様は昼問はスキー、夜はメインダイニングやバンケットルームで開催されるパーティに参加して楽しみました。やがてアドルフ・ザイラーの娘が現在のVon Almen(フォン・アルメン)家に嫁いで、家業を引き継ぎ以降、ホテルはフォン・アルメン家が継承し現在で5代目になっています。さあ、玄関の回転ドアを回してみましょう。一歩中へ入るとそこには古き良きヨーロッパの伝統と格式、そして洗練されたホテルスタッフが暖かく皆様をお迎えします。

 (アルパインツアーサービス Newsletter No.235 より)





 スイス観光鉄道の歴史

 
 山岳風景を楽しむパノラマ列車からアルプスの峰をくぐり抜けて雪と氷の世界へ到違するヨーロッパ最高所の鉄道駅まで、今やスイスの観光は鉄道抜きには語れない存在までになりました。そのスイスの鉄道の旅にも実は苦難の歴史がありました。

【鉄道の始まり】
 今では”鉄道王国”と呼ばれるほど、鉄道網が発達しているスイス。しかし、最初の鉄道駅が完成してからまだ約160年たらずです。この1世紀半のにスイスの鉄道はどのような発達を遂げたのでしょうか。 スイスで最初に鉄道駅が出来たのはバーゼルでした。1845年にフランスから建設されたアルザス鉄道の国境駅として開業したのが最初です。しかし、これはスイス領内のバーゼルに駅が出来ただけであって、スイスに鉄道線路が引かれ、最初の列車が走ったのはその2年後の1847年バーデン〜チューリッヒ間約25kmの開通まで待たなければなりませんでした。愛称を「スペイン・パン列」といわれたこの列車は毎朝バーデンのパン屋で作られた新鮮なパンをチューリッヒに運んでいました。この鉄道を建設した鉄道会社は1836年にューリッヒで起業され、当初はバーゼルからチューリッヒまでの延伸を狙ったものでしたが、チューリッヒ州以外の州政府の許可がなかなか下りずに分開業を迫られたのでした。実はこのあと約7年間もスイスの鉄道はこの区問だけであり、当時隣国のフランスやドイツにはすでに数千キロに及ぶ鉄道網があったことに比較するとそのスタートは非常に遅かったと言えます。しかし、この後の約30年の間にスイスは約2500kmを越える鉄道網を持つ鉄道大国へと飛躍的に発展することになります。しかもその中には全長15kmに及ぶサン・ゴッタルドトンネルをも含むことになるのです。

【アルプス越えルートの開通】
 アルプスを南北に結ぶ峠越えのルートはローマ時代からいくつか存在し、一番古いものはスイス東部のビュンドナー峠を越えるものです。それから西のグラン・サン・ベルナール峠やシンプロン峠、さらに中世になって開通したもっとも新しいルートが中央スイスを突き抜けるサン・ゴッタルド峠越えでした。鉄道の開通以前には人々は徒歩や馬車などを利用してこれらの峠越えに挑んでいました。スイスの鉄道の発展はこれらの峠越えルートの開削を語らずに終わることは出来ません。19世紀後半になると西ヨーロッパ各国で産業革命が進展し、運搬、輸送の需要が急激に増大する中でアルプスを挟んでヨーロッパの南北問を迂回せずに結ぶ鉄道の建設は緊急の課題となっておりました。その当時バーゼルまで来ていたフランスやドイツの鉄道と南のイタリアとを結ぶ最短路線は地理的にはサン・ゴッタルド峠越えのルートでした。この峠ルートの開削にはじめて挑んだのはスイス近代化の父と言われるアルフレッド・エッシャー(チューリッヒ中央駅の駅前に彼の銅像が建っています)でした。彼は1869年からゴッタルドルートの調査を開始し、1871年にルツェルンで鉄道会社を設立。さらに資金難を克服するために銀行までも設立しました(これが後のクレディ・スイス銀行の母体)。そして未熟だった技術のため、多くの犠牲者を出しながらもついに一番難関だった全長15,003mにも及ぶサン・ゴッタルドトンネルを1882年に開通させアルプスの峠を越える最短ルートが完成しました。工事では世界で始めてエアーコンプレッサーを使った採掘機を使用。北側と南側から掘り始めたトンネルが中央で出会った時には左右に18cm、上下に10cmしか違わなかった言われています。この後、鉄道建設技術の発展と相俟って数々の峠越え一気に開通していきます。1906年には全長19,803mに及ぶシンプロントンネルが開通。1982年に日本の上越新幹線の大清水トンネル22,228mが開通するまで世界最長の記録を76年間も保っていた長大トンネルです。そして1913年にはそれに続く全長14,612mのレッチベルクトンネルが開削されアルプス峠越えの主役は馬車から鉄道へ完全に移行しました。

【登山電車の発達】
 19世紀末になるとヨーロッパではアルプスの山々はそれまで人々が抱いていた悪魔の住む恐怖の対象から、都市の過酷な労働や劣悪な環境から間性を取り戻す癒しの場所として役割が変わってきました。こうした中でイギリスをはじめヨーロッパからの貴族や富裕層が争ってスイスの山々を観光に訪れるようになりました。特にルツェルン周辺は北のヨーロッパ各国から比較的交通便もよく、また山々の標高もそれほど高く無い割には雄大な景色が楽しめたので、リギ山やピラトゥス山は格好の観光スポットとなりました。山頂には展望台だけでなく、“山上のホテル”もすでに建設されており、多くの観光客は人力や馬車、ロバに頼ってこれらの山々を目指していたのでした。ちょうどその頃に画期的な鉄道技術が開発されることになります。列車の下に歯車をつけてそれをギザギザのレールに噛み合わせて坂を登っていくラックレール方式の鉄道で第一号は1896年にすでにアメリカで実用化されていました。この方式の鉄道技術を全く別に研突していたスイスのリンゲンバッハはすぐにその技術を研究の上、スイスでの実用化に着手。そして1871年にリギ登山鉄道でスイス最初のラックレール方式の鉄道を開通させました。この技術はあっと言う問にスイス中に広まり、その方式の違いからリッケンバッハ式やシュトループ式、アプト式、ロッハー式などと様々な方式が取り入れられながらスイスで発展していくことになります。その後も1890年にはインターラーケン〜グリンデルワルド・ラウターブルンネン間、1893年ヴィルダースヴィル〜シーニゲプラッテ間などが開通し、そして1912年のユングフラウヨッホヘの開通と続いていきます。これらの技術は山岳観光が国家財政にとって目玉商品であったスイスにとってなくてはならない技術開発であり、それまで莫大な費用がかかっていた山岳観光の状況を一変させ、以降観光開発を加速することに繋がったのでした。その後、スイスは観光立国としての地位を不動のものにしていくのです。

アルパインツアーサービス Newsletter No.236 より)






 ”スイス流”ハイキング


 スイスはハイキング天国。国土の6割を占めるアルプス山脈が絶好のハイキングフィールドを提供しています。
 ロープウェイやケーブルカー、登山電車などの発達した交通機関が私たちを、氷河を抱く名峰と色とりどりの花が待つハイキングフィールドヘあっという間に運んでくれます。ここから山麓の村まで下るハイキングがおすすめの“スイス流"ハイキングです。さらに、全行程を歩かずに景色の良い所や高山植物の豊富な所だけを歩いて途中のロープウェイや登山電車等の駅まで歩く、いわゆる「おいしい所どり」のハイキングを楽しむのは“超?スイス流ハイキング"と言えるかもしれません。このようなスタイルのハイキングが楽しめるのもスイス・ハイキングの魅力です。また、ハイキングコースには、目的地の方向や所要時問、標高などが表示された黄色の標識が設置されており、コースも歩きやすく整備されているので安心です。つまり、老若男女を問わず、各人の体力や経験に応じて自由にコースを選ぶことができるのです。
 それでは、スイスの中でも特に人気が高い3つの山群の魅力と主なハイキングコースをご紹介します。

ベルナー・オーバーラント山群
 標高差2,000mの巨大な絶壁でアルプス三大北壁のひとつとしても有名なアイガー北壁。クライネシャイデックヘ上がる登山電車の車窓から見上げるその姿には思わず身震いする程の迫力があります。一方、女性的な美しい山容のユングフラウ(4,158m)などの峰々と、緑の美しい牧草地にかわいらしいシャレー風の家が建ち並ぶ光景は、アルプスのイメージそのもの。まるで絵本から切り取ったかのような景色が広がります。まさに、剛と柔が美しく調和した風景がこの山群の魅力です。このエリアで特に人気があるのが、フィルストからバッハアルプゼーを経由してブスアルプまで歩くコースです。グリンデルワルトのシンボル的な存在、ヴェッターホルンから端正な山容のシュレックホルン、雪の壁が美しいフィーシャーホルン(4,049m)から巨大な北壁を擁するアイガー(3,970m)、さらに名峰ユングフラウまで、ベルナー・オーバーラントの山々を一望する展望の素晴らしさと初夏から夏にかけて咲き乱れる花々の美しさ、そして山上に宝石のようにきらめく湖バッハアルプゼーなどたくさんの魅力がつまった名コースです。このコースでは途中、大展望を誇るファウルホルン(2,681m)に登頂することができ、さらにアルプス最大の高山植物園があるシーニゲプラッテ(1,967m)まで縦走すれば、さらに充実した山行になることでしょう。

ヴァリス山群
 世界的な名峰マッターホルン(4,478m)、アルプス第2の高峰で7つのピークを持つ巨大なモンテローザ(4,634m)などアルプスを代表する美しい山々と、古くからアルピニストの基地として知られるツェルマットや「アルプスの真珠」と呼ばれる氷河に囲まれた美しい山上の村、サースフェーなどの山麓のリゾート地、さらにアルプスの原風景を残す魅力的な谷の数々、歴史的な通商ルートとして知られる峠道など、変化に富んだ風景が魅力のエリアです。
 ツェルマット地区では、ウンターロートホルンからスネガまで歩くハイキングコースがおすすめです。このコースはスイスでは見かけることが少なくなった工一デルワイスが白生しており、マッターホルンを映すシュテリゼー、ライゼーなどの山上の湖と高山植物の美しさに定評がある名コースです。

ベルニナ山群
 どこまでも澄んだ青空。高原の爽やかな空気。そして白く輝く氷河とアルプスの峰、裾野の広がる針葉樹林と湖畔の優雅なリゾート地…。この地が生んだ偉大な画家、セガンティーニがベルニナ山群を含むエンガディン地方をこよなく愛したのも深く頷ける。他のアルプスと一味違う魅力をもったエリアです。
 ここのおすすめコースは、ムルテルからポントレジーナヘ下るルートです。途中の峠、フォルクラ・スールレイからの山群最高峰ピッツ・ベルニナ(4,049m)とピッツ・ロゼック(3,937m)の展望は絶景で思わず大休止したくなる所です。さらに、雪山と山麓の鮮やかな緑のコントラストが美しいロゼック谷へ下り、馬車に揺られながらポントレジーナへ向かうのも一興です。

その他のおすすめコ一ス
 これらのコース以外にもたくさん魅力的なコースがあります。その中でも是非とも歩いてみたい2つのコースをご紹介します。まず、ベルナー・オーバーランド山群の南側に位置するベットマーホルンからフィーシュアルプへ向かうルートです。このコースは「氷河の小道」と呼ばれ、世界自然遺産に登録された、アルプス最長のアレッチ大氷河の雄大な眺めを心ゆくまて堪能できる展望コースです。もうひとつはオーバーアールホルン展望台からグリムゼル湖畔まで歩くルートです。このコースは、ガイドブックにも紹介されることのない、穴場的なコースでそれだけに静寂に包まれたアルプスの奥深い自然を味わうことができます。さらにアルプスの山々が身近に感じられることでしょう。



アルパインツアーサービス Newsletter No.237 より)