奈良教育大学英語教育研究会平成16年度7月例会 2004.7.31

公立中学校におけるTotal Physical Responseの指導効果


奈良教育大学大学院・奈良市立三笠中学校
川淵 弘二

  1. はじめに

    今回の発表は、現在進めている修士論文の中間報告という形で1学期間すすめてきたTPRの指導効果についての検証を中心に報告した。表題の中心テーマでもある長期記憶については、夏休み明けの記憶保持テストの結果を待って分析を進めることになるため、今回はその前段階のデータを分析した結果から考察をすすめてみた。

    音声理解の内在化が、英語学習の初期段階においては非常に重要であることがこれまでも指摘されているにも関わらず、その具体的な指導法が明確でないため、おざなりになっている現実が中学校現場にはある。TPRは英語学習の初期段階において、音声指導を効果的にすすめることのできる指導法であり、これを通して1学期指導した成果は当初の予想を上回るものであった。

  2. Total Physical Response: Review of the literature

    音声理解の重要性とそのための外国語学習における動きによる指導は、子どもの第1言語習得過程の観察から、これまでも提唱されてきた。Palmer は文字理解に到る前段階の音声理解の重要性を説き、 Speech Unitの形成が初期段階においては何より大切であるとして、4段階の指導手順 (The Four Phases of Assimilation: Perception, Recognition, Imitation, Reproduction) を示した。このうちRecognition段階には Imperative Drill (collective or individual) というTPRの原型ともいえる指導手順が示されている。

    第2言語習得の理論からTPRの有効性に注目したのが、Krashen である。彼はThe Input Hypothesis において、学習者の理解を少し超えた段階の理解可能なinputを大量に与え、発話を遅らせることがproductionを容易にすること、またThe Affective Filter Hypothesis において、学習者の誤りに対する不安をできるだけ下げることが大切であり、明示的なルールの指導が優先されるべきではないとした。

    Total Physical ResponseはAsher が提唱した指導法であり、その中心的な考え方は、音声理解のために指導者による命令に対して動きで反応するというものである。学習者は音声が十分内在化されるまでは発話を強制されないため、ストレスも少なく楽しく学習することができる。また、長期記憶をはじめとする様々な効果が証明されている。具体例をあげると、
     a) 発話を遅らせるとリスニング力が伸長する。
     b) 多技能への正の転移が見られる。
     c) 年齢や学習レベルに関係なく外国語を習得することができる。
     d) ほぼすべての文法項目を指導することができる。
     e) 長期記憶をもたらすことができる。
     f) ストレスもなく楽しく学習することができる。
    というものである。

    Asher はさらに、TPRの指導は右脳中心の理解訓練であり、それゆえ無意識の習得がすすむと主張した。これに対しそれまで主流であった"Listen and repeat after me," "Memorize this dialogue," "Pronounce these words." などにみられる早い段階での発話活動をすすめ、反復によって記憶を促そうとするオーディオ・リンガル・アプローチや母語使用の文法訳読指導と比較し、多くの実験データを提示しながらTPRの有効性を実証した。

    Asherの実験データは非常に説得力があるもので、これまでの指導法の改善へのヒントとなるものである。しかしながら、日本の公立中学校(週3時間の授業時数)において同様の指導効果をもたらすことができるかどうかは疑問である。さらに、日本人学習者向けの指導書そのものも十分なものがない。そこで今回は、日本の中学校現場に適応した指導教材をつくる一方、これを使ったTPRによる指導とこれまでの伝統的な指導との効果を比較検討してみることでTPRの指導可能性を探ることにした。言い換えれば、Asherの実験データが日本の公立中学校においても得られるかどうかを検証してみたい。特に、長期記憶への効果が証明されることが一番大きなメリットであると考える。

    実験への仮説(TPR vs. 伝統的指導:オーディオ・リンガルの応用と和訳)
     1. TPRはリスニング力を伸ばす。
     2. リーディングへの正の転移がある。
     3. 機能語を効果的に習得することができる。(文法力)
     4. 長期記憶をもたらす。
     5. 楽しくストレスのない学習をすることができる。

  3. 授業の実際 (1年生少人数編成, ビデオ視聴)

    3.1 Procedure(全23時間、うちALTとのTeam Teaching: 23時間目を含む)

     TPR group (Experimental group)

    1. Review
    2. New commands: 実物教材を使う。デモンストレーションは2人ずつペアで。新出語は3つを目安にし、組み合わせることで難易度をあげる。教師のモデルが大切で、できなかった生徒にはペアの生徒に模範を示させるなどして挫折感を与えないよう注意する。
    3. Reading: まとめのプリントを配布する。
    4. Role reversal: 生徒が命令文を出して教師が演ずる。

     伝統的指導 group (Control group)

    1. Review
    2. モデル文のFlash cardsを使う。生徒たちは座ったままで教師の後に続いて語と文をリピートする。その際、日本語訳も与えられる。語を組み合わせることで新出文を作る練習もおこなう。
    3. Reading: まとめのプリントを配布する。

    3.2 確認テスト24時間目とアンケート 25時間目

     聴解 test: 別室での個人別確認テスト 命令文を聞いて動きによって理解をはかる
     文字理解 test: 語順並べ替えと絵から適切な文を選ぶ初期のリーディングテスト

    3.3 教材について

     "Stop" "Run" などの1語文から"Point to the window." などの目的語を含んだ文、"Stand next to the desk." や"Touch your right eye with your left hand."という副詞句までを含んだ命令文を100文用意し、どれだけ習得できるかを調べた。

  4. 比較テストとアンケートについての結果と考察

    1. 聴解テストにおける平均点には有意差があった。
      (TPR>control両側検定 t(42)=5.13, 有意確率0.00000694)
      したがって、TPRによる指導は有意に高得点をあげるといえる。
    2. 文字理解確認テストの平均の差は有意ではなかった。
      (両側検定 t(79)=1.16, 有意確率0.246)
      しかしながら、TPRによる指導は、文字の指導時間が少ないにもかかわらず同等の成果を上げることができたといえる。
    3. 文字理解確認テストを3年生と1年生TPRの2つの集団に対しておこなった。
      (1年生TPR>3年生 両側検定:t(85)=4.94 有意確率0.00000385)
      音声理解の内在化がすすむと文字理解への転移が効果的にすすむこと、音声から文字への指導のプロセスが大切であることがこのデータから読み取ることができる。
    4. アンケート結果によれば、TPRによる指導に対して生徒は、control群の生徒よりも楽しく、覚えやすいと感じていることがわかった。
    5. しかし、体を使って動く活動には恥ずかしいと感じる傾向にあることもわかった。恥ずかしいと感じてはいるが、TPRの効果について認めているかどうかについては因子分析をおこない、考察をすすめることとする。
    6. 来学期も続けてほしいという声はTPR群の方が高かった。また、9教科における英語に対する好意順位においてもTPR群の順位はcontrol群よりも高かった。このことから、TPRによる指導の方が生徒には好評であったといえる。
    7. 長期記憶については、9月はじめに同様の聴解、文字確認テストをおこなう予定。

  5. まとめ

    1学期間の指導を通じて、理解可能なinputを生徒たちは教師が考えている以上に余裕を持ってintakeすることができるということがわかった。指導者は、生徒の発達段階を考慮しすぎるあまり、結果的に非常に制限したinputしか与えていなかったのではないだろうか。

    今回は、TPRによる指導の可能性を探ったわけであるが、明らかに言えることは、英語の音声指導の重要性である。特に初期段階で発話を遅らせ、リスニングを重視した指導手順を組むことが、生徒の情意フィルターを下げ、結果的に他技能への転移があることがわかった。長期記憶テストでも同様の効果があることに期待したい。

    今回の指導手順が最適であったとはいえず、細かい点で微調整が必要であったとは思うが、データについては(まだ分析の途中)、ほぼAsherの一連の実験検証と同じものを得ることができた。何よりも、楽しく授業を組み立て、おこなうことができ、生徒たちに英語学習に対する自信をつけさせることができたということが大きな収穫であったと思う。その意味で授業をともにつくってくれた生徒たちに感謝しながら、引き続き研究をすすめていきたい。



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