強迫の闇の中で得たこと

「フルーツバスケット」 の夾と透


2004年01月19日(月)

強迫は、症状の現れ方が変化するから、治り具合が分かりにくい。
不安の根っこが残ってるから、外から押さえても、
別のとこから、はみだすようなイメージ。
風船を押したら、別のとこが膨らむような…。

でも、根っこは、だんだん小さくしていけると思う。
自己肯定感を 高めていくことができれば。 ← しつこい・みぃ o(*- -)ゞ
そのままの自分を、弱さも含めて 「基本的に」 認められて、
受け入れられること。 他人からも。 自分からも。



たとえば、『フルーツバスケット』 の夾のセリフ…。
アニメを 一回 観ただけなので、不正確です ↓

「…まるごと 受け入れてもらえなくても、よかったんだ…」
「…怖ろしくてもいい…、それでも 一緒に生きていきたいと…」
「…こわがってもいい…、それでも 一緒に生きていきたいと…」

これは、妖怪のような もう一つの姿に変身した夾が
透から受け入れられた時のセリフ。

同じことが、自分で自分を 受け入れる時にも、いえる と思う。
「まるごと 受け入れてもらえなくても」 っていうのは、
怖ろしい部分は 怖ろしいと認めた上で、っていう意味だと思う。
無理に 怖ろしくないと思う必要なんかなくて。



夾には、事情があって…。
草摩一族には、なにかの呪いが かけられてるらしく?
異性に抱きつかれると、しばらくの間、十二支の動物に変身してしまう。

一族の中の、草摩紫呉、由希、夾、三人の男の子と、
一族ではない 本間透っていう女の子が、同居する事になって…、
当然、変身の秘密はバレたけど、 透は、少しも態度を変えなかった。
それは、紫呉、由希、夾にとって、すごく大きなことだった。

で、夾はネコに変身する。
ネコって、もともと十二支の中にはいない。
一族の中で、ネコに変身する者だけ、封印のブレスレットをはずすと、
妖怪のような怖ろしい姿にも、変身してしまう。 二重に変身するの。

もう一つの隠してきた姿に 変身してしまった夾は、林の中に逃げてしまう。
夾の本当の姿?を見た透は、衝撃を受けながらも 夾を追ったけど、
途中で崩れ落ちて膝をつき、立ち上がれなくなってしまう。
いったん、ふらふらと別方向を彷徨った透は、やっとのことで、
夾のところへ戻ってくる。 夾は、まだ怖ろしい姿のまま…。



夾は、変身後の姿 が 本当の自分だと思ってたようだけど、
実は、夾の ある一部分 の姿 に過ぎない。



夾が透に聞く。 「この姿を見て 俺を どう思うか」
目の前の夾は、怖ろしくて凶暴っぽかった。
でも、透の脳裏には、いつもの優しい夾が 映しだされていく。
やっぱり、この人と いたいって思う。

透は答える。
「怖いです。 今の夾くんは怖いです」
「でも、これからも ずっと一緒にいたいんです」
「一緒に ご飯食べて、一緒に 学校へ行って…、」
「私のわがままも 聞いてほしいんです」
「夾くんの弱音も 聞かせてほしい…」

私は、その言葉が忘れられない。
怖ろしさを受け止めた後、怖ろしくてもいい。 そういう部分があってもいい。
それでも、一緒に生きていきたい
…と言った言葉が。

夾は思う。「まるごと受け入れてもらえなくても、よかったんだ…」
“怖ろしくてもいい…それでも一緒に生きていきたいと…”
“こわがってもいい…それでも一緒に生きていきたいと…”

それは、自分の中の 夾的部分と透的部分にも、いえる ことだと思う。
たぶん誰の心の中にも、夾も透も いてる。



漫画では、ストーリーの展開上、怖ろしい部分ってなってるけど、
弱い部分、嫌な部分、愚かな部分、不完全な部分…っていう
表現の方が ピンとくるかな…。
そういう部分は、誰にでもあるし、あって当然のもの。
私たちは、やっぱり 「キレた天使と悪魔のハーフ」 ← Λucifer より
自分の嫌な部分にも、目をつむりたくない。
全て合わせて、私だもの。



私の願い…、

自分の中の 嫌だと思う部分は、嫌だと認めながら、
それでも、自分という存在すべてを 否定することなく、
あって当然の 嫌な部分とともに、この自分で
生きていこうって、素直に思えるようになること。


…っていうのを、 自分の中で 明確に言語化できたのは、
『フルーツバスケット』 の夾と透のシーンのおかげ。

NEXT → 「ありがとう」の実践/他