儒教の祖「孔子」にゆかりの古都曲阜と3つの遺跡 中国1994
  曲阜(きょくふ)の孔廟(こうびょう),孔林(こうりん),孔府(こうふ)   「三孔(さんこう)
                    
      
  孔廟の杏壇門           孔府の内部           孔林の孔子墓


 春秋戦国時代の都,曲阜  
山東省の曲阜市は,儒教の祖である孔子(こうし)(前551年~前479年)が生
まれ亡くなったところです。孔子が活躍していた春秋戦国時代,曲阜は魯国(ろこく)の都でした。曲阜には,孔子をまつった孔廟,孔子一族の墓所である孔林,孔子一族の邸宅である孔府があり,「三孔」(さんこう)とよばれています。

   孔子をまつった孔廟
孔廟は,孔子が亡くなった翌年に魯(ろ)の王が孔子の功績をたたえて,大成殿(だいせいでん)を築いたことにはじまります。
その後,歴代の皇帝により改修されてきました。北京紫禁城の太和殿,泰山岱廟の天?殿(てんきょうでん)とともに,中国3大古建築のひとつです。
大成殿には,高さ3.3メートルの孔子の像がおかれ,まわりを弟子16人の像が取りかこんでいます。石碑や書,絵画,彫刻などもおさめられています。
孔子をまつった聖堂(孔子廟)(こうしびょう)は,のちに中国各地や台湾,朝鮮半島、日本などでもつくられました。東京の湯島聖堂,佐賀の多久廟(たくびょう),ソウルの文廟などが有名で,孔子をまつる儀式も行われています。

 孔林・孔府
孔子とその一族の墓所である孔林は,1444年につくられた中国最古の人工林です。2万本以上の古木が立つ林のなかに,孔子の墓があります。
孔府は,孔子一族が住居や仕事場としたところです。現存の建物は,明・清時代に改修されたもので,多くの建物と9つの中庭があります。

 孔子の教えと「論語」
孔子の思想は,死後に弟子たちにより,言行録「論語」にまとめられました。その教えはのちに儒教へと発展し,中国だけでなく,日本や朝鮮半島,ベトナムなど,東アジアの国ぐにに影響をあたえました。「論語」には,人間個人が社会的な存在としてどうあるべきかという,政治にまで通じる道徳が書かれています。
もっとも大切とされる「仁」は「忠(まごころ)」にもとづく人間愛をあらわします。親への孝行,年長者の尊重とともに,欲をはなれて学ぶことも説かれています。論語を読むことは,江戸時代の日本では,武士に必須の学問とされました。
「論語読みの論語知らず」などということばも生まれました。

 孔府の鼓楼(ころう)
苗,時刻を知らせるために太鼓をうち鳴らした鼓楼。儒教の祖,孔子ゆかりの孔府をおとずれる観光客はあとをたちません。

 孔林の至聖林門(しせいりんもん)
2万本以上の木にかこまれた孔林は,至聖林門をくぐっていくと,参道の奥に「大成至聖文宣王墓」(だいせいしせいぶんせんおうのはか)と墓石にしるされた孔子の墓があります。周囲には,孔子の子孫の墓碑が立ちならんでいます。

 山東省 首都北京の南約480km 1994年 文化遺産
儒教の祖として、その死後代々の王や皇帝の尊崇を集めた孔子の生誕・終えんの地、曲阜には、孔子をまつる孔廟、孔子一族の邸宅・役所である孔府が、時代の推移とともにしだいに壮麗さを加え、現代の県城の中心にその威容を誇っている。
県城の北には、広大な面積を有する孔家歴代の墓所孔林が広がる。
孔子の故郷に形成された曲阜の街は、数ある中国の古都のなかでも特有の地位を占めており、後世の人々の故人に寄せる」深い思いが伝わってくる。

 三孔(さんこう)
曲阜にある孔子ゆかりの史跡、孔府、孔廟、孔林、のこと。
三つ穴があること、三孔ピトー官など 三孔(さんこう)とは、山東省、曲阜市にある孔子ゆかりの建造物、すなわち孔廟、孔府、孔林のことである。1994年以降、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
 孔廟
孔子の神霊を祭る霊所。孔子の死後その教えを保護した皇帝達によって手が加えられ紫禁城、岱廟と並ぶ中国三大宮廷建築一つとされ、中国の代表的建築物といわれる。
 孔府
孔子の直系の子孫が代々住み、且つオフィスとしていたところ。
 孔林
200Haを越える面積を持つ孔子及びその子孫の墓。

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