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パキスタン(1976年)

モヘンジョダロの遺跡 1980年 
インダス文明の代表的な都市遺跡。整然と区画されたレンガじきの街路,倉庫や浴場などの公共建築物,ととのった排水設備などが見られ,紀元前2300〜紀元前1800年頃の計画都市と考えられる。

タキシラ 1980年
古代より支配者が変遷(へんせん)し,東西交流の拠点として栄えた都市。遺跡はギリシャ式神殿,仏教寺院など3つの時代順
に残る。紀元前1世紀につくられた「双頭のワシのストウ−パ」は,ペルシャやギリシャ,インドの文化の融合が見られるもの。

タフテ・バヒーの仏教遺跡とサライ・バロール近隣都市遺跡 1980
タフテ・バヒーは,ガンダーラ平野をのぞむ丘の上にある1〜7世紀に建立された仏教寺院。中央のストウーパとそれをかこんで建つ嗣堂(しどう),北側には僧院跡がある。サライ・バロールは城塞にかこまれた要塞都市。

タッターの文化財 1981
タッターは14世紀から400年間,シンド地方におこった3王朝の首都として栄えた。17世紀半ばにムガール王朝の皇帝がつくらせたモスク,ジャーミ・マスジドは青タイルが美しい。マクリの丘は墓廟・墓標がならぶイスラム世界で最大の墓地。

ラホールの城塞とシャーリーマール庭園 1981年
ムガール王朝の3代皇帝アクバルが建築をはじめ,歴代皇帝が増改築したラホール城。12の城門にかこまれた宮殿やモスク,塔などが王朝の繁栄を伝える。5代皇帝シヤー・ジャバーンがつくった,ペルシャ式のシャーリーマール庭園は王族の保養地。

ロホタース城塞(じょうさい) 1997年
北からの中央アジア遊牧民族の侵入をふせぐため,スール朝のシェール・シヤーが1541年に築かせた堅固な城塞。ジェーラム川の支流カハーン川に沿って,岩塩鉱山ソルト・レンジ(塩の山脈)の上に築かれ,周囲5キロにおよぶ。





インダス文明の繁栄を伝える計画都市 パキスタン 1980年
 モヘンジョダロの遺跡
インダス文明最大の都市遺跡
モヘンジョダロはインダス文明の最大の都市遺跡です。カラチから北へ約300キロのラールカナ南部にあります。
1920年代初め,インド人考古学者パネルジーが発見しました。以来イギリスの考古学者マーシャルらが大規模な発掘を行い,第2次世界大戦後はパキスタンにより発掘が行われました。現在までに,都市の範囲が80ヘクタール以上あり,城塞地区と市街地区に分かれていることなどが明らかになっています。城塞とよばれる西の小高い地区は城壁でかこまれており,穀物倉・集会所・大浴場などの大きな公共の建物群があります。市街は,焼いたレンガがしきつめられた道路沿いに,住宅や仕事場といった建物群が整然とならぴ,東西南北にのぴた大通りによって区画されています。
建物や道路には,排水設備や下水設備がそなわっています。
モヘンジョダロの注目すべき点は整然と区画された人類最初の計画都市だったことです。
この都市が栄えたのは,紀元前2300年から紀元前1800年頃

  モヘンジョダロの市街地の遺跡
市街地は,東西南北に走る5,6本の大通りによってしきられていました。家は高い壁と小さな入り口をもち,中庭がありました。中庭には井戸があり,そこに炊事場や洗濯場などもありました。
家々からの排水は,土管や排水孔から汚水槽へ,さらにレンガづくりの下水道へと流されていたようです。大通りの下水道にはマンホールもつくられ,定期的に清掃が行われていたようです。

  モヘンジョダロの踊り子
すらりとした体に首飾りと腕輪をつけた青銅の像が,モヘンジョダロから発掘されました。また,インダス文字がきざまれた印章も発見されています。インダス文字は象形文字ですが,現在も解読されていないものがあります。

  インダス文明
インダス文明は,紀元前2300年から紀元前1800年頃,インダス川流域を中心に栄えた古代文明です。エジプト文明,メソポタミア文明,中国文明とともに,古代の世界4大文明に数えられます。
インダス文明の遺跡は,西はイラン国境まで,東はインドの北西地域まで,北はアフガニスタンのオクサス川流域まで広がり,大小300ほど発見されています。代表的な遺跡は,パキスタンのハラッパーとモヘンジョダロです。インダス文明には,高度な工芸技術がありました。赤地で黒色彩文の土器,車などの土製の玩具,人間あるいは神をかたどった彫像,銅・金・銀など貴金属の装飾品,道具類といったものです。

パキスタン イスラム共和国の世界遺産  (World Heritage List)