写真((財)沖縄観光コンベンションビューローまたはOCVB)

沖縄は独自の文化を持つ県で、観光のメッカである。マリンスポーツに海水浴に温暖な気候が特徴でプロ野球のキャンプ地になることが多い。また世界一の水族館 沖縄美ら海水族館(おきなわちゅらうみすいぞくかん) 世界最大級の水槽はギネスブック公認の世界最大のアクリルパネルだ!そんな沖縄の世界遺産を紹介。

沖縄 美ら海
(ちゅらうみ)
座喜味城跡(ざきみじょうあと)  沖縄県中頭郡読谷村 416年-1422年に護佐丸(ごさまる)が築城したとされている。城門のアーチに楔石を用いており、アーチ門では古い形態とされる。
沖縄戦前には日本軍の砲台や、戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊されたが、城壁の復元が行われた。
2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている(登録名称は座喜味城跡)。城内で演劇が行われるなど、広く利用されている。城跡の高台から西側を望むと残波岬や、晴れた日には慶良間諸島も眺める事ができる。

太平洋戦争でアメリカ軍が最初に上陸した場所です。戦後も座喜昧城跡は米軍のレーダー基地となり∴城壁は破壊されてしまいました。読谷村には米軍の傍受施設(ぼうじゅしせつ)(通称「象のオリ」)があります。米軍基地に悩む沖縄の象徴
玉陵(たまうどぅん) 玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿とも)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。所在地は沖縄県那覇市首里金城町。そもそもは第3代尚真王(在位1477年 - 1526年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。世界遺産のひとつで沖縄最大の破風墓。
識名園(しきなえん)      沖縄県那覇市識名 中国の様式と沖縄独自の様式の折衷様式で建築されている。完成当時は中国皇帝からの使者(冊封使)をもてなす迎賓館として使われた。展望台があるが、海を臨むことはできない。これは琉球をより大きな国に見せるためともいわれている。
御殿と庭園 石橋 六角堂
斎場御嶽(せいふぁうたき)御嶽は沖縄民衆の信仰のよりどころ 斎場御嶽(せいふぁうたき/せーふぁうたき/サイハノうたき)は現在の南城市(旧知念村)にある史跡。15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされる。「せーふぁ」とは「最高位」の意味で「斎場御嶽」とは「最高の御嶽」ほどの意味で、通称である。正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」という。
敷地内には首里城内の施設名と同じ拝所が複数ある。3つの拝所が集中する最奥部の三庫理(さんぐーい)には「京(けう)のはな」という最も格の高い拝所があり、クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされる。なお、三庫理からは王国開闢にまつわる最高聖地である久高島を遥拝することができるが、これは近世になって三庫理の岩壁の一角が崩れたことによるもので、かつての三庫理は三方を岩壁に囲まれた空間だったという。
参拝には入場料200円
今帰仁城跡(なきじんじょうあと) 保存状態のよい沖縄屈指の城郭
所在地/沖縄県国頭郡今帰仁村
今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村にある城跡。14世紀に琉球王国三山時代の三山の一つ・北山王の居城であった。
城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多量に出土し、往時の繁栄をうかがわせる。北山は尚巴志に1416年(1422年説もある)に滅ぼされるが、北山が滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣された。1609年の薩摩藩による琉球侵攻の際には、その攻撃の第一目標となった。
現在も石垣などの遺構の整備が進み、今帰仁城跡として1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定される。門から城の中心部へと向かう階段(戦後に造られたもの)の左右にはカンヒザクラの並木があり、毎年1月末〜2月始めに開花する。本部町の八重岳などと並び、沖縄県の桜の名所として知られている。城内には志慶真乙樽歌碑や山北今帰仁城監守来歴碑記などの碑もある。

日本100名城(98番)に選定されている。
首里城跡(しゅりじょうあと)      所在地/沖縄県那覇市首里 首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、沖縄県那覇市首里にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあった城。
琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)であった。戦前は正殿などが国宝であったが、1945年の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている。1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。1993年に放送されたNHK大河ドラマ「琉球の風」の舞台になった。2000年12月、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。

周辺には同じく世界遺産に登録された玉陵、園比屋武御嶽石門
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)/首里城公園内 沖縄県那覇市首里真和志町一丁目
石門の背後にある森が園比屋武御嶽である。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であり、また聞得大君が就任するときにまず最初に拝礼した、いわば国家の聖地だった。王家尚氏ゆかりの島である伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」を祭る。

勝連城跡(かつれんじょうあと)      所在地/沖縄県うるま市   勝連城(かつれんぐすく・かつれんじょう)は、沖縄県うるま市にあるグスク(城)である。阿麻和利の城として知られている。
城は勝連半島の南のつけ根部にある丘陵に位置する。南城(ヘーグシク)、中間の内、北城(ニシグシク)で構成されている。北城は石垣で仕切られた一から三の郭が階段状に連なり、一の郭が最も高く標高約100mの丘陵上にある。
13世紀-14世紀に茂知附按司により築城したとされている。この城の最後の城主が阿麻和利である。阿麻和利はクーデターを起こしてこの地方の按司となり、琉球の統一を目論んだが1458年に琉球王府によって滅ぼされた。
城内からは中国、元代の陶磁器(染付がみつかっており、『おもろさうし』からも当時の反映をみることができる。城壁の石は道路工事の石材などとして持ち去られたが、現在は復元工事により往事の姿を取り戻しつつある。
登録されたグスクの中では最も築城年代が古いグスクとされている。


中城城跡(なかぐすくじょうあと)太平洋戦争で米軍の艦砲射撃でくずれた城壁です。
                           戦争のおろかさを忘れないために一部を修復せずに残しています。
中城城(なかぐすくじょう)は、15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスク(城)として知られる。城壁の増築により現在みられる規模になったと考えられるが、築城の時期は不明。
中城城は当時貿易港であった屋宜港から2kmほど離れた標高約160mの丘陵上にあり、中城村の北西から西北から北中城村の南側に伸びていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、300余りもあるとされる沖縄のグスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られている。 石垣の上に立つと西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)、さらには洋上の島々まで見渡せる。

中城公園観覧料

  • 大人:300円 (団体200円)
  • 中高校生:200円 (団体100円)
  • 小学生:100円 (団体50円)


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琉球王国のグスク及び関連遺産群




沖縄,アジアへの架け橋
 日本地図を広げてみて下さい。日本列島は北海道から九州まで,弓なりにつながっています。その長さは約2000キロ。そして九州から台湾の間にもうひとつの列島があります。
名前は南西諸島。長さは1000キロを越える列島です。その列島の中部・南部をまとめているのが沖縄県です。東京一広島間とおなじくらいの長さに広がる島々をふくみ,県の中心・那覇から鹿児島までは約600キロ,東京までは約1500キロ。いっぼう中国の上海(シヤンハイ)までは約800キロ,台湾なら約600キロあまりです。このように,日本とアジアの架け橋にあたるのが沖縄なのです。かつて沖縄の人びとは,この条件を生かして東アジア・東南アジアを自由に往来して貿易を行い独自の文化をはぐくみました。その時代につくられた貴重な文化遺産が,20世紀最後の年に世界遺産に登録された「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」です。

琉球王国
 沖縄が,かつては日本国ではなく「琉球王国」という名前の独立国だったことをみなさんは知っていますか。沖縄が完全に日本の領土になったのはわずか120年ほど前のことで,それまでは,日本が室町時代だったころから続く「尚氏」(しょうし)が治める王国でした。
沖縄で農業がはじまったのは,10世紀頃と考えられています。やがて13世紀頃には各地に「按司」(あじ)と呼ばれる豪族が現れました。按司たちは城(グスク)を築いて互いに勢力をきそいあいました。それらにはまだ日本にはなかったりっぱな石垣をもつものが多く,沖縄の文化の高さを示しています。

 14世紀はじめになると,沖縄本島には北山・中山・南山の3つの王国ができ,きそって中国に使いを送って中国の文化を取りいれました。そして,首里城を拠点とする中山王・尚巴志(しょうはし)が1429年に三山を統一して琉球王国をたてました。これを第一次尚氏王朝(しょうしおうちょう)といいます。この時代に琉球は積極的に海外との貿易を進めて,中国・朝鮮・日本からタイ・インドネシアまで船をだして東アジアでもトップクラスの貿易国になりました。しかし統一後も内乱がつづき,1469年に尚円(しょうえん)がクーデターにより王となり,第二次尚氏王朝をたてました。尚円の息子である尚真(しょうしん)の頃に,琉球王国は奄美諸島(あまみしょとう)から宮古・八重山諸島におよぶ島々を支配しました。各地の按司たちは首里に集められて武器も取りあげられ,戦いの時代が終わりました。世界遺産に登録された城(グスク)のほとんどは,それまでの時代にきずかれたものです。

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