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日光の寺社(栃木県・1999・文化遺産)
みごとな彫刻にかざられた徳川家康の墓所

日光山内の自然環境と一体となった2社1寺の建造物群。江戸時代初期から中期に建てられた建造物群が日本近世の建築様式を代表する。特に徳川家康を祀る東照宮は「権現造り」(ごんげんづくり)と呼ばれ、全国の寺社建築の見本となった。

飽きが来ないほど豪華絢爛(ごうかけんらん)  日本の世界遺産・日光東照宮





日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。

日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)



「日光東照宮」
栃木県日光市に位置する「日光東照宮」は、1617年、徳川家康を神(東大権現)としてまつるため、徳川家忠が日光の地に社殿を造営したことに始まる。その後、徳川家光が1636年に社殿の規模を拡大し、絢爛豪華(けんらんごうか)な造りに改めた。
 平成11年 (1999年)に 世界遺産に登録される。

代表的な建造物は「陽明門」。彩色や彫刻など江戸時代初期の工芸・装飾技術がふんだんに取り入れられており、彫刻の数は想像上の動物や人物など500以上ある。いつまでも目を楽しませてくれることから「日暮の門」とも呼ばれる。12本の柱のうち、1本だけ渦巻き紋様の向きが上下逆になっているが、「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という言葉を逆手に取り、あえて不完全な状態にしておくことで、建物の長持ちを願っているという。
 また、神馬を繋(つな)ぐための「神厩舎」(しんきゅうしゃ)には、猿が馬を病気から守るという言い伝えにちなみ、猿の彫刻が施されている。「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿もここで見る事ができる。三猿には、子どものうちは悪い事を見たり、聞いたり、言ったりせず、素直に成長してほしいという願いが込められている。


日光東照宮にある 神厩舎「神馬をつなぐ厩(うまや)」にある三猿の彫刻。「見ざる・言わざる・聞かざる」で知られる。

はなやかな世界遺産


「日光を見ずして結構というなかれ」ということばがあります。「日光を見なくては,“すばらしい’’ということばはわからない」という意味で,日光はそれほどすばらしいと,日光をほめたことばです。
 日光は,江戸時代から有名な聖地であり,観光地でした。ここには,男体山(なんたいさん)・中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)・華厳の滝(けごんのたき)をどの雄大な自然があり,また,奈良時代からつづく山岳信仰の伝統があります。そして,江戸幕府の初代将軍である徳川家康をまつった,東照宮を中心とする美しい建造物があります。
それらが一体となった独特のはなやかさは,日光ならではのものです。
世界遺産登録地域は,二荒山神社(ふたらさんじんじゃ),東照宮,輪王寺の「2社1寺」とその境内地からなっています。そのなかに,国宝9棟,重要文化財94棟の合計103棟の貴重な建造物があります。


日光東照宮


東照宮は,徳川家康の墓所であると同時に,家康を神としてまつった神社です。
徳川家康は死の直前に「一周忌がすぎたら下野(しもつけ)の日光山に小さき堂を建ててまつれ。関八州(かんはっしゅう)(関東8カ国)の守り神となろう」と遺言しました。
幕府はその遺言にしたがい,家康を神としてまつる神社をつくり,なきがらをおさめました。これが日光東照宮です。創建は1617年で,さらに家康を敬愛した3代将軍家光によって,1636年に現在の壮麗な社殿につくりかえられました。
江戸幕府の威信をかけて,約100万両というぱくだいな費用をかけた東照宮は,ほとんどの建物が金色をベースとするあざやかな色でいろどられ,5,000体以上のみごとな彫刻でかざられています。「権現造」(ごんげんづくり)と呼ばれるこの様式は,安土桃山文化のはなやかで雄大な建築がさらに発展したものです。
 
 では,なぜ幕府は家康を神とし,その神社の造営にこれほどの力をそそいだのでしょうか?

日本には,偉大な人物や超人的な能力をもった人物を神としてまつる習慣がありました。強い力をもつ人の霊は,死後もこの世にとどまって自分たちを守ってくれたり,反対に災いをもたらしたりすると信じられていたからです。
たとえば,平安時代に政治の争いにやぶれて九州に流された菅原道真や反乱にやぶれた平将門は,死後に怨霊(おんりょう)となってさまざまなたたりをもたらしたと信じられ,それぞれ天満宮と神田明神に神としてまつられました。悲運のうちに死んだ偉人の霊をなぐさめ,たたりをしずめるための神社です。また,豊臣秀吉の豊国神社や,明治天皇をまつった明治神宮などは,支配者の力をしめし,死後もその政治がつづくことを願ってつくられた神社です。さらに,農民のために命をかけてたたかった佐倉惣五郎をまつる宗吾霊堂のように,民衆から慕われた人をまつる神社もあります。
このように実在の人物を神としてまつった神社は日本各地にあり,人ぴとを守ると同時に,忘れられないできごとを後世に伝える役割も果たしています。
そのほか,郷土の偉人・恩人をまつる神社は各地にあります。みなさんの地域にもさがせばきっとあるでしょう。
徳川家康は,死んだあとも神となって江戸幕府と天下の平和を守ろうとしました。そして幕府は,家康の偉大さを後世に伝えるために,墓所であり神社でもある東照宮の造営に全力をそそいだのです。
家康は「東照大権現」という神になりました。日光東照宮は,徳川幕府最高の聖地として人びとの信仰を集め!幕府の政治体制を支える重要な役割を果たしました。


輪王寺
(りんのうじ)

二荒山神社を開いた勝道上人が創建した寺がはじまりで,日光山の中心寺院として二荒山神社とともに発展してきました。江戸時代にはいると,東照宮とともに徳川幕府の保護を受け,3代将軍家光の墓所が造営されました。そして,輪王寺は代々皇族が住職になる,最も格式の高い寺とされました。京都の比叡山延暦寺,東京の寛永寺(かんえいじ)とならぶ天台宗三山のひとつです。


東照宮陽明門
(とうしょうぐうようめいもん)
本殿側から見る陽明門
 陽明門    逆柱(さかばしら)がある。
東照宮本殿入り口の陽明門。門の上部は,龍や獅子,仙人など508もの彫刻でうめつくされ,あざやかな彩色がほどこされています。
1日見ていてもあきないというので,「日暮らしの門」という別名があります。


三猿
(さんえん)
神輿舎。三猿の彫刻が描かれている
 三猿のある厩(うまや)
東照宮神厩舎(とうしょうぐうしんきゅうしゃ)にある彫刻。両手で冒,ロ,耳をおおった3びきのサルが「見ざる,言わざる,聞かざる」の意味をあらわしています。


いろは坂
(いろはざか)   アニメ イニシャルD「頭文字D」でお馴染み

紅葉の季節には中禅寺湖へ向かうドライブの車でにぎわう、日光観光の名所のひとつです。
二荒山神社の境内は、男体山を中心とする連山すべてという、おどろくほどの広さ。
いろは坂は、境内の参道でもある。

交通・駐車場
最寄駅:東武日光線・東武日光駅、JR東日本日光線・日光駅
駅から東武バス日光の中禅寺温泉・湯元温泉方面、奥細尾行きおよび世界遺産めぐり循環バスを利用し、西参道下車。
関東自動車の一般路線バス・JR宇都宮駅 - 東武駅前〜日光駅前(JR・東武)〜日光東照宮行きに乗車、終点で下車となる。
日光駅の各2停留所は、駅前に乗り入れず、駅そばの国道119号上のバス停からの利用となる。尚、関東自動車は、3社共通バスカードの利用も可能。
定期観光バス
日光駅発(日光交通)
鬼怒川温泉駅発(日光交通)
東京発(はとバス)
駐車場:有り
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