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 タージ・マハル  1983年
美しいタージ・マハルも地盤沈下やかたわらを流れるヤムナー川の水質汚染などの影響により,大理石の色が変質しはじめています。早急な保存対策が必要とされています。
ムガール帝国の5代皇帝シヤー・ジャバーンが妃の死をいたんでアーグラに建てた自大理石の霊廟(れいびょう)。完成までに22年,ムガール帝国の国力をかたむかせたともいわれる。その美しきは,ムガール建築の頂点の名にふさわしい。

タージ・マハル
  アーグラ城塞(じょうさい) インド 1983年 1983年
ムガール帝国の妃の墓廟(ぼびょう自大理石でつくられたタージ・マハル,その均整(きんせい)のとれた美しさはインド・イスラム建築の最高傑作です。
タージ・マハルは,首都ニューデリーから南へ200キロのアーグラに建てられたムガール帝国時代の墓廟です。5代皇帝シヤー・ジャバーンが,その妃ムムターズ・マハルの死を悼(いた)んで建てました。皇帝と妃(きさき)の遺体が地下室に安置されています。
タージ・マハルの外壁には,イスラム教の聖典コーランの教えが,色とりどりの宝石(ひすい・トルコ石など)の文様とともにがえがかれています。高さ58メートルの中央のドームは,56メートル四方の基壇(きだん)に建ち,四隅をミナレット(尖塔)がかこんでいます。
1632年頃から工事がはじまり,完成には20年ほどの歳月を要しました。
建築にかかった費用は,国をかたむけるほどだったといわれています。

ムガール帝国の繁栄
1526年,ティムールの血をひくカブールの小王国の首長パープルがデリーに侵攻し,イスラム王朝ムガール帝国の基礎を築きました。
3代皇帝アクバルは,アーグラに新しく廓をおき,そして,州・県・都しく廓をおき,北インド全域に勢力を広げました。そして,州・県・都を区分し,税制度を整備しましたまた,イスラム教徒だけでなく,ヒンドゥー教徒も官僚に登用して,ゆるやかな支配体制をしきました。
ムガール帝国は,その後約330年間つづき,17世紀の6代皇帝アウラングゼープの時代に領土は最大となりました。ムガール帝国の繁栄のもと,ヒンドゥーとイスラムのふたつの文化が融合したインド・イスラム文化が宮廷を中心に開花しました。

            
    アーグラ城塞                   アーグラ城塞 


都アーグラとアーグラ城
アーグラは,デリーに都が移るまで約1世紀にわたり,ムガール帝国の都でした。アーグラ城は3代皇帝アクバルによって1565年に建てられ,その後も増築されました。
要塞としてのつくりとは対照的に,内部のつくりはたいへん豪華です。
宝石がちりばめられた謁見(えっけん)の間や大理石づくりのモスク(イスラム教の礼拝所),5代皇帝シヤー・ジャバーンが建てた八角形の塔などは,ムガール建築の代表作といわれています。
5代皇帝シヤー・ジャバーンは,のちにアーグラ城に幽閉され,みずからがつくった塔のなかから,ヤムナー川のかなたに見える妃(きさき)の墓廟(ほびょう)タージ・マハルを,毎日ながめていたといわれています。

 アーグラ城 1983年
アーグラ城は,ヤムナー川を背景に2重の堀と2重の城壁でかこまれ,要塞としての役目をはたしています。ヤムナー川をはさんで対岸にタージ・マハルも見えます。

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タージ・マハル

タージ・マハルの門

タージマハル 1983年 文化遺産  アーグラ城 1983年 文化遺産
 インド北部アーグラには2つの世界遺産があります。

インドの人口は世界第2位の 11億4千万人
1位は中国の13億3千万人です。