中国の歴史上最初の皇帝である奏の始皇帝(えい)政(せい)の陵墓は、およそ紀元前210年ごろ築造された。
載頭方錐形の墳丘の当時の推定規模は東西485m、南北515m、高さ76mに規模を誇る。
1974年、陵園区域の東側から、陵墓の東面を警護する一軍団の兵馬俑が発見された。
兵馬俑坑と名づけられた陪葬坑の遺跡は現代までに3基発見され、調査が進められると同時に博物館として一般に公開されている。

中国最初の皇帝の墓から発見された兵馬俑(へいばよう) 中国 1987
  秦始皇陵
  中国最初の皇帝,秦の始皇帝
始皇帝は,中国戦国時代の強国のひとつ,秦の31代の王でした。13歳で秦王に即位し,およそ10年の間に韓,魏,楚,燕,斉,趙(かん・ぎ・そ・えん・せい・ちょう)の6つの強国を武力ではろほし,紀元前221年に中国を統一しました。「王」よりも上の地位として「皇帝」という称号をつくり,初代皇帝として「始皇帝」と名のりました。
始皇帝は,郡県制を中国全土にしき,中央政府による直接統治を行いました。法律家を登用して政府の権力を強め,農業を広めて人びとの暮らしの安定をはかりました。
度量衡(どりょうこう)(物の単位)や文字・貨幣を統一し,さらに交通網を整備して,行政を能率化しました。また,思想や言論の統制も行いました。みとめられない書物は焼きはらい,儒家(じゅか)を弾圧したのです(焚書坑儒)(ふんしょこうじゅ)。

  秦始皇陵の兵馬傾坑(へいばようこう)
秦の始皇帝の墓,秦始皇陵は陝西省にあります。東西485メートル,南北515メートル,高さ約76メートル,土を盛って山を築いた形の墓は,その後の陵墓(皇帝と皇妃の墓)のモデルとなりました。
1974年,付近の地下から兵馬俑坑(へいばようこう)が発見されました。第1号坑(こう),第2号坑,第3号坑からなる大規模なものです。東西230メートル,南北62メートルの第1号坑からは,約7,000体の兵士や馬の陶俑(とうよう)(粘土で焼いた置物)が発掘されました。
実物大に近く,隊列を組んだ形で配置され,秦当時の軍備を知る学術的資料としてはもちろん,美術的資料としても貴重なものです。

   発掘された兵馬俑坑
現在は,秦始宣陵の東側につくられた兵馬俑坑博物館に陳列されています。兵士たちの顔は写実的で,ひとつずつちがっています。兵馬偶は,始皇帝の死後を警護するものだったと考えられています。

秦始皇帝陵及び兵馬俑坑しんしこうていりょう および へいばようこう

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始皇帝(しこうてい)

兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはない。