中国と西域の境界に位置し、シルクロードの重要都市として栄えた敦煌(とんこう)の市街地から南東に25km離れた鳴沙山の東斜面に大小492もの石窟がある。
約1000年にわたって造営されつづけた世界最大の仏教石窟寺院莫高窟には壁面を埋め尽くす鮮やかな壁画と彩色された塑像(ソゾウ)が残されている。
壁画の総面積は4万5000平方m、つなぐと25kmにおよぶ。
800年の眠りからさめた敦煌文書は敦煌学を学んだ。

莫高窟(ばっこうくつ)
シルクロードの交易の中継地として栄えた敦燈(とんこう)の南東約25キロにある石窟群。南北約2キロにわたる石窟内に仏像や仏教の教えをえがいた壁画がならぴ,千仏洞(せんぶつどう)ともよばれる。

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シルクロードの中継都市に栄えた仏教文化

莫高窟
  オアシスのなかの仏教石窟群
北京から西へ約2,000キロ,甘粛省の北西にある敦煌(とんこう)は,砂漠にかこまれたオアシス都市です。莫高窟(ばっこうくつ)は,その敦煌の市街から南東へ約25キロはなれた鳴沙山の東側の絶壁にあります。上下数段にわたってつくられた,岩穴のなかの仏教石窟群です。
莫高窟は,千仏洞(せんぶつどう)ともよばれます。南北約2キロにわたる492の石窟の内部には,彩色された仏像がならび,壁面には仏画がえがかれています。
 石窟寺院はもともとインドに見られましたが,莫高窟ほどの規模のものは,ほかに類を見ません。
莫高窟は,4世紀半ばに前奏(ぜんしん)時代の僧が掘りはじめたのが最初とされていますが,現存する石窟で最古のものは,5世紀初めにつくられています。その後,元の時代まで約1000年にわたって掘りつづけられました。

シルクロードの中継都市、敦煌(とんこう)
前漠(ぜんかん)時代,武帝は匈奴(きょうど)に対抗して西城(中国の西の周辺)へ軍隊を派遺しました。その辺境防衛の要衝とされた敦燈は,隋・唐の時代にかけて,シルクロードの中継地として繁栄しました。
11世紀にタングート族に占領され,ついで元などの支配下にはいり、18世紀に清朝の領土となります。莫高窟の掘削は、元の時代を最後に停止しました。

  「敦煌文書」(とんこうがく)の発見
20世紀初め,仏典の写本など大量の古文書が石窟から発見されました。
法律書や経済書,言語や宗教の資料もあり,イギリス,フランス,ロシア,日本などの探検隊がもちだした文書は「敦煌学」という学問を生みました。中国では1951年に敦煌研究院がおかれ,研究のほか,石窟の修繕や保存がなされています。

  洞窟の仏教寺院
9層からなるこの寺院には,則天武后(そくてんぷこう)をモデルにしたとされる高さ33メートルの仏像があります。前に立つポプラの林は、敦煌文書を発見した僧によって植えられたものです。

  涅槃像(ねはんぞう)
横たわった仏像のまわりを,壁にえがかれた仏画が取りかこんでいます。
莫高窟全体では仏像の数2,400体あまり,壁画のある壁の広さは,4万5,000平方キロにもおよんでいます。

2世紀頃のおもな交通路
シルクロード(絹の道)は,中国で生産された絹を西アジアやギリシャ,ローマなどへ運んだことから,その名でよばれます。また,ペルシャ文化などもシルクロードを経由して中国に伝えられ,やがて日本文化にも影響をあたえました。インドでおこった仏教も,この道を通って中国に伝えられました。

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