勤務時間が終わり、私服に着替えて司令部出入り口の階段を下りて行ったその先には。 小柄な少年がちょこんと立っていた。 |
++ 何にも勝る友愛を ++ |
リザの姿を見つけ、ぱぁ、と目に見えて表情が明るくなった少年は、走り出したいのを堪えてその場に立っていることがありありと判る風情であった。それがまた非常に可愛らしく映り、リザは足取りも軽く少年の前まで来ると声をかけた。 「エドワードくん。どうしたの?」 「え、えぇっと、中尉。もう仕事終わった?」 私服に着替えているのは明らかであるので、仕事が終わったか自体を今さら訊いているのではなく。 これから用事はあるのかと、エドワードは訊いているのだった。 「いいえ、もうこれから家に帰ろうかと思って」 「ふぅん。…えと、中尉、それじゃ、さ」 上目遣いにリザを見たり、かと思えば足元を見たりと何やら忙しくしている少年に、リザは可愛くて仕方ない、とこぼれるような笑みを浮かべてひとつの提案をした。 「ねぇ、エドワードくん。これから、暇かしら?」 +++ 時間は夕方少し前であるせいか、それほど混雑はしていない店内のテーブルで、リザとエドワードは向かい合っていた。 どうやらこういう店に入るのは慣れていないらしく、先ほどからエドワードはしきりと周りを見渡していた。 「大丈夫よ、最近は男の人も結構来るんだから」 とはいえ、見る限り周りは女性8:男性2である。 しかもその2割も、明らかに恋人の付き添いで来ているようであった。 つい2ヶ月前にオープンしたばかりの、ケーキ専門店。 友人と日取りが合わず、かといって1人で来るのも味気ないとそう思っていたところに、ちょうどエドワードがいたのだった。 「エドワードくん、甘いものは?」 「え、うん、大好きだけど…」 「なら良かった。好きなもの食べていいわよ。わたしのおごり」 「そんな、悪いよ」 「いいのよ。付き合ってもらったお礼だから」 どうやら少年はレースとフリルとベビーピンクに縁取られた雰囲気に馴染めないと思っているらしいが。 リザから見れば、内装も少年も、ともに可愛い物のカテゴリに分類されている。 「…中尉、甘いもの好きなんだ」 「よく言われるわ。意外みたいね」 ストロベリーミルフィーユと紅茶のセットを頼んだリザは、実をいうと甘いものには目がなかった。 リザと同じく、アップルパイのバニラアイス添えをセットで注文したエドワードもかなりの甘党であるらしい。 あまり周りには知られていない甘党同士、奇妙な連帯感が生まれてしまう。 「中尉って、何か甘ったるいものは嫌いって言いそうだからさ」 「そうねぇ、人並みには食べるわよ? それに、ストレスの解消にもなるし」 「あはは、職場が職場だかんねー」 正確に言っちゃえば、上司が上司だし? 目の前に某焔の錬金術師の顔を思い浮かべているのだろう。 エドワードは大げさにしかめっ面をして見せ、すぐさまにこりと破顔した。 「ま、あんな無能のこと忘れてさ、今はケーキっ」 ちょうど、ウェイトレスが銀盆を手にこちらへと歩いて来るところであった。 +++ とりあえず1度は来ておこうか、という理由だけで店を決めたリザであったが、意外と味は良く、これからも来る店リストに密かに店名を書き加えた。 ミルフィーユを食べているリザと、アップルパイをつついているエドワード。自分の注文品は勿論美味ではあったのだが、お互いに相手の菓子は気になるもので、途中で皿ごと交換してしまう。 エドワードはどうやらミルフィーユの食べ方に慣れていないらしく、盛大に崩してしまっていた。 「ミルフィーユは先にフォークでざくざく刺しておいた方がいいわよ?」 「もっと早く言ってよ中尉…」 皿の上の物体は、すでにミルフィーユというよりは薄いパイとクリームの雪崩と化している。 どちらにせよ味に影響はないので、平気で食べていたエドワードではあるのだが。 ふぅ、とどちらからともなく満足のため息が洩れる。 甘いものによってもたらされた満腹感は、例えようもなく幸せだという典型である。 「ごちそーさまでしたっ」 しかしエドワードはまたすぐに、先ほどの落ちつかなげな態度に戻った。 しまった忘れてた、という顔である。 ちらちらとリザのほうを見たり、店内を意味もなく見渡してみたり、そしてまたすぐにリザへと視線を戻したり。 どう言い出そうか、どう切り出そうかと考えあぐねていることが丸判りであるその仕草に、可愛いもの好きでもあるリザは思わず彼の頭を撫でてしまった。 え、何? と訊いてくる少年に、リザはさり気なく自分のふところを探る。 「ねぇ、エドワードくん。わたしね、今日キミに用事があったんだけど」 「え、あ、オレもっ! オレも中尉に用事っ!」 リザから切り出すと、すぐさまエドワードから反応が返る。 少年は慌てて自分のふところをがさごそと探ると、何やら小さな包みを取り出した。 「えと、中尉、これっ!」 びしっと果たし状でも叩きつける勢いで渡されたそれは、シンプルな水色の包装紙と淡色のリボンで飾られた手の平サイズの箱であった。 しげしげと眺めるリザの表情を、エドワードはじぃっと見つめている。 「…これ、もしかして……チョコレート?」 「………うん」 俯いた少年の耳は、照れからか赤く染まっている。 上目遣いにリザを見上げ、「だって、お世話になってるから」とだけ告げた。 「…ふふ」 堪えきれずに噴き出すと、少年の目が不安に揺れた。 しかしそれも、リザがエドワードのそれと似た包みを取り出したことで一気に掻き消える。 「はい、エドワードくん」 「…え?」 「キミに、チョコレート」 それから、お互いに顔を見合わせてくすくす笑いあった。 エドワードの頬の赤みは、いまや照れだけではないだろう。 2人のかけた白のテーブルに、2つ並べられた小さな包み。 多少の気恥ずかしさをものともしない、感じられる温かさ。 「それじゃあこれは、交換、ねv」 「うん。交換、なv」 まるで子どものプレゼント交換のように、互いに互いのチョコレートを受け取った。 そしてまた2人して、くすくすと笑い合う。 今日はバレンタイン。 日頃感謝している人に、大切に思っている人に、その思いを込めてカードや花を贈る日。 けれど数日前に耳にした東国の風習を思い返し。 思わず、それに沿って品物を決めてしまった。 お互いに、互いに抱いているのは男女の愛情ではない。 肉欲や色欲や、恋愛感情に裏打ちされたものではない。 親子のような、共犯のような、親友のような。そんなかけがえのない愛情であるのは確かだが。 しかしそれでも、さて相手に何を贈ろうと考えた時、チョコレートをとすぐさま思い浮かべてしまうような。 そんな、関係。 「…あ、そういえば」 「?」 「ホワイトディって、知ってる?」 「ホワイトディ? 知らないわね」 エドワードがそんなことを言い出したのは、すでに店を後にし公園の街路樹を並んで歩いている時であった。 聞いたことのない単語に、リザが首を傾げる。 「後でファルマン准尉に聞いたんだ。バレンタインでチョコを貰った男が、そのお返しをする日なんだって」 「へぇ、そうよね、貰ってばかりじゃダメよねぇ」 「だろ? でも何返すんだろうな?」 国を挙げてチョコレートをやり取りするくらいなのだから、きっとホワイトディも仰天するような風習があるに違いない。 そんな見解を述べて、エドワードはくつくつ笑った。 「そうだ、それじゃエドワードくん」 「? なに?」 「わたしたちもホワイトディ、しましょうか」 お互いに渡しあったが、これはお返しではなくあくまでも贈った物。 「…お返し、すればいいの?」 「そうね、お返しすればいいのよね」 わたしたちの、やり方で。 自分たちだけのホワイトディを。 2人は立ち止まり、リザは身を屈め。 そしてエドワードは軽く爪先立ちをして。 1時間後のホワイトディ。 互いに互いのお返しは、笑い合いながらも、 ありったけの感謝と親愛とを込めた。 それぞれの両頬に落とした、それぞれからの小さなキス。 |