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黒い革張りの診療用ベッドに横たわる少年は、例え息をしていなくても違和感はなかっただろう。
++ 有限カタルシス 02 ++
―――ぴ、ぴ、と一定間隔で続いていた電子音がやがて止まる。停止の寸前にコードの接続端子に伸ばしていた指先は、そのまま流れるように測定器と被診察者とを切り離した。 「はい、終わり。お疲れ様」 手際よく器材を片付けていくこの部屋の主――ー科学班班長がにこやかな笑みを向けた時には、既に神田は今の今まで拘束されていた四肢を伸ばし、ベッドからさっさと降り立っていた。 「どうだった」 「ん。変化・異常共になし。自覚症状は?」 「あったら言ってる」 「んー…それはどうだろう?」 コムイのその類の笑みはどうやら神田の嫌う種類に入るらしい。すっと寄せられた眉根は少年を意図せず人間らしく見せていて、思わず苦笑が追加される。するとますます神田の機嫌は降下してしまった。実に判りやすい。先ほどまで大小様々なコードに取り囲まれ、まるで本当の重病人の風情だったとは思えない。 「はは、ごめんごめん。君を信用してない訳じゃあ、ないんだ」 「…それはどうだかな」 「それは君なりのあてつけかなぁ」 はい、じっとしてて。 小さな囁きに、慣れた様子で神田はうなじを晒した。白い首筋に貼りついた装具をコムイは丁寧に剥がしていく。ぺりぺりと露にされた皮膚が薄赤く染まり、痛々しい。 「…っ、何しやがる」 びくりと反射的に返された素振りに、コムイは今度は自覚つきの性質の悪い笑みを浮かべた。 「いや〜、つい手当てしてあげたくなっちゃって。どう、痛くなくなった?」 「んな訳あるか、阿呆」 突然に舌でなぞられたうなじを、忌々しげに神田は擦り上げた。しかしそれ以上の罵詈雑言は飛ばさない。した所で無駄だと判りきっているからだ。この男とまともに会話をしようとする意志は、男の人となりを大雑把に把握した時点で溝に捨てている。 「毎回毎回ご苦労様。ホント、不器用そうに見えるのに案外器用だよねぇ、神田くんは」 既に彼の話題は次に移っているらしい。診断結果が印刷された細長い紙を、コムイは興味深げに眺めている。微かな振動と共に今しがたの診断を打ち出している印字機は、ようやくその動きを止めた。床に長々ととぐろを巻くそれを、掬い上げた黒髪の科学者は瞬時に読み取って行くのだろう。 「…何が」 「同調率」 コムイの口にした単語は、エクソシストには欠かせない言葉であった。同調率。己が神の武器と精神・肉体とのシンクロ。全く異なる存在である2つが、その波長をどれだけ重ねているかによってエクソシストとしての価値が決まると言っても過言ではなかった。 「コレ、わざとでしょ。君のソレで同調率70台ってのは僕には信じられない」 「は。嫌味か、それは?」 「まさかぁ。僕の、一科学者としての見解だけどね?」 言いながら、彼ははっきりと青いインキで印字されたその箇所を指で辿った。 ―――同調率、74%。 「独り言兼注意だけど、制御したいんならせめて80前半にしとくべきだ。君のエクソシストとしての力量と望まれている成果を考えた上での君の望む結果としては、これがギリギリの妥協点だろう」 「うるせぇ」 「しかもコレ、アレン君より低いし。うわぁ信じられなーい。それは先輩としてどうなのぉ?」 「だからうるせぇって」 てめぇと話してると血圧上がんだよ、そう言い捨てて神田は脱ぎ捨てていた団服に再び腕を通した。その瞬間、闇夜に立つエクソシストの表情が僅かにのぼるのを、彼は自覚しているのだろうか。 黒髪の少年が科学室から出て行く。その背中を、コムイは冷ややかな目で見送っていた。もっとも、その冷め切った感情はけして少年に向けたものではなかったのだが。 「……ま、元々君が適合者だったかもしれない、ってのこそ、あのヒトたちは信じやしないだろうけど」 そしてコムイは、白々しい結果しかなぞられていない、下らない紙の端をばさりと床へと落とした。 まさに、これは。 愚か者たちのイカれたお茶会にも似た――― |
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